学位論文要旨



No 214966
著者(漢字) 二村,典宏
著者(英字)
著者(カナ) フタムラ,ノリヒロ
標題(和) ヤナギ属植物の環境適応性と雌雄性に関する分子生物学的研究
標題(洋)
報告番号 214966
報告番号 乙14966
学位授与日 2001.03.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14966号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 寳月,岱造
 東京大学 教授 鈴木,和夫
 東京大学 教授 井出,雄二
 東京大学 助教授 高野,哲夫
 東京大学 助教授 小島,克己
内容要旨 要旨を表示する

[始めに] ヤナギ科(Salicaceae)植物は雌雄異株で、ヤナギ属(Salix)、ヤマナラシ属(Populus)、ケショウヤナギ属(Chosenia)、オオバヤナギ属(Toisusu)の4属からなる。これらの樹木はパルプやボードの材料となるだけでなく、緑化木としても利用されている。ヤナギ属は挿し木による繁殖が容易で、萌芽再生能に優れ、しかも成長が早いため、短伐期の繰り返し生産に適している。そのため、スウェーデンではバイオエネルギー資源としても利用されており、原子力の新たな代替エネルギーとして注目されている。日本でもバイオマス資源や河畔緑化のためにヤナギ属を利用することが注目されている。

 ヤナギ属をバイオマス資源として有効利用するためには、育種的改良によってその生産性を向上させる必要がある。一般に、樹木は生殖活動を開始するまでの期間が長く、交雑育種による改良は困難なため、遺伝子操作による育種は樹木にとって有効な手段として期待される。遺伝子操作育種では、有用な形質の遺伝子を導入することにより、もとの植物の望ましい形質を全て保持させたまま目的とする単一の形質のみを選択的に改変することが可能である。そのためには、導入すべき有用な遺伝子を同定、単離する必要がある。樹木では、有用遺伝子の同定、単離に関する研究は極めて限られており、ヤナギ属樹木では、バイオマス生産向上につながる遺伝子をはじめ有用遺伝子の解析が全く行われていないのが現状である。そこで、本研究では、ヤナギ属樹木のバイオマス生産に影響を与える環境適応性と雌雄性に焦点を合わせ、それらを制御する遺伝子操作の基礎となる遺伝子情報を蓄積することを目指した。環境に対するストレス耐性の付与がバイオマス生産を高めることはいうまでもない。雌雄性の制御は、生殖のためのエネルギーを栄養生長に転換することによりバイオマス生産を高めることが期待される。また、雌雄性制御による花粉の不稔化が、組換え遺伝子の環境への拡散を防止する技術につながることも期待できる。

[高温適応性の生理学的解析] 自然日長下、20/15℃,25/20℃,30/25℃(昼/夜)の3種類の温度条件で生育させたカワヤナギ(Salix gilgiana Seemen)を用いた。シュートの成長曲線も9ヶ月後の全乾燥重量や幹の乾燥重量にも有意差は見られなかった。植物個体全体もしくは幹をバイオマス資源として用いる場合には、広範囲で植栽可能といえる。生育温度による全乾燥重量の違いは認められなかったが、高温で生育させた個体は分枝によって葉の乾燥重量が増加し、根の乾燥重量が減少した。幹の組織構造を解析したところ、高温条件では活発な蒸散を維持するために導管の数を増加させた。また、異なる生育温度に順応したカワヤナギの光合成速度と呼吸速度を比較すると、高温で生育させた個体は光合成速度も呼吸速度も高くなる傾向を示した。これらの結果は、カワヤナギが光合成産物の分配や組織構造、代謝といった様々なレベルの適応戦略を有し、幅広い温度に適応できることを示している。さらに、特定の温度設定に順応した個体を低温から高温に移すと、光合成速度が顕著に低下することが明らかになった。反対に、高温で育てた個体を低温に移すと、1時間後には光合成速度も呼吸速度も低温に順応させたものと同じレベルになった。このことから、適応可能な温度の範囲内であっても、急激な温度上昇に対してはストレスと捉えているものと推測された。そこで、高温に対するストレス応答に関しては分子生物学的な解析を行なった。

[高温適応性関連遺伝子の解析] カワヤナギの高温に対する応答を遺伝子レベルで解析するために、ストレス応答型の代表的なタンパク質であるDnaJホモログとHsp70のcDNAクローンを単離した。細胞がストレスを受けると、DnaJホモログとHsp70は協調して変性タンパク質の再生を補助すると考えられている。カワヤナギの雄性花序由来のcDNAライブラリーから、DnaJホモログの完全長アミノ酸をコードするcDNAクローンを3種類(pSGJ1,pSGJ2,pSGJ3)とHsp70をコードするcDNA断片(pSGK1)を単離した。cDNAの構造から、pSGJ1とpSGJ2は同じ遺伝子(SGJ1)に由来する成熟型mRNAと前駆体型mRNAに対応するcDNAクローンであると考えられる。熱ストレスを与えると、DnaJホモログの一つであるSGJ3は葉において急速に発現が誘導されたが、SGJ1は熱ストレスによる発現の誘導がほとんど見られなかった。これらの熱ショックタンパク質遺伝子はストレスをかけない通常組織でも発現しており、SGJ1の転写産物は雄性花序で多く、SGJ3とSGK1の転写産物は雌雄の花序と根で多かった。雄花と雌花におけるこれらの遺伝子の発現を詳細に調べたところ、SGJ1,SGJ3及びSGK1の転写産物は共通して、雄花では未成熟な葯中の小胞子とタペータムに、雌花では胚珠の内珠皮および子房中の珠柄表層に局在していた。SGJ3とSGK1の転写産物は雄花・雌花の蜜腺でも発現していたが、SGJ1の転写産物は蜜腺では検出されなかった。以上の結果から、SGJ3には温度変化に対する防御反応としての役割と、タンパク質の輸送などに関わる分子シャペロンとしての役割があることが判明した。これに対し、SGJ1は主に分子シャペロンとして働き、温度変化に対する防御反応には関わっていないと考えられる。このように、DnaJホモログをコードする遺伝子ファミリーは、ストレス応答や発現部位に関して遺伝子ごとに役割分担していることが明らかになった。この知見は植物界で最初のものである。カワヤナギでは、DnaJホモログ遺伝子を多重遺伝子族としてゲノム内に保有し、組織やストレスによって異なる発現誘導をすることにより環境に適応していると考えられる。

[雌雄性関連遺伝子の解析] 雄性生殖器官の発達に関わる遺伝子を単離する目的で、バッコヤナギ(Salix bakko Kimura)の雄性花序のmRNAを用いてcDNAライブラリーを作成し、雄性花序に特異的に発現する遺伝子群を探索した。ランダムに選抜したcDNAクローンの塩基配列は、さまざまな既知の遺伝子との相同性が認められた。この中には、ハウスキーピング遺伝子と考えられるものの他に、葯や花粉で特異的に発現する遺伝子とされる多糖類分解酵素(ポリガラクツロナーゼ、ペクチンメチルエステラーゼ、ペクテートリアーゼ、β-1,3-グルカナーゼ)遺伝子があった。しかし、これらの遺伝子に関する過去の知見は両性花に限定されていた。そこで、雌雄異株であるヤナギ科植物で、両性花と同じような発現パターンを示すかを調べた。

 バッコヤナギから得られたcDNAは断片的なものであった。そこで、挿し木による繁殖が容易なカワヤナギの雄性花序由来のcDNAライブラリーから、それぞれの多糖類分解酵素をコードするほぼ全長のcDNAクローンを新たに単離した。DNAゲルブロットの結果、ゲノム中のこれらの遺伝子のコピー数は、雌雄の個体間に差がないことが明らかになった。さらに、これらの遺伝子がどのような組織で発現するのかを調べた結果、カワヤナギのポリガラクツロナーゼ遺伝子(SgPG1,SgPG2,SgPG3,SgPG4)とペクチンメチルエステラーゼ遺伝子(SgPME1)は成熟花粉に特異的に発現することがわかった。これらの遺伝子の発現により生成する酵素は、花粉管の発芽や雌ずい中での花粉管の伸長に必要なものと考えられる。カワヤナギのβ-1,3-グルカナーゼ遺伝子(SgGN1)は雄性花序に特異的に発現していたが、発現する組織の特定までにはいたらなかった。SgGN1は雄花の発達過程においてSgPGやSgPME1よりも早い時期に発現することから、花粉の成熟過程でおそらくタペータムに特異的に発現するものと考えられる。以上の結果から、これらの遺伝子は雄性個体の花粉や雄ずいで特異的に発現するものの、遺伝子自体は雌雄ともに保持されていることが明らかになった。

 カワヤナギの雄性花序のcDNAライブラリーから単離したペクテートリアーゼ遺伝子(SgPL1)は、雄性花序のほかに茎でも多く発現していた。SgPL1の発現量は、葉や茎の発達段階によって調節されていた。SgPL1は花粉では発現しておらず、雄ずいの花糸と雌ずいの柱頭で主に発現していることがわかった。また、SgPL1は木部柔組織でも発現していた。さらに、この遺伝子の発現は切断傷害や浸透圧ストレスをかけた際に誘導された。このことから、SgPL1は細胞の伸長や分化、ストレスに対する応答といった幅広い機能を保有していることが示唆された。ペクテートリアーゼ遺伝子が傷害や浸透圧ストレスにより誘導されるという知見は、植物界で最初のものである。

[終わりに] 本研究は、遺伝子操作技術を用いたヤナギ属の改良に利用可能な有用遺伝子を提供するものである。ストレスに応答する熱ショックタンパク質遺伝子やペクテートリアーゼ遺伝子は、遺伝子組換えによるストレス耐性付与に利用できる。また、花粉や雄性花序に特異的に発現するポリガラクツロナーゼ遺伝子、ペクチンメチルエステラーゼ遺伝子、β-1,3-グルカナーゼ遺伝子は、アンチセンス法等を用いることにより、花粉の発達を抑制した組換え体の作出に利用できる。この様な花粉の発達を抑制した樹木は、正常な花粉形成をおこさず花粉を不稔化するため、組換え遺伝子を拡散しないと考えられる。今後、本研究で単離された遺伝子が組換え樹木の実用化に貢献することを期待する。

審査要旨 要旨を表示する

 ヤナギは、挿し木繁殖が容易で成長が早いため短伐期の繰り返し生産に適しており、バイオエネルギー資源として注目されている。ヤナギの生産性を向上させるには育種的改良が必要だが、一般に樹木は生活史が長く交雑育種による改良は困難なため、遺伝子操作による育種が期待されている。遺伝子操作育種では導入すべき有用な遺伝子を単離・同定する必要があるが、樹木の有用遺伝子の同定、単離に関する研究は極めて限られており、ヤナギでも、バイオマス生産向上につながる遺伝子をはじめ有用遺伝子の解析は全く行われていない。従って、ヤナギの遺伝子の単離・同定は、遺伝子操作育種への道のりの上で極めて重要な一歩であると言って良い。

 本論文では、ヤナギ属樹木のバイオマス生産に影響を与える環境適応性と雌雄性に焦点を合わせ、それらに連関した遺伝子を多数単離・同定し、さらにそれらの発現の特徴を時間的空間的に明らかにしている。本論文は、序論と総合討論を含め7章からなっている。

 第1章の序論では、ヤナギの利用、生理学、分子生物学に関する研究をサーベイし、本論文の目的と意義について述べている。

 第2章では、高温適応性の生理学的解析を述べている。カワヤナギ(Salix gilgiana Seemen)に様々な高温処理を施し、生理反応を測定した。その結果、カワヤナギが光合成産物の分配や組織構造、代謝といった様々なレベルの温度適応示し、幅広い温度に適応できることを明らかにしている。さらに、適応可能な温度の範囲内であっても、急激な温度上昇に対してはそれをストレスと捉えていることを見出した。

 第3章では、第2章の結果を踏まえ、高温適応性関連遺伝子の解析を述べている。カワヤナギの高温に対する応答を遺伝子レベルで解析するために、ストレス応答型の代表的なタンパク質であるDnaJホモログ3種類とHsp70のcDNAクローンを、カワヤナギの雄性花序由来のcDNAライブラリーから単離している。それぞれの遺伝子の発現を、高温処理による誘導特性、および組織特異性の面から調べ、DnaJホモログをコードする遺伝子ファミリーが、ストレス応答や発現部位に関して遺伝子ごとに役割分担していることを明らかにしている。なお、この知見は植物界で最初のものである。

 第4章では、雌雄性関連遺伝子の解析を述べている。雄性生殖器官の発達に関わる遺伝子を単離する目的で、カワヤナギおよびバッコヤナギ(Salix bakko Kimura)の雄性花序からcDNAライブラリーを作成し、雄性花序に特異的に発現する遺伝子群を探索している。その結果、ハウスキーピング遺伝子と考えられるもの、多糖類分解酵素(ポリガラクツロナーゼ、ペクチンメチルエステラーゼ、ペクテートリアーゼ、β-1,3-グルカナーゼ)遺伝子を多数単離同定している。

 第5章では、これらの遺伝子の発現の組織特異性を調べ、カワヤナギのポリガラクツロナーゼ遺伝子(SgPG1,SgPG2,SgPG3,SgPG4)とペクチンメチルエステラーゼ遺伝子(SgPME1)が成熟花粉に特異的に発現することを明らかにしている。また、これらの遺伝子自体は雌雄ともに保持していることも明らかにしている。

 第6章では、カワヤナギペクテートリアーゼ遺伝子(SgPL1)について、発現の組織特異性やストレス応答性について検討を行っており、SgPL1は雄性花序のほかに茎でも多く発現すること、発現量が葉や茎の発達段階によって調節されること、花粉では発現せず雄ずいの花糸と雌ずいの柱頭で主に発現していること、木部柔組織でも発現していること、切断傷害や浸透圧ストレスで発現が誘導されること、を明らかにしている。なお、ペクテートリアーゼ遺伝子が傷害や浸透圧ストレスにより誘導されるという知見は、植物界で最初のものである。

 最後に第7章では、遺伝子組換えによるストレス耐性付与によるヤナギの改良や、花粉の不稔化による組換え遺伝子の拡散防止における、これら遺伝子の有用性について考察している。

 以上のように本研究は、従来不明な点が多かった樹木遺伝子の単離・同定および発現特性について、独創的かつ有益な知見を明らかにしており、学術的かつ応用的に十分価値が高い。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するのにふさわしい水準にあると判断した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42844