学位論文要旨



No 214971
著者(漢字) 門前,幸志郎
著者(英字)
著者(カナ) モンゼン,コウシロウ
標題(和) 心筋細胞分化におけるBMPシグナルの役割
標題(洋) A Role for Bone Morphogenetic Protein Signaling in Cardiomyocyte Differentiation
報告番号 214971
報告番号 乙14971
学位授与日 2001.03.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14971号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 助教授 中福,雅人
 東京大学 助教授 岡崎,具樹
 東京大学 講師 中尾,彰秀
内容要旨 要旨を表示する

(背景および目的)

 心筋細胞はそれ自体増殖能および再生能を持たないため、廃絶した心筋は二度と回復が望めないということが心臓病学における治療面での大きな問題であると考えられる。心筋細胞の分化、心臓の発生に関する基礎的研究の目標のひとつは、非心筋細胞から心筋細胞を分化誘導する手法を確立し、例えば分化誘導した心筋細胞を用いた不全心への細胞移植によって自己の細胞から心臓を再生させるといった、いわゆる再生医療の実現に寄与することである。

 最近の分子生物学的アプローチの進歩によって、心臓の発生に関する研究についても分子レベルでの解明が進んできた。まず、心筋特異的ホメオボックス遺伝子であるショウジョウバエのtinmanとその脊椎動物におけるホモログであるCsx/Nkx-2.5が同定、解析された。tinman、Csx/Nkx-2.5はともに発生の非常に早期の段階から心臓に限局して発現している転写因子であり、遺伝子欠損モデル動物の解析などからその機能は正常な心臓の発生に必須のものであると考えられた。その後も他の心臓特異的転写因子であるMEF2C,GATA-4,HANDなどが相次いで同定、解析され、これらの因子が心筋細胞の分化から複雑な構造を持つ心臓の形態形成に至るまでの心臓発生の様々な段階で重要な機能を果たしていることが次第に明らかになってきている。

 更に最近では、心臓予定中胚葉から心筋細胞への分化という心臓発生の最初の段階で、骨形成因子bone morphogenetic protein(BMP)が重要な役割を果たしていることがわかってきた。BMPはtransforming growth factor-β(TGF-β)やactivinなどとともにTGF-βスーパーファミリーに属する細胞増殖因子であるが、初期胚の発生において胚の腹側化を誘導する因子と考えられており、種々の組織、器官の形態形成に関与していることが明らかになりつつある。BMPの作用機序に関しては、BMPはリガンドとしてセリン・スレオニンキナーゼ型受容体を介して細胞内にそのシグナルを伝達する。細胞内ではSmadと呼ばれる転写活性化因子のリン酸化と複合体形成によってシグナルが核内へと伝えられ、特異的な遺伝子の転写が活性化されることが示されている。また最近では別のシグナル伝達因子としてMAPKKKの一つであるTAK1(TGF-β-activated kinase1)が同定、解析されている。さらに最近では、転写因子ATF-2がBMPのシグナルを伝達する2つの経路であるSmad経路とTAK1経路の共通の核内ターゲットとして働くことが示された。

 近年、BMPが心臓の発生に関与しているという報告が続いた。ショウジョウバエ初期胚を用いた実験により、BMPの相同体であるdppは発生初期には背側外胚葉に限局して発現しているが、この領域に隣接する背側中胚葉(すなわち予定心臓領域)にtinmanの発現を限局させる機能を有することがわかった。脊椎動物でも同様にニワトリ胚において、BMP-2を予定心臓領域でない中胚葉に異所性に作用させると拍動する心筋細胞が誘導されることが示された。また、BMP-2やBMP-4のノックアウトマウスでは心臓の形成に種々の異常が認められたと報告されている。これらの結果から、BMPが心筋の分化を誘導する重要な因子の一つではないかと考えられた。しかしながら、BMPが分子レベルにおいて心臓の発生にどのように関与しているかについてはこれまで明らかにされていなかった。

 これらのことから、心筋細胞分化におけるBMPの必要性を検討すること、またBMPにより誘導される心筋細胞分化の分子的メカニズムを解明することを目的として本研究を行った。

(方法)

 本研究を行う上でのモデルとして、P19CL6細胞を用いた。P19CL6はマウスの奇形種由来のP19細胞から限界希釈法にて分離された細胞株であり、ジメチルスルフォキシド(DMSO)存在下での接着培養で、ほとんどの細胞が自発的に拍動する心筋細胞に分化し、さらに心筋特異的遺伝子の発現を豊富に認めることから、心筋分化の研究に関して非常に有用なモデルであると考えられる。

 このP19CL6に様々な遺伝子やタンパクを作用させることによって、その心筋細胞への分化能がどのように変化するかを調べた。リポフェクション法による発現ベクターの導入とそれに引き続くneomycinによる選択によって、BMPの阻害因子であるnogginや抑制型SmadであるSmad6を恒常的に過剰発現するP19CL6の細胞株を得た。遺伝子の一過性の過剰発現はアデノウィルスを用いた遺伝子導入ないしリポフェクション法を用いて行い、BMPタンパクの作用については、天然型BMPタンパクの培養液中への直接の添加により観察した。分化能の観察はDMSO処理後の細胞形態の変化、自己拍動の有無と程度、抗MHC抗体による細胞免疫染色によって行った。また、心筋特異的遺伝子の発現はRT-PCR法およびNorthern blot法によって検出した。また遺伝子の過剰発現後の心筋特異的遺伝子の転写活性化はルシフェラーゼアッセイ法により測定した。

(結果および考察)

(Part I)

(1)BMPはP19CL6の心筋細胞分化に必須の因子である

 P19CL6は、DMSOを含まない通常の培養液中で培養すると未分化の状態を保ったまま増殖を続けるのみであるが、1%のDMSOの存在下で培養すると抗MHC抗体MF20で染色され、単核で、規則的に自己拍動する心筋細胞に高率に分化した。RT-PCR法やNorthern blot法によって、心筋特異的転写因子であるCsx/Nkx-2.5、GATA-4およびMEF2C、また心筋収縮タンパクであるMHCやMLC2vのmRNAの発現が検出された。

 nogginはBMPに直接結合してBMPのシグナル伝達を阻害する、すなわちBMPのantagonistとして働くことが知られている。P19CL6においてBMPの機能を阻害するために、このnogginを恒常的に過剰発現させたP19CL6の細胞株P19CL6nogginを単離し、以下の解析を行った。

 まず分化能を観察したところ、元来のP19CL6と異なり、P19CL6nogginはDMSOの存在下においても拍動する心筋細胞に分化しなかった。また抗MHC抗体にも染色陰性のままであった。ところがこの細胞にBMP-2の発現ベクターを有するアデノウイルスを感染させBMP-2を一過性に過剰発現させるか、培養液中にBMPタンパクを添加してDMSOと共に培養したところ、、再びMF20陽性の拍動する心筋細胞に分化した。ついで心筋特異的遺伝子の発現を調べたところ、上述の心筋特異的転写因子および心筋収縮タンパクについては元来のP19CL6と異なり、P19CL6nogginではDMSO処理によっても認められなかった。これらのことから、BMPがP19細胞の心筋細胞への分化に必須の因子であることが示唆された。

(2)BMPにより誘導される心筋細胞分化はMAPKKKであるTAK1を介している

 次にP19CL6nogginにTAK1ないし構成的活性型のTAK1をトランスフェクションにより一過性に過剰発現させると、DMSOの存在下に再び抗MHC抗体陽性の拍動する心筋細胞に分化した。逆に元来のP19CL6に不活性型のTAK1を過剰発現させたところ、抗MHC抗体染色陽性の拍動する心筋細胞の割合が減少した。分化誘導後の遺伝子発現を観察すると、P19CL6nogginにおいてもTAK1ないし活性型のTAK1を過剰発現させると本来検出されなかった心筋特異的遺伝子の発現が認められるようになった。これらのことから、BMPによる心筋細胞分化の誘導は少なくともTAK1の経路を介していることが示唆された。

(3)BMPによる心筋細胞分化の誘導は心筋転写因子としてCsx/Nkx-2.5およびGATA-4を介している

 さらにP19CL6nogginに2つの心筋特異的転写因子CSX(マウスCsx/Nkx-2.5のヒトホモログ)およびGATA-4を過剰発現させた。すると興味深いことにそれぞれ単独の過剰発現ではP19CL6nogginは心筋に分化しなかったが、両者の共発現により初めて心筋細胞に分化した。mRNA発現に関しても、両者を共発現したP19CL6nogginでは元来のP19CL6と同様の心筋特異的遺伝子の発現が認められた。また、心筋に分化しなかったCSXの単独の過剰発現においても内因性のCsx/Nkx-2.5,MEF2CおよびMLC2vの発現は認められた。このことはこれらの遺伝子の発現がCSX単独の作用で活性化される可能性を示唆している。以上により、BMPによる心筋細胞分化の誘導には転写因子としてCsx/Nkx-2.5,GATA-4の両者が関与していることが示された。

 (Part II)

(4)BMPによる心筋細胞分化にはSmad経路が必須である

 P19CL6noggin細胞にBMPのシグナルを伝達するSmadであるSmad1とSmad4の両者を一過性に過剰発現させたところ、心筋細胞への分化能を回復し、心筋特異的遺伝子のmRNAの発現も誘導された。この心筋細胞への分化の効率は、BMPタンパクの培養液中への添加によって上昇した。これらのことから、BMPにより誘導される心筋細胞分化はSmadを介していることが示された。

 次にSmadによるシグナル伝達を阻害する抑制型のSmadであるSmad6に着目した。このSmad6を恒常的に過剰発現するP19CL6の細胞株P19CL6Smad6を単離し解析したところ、この細胞は元来のP19CL6細胞とは異なり全く心筋細胞へは分化せず、また心筋特異的遺伝子の発現も認められなかった。以上により、心筋細胞分化にはSmad経路の活性化が必須であることが示唆された。

(5)ATF-2は心筋細胞分化において、SmadおよびTAK1と協調的に作用して心筋特異的遺伝子の転写活性化を誘導する

 近年、ATF/CREBファミリー転写因子に属するATF-2がSmadおよびTAK1の共通の核内ターゲットとして作用し、TGF-β特異的遺伝子の転写活性化を制御することが示された。P19CL6細胞の心筋細胞分化におけるATF-2の役割を調べるため、まずトランスフェクションによる遺伝子の過剰発現後のβMHCプロモーターの転写活性化をルシフェラーゼアッセイにより検出した。ATF-2の過剰発現によって、βMHCのプロモーター活性は上昇したが、Smad1/4および活性型TAK1の過剰発現によってsynergisticにさらに上昇することが示された。逆にATF-2による転写活性化の上昇は、抑制型のSmad6あるいは不活性型のTAK1の過剰発現によって抑制された。これらのことから、ATF-2はBMPシグナルの下流の因子としてSmadやTAK1と協調的に作用して、心筋特異的遺伝子の発現を誘導することが示唆された。

(6)ATF-2はP19CL6の心筋細胞分化に重要な役割を果たしている

 実際の心筋細胞分化に果たすATF-2の役割を調べるため、P19CL6細胞にdominant negative型のATF-2を過剰発現してATF-2の作用を抑制し、その分化能を観察した。するとdominant negative型ATF-2を過剰発現した細胞は、元来のP19CL6細胞よりも心筋細胞への分化の効率が有意に悪かった。この細胞における心筋特異的遺伝子の発現は減弱していた。また心筋特異的遺伝子のプロモーター活性もdominant negative ATF-2の過剰発現によって抑制された。以上により、ATF-2がP19CL6細胞における心筋特異的遺伝子の発現誘導や心筋細胞分化に重要な役割を担っていることが示唆された。

(結論)

(1)BMPはP19細胞の心筋細胞への分化に必須の因子である。

(2)BMPによる心筋細胞分化は、MAPKKKであるTAK1と下流の心筋特異的転写因子としてCsx/Nkx-2.5およびGATA-4を介して誘導される。

(3)BMPにより誘導される心筋細胞分化には、Smad経路の活性化が必須である。

(4)ATF-2はSmadおよびTAK1と協調して、心筋特異的遺伝子の発現と心筋細胞分化に重要な役割を果たす。

(結語)

 本研究の大きな意義は、BMPが心筋細胞分化に必須の液性因子であることを初めて見出し、その分子的メカニズムを一部解明できたことにあると考えられる。

 P19CL6の心筋細胞分化はDMSOの存在なしでは、たとえBMP-2を過剰発現させても誘導されないことから、BMPとは別の、DMSOによって誘導される未知の因子の作用も分化に必須であると考えることができる。これらの未知の因子の同定がBMPと対をなすもう一方の心筋誘導因子の解明、ひいては心筋細胞分化、心臓形成の分子メカニズムの全貌の解明につながることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、心筋細胞分化および心臓の発生において重要な役割を果たすと考えられる骨形成因子BMPが関与する心筋細胞分化の分子的機序を明らかにするため、マウス胚性腫瘍細胞であるP19細胞から分離された心筋分化のモデル細胞であるP19CL6細胞を用いて、心筋細胞分化におけるBMPの必要性、BMPのシグナル伝達因子の重要性、BMPシグナルの下流で関与している転写因子などを解析しており、以下の結果を得ている。

1.BMPの特異的拮抗因子であるnogginを恒常的に過剰発現する細胞株

 P19CL6nogginを単離しその分化能を解析したところ、元来のP19CL6細胞がジメチルスルフォキシド(DMSO)の添加によって高率に拍動する心筋細胞に分化するのに対して、P19CL6noggin細胞はDMSO処理によっても心筋細胞へは分化しなかった。心筋特異的転写因子や心筋特異的収縮関連タンパクのmRNAの発現もP19CL6とは異なり、P19CL6nogginにおいては認められなかった。ところがこのP19CL6nogginにBMP-2を過剰発現するアデノウィルスを感染させるか、もしくは培養液中に十分量のBMPタンパクを添加して培養したところ、DMSO存在下において一部拍動する心筋細胞へ分化した。これらのことから、BMPが心筋細胞の分化に必須の液性因子であることが示唆された。

2.P19CL6nogginにBMPを始めとするTGF-β superfamilyのシグナルを伝達するMAPKKKであるTAK1をlipofection法を用いて一過性に過剰発現させDMSO存在下に培養したところ、一部拍動する心筋細胞への分化能を回復し、心筋特異的遺伝子の発現も認められた。逆に元来のP19CL6に不活性型のTAK1を過剰発現させたところ、心筋細胞への分化能が減少した。以上により、BMPにより誘導される心筋細胞分化は少なくともTAK1を介していることが示唆された。

3.P19CL6nogginに2つの主要な心筋特異的転写因子であるCsx/Nkx-2.5とGATA-4を作用させてその分化を観察した。Csx/Nkx-2.5あるいはGATA-4それぞれ単独の過剰発現によってはP19CL6nogginは心筋細胞への分化能を獲得しなかったが、両転写因子の同時の過剰発現によってDMSO存在下に一部拍動する心筋細胞へ分化し、心筋特異的遺伝子の発現も認められた。このことから、BMPにより誘導される心筋細胞分化にはCsx/Nkx-2.5とGATA-4の両転写因子が関与していることが示唆された。

4.TGF-βsuperfamilyの細胞内シグナル伝達因子であるSmadのうち、BMPのシグナルを特異的に伝達するSmad1とリガンド特異的Smadに結合して核内へ移行する働きを持つSmad4をP19CL6nogginに過剰発現して、その分化能を調べた。Smad1あるいはSmad4それぞれ単独の発現ではP19CL6nogginは心筋細胞へは分化しなかったが、両者同時の過剰発現により一部拍動する心筋細胞へと分化し、心筋特異的遺伝子の発現も認められた。また、Smad経路を遮断する働きを持つ抑制型SmadであるSmad6を恒常的に過剰発現するP19CL6の細胞株P19CL6Smad6を単離し解析したところ、P19CL6Smad6は心筋細胞への分化能を喪失していた。これらのことから、Smad経路の活性化がBMPにより誘導される心筋細胞分化に必須であることが示唆された。

5.Smad経路とTAK1経路の共通の核内ターゲットであることが最近示された転写因子ATF-2の心筋細胞分化における役割を調べるため、まずP19CL6へのトランスフェクションによるβMHCプロモーターの活性化を解析した。ATF-2の過剰発現によってβMHCのプロモーター活性は上昇したが、Smad1/4および活性型TAK1の過剰発現によって活性はsynergisticに更に上昇した。逆にATF-2による活性の上昇は、抑制型のSmad6あるいは不活性型TAK1の過剰発現によって抑制された。以上により、ATF-2はBMPシグナルの下流の因子としてSmadやTAK1と協調的に作用し、心筋特異的遺伝子の発現を誘導することが示唆された。

6.実際の心筋細胞分化に果たすATF-2の役割をみるため、P19CL6に一過性にdominannt negative型のATF-2を過剰発現してその分化能を観察したところ、元来のP19CL6よりも心筋細胞への分化の効率が有意に悪く、心筋特異的遺伝子の発現も減弱していた。また、心筋特異的遺伝子のプロモーター活性もdominant negative型ATF-2の発現によって有意に抑制された。これらのことから、ATF-2がP19CL6における心筋特異的遺伝子の発現誘導や最終的な心筋細胞への分化に重要な役割を担うことが示唆された。

 以上、本論文はマウス胚性腫瘍細胞株P19CL6を用いて、BMPが心筋細胞分化に必須の液性因子であることを初めて見出し、そのシグナル伝達因子としてTAK1経路やSmad経路が介在していること、さらに下流の因子として転写因子ATF-2が重要な役割を担うことを明らかにした。本研究は、これまでほとんど不明であったBMPにより誘導される心筋細胞分化の分子的メカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものであると考えられる。

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