学位論文要旨



No 214979
著者(漢字) 小林,恒文
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,ツネフミ
標題(和) 新規更年期HotFlushモデルの構築及びその発症メカニズムに関する研究
標題(洋)
報告番号 214979
報告番号 乙14979
学位授与日 2001.03.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14979号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 海老塚,豊
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
内容要旨 要旨を表示する

 女性が性成熟期から老年期へ移行する時期を更年期と呼び、一般的には40歳代後半から閉経を経て50歳代前半の約10年間を指す。この時期に自覚される症状のうち、器質的疾患の裏付けに乏しい不定愁訴症候群を更年期障害と言う。更年期障害には多彩な症状が含まれるが、最も代表的な症状は、顔面紅潮、胸部発汗などを伴う「ほてり感」、即ち「Hot Flush」と呼ばれるもので、更年期婦人の半数以上が経験する。

 Hot Flushの主たる原因は卵巣機能低下に基づく急激な性ホルモン、特に血中エストロゲン濃度の減少と考えられていることから、エストロゲンを中心としたホルモン補充療法がHot Flush治療の第一選択とされている。また、Hot Flushは「ホルモン減少が、生殖及び体温調節機能を司る視床下部に影響を及ぼして生じる体温調節機能異常」と理解されているが、発症時に観察される皮膚温上昇などメカニズムの詳細は十分には解明されていない。Hot Flush発症メカニズムの解明には臨床症状を反映する動物モデルが有用であるが、いまだ適当なモデルがなく、これがHot Flush研究を停滞させる原因の一つとして考えられる。

 そこで私はラットを用いて新規Hot Flushモデルを作製し、臨床病態との関連性及び薬剤の治療効果を調べることでモデルの妥当性と有用性を検証した。また、Hot Flush発症時には血管作動物質の関与が推察されることから、カルシトニン遺伝子関連ペプチドに着目して、Hot Flushモデルを応用した実験系を構築し、ホルモン減少時の皮膚温調節機能を精査してHot Flush発症メカニズムを考察した。

1.新規更年期Hot Flushモデルの構築

1)卵巣摘除ラット尾部皮膚温上昇の発見

 Hot Flushは1日に数回の割合で散発的に発症し、顔面や四肢末端部の皮膚温上昇を伴うことから、皮膚温上昇反応はHot Flushの客観的指標として用いられてきた。本実験では、更年期と同様なホルモン環境を卵巣摘除(OVX)により惹起し、評価の指標には皮膚温を用いて新規モデルの構築を試みた。即ちOVXラットの尾部皮膚温を手術2週間後に偽手術(Sham)群と比較し、ヒトHot Flushと同様な一過性の皮膚温上昇が発症するかを調べた。その結果、OVXラットでは散発的に生じる一過性の皮膚温上昇反応は検出できなかったが、測定時間内での尾部皮膚温の平均レベルがSham群に比べて有意に上昇することを発見した(図1)。このOVXラットの尾部皮膚温上昇は、体温調節機能の観点からはヒトHot Flushと同様に「熱放散の増大」を意味すること、また末梢部位での皮膚温上昇は知覚神経刺激により温熱感を惹起し、「ほてり」の自覚症状の形成に関与する可能性が考えられたことから、モデルとして妥当な現象であることが示唆された。

2)卵巣摘除ラット尾部皮膚温の経時変化

 Hot Flushは閉経後約2年間に最も高い発症頻度を示すが、その後自然に減少・消失すると言われている。本実験では、Hot Flushモデルと臨床病態との経時変化について関連性を調べた。即ちOVXラット尾部皮膚温の長期的な変化を手術後20週間にわたりSham群と比較検討した。その結果、Sham群に対するOVX群の尾部皮膚温上昇は手術2〜7週間後に観察されたが、8週間以降ではSham群との差が減弱し有意差は認められなかった(図2)。以上より、Hot Flushモデルの病態はホルモン減少後急性期に発症するが、その後時間経過に従い減弱することから、臨床症状と類似の経時変化を示すことが明らかのなった。

3)卵巣摘除ラット尾部皮膚温上昇における17β-エストラジオール及びプロゲステロンの役割(予防効果)

 Hot Flushの主たる原因は血中エストロゲン濃度の減少と言われているが、更年期には卵巣機能低下によりエストロゲンだけでなくプロゲステロン(PRG)も減少する。また、ホルモン補充療法において、プロゲステロン製剤はエストロゲン製剤と同等の有効性を示すとの報告もあり、Hot Flush発症へ両ホルモンの関与が示唆されている。本実験では病態モデルにおける両ホルモンの役割を解明するため、17β-エストラジオール(E2)及びPRGの予防効果を調べた。E2及びPRGは浸透圧ポンプを用いてOVX手術直後から2週間皮下持続投与した。その結果、OVXラットの尾部皮膚温上昇はE2により完全に抑制された。一方、PRGは僅かな抑制作用しか示さなかった(図3)。以上より、Hot Flushモデルはエストロゲン減少に基づく反応であるが、プロゲステロンの役割は小さいことを明らかにした。

4)卵巣摘除ラット尾部皮膚温上昇に対する17β-エストラジオールの作用(治療効果)

 E2はOVXラットの尾部皮膚温上昇に対して予防効果を示すが、その治療効果は明らかではない。本実験ではHot FlushモデルにおいてE2の治療効果を調べた。即ちSham群に対するOVX群の有意な皮膚温上昇がみられた手術2週間後から、E2を2週間皮下持続投与し、尾部皮膚温を測定した。その結果、OVXラットの尾部皮膚温上昇は、E2血中濃度の回復に伴い完全に抑制された。以上の結果は、本モデルにおけるE2の治療効果を示すと同時に、臨床でのエストロゲン補充療法の有用性を裏付ける成績と考えられた。

2.Hot Flush発症メカニズムに関する研究

 Hot Flush発症時の皮膚温上昇は著明な血流増加を伴うことから、病態発症には血管作動物質の関与が推察される。カルシトニン遺伝子関連ペプチド(CGRP)は強力な血管拡張作用を有する生理活性物質であり、ヒトにCGRPを静脈内投与した報告ではHot Flush発症時と酷似した皮膚温上昇が観察されている。そこで、私はHot Flush発症にCGRPが関与する可能性を考えた。

1)雌性ラット尾部皮膚温に対するカルシトニン遺伝子関連ペプチドの作用

 共同研究者の陳(癌研)らは更年期女性を対象として、(1)Hot Flush発症頻度と血中CGRP濃度とが正の相関を示すこと、(2)Hot Flush発症時には血中CGRP濃度が著明に上昇することを報告し、病態発症にCGRP分泌亢進が関与することを明らかにした。本実験ではラットの尾部皮膚温測定系において、CGRPが皮膚温上昇を惹起するかを調べ、CGRP3〜30μg/kgが用量依存的な作用を示すことを確認した。

2)カルシトニン遺伝子関連ペプチドによる皮膚温上昇反応に対する卵巣摘除及び17β-エストラジオール補充の及ぼす影響

 Hot Flush患者では、CGRPによる皮膚温上昇に対して反応性が亢進している可能性が考えられるが、臨床で患者のCGRPに対する反応性を調べることは不可能である。そこで本実験では、雌性ラット尾部皮膚温測定系を用いて、CGRPによる皮膚温上昇反応に対する卵巣摘除及び卵巣摘除後E2補充の及ぼす影響について調べた。その結果、CGRPによる皮膚温上昇反応は卵巣摘除により有意に増大した。また、OVXラットのCGRPに対する反応性の増大はE2補充により部分的に抑制された(図4)。以上より、Hot Flushの発症にはCGRPの分泌亢進と同時にCGRPに対する反応性の増大も関与すること(図5)、またこの反応性の増大にはエストロゲン減少以外の機序が関与する可能性が示唆された。

結論

1.新規更年期Hot Flushモデルの構築

1)雌性ラットでは卵巣摘除後に尾部皮膚温の平均レベルが上昇することを発見し、新規更年期Hot Flushモデルを作製した。

2)卵巣摘除ラットの尾部皮膚温上昇はホルモン減少後急性期に発症するが、その後時間経過に従い減弱したことから、本モデルが臨床症状と類似の経時変化を示すことを明らかにした。

3)17β-エストラジオールは卵巣摘除ラットの尾部皮膚温上昇を、卵巣摘除直後からの投与により完全に抑制したが、プロゲステロンは僅かな抑制作用しか示さなかった。従って、本モデルはエストロゲン減少に基づく反応であるが、プロゲステロンの関与は小さいことを明らかにした。

4)17β-エストラジオールは卵巣摘除ラットの尾部皮膚温上昇を、有意な皮膚温上昇が観察された後からの投与でも完全に抑制した。この結果は本モデルにおける17β-エストラジオールの治療効果を示すと同時に、Hot Flushに対するエストロゲン補充療法の有用性を裏付ける成績と考えられた。

2.Hot Flush発症メカニズムに関する研究

1)雌性ラットでは卵巣摘除によりカルシトニン遺伝子関連ペプチド(CGRP)による尾部皮膚温上昇反応が有意に増大した。

2)卵巣摘除ラットにおけるCGRPによる皮膚温上昇反応の増大に対して、17β-エストラジオールは部分的にしか抑制作用を示さなかった。

3)以上より、Hot Flushの発症にはCGRPの分泌亢進と同時に、CGRPに対する反応性の増大も関与することが示唆された。また、この反応性の増大にはエストロゲン減少以外の機序が関与する可能性が示唆された。

 本研究では、新規更年期Hot Flushモデルを構築し、臨床病態との関連性及び薬剤の治療効果を明らかにすることで、モデルの妥当性と有用性を実証した。また、新規モデルを応用した実験から、Hot Flush発症メカニズムに関して新たな知見を得た。

 以上より、本モデルはHot Flushの発症メカニズム研究や医薬品開発のスクリーニングに極めて有用なモデルであり、今後は本疾患領域でのスタンダードなモデルとして認知され、病態生理学及び創薬科学に貢献する可能性が期待される。

図1 雌性ラット尾部皮膚温に及ぼす卵巣摘除(OVX)の影響

卵巣摘除2週間後の体温測定時間における尾部皮膚温の経時変化(A)及びその平均値(B)を示す。各値は12例の平均値±標準誤差を示す。**;P<0.01偽手術(Sham)群に対する有意差(Student's t-test)を示す。

図2 卵巣摘除(OVX)ラットにおける尾部皮膚温の経時変化

手術1週間前〜20週間後までの経時変化(A)、2〜7週間後の平均値(B)、8〜20週間後の平均値(C)を示す。各値は7〜8例の平均値±標準誤差を示す。**;P<0.01偽手術(Sham)群に対する有意差(Student's t-test)を示す。NS;有意差がないことを示す。

図3 卵巣摘除(OVX)ラット尾部皮膚温に対する17β-エストラジオール(E2)及びプロゲステロン(PRG)の作用(予防効果)各値は11〜12例の平均値±標準誤差を示す。*;P<0.05,**;P<0.01 OVX群に対する有意差(Dunnett's test)を示す。#;P<0.05,##;P<0.01偽手術(Sham)群に対する有意差(Student's t-test)を示す。NS;有意差がないことを示す。

図4 カルシトニン遺伝子関連ペプチド(CGRP)による尾部皮膚温上昇に対する卵巣摘除(OVX)及び17β-エストラジオール(E2)補充の及ぼす影響各値は7〜8例の平均値±標準誤差を示す。

*;P<0.05偽手術(Sham)群に対する有意差(Student's t-test)を示す。NS;有意差がないことを示す。

図5 更年期Hot Flushの発症の作業仮説

Hot Flushは卵巣機能低下により血中ホルモン濃度が減少し、生殖及び体温調節機能を司る視床下部に影響を及ぼして発症すると言われている。しかし、発症時の皮膚温上昇のメカニズムは十分には解明されていない。本研究では、Hot Flushの発症にはCGRPの分泌亢進と同時にCGRPに対する反応性の増大が関与することを示唆した。

CGRP:カルシトニン遺伝子関連ペプチド

GnRH:性腺刺激ホルモン放出ホルモン

FSH:卵胞刺激ホルモン

LH:黄体形成ホルモン

E2:卵胞ホルモン

PRG:黄体ホルモン

(-):negative feedbackを示す。

審査要旨 要旨を表示する

 女性が性成熟期から老年期へ移行する時期を更年期と呼び、この時期に自覚される症状のうち、器質的疾患の裏付けに乏しい不定愁訴症候群を更年期障害と言う。更年期障害には多彩な症状が含まれるが、最も代表的な症状は、顔面紅潮、胸部発汗などを伴う「ほてり感」、即ち「Hot Flush」と呼ばれるもので、更年期婦人の半数以上が経験する。

 Hot Flushの主たる原因は卵巣機能低下に基づく急激な性ホルモン、特に血中エストロゲン濃度の減少と考えられており、その発症機序は「ホルモン減少が、生殖及び体温調節機能を司る視床下部に影響を及ぼして生じる体温調節機能異常」と理解されている。しかし、発症時に観察される皮膚温上昇などメカニズムの詳細は十分には解明されていない。Hot Flush発症メカニズムの解明には臨床症状を反映する動物モデルが有用であるが、いまだ適当なモデルがなく、これがHot Flush研究を停滞させる原因の一つとして考えられてし、る。

 本研究はラットを用いて新規Hot Flushモデルを作製し、臨床病態との関連性及び薬剤の治療効果を調べることでモデルの妥当性と有用性を実証したものである。また、Hot Flush発症時には血管作動物質の関与が推察されることから、カルシトニン遺伝子関連ペプチドに着目して、Hot Flushモデルを応用した実験系を構築し、ホルモン減少時の皮膚温調節機能を精査してHot Flush発症メカニズムについても新たな知見を得ている。以下に本研究によって得られた主要な知見をまとめる。

1.新規更年期Hot Flushモデルの構築

 Hot Flushは1日に数回の割合で散発的に発症し、顔面や四肢末端部の皮膚温上昇を伴うことから、皮膚温上昇反応はHot Flushの客観的指標として用いられている。そこで申請者は、更年期と同様なホルモン環境を卵巣摘除(OVX)により惹起し、評価の指標には皮膚温を用いて新規Hot Flushモデルを構築した。即ちOVXラットの尾部皮膚温を手術2週間後に偽手術(Sham)群と比較し、OVXラットでは尾部皮膚温の平均値がSham群に比べて有意に上昇することを発見した。このOVXラットの尾部皮膚温上昇は、体温調節機能の観点からはヒトHot Flushと同様に「熱放散の増大」を意味すること、また末梢部位での皮膚温上昇は知覚神経刺激により温熱感を惹起し、「ほてり」の自覚症状の形成に関与する可能性が考えられることから、モデルとして十分な妥当性を有する現象である。

 次に申請者は、Hot Flushが閉経後約2年間に最も高い発症頻度を示すが、その後自然に減少・消失すると言われていることに着目し、上記Hot Flushモデルと臨床病態との経時変化について関連性を調べた。その結果、Sham群に対するOVX群の尾部皮膚温上昇はホルモン減少後急性期(2〜7週間後)に発症するが、その後時間経過に従い減弱することから、臨床症状と類似の経時変化を示すことを明らかにした。

 更年期には卵巣機能低下によりエストロゲン及びプロゲステロン(PRG)の性ホルモンが減少するため、Hot Flush発症へ両ホルモンの関与が推察される。申請者はHot Flushモデルにおいて17β-エストラジオール(E2)及びPRGの予防効果を調べることで、病態発症への両ホルモンの関与を調べた。その結果、Hot Flushモデルはエストロゲン減少に基づく反応であるが、プロゲステロンの役割は小さいことを明らかにした。

 続いて申請者はHot FlushモデルにおけるE2の治療効果を調べた。その結果、OVXラットの尾部皮膚温上昇は、Sham群に対する有意な上昇がみられた手術2週間後からのE2投与により完全に抑制されることを明らかにし、臨床でのエストロゲン補充療法の有用性を実験的に裏付ける成績を得た。

2.Hot Fiush発症メカニズムに関する研究

 Hot Flush発症時の皮膚温上昇は著明な血流増加を伴うことから、病態発症には血管作動物質の関与が推察される。カルシトニン遺伝子関連ペプチド(CGRP)は強力な血管拡張作用を有する生理活性物質であり、ヒトにCGRPを静脈内投与した報告ではHot Flush発症時と酷似した皮膚温上昇が観察されていることから、申請者はHot Flush発症にCGRPが関与する可能性を最初に着想した。

 その後、申請者の共同研究者であった陳(癌研)らは臨床研究において、Hot Flush発症時には血中CGRP濃度が著明に上昇することを明らかにし、CGRPの分泌亢進がHot Flush発症に寄与することを示した。しかし、Hot Flush患者では皮膚温上昇を惹起する刺激に対して過敏に反応すると言われていることから、CGRPによる皮膚温上昇に対して反応性が亢進している可能性も考えられる。そこで申請者は、雌性ラット尾部皮膚温測定系を用いて、CGRPによる皮膚温上昇反応を検出する系を構築し、このCGRPによる皮膚温上昇反応に対する卵巣摘除及び卵巣摘除後E2補充の及ぼす影響について調べた。その結果、CGRPによる皮膚温上昇反応は卵巣摘除により有意に増大し、またOVXラットのCGRPに対する反応性の増大はE2補充により部分的に抑制される成績を得た。従って、Hot Flushの発症にはCGRPの分泌亢進と同時にCGRPに対する反応性の増大も関与すること、またこの反応性の増大にはエストロゲン減少以外の機序が関与する可能性を示した。

 以上、本研究は更年期Hot Flushの臨床病態を反映した優れた新規モデルを開発すると同時に、本モデルを応用した実験系よりHot Flushの発症メカニズムについても独創的な観点から新たな知見を得た報告である。従って、本研究は病態生理学及び創薬科学の発展に多大な貢献をなすものと評価し、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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