学位論文要旨



No 214988
著者(漢字) 藤井,雄作
著者(英字)
著者(カナ) フジイ,ユウサク
標題(和) 質量を浮上支持することによる力学量の高精度測定
標題(洋)
報告番号 214988
報告番号 乙14988
学位授与日 2001.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14988号
研究科 工学系研究科
専攻 精密機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大園,成夫
 東京大学 教授 中沢,正治
 東京大学 助教授 三尾,典克
 東京大学 助教授 高増,潔
 東京大学 助教授 佐々木,健
内容要旨 要旨を表示する

力学量の発生・計測手法として,物体を機械的に非接触で浮上させ,外力を極力小さく抑制した状態を作ることの有効性について議論する.

 力学量の中で最も基本的な量である力Fは,次式のように慣性質量Mと加速度αの積として定義される.

F=Mα (1)

 時間的に一定の力の発生には,加速度αとして重力加速度gを用いることが便利であり一般的である.この場合,天秤を用いて国際キログラム原器からトレーサブルに値付けされた質量Mと,そこで計測された重力加速度gにより,その物体に作用する重力として力が求められる.重力同士の大きさの静的な比較については,接点にナイフエッジ,あるいは,ヒンジを有する天秤メカニズムにより,高精度に比較測定する技術が確立している.

 しかしながら,変動する力(=定義に従えば変動する加速度場に置かれた質量に作用する慣性力と同義)の発生および計測に関しては,未だ確立された方法はない.重力加速度場の存在する地上で重力の影響を受けずに変動する加速度を発生・計測する方法として,質量を水平面内運動のみ自由に許す直動軸受で浮上支持することを,一つの解決策として提案した.しかしながら,直動軸受の摩擦特性を評価する方法は確立されておらず,その開発が望まれた.同様に,変動するトルクの発生および計測に関しても,それを可能とする方法は存在しなかった.産業界で広く用いられる力センサやトルクセンサについて,それらが実際に使用される動的な状態での校正方法が存在しない現状では,それへの貢献が強く望まれる.また,国際宇宙ステーションに代表されるマイクログラビティ環境下で動作する質量測定器に関しても,その有効な原理は提案されていなかった.これらの課題に対して貢献することは,非常に有意義である.

 本研究ではまず,慣性質量,あるいは,慣性モーメントとしての物体を空気圧により非接触浮上支持し,誤差要因としての外力を小さく抑制した状態を作ることにより,力,あるいは,トルクといった力学量を高精度に発生・測定する方法を提案した.

 本研究においては,空気圧支持手段として,広く市場に流通する静圧空気軸受を用いるが,その摩擦特性に関して不明な点が多く,かつまた,それの評価評価も見当たらなかった.そこでまず準備として,静圧空気軸受の摩擦特性評価方法の考案・開発を行い,静圧空気直動軸受の摩擦特性の評価を行った.これにより,供給空気の流れの非対称性に起因すると考えられる力,見かけの上で静的摩擦に見える力,動的な摩擦力,の3種類の力について,その大きさを評価した.

 次に,変動する力の高精度発生・測定方法として,空気軸受で非接触浮上支持された慣性質量に作用する慣性力を利用する方法を考案・開発した.この方法を,純アルミ丸棒に対する動的3点曲げ試験における作用力測定,および,力センサーの衝撃応答特性評価に適用し,その有効性を実験的に示した.予備的に組み上げた実験装置により,持続時間が40ms程度の衝撃力の瞬時値測定において,相対不確かさ0.4%程度の測定結果が得られた.これは,実用上,十分に役に立つレベルである.力を測定する手段である力センサの校正方法として重錘を用いた静的な方法のみ存在し,動的な校正方法が存在しない現状において,ここで開発した方法は,変動する力の発生・計測法として極めて有望であり,近い将来における実用化,標準化が期待される.

 次に,現在,未だに有効な方法が存在しない変動するトルクの高精度発生・測定の分野において,空気軸受で支持されたフライホイールに貯えた角運動量を用いる方法の提案を行った.トルクを測定する手段であるトルクセンサの校正方法として重錘を用いた静的な方法のみ存在する現状において,ここで提案した方法は,変動するトルクの発生・計測法として標準的な方法として実用化されることが期待できる.この方法は,変動するトルクの計測の高信頼性化を通して,産業化,社会に大きな貢献をすることが期待できる.

 最後に,建設中の国際宇宙ステーション(International Space Station:ISS)に代表されるマイクログラビティ環境下で動作する質量測定器の測定原理の提案を行い,その有効性を地上実験により確認した.2台の対向させた静圧空気直動軸受を用いた地上での予備実験で得られた相対不確かさ0.07%は,既に十分に実用的なレベルである.

 一方,国際単位系の5つの基本単位の中で唯一“もの”で定義されている質量を,普遍的な定義で置き換えることは,標準研究の分野においてもっともチェレンジングなテーマとして認識されている.それを受けて,国際キログラム原器の質量にトレーサブルに測定される力学量と,ジョセフソン効果と量子ホール効果を介して基礎物理定数に基づいて計測可能な電気量を結びつけることにより,質量の量子標準化を目指す研究が主要各国の標準研究所で進められている.現在,ナイフエッジあるいはヒンジなど機械的接点を有する天秤のメカニズムを利用した電子天秤を改良した方法(ワットバランス法)が最も高い測定結果を出している.この方法では天秤のアームを動かした状態での測定が行われるため,機械的接触を有するということが特に問題となってくる.一方,超伝導体を浮上させることにより,その質量に作用する重力をうまく取り出そうとする超伝導磁気浮上法の研究開発が計量研究所で進められてきた.この磁気浮上法の研究開発をさらに押し進めること,質量の量子標準化へ貢献すべく努力することは,あらゆる科学・技術の基盤である標準の分野に対して極めて大きな貢献となる.

 計量研究所の超伝導磁気浮上法は,現在,実験システム,および,筆者が中心となって開発した新磁気浮上システムにより,10-6レベルの測定を目指して実験が進められている段階である.超伝導磁気浮上法は,天秤などの複雑な機構を流用したワットバランスなど先行する他の方法と比べ,非接触浮上支持という力学量の測定装置として決定的とも言える長所を有している.現在,いずれの方法も,最終目標精度とされる10-8からはほど遠い状況にある.この力学量と電気量を結びつける方法の精度が思うように向上しない理由として,力に代表される力学量の測定においては誤差要因の排除が極めて難しいということが挙げられる.磁気浮上法は,マイスナ-効果により非接触浮上支持されるが故に,摩擦などの外力の影響を極めて小さく抑制することが可能であり,かつ,コイルと浮上体のみと装置構成が極めて簡素である.すなわち,磁気浮上法は不確かさ要因の少ない,原理性の高い方法であるといえる.したがって,最終的な達成精度の観点からは有力候補の一つに数えられ,今後の更なる研究開発の進展が期待されている.

 本研究により,コーン形状の浮上体について,姿勢制御なしの状態において,浮上体の質量,重心の鉛直変位,そこでの地球の重力加速度の積として表される浮上体の重力位置エネルギーを,1ppm程度の不確かさで測定することが初めて可能になった.また,重要な要素技術として,液体ヘリウムの自動移送方法,マイスナー面を含む軸対称数値解析アルゴリズムなどの新規開発を行った.さらに,超伝導直動軸受の導入による浮上姿勢の安定化,および,主マイスナー面の平面化による最良の超伝導材料を使用できるようにすること,の2点を特長とする新しい磁気浮上システムを開発し,浮上実験を成功させた.磁気浮上は,物体を非接触浮上支持するという,力学量を発生・測定する上での決定的と思われる長所を有しており,この特長を最大限に生かすことを目的に本研究で着手した磁気浮上メカニズムの研究開発により,今後の飛躍的進展が期待できる.

 以上のように本研究では,物体を非接触浮上支持させ,地上において摩擦などの外力を極力小さく抑制した状態を作ることにより,物体に作用する力学量(力,トルク)を高精度に発生・計測しようとするアイデアを追求してきた.このアイデアは極めて単純なものであるが,これまでまじめに取り組まれてこなかった.単純であるということは,同時に,原理性の高い測定の実現可能性があるということであり,将来における核心技術となる可能性を秘めていると考える.

 本研究で生み出し,育てた数々の新しいアイデア,成果は,同時に,将来における極めて有望な研究開発の芽にもなっている.これらの新しい科学技術の芽には,人類共通の知的基盤としての計量標準,計測技術の高度化に貢献すること.設計製造プロセスの高度化,省資源省エネルギーと繋げて最終的に地球環境保全に貢献すること,という2つの大きな目標に対して多大な貢献を行いうる可能性が秘められていると考えている.今後,「質量を浮上支持することに力学量の高精度測定」に関してさらに研究開発を進めていきたい.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,物体を機械的に非接触で浮上させ,外力を極力小さく抑制した状態を作ることによる,力学量測定の高精度化,高機能化を追求した研究成果について論じたものである.物体を非接触浮上支持させる手段として,空気圧を利用した方法,および,超伝導体に作用する電磁気力を利用した方法の2つが利用されている.静圧空気軸受による空気圧支持を利用した方法として,各種力学量測定手法の提案・実験を行い,その可能性・将来性を追求している.超伝導体のマイスナー効果による磁気浮上を利用した方法として,質量の量子標準化への貢献を目指して計量研究所で行われてきた超伝導磁気浮上法を,さらに推し進めるための研究開発を行っている.本論文により為された,空気圧支持を用いた力学量計測の高精度化,高機能化への貢献,および,超伝導磁気浮上支持を用いた超伝導磁気浮上法による質量の量子標準化への貢献は,工学的に重要である.

 本論文の各章ごとの要旨は以下のようである.

 第1章においては,本研究の目的,意義,概要を簡潔に述べている.

 第2章においては,本研究の背景を述べている.力学量(質量,力,トルク)測定法に関し,変動する力の発生・計測,変動するトルクの発生・計測,および,マイクログラビティ環境下における質量測定のいずれもについても未だ有効な方法が確立されていないことと,それらの克服が切望されることを示している.質量の量子標準化を目指す研究の動向に関しては,現在“もの”で定義されている質量標準を基礎物理定数に基づく普遍的な定義に置き換えることが,計量標準の分野における最大級の挑戦課題の一つと認識されていることを示している.力学量と電気量を高精度に結びつけることが質量の量子標準化を達成する上で有効であるとして,これに関する様々な試みが主要各国の標準研究所で進められていること,および,そのどれをとっても未だ最終目標には遠く及ばない現状を示している.その中で特に,計量研究所で進められている超伝導磁気浮上法の原理・優位性・課題を示し,本方法の研究開発を進めることの意義を明確に示している.

 第3章においては,本論文の第1の柱である,空気圧支持による力学量の高精度測定方法に関して論じている.まず,基本的なツールとなる静圧空気直動軸受の摩擦特性評価法の考案・開発を行っている.その手法を用いて,静圧空気直動軸受の静摩擦特性,動摩擦特性を定量的に評価している.次に,浮上した質量に作用する慣性力として,変動する力を発生・計測する手法を考案し,静圧空気直動軸受を浮上支持手段に用いた試験装置を開発している.本方法は,現段階でも既に,実用的に極めて有用なものとなっており,更なる研究開発により,力計測における標準的な評価方法として発展・展開が期待される.さらに,トルクについても,浮上支持したフライホイールに作用する慣性モーメントとして,変動するトルクを発生・計測する手法を考案している.力の場合と同じく,更なる研究開発により,トルク計測における標準的な評価方法として発展・展開が期待される.最後に,マイクログラビティ環境下で動作する質量測定器について,運動量保存則を直接に用いた測定原理を考案している.また,静圧空気直動軸受を用いた2種類の地上実験装置を開発し0.07%程度の相対標準不確かさでの質量測定に成功し,提案する方法の有効性を実験的に検証している.

 第4章では,本論文の第2の柱である,超伝導磁気浮上による力学量と電気量の高精度比較測定方法に関して論じている.まず,低温環境に置かれた浮上体の姿勢・位置(6自由度)を,室温部から同時測定する姿勢位置測定システムを考案・開発している.さらに,これから得られるデータと,浮上中のエネルギー釣合式とにより,浮上体の重心鉛直変位を推定する方法を考案し,1ppm程度の不確かさで推定できることを示している.次に,磁気浮上実験環境下(液体ヘリウム温度,希薄ヘリウム雰囲気下)における浮上体の質量を,国際キログラム原器にトレーサブルに値付けする方法を示している.その方法に基づいた質量測定装置を製作し,希薄ヘリウム雰囲気環境下における超伝導浮上体の質量を,約1ppmの相対標準不確かさで値付けしている.次に,次世代磁気浮上システムの設計における基本ツールとして,軸対称マイスナー面(超伝導面)を含む系の数値計算アルゴリズムを考案,開発している.磁気浮上実験データとの比較により,その有用性を示している.次に,液体ヘリウム自動移送システムの考案・開発を行っている.本システムの開発により,従来,磁気浮上実験前の数時間に渡って手動で行われていたクライオスタットの冷却作業が自動化され,研究者の労力が大きく低減されている.最後に,浮上軌道の安定化を図り,力学量-電気量高精度変換する機構として優れたものとすること,および,主マイスナー面の平面化を図りよりよい超伝導材料の使用を可能とすること,の2点を特長とする新しい磁気浮上実験用のコイル=浮上体系を提案・開発している.

 本論文における成果をまとめると以下のようである.

 静圧空気軸受を用いた変動する力・トルクの発生・計測手法により,これまで不可能であった力センサ,トルクセンサの動的校正が可能となった.これにより,変動する力・トルクの測定における不確かさ評価ができるようになり,生産工程モニタリングの高精度化,各種材料試験,破壊試験の高精度化を通して,省資源,省エネルギーに直接的に貢献することが期待できる.また,マイクログラビティ環境下で動作する質量測定器の開発・提供は,建設が進む国際宇宙ステーションにおける,各種実験現場,生産現場において,不可欠かつ基本的な貢献となる.

 超伝導磁気浮上法を用いた基礎物理定数の絶対測定,その先における,質量の量子標準化を目指した試みは,人類共通の知的基盤である標準の普遍化,不変化を目指しているという意味で,極めて重大なチャレンジである.現状においては,電流天秤の測定アルゴリズム,メカニズムを改良したワットバランス法が測定精度としては先行しているが,最終目的である質量標準の量子化の達成可能性という意味では,どの方法が優位かを客観的に見定めるのは極めて難しい.磁気浮上は,物体を非接触浮上支持するという,力学量を発生・測定する上での決定的と思われる長所を有している.磁気浮上法が最終目標に到達するには,まだ,長い道のりが予想されるが,本研究により為された数々の研究成果は,磁気浮上法に対する大きな貢献となる.

 よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42848