学位論文要旨



No 215001
著者(漢字) 浅野,一哉
著者(英字)
著者(カナ) アサノ,カズヤ
標題(和) 実用的な制御系の構造およびその鉄鋼プロセスへの応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 215001
報告番号 乙15001
学位授与日 2001.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15001号
研究科 工学系研究科
専攻 計数工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木村,英紀
 東京大学 教授 安藤,繁
 東京大学 教授 武田,常廣
 東京大学 助教授 新,誠一
 東京大学 助教授 津村,幸治
内容要旨 要旨を表示する

1. はじめに

 鉄鋼製品仕様に対する需要家からの要望が厳しくなり,また更なる製造コスト低減,生産効率向上が要求されるにつれて,鉄鋼プロセスにおける制御性能の向上も強く求められるようになってきている.これに対して,PID制御に代表される古典制御理論に基づく制御に代わるものとして,現代制御理論やロバスト制御理論に基づく制御系の開発が行われてきた.その中には大きな成功を収めた例もあるが,既設の制御系に取って代われずに放置されてしまうものもあった.

 本論文は,新たな制御系を実プロセスに適用する上での問題点を踏まえて実用的な制御系の構造を提案し,それを鉄鋼プロセスに適用することによってその有効性を実証したものであり,以下のように構成される.

(1)実プロセスに新たな制御系を適用するときの手順を振り返り,実用的な制御系に望まれる性質を挙げ,それを備えた制御系の構成方法を理論的背景とともに述べる.

(2)連続鋳造におけるモールド内の溶鋼レベル制御,冷延タンデム圧延における板厚・張力制御,熱延仕上ミルにおける張力・ルーパ制御への適用について述べる.

2. 提案する制御系の構造

 現代制御理論やロバスト制御理論は制御系設計論としては確立しており,それに従えば制御系の構造とパラメータが同時に導出される.しかし,実プロセスへの適用に際しては応答性を確認しながらパラメータを調整する必要があるが,その方法論は確立されておらず,制御系の構造も複雑で調整がしにくくなる場合が多い.そこで,実用的な制御系とは試行錯誤的な現場調整が容易な制御系であると考え,それが満たすべき要請として次の4項目を設定する.

(1)既設制御との切り換えが容易であること

(2)コントローラの構造とパラメータが直感的に理解しやすいこと・

(3)コントローラのパラメータと制御性能の関係が明確であること

(4)段階的な調整,立ち上げが可能であること

 上記を満たす制御系を得るために,まず,制御系設計において構造の設定とパラメータ設計を分離することを提案する.すなわち,制御系設計手法を適用して制御系の構造とそのパラメータを同時に導出する方法をとらず,現場における調整が行いやすい構造をあらかじめ設定しておく.パラメータは制御系に要求される仕様を満たすように設計するが,最終的には現場調整で決定する.次に,具体的な構造として下記を提案する.

(1)既設制御系(PI制御系)をベースとし,それにIMC(Internal Model Control)あるいは外乱オブザーバを付加した2自由度制御系を適用する.図1に制御系のブロック図を示す. Pは制御対象,Cは既設制御系,Qは自由パラメータ,Kfは後述のゲインである.

(2)多変数系に対しては分散制御系とし,各サブシステム用のコントローラに(1)の2自由度IMCを適用する.

 上記の構造の利点は以下のようである.

(1)図1のKfを0〜1の間で調節し,既設制御の出力にIMCあるいは外乱オブザーバからの信号を徐々に加算することにより,既設制御から新設制御に連続的に移行できる.

(2)IMCは安定化制御器のパラメトリゼーションの一種であり,感度関数,相補感度関数が自由パラメータの線形関数であるという利点を有する.外乱オブザーバは,IMCをさらに実用的に変形したパラメトリゼーションであり,感度関数,相補感度関数が自由パラメータによってより直接的に指定できる.そのため,現場におけるパラメータ調整が非常に容易である.

(3)多変数制御系では,変数間の干渉を評価して適切な入出力の組み合わせを選択すれば,ある条件下では個々のループのゲインを制御系全体の安定性に影響を与えることなく独立して調整できる.その上で,各サブシステム用のコントローラに2自由度IMCを適用すれば,ループごとの調整が可能になった上に,各ループもPI制御から順次調整を進めていくことができ,段階的な調整,立ち上げが可能になる.

3. 連鋳モールド内溶鋼レベル制御への適用

 溶鋼をモールドに注入して連続的に鋼片を製造するプロセスにおける溶鋼レベル制御に提案した制御系を適用した.本制御では,溶鋼をモールドへ注入するノズル内への不純物付着やその突発的剥離によるレベルの急変,モールドから引き出された鋼片がサポートロール間で膨張,収縮する非定常バルジングと呼ばれる現象による周期的なレベル変動などに対してレベルを一定に保つことが課題であるが,従来の制御方法ではこれらの外乱には十分に対処できなかった.

 そこで,図1の2自由度外乱オブザーバを適用した.本制御対象の場合,図1の外乱dは物理的な外乱によるモールドへ流入,流出する溶鋼流量の変動分(外乱流量)に相当する.外乱オブザーバによって推定した外乱流量をモニタリングしながら,それを相殺する操作量をゲインKfを調整しつつ既設のPI制御の出力に徐々に加算することによって,徐々に新設制御に移行させていくことができ,チューニングが大変容易である.

 千葉製鉄所第1連鋳機では図2に示すようにノズル内の付着物の剥離による溶鋼レベル変動のピーク値を従来制御の1/2〜1/3に低減,同第3連鋳機では非定常バルジングによるレベル変動の振幅を同様に低減し,製品品質,歩留まりの向上などに大きく寄与している.

(a)既設PI制御

(b)既設PI制御+外乱オブザーバ

4. 冷延タンデムミルにおける板厚・張力制御への適用

 冷延タンデムミルは,いくつかのスタンドを直列に配置し,熱延で圧延されたコイルを常温で製品の最終的な板厚まで圧延するプロセスである.スタンド間では圧延の安定化および圧延荷重低減のために圧延材に張力が付与されているが,この張力と圧延材の移送によって隣接スタンドの板厚と張力が複雑に干渉しあう.

 従来の板厚・張力制御系は,操作量と制御量を1対1に対応させた一種の分散制御系となっていたが,制御性能向上のため,種々の制御理論適用も試みられている.しかし,これらの多くは集中制御系となるため,現場調整に課題がある.そこで,分散制御系の構造最適化を図るため,次のような手順で構造化特異値を用いて5スタンドタンデムミルにおける板厚・張力系の干渉を指数化し,干渉が分散制御の制御性能に与える影響を定量化した.

(1)非線形圧延モデルを線形化し,各スタンドの圧下位置およびロール速度(5スタンドを除く)を入力,板厚および張力(5スタンドを除く)を出力とする9入力9出力の線形モデルを得る.

(2)入出力を1対1に対応させた対角,および2スタンド以降で圧下位置とロール速度を入力,板厚と張力を出力とした2×2の構造としたブロック対角の2つの制御系の構造を設定する.

(3)非対角(非ブロック対角)成分を制御対象の不確かさとみなし,その大きさを構造化特異値を用いて評価し,制御系の相補感度関数に関する制約条件を求める.

 図3が干渉指数であり,相補感度関数の大きさ(最大特異値)が干渉指数のプロットの下側にあれば,その分散制御系の構造が適用可能である.干渉指数は,対角な制御系の場合は全周波数帯で1よりも小さく,適用不可能であり,ブロック対角の場合は低周波数帯では1を越えており,干渉によって制御性能の制約は受けるものの,この構造が適用可能であることが示された.

5. 熱延仕上ミル張力・ルーパ制御系への適用

 熱延仕上ミルは,冷延タンデムミルと同様に直列に配置された複数のスタンドによって連続的に圧延を行うものであるが,スタンド間にルーパと呼ばれる機構が設置されている.ルーパはモータで駆動されるアーム状の構造で,圧延材を下方から支えることによって張力を調整するものである.圧延安定化のためにはルーパ角度の大きな変動は望ましくなく,張力とルーパ角度を同時に制御することが必要である.

 従来,ロール速度とルーパ速度を操作量とした多変数制御の適用も行われてきたが,ここでは分散制御系として張力系とルーパ系のそれぞれに2自由度IMCを適用する.さらに,ルーパが張力変動に対して協調的に動くように,ルーパの機械インピーダンスを調整する機構をインピーダンス制御によって導入する.

 千葉第3熱間圧延仕上ミルにおいて,ステップ状の圧下操作を与えて外乱に対する張力およびルーパの応答を比較した例を図4に示す.従来制御はルーパ角度をロール速度にフィードバックし,張力制御はオープンループとしたものである.本制御系では構造化特異値による干渉の解析結果に基づいて入出力の組み合わせを逆にしている.本制御系では,従来制御に比べて張力,ルーパ角度の変動が低減されている.また,集中制御系と比べても遜色ない応答性が得られることをシミュレーションで確認している.本制御系は,上記熱間圧延工場の安定稼働と製品品質の向上および世界初の熱間連続圧延の実現に大きく貢献している.

(a)従来制御

(b)本制御系

6. おわりに

 本論文では,制御理論が提供する設計理論を用いず,実プロセスへの適用を念頭に置いて,あらかじめ調整のしやすい構造を設定し,物理的意味の明確な少数のパラメータの調整によってチューニングを行う方法を提案した.本方法の有効性,普遍性は,連鋳モールド内の溶鋼レベル制御,熱延仕上ミル張力・ルーパ制御というまったく異なる2つのプロセスに実際に適用し,制御性能を向上することによって実証された.今後も本方法を鉄鋼プロセスに広く適用し,制御理論の実用化に寄与していきたい.

図1 提案する2自由度IMC(外乱オブザーバ型)

図2 浸漬ノズル詰まりの剥離による湯面変動の抑制効果の比較

図3 構造化特異値を用いた板厚・張力制御系の干渉指数

図4 ステップ状の圧下操作による外乱に対する張力およびルーパの応答

審査要旨 要旨を表示する

 制御理論の急速な発展と産業現場における制御系設計との間に横たわるギャップを埋めるべく、本論文では現場調整と保守の容易さを念頭においた合理的かつ実用的な制御系の設計法を提案している。この方法は「内部モデル制御」とよばれている制御対象のモデルをループ内に含む制御のアーキテクチュアを、「外乱推定オブザーバ」と組み合わせて実現したもので、既設制御との協調がとりやすく調題も容易で現場のオペレータに使いやすいのが特徴である。本論文ではこの方法の原理とアルゴリズムを述べ、他の手法と組み合わせて3つの鉄鋼プロセスの制御に実際に適用している。

 第一章は緒言で、論文の動機を述べている。

 第二章は「実用的な制御系」と題して実用的な制御系として望まれる条件を、産業現場のサイドから検討考察し、現在企業の現場で用いられている「アドバンスト制御」の問題点を挙げている。特に制御系を設計した後の実装の段階におけるチューニングに関してこれまでの制御理論の注意が足りなかったこと、それによって実装後長続きがしなかったことを述べ、本論文で解決すべき問題点を明らかにしている。

 第三章は「提案する制御系」と題し、本論文の骨格となる申請者独自の制御系設計法を述べている。この方法は内部モデル法と外乱推定オブザーバを結びつけたもので、外乱推定オブザーバをループ内の逆モデルと考えて内部モデル原理の観点からその役割に意味付けを与えるとともに具体的な設計法を示している。この部分は申請者の独創によるものであり、理論的な価値も少なくない。この方法の優れている点は既設の制御装置にAdd Onすることが容易な点と、アーキテクチュアが分かりやすく、調整が容易な点である。数値例を通してこの方法の有効性を示している。

 第四章は「外乱推定オブザーバを用いた連鋳モールド内溶鋼レベル制御」と題し、連鋳のレベル制御に用いた結果を述べている。この方法により鋳込み速度変更による外乱がうまく吸収され、操業の安定性が確保されるとともに、制御系全体のロバスト性が格段に改善されたことが示されている。

 第五章は「冷間タンデム圧延板厚・張力制御における最適な分散制御系の構造」と題し、冷間圧延に対する本方法の適用結果について述べている。この章では各スタンドの圧下制御と速度制御の非干渉化と分散化を主眼に考察し、動的な影響係数を導入することによって最適な分散制御の構造をもとめている。この影響係数は申請者のオリジナルなもので、分散制御系の安定性と相互干渉の度合いを定量的に示す指標となっている。それぞれの局所制御器に3章で述べた設計法を適用し、簡便で実用的な制御系を導出している。この章でのべた方法の効果はシミュレーションによって確認されている。

 第六章は「分散と協調にもとづく熱延仕上げミル張力・ルーパ制御」と題し、熱間圧延における張力とルーパの独立制御を第五章と同様の視点から行っている。それぞれの局所制御器には3章で述べた外乱オブザーバを適用し、2自由度の内部モデル制御を実現している」この方法を実機に適用し、従来法と比べて外乱による変動からの回復が速くなったなどさまざまな改善が得られたことが報告されている。

 第七章には結論が述べられている。

 以上、本論文は産業現場の制御技術の立場から制御系設計の合理性を追求し、制御理論が見落としがちな実装時の調整の容易さと操業開始後の保守と技術伝達の容易さに焦点を合わせた新しい制御系を提案した。この制御系は理論と実際のギャップを埋めるものとして制御工学に貢献する所が大きい。そしてそれを鉄鋼生産の3つの基幹プロセスに適用した。得られた成果はプロセス操業上で価値の高いものであり、申請者の提案した手法が優れていることが立証されている。 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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