学位論文要旨



No 215003
著者(漢字) 久保田,龍治
著者(英字)
著者(カナ) クボタ,リュウジ
標題(和) 原子力発電所の運転員支援システムに関する研究
標題(洋)
報告番号 215003
報告番号 乙15003
学位授与日 2001.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15003号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 近藤,駿介
 東京大学 教授 中澤,正治
 東京大学 教授 岡,芳明
 東京大学 教授 岩田,修一
 東京大学 教授 古田,一雄
内容要旨 要旨を表示する

1. 序論

 1979年のTMI事故は運転員のヒューマンエラーの低減が重要な課題であることを示した。その改善策として、人間工学的な見地から、中央制御盤の警報表示灯の優先度付け、監視業務を支援するSPDS(Safety Parameter Display System)の追設、徴候ベースの異常時運転手順書であるEPG(Emergency Procedure Guideline)の開発が実施された。しかしながら、これらの改善策は、人の認知特性に着目すると、運転クルー全体の支援等の更なる改良が望まれた。

 原子力発電所の運転クルーは、当直長、当直副長、主任、及び複数の操作員から成り、運転全体の指揮は当直長がとる。異常事象が発生した場合、操作員は中央制御盤上で点灯した警報及びこれに関連した計器のプラントプロセスパラメータの挙動を読み上げて、主任、当直長に報告し、当直長は適切な措置を指示するというように音声で情報の共有化を図っている。当直長は事象が明確である場合には事象ベースの異常時運転手順書に従ってプラントを安全停止までもっていくが、事象が明確でない場合には徴候ベースの異常時運転手順書(EPG)に従って措置がとられることになる。

 本研究は、異常時に於いて運転を統合的に支援するために、運転員のチームとしての情報共有化のための支援と運転クルーの統括である当直長の判断支援の2つの支援形態について実験した結果に基づいて提言する。

2. 異常時に於ける計算機による支援に望ましい特性の解明

2.1 計算機による支援の考え方

 本研究は、運転クルーの情報共有化のための支援システムと当直長の判断支援システムを人(運転員)の認知特性に着目して開発し、シミュレータを用いた実験にて検証した。

(1) 人の環境適応的な認知特性に着目した支援の考え方

 人(運転員)の振舞いは環境(プラント)との相互作用で環境適応的に行動を決定していることから、当直長の周囲環境で最も身近な運転クルーを対象に、情報共有化による支援を考えた。更に、状況認識に着目し、視覚情報は大型表示システムを、聴覚情報は警報音や音声告知を採用した。特に、警報音は、運転員間のコミュニケーションを阻害しないように周波数帯を移行させた。

(2) 人の視覚に係る認知特性に着目した支援の考え方

 CRTの画像を人(運転員)がCRTを見て事象を判断する度合いで評価する手法を用いて、分散型表示よりも集約型表示が優れることを確認した。また、運転支援に重要な情報はナビ情報であり、移動体でのナビ情報が地図上の位置であるのに対して、運転情報は速度等の計測された物理量であることに着目した。そして、原子力プラントでは原子炉水位等の計測された物理量は運転情報であり、ナビ情報は運転手順書であると位置付け、運転手順書を効果的に可視化した判断支援システムを開発した。

(3) 人の知覚するリスクに着目した支援の考え方

 人は異常を検知しても、そのリスクが知覚されない限り異常時に要求される迅速な行動をとらない。そこで、リスクを知覚できるようにするために、原子力プラントの放射能障壁の健全性等のリスクに関する情報をイベントツリー等の図形表現を用いて効果的に可視化した判断支援システムを開発した。

2.2 情報共有化の支援に好適な大型表示システムの特性の解明

 大型表示システムの有無のシミュレータ実験により、運転クルーの発話の変化、認知過程の差異、情報の伝達ルートの変化を分析することにより、大型表示システムによる情報共有化により、運転クルーのコミュニケーションが活性化すると共に、パラメータの監視忘れやプラント状況の同定遅れを防止する効果が高いことを確認した。

2.3 情報共有化の支援に好適な警報音及び音声告知方式の特性の解明

 異常時の中央制御室での運転クルーの発話と警報音等の音量を運転訓練シミュレータを用いた実験で収集して周波数分析を行った結果、警報音が運転クルーのコミュニケーションを阻害していることを確認した。そこで、警報音の中心数波数帯を運転クルーの発話の中心周波数帯に対して高・低周波数側に移行させることで運転クルーのコミュニケーションを阻害しないようにすると共に、警報音による情報共有化のために、異常時に要求される操作を警報音のみで想起できるように音楽的要素を採り入れた警報の望ましい特性を実験にて確認した。

 また、より確実に情報を伝達するために、情報共有化のための音声告知による情報の提供方式として「対象(パラメータ)名称」と「状況」の形態での告知が望ましいことも確認した。

2.4 判断支援に好適なCRT表示形態の特性の解明

 見易い等のあいまいな言葉ではなく、運転員にCRT画像を見せて事象を判別させることにより、CRTに表示される情報が雑音ではなく信号である場合には正しく事象を判断できるという信号検出理論に基づくROC(Receiver Operating Characteristics)解析を適用することにより、分散型CRT表示と集約型CRT表示の特性を定量的に評価し、集約型CRT表示の特性が優れることを実験で確認した。

3. 情報共有化を支援するシステムの開発と検証

3.1 既設制御盤向き大型表示システムの開発と検証

 制御盤のスペースが狭い既設中央制御盤向きに実寸大の大型表示システムを開発し、大型表示システムの効果として2.2節で摘出したパラメータの監視忘れやプラント状況の同定遅れの防止の効果について、シミュレータを中断(フリーズ)してパラメータの挙動に関する質問紙に回答させてその正解率から状況認識の程度を確認した検証試験の結果からも異常の検知や状況把握の効果が高いことを確認した。

3.2 警報システムの開発と検証

 2.3節での警報音と音声告知方式を用いて、中央制御盤向きの警報音に音声告知、視覚警報を組合せた警報システムを開発し、その検証試験より音声告知の回数が先行音の役目を含めて2回が好適であることや聴覚警報も役割に応じて音を変えることにより運転員の注意をひくことが可能であること等を確認した。

4. CRT表示による判断支援システムの開発と検証

 中央制御盤とは独立した集約型CRT表示をベースとして、異常時のための判断支援システムを開発し、想定し得る最大規模の異常時でも支援できることを確認した。

4.1 運転手順の可視化による判断支援システムの開発と検証

 計測された物理量が運転情報であり、運転手順書がナビ情報であることに着目し、炉心損傷を防止するための異常時運転手順書(EPG)を対象に、CRT表示に好適な図形言語である木フローチャートを用いて、ナビ情報として必要な現在地点、出発地点からの経路、目標地点への経路を表示できる「プラントナビゲーションシステム」を試作し、シミュレータによる検証試験を行った結果、運転の品質を確保できることを確認した。

4.2 リスク情報の可視化による判断支援システムの開発と検証

 炉心損傷後の事態の影響を緩和するための判断の支援は、サイトのTSC(Technical Support Center)や本店のTSCでの判断結果に基づいて運転員が必要な措置をとることになる。本研究では、中央操作室(中操)、サイトTSC、本店TSCの間での情報共有化の手段と、事象の進展に応じた状況依存性を考慮したイベントツリー等の多様性のあるリスク情報の提供により、放射能障壁の健全性等の判断が可能な異常時の支援システムを開発し、サイトTSCに摸擬中操と摸擬本店TSCを仮設して検証試験を行った結果、TSCスタッフの判断支援の他、中操、本店TSC、サイトTSC間の情報共有化についても有用であることを確認した。

5. 結論

(1) 視覚と聴覚に関する面情報による共有化

 従来、視覚に関してはハードウェア上CRTに限定されていたので点情報と言われたが、大型表示システムの採用により面情報としての活用が可能となった。これにより、異常時の情報共有化の支援には、大型表示システムによる視覚情報と音響型警報音による聴覚情報の面情報同志の組合せが期待できる。

(2) 大型表示システムによる情報共有化の効果の要因

 大型表示システムが有る場合には、移動の途中でも大型表示システムを見てプラント状況を確認していたことから、大型表示システムは同一の作業空間でどの位置からでも見れることも効果に関する一つの要因と思われる。また、運転員には精通したプラント情報であることから、発話のみで運転クルー全員の注意の焦点化が可能になるものと考えられる。よって、大型表示システムは同一空間での各自の注意の焦点化を容易に可能とすることから、情報共有化を促進するものと考える。

(3) 判断支援システムによる運転品質の確保

 本研究で開発したプラントナビゲーションシステムのような運転に関する判断支援システムがあれば、運転クルーの構成が変っても同一の情況では同一の判断情報が提供され同一の措置がとられることから、運転の品質が確保できるものと期待できる。

(4) リスク情報による判断支援

 本研究では、イベントツリーやフォールトツリー等の図形表現を用いて、プラントの現在の状況から今後炉心損傷に至るまでの過程を動的に表現することにより、リスクが一目で判るような情報をTSCスタッフに提供できるようにした。このようなリスク情報の提供方法は、TSCスタッフの他、運転員にも好適であると考えられ、新しい運転員向けの判断支援のための情報であると期待できる。

(5) 情報の共有化と判断支援による意図の統一化

 異常時に於いてチーム又は組織として原子力発電所の運転を確実に行うには、チーム又は組織の意図の統一化が重要である。本研究では、中央制御室内の運転チームの情報の共有化は大型表示システム、警報音、音声告知で実現できた。よって、判断支援に基づくリーダー(当直長又は本店TSC)からの指示があった場合、その指示の意図する内容(根拠や目標)が大型表示システムによる情報の焦点化の特性や聴覚警報の注意の焦点化の特性により情報が共有化され、これらの情報により状況(文脈)が容易に把握できることから、チーム又は組織としての意図の統一化を図ることが可能となることが期待できる。

 以上より、中央制御室内の大型表示システムや音響型警報音によりプラントの状況把握が短時間で確実となり、その後の措置も計算機による支援システムにより原子力発電所を安全に停止できると共に、万一の炉心損傷に対しても被害を最小限に抑制できる計算機による支援が可能であると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 原子力発電所の中央操作室に駐在する運転員チームは、全体の指揮をとる当直長と複数の機器操作員から構成されており、発電所に異常事象が発生した場合、操作員は担当機器に係る警報及びこれに関連する状態をあらわすパラメータの挙動を当直長に報告し、当直長はそれらに基づいて適切な措置を指示する。したがって、中央操作室のマンマシンインターフェイスは、運転員が的確に状況を把握し、これに関する情報を共有して相互協力し、当直長が知識ベースを十分に活用して的確な措置を指示できるように設計されねばならず、情報技術の進歩を踏まえて、そのような観点から逐次改良がなされてきている。「原子力発電所の運転員支援システムに関する研究」と題する本論文は、運転員の過誤の発生可能性を現ずるためには認知負荷の軽減が有効であるとの観点から情報技術を活用して運転員の認知活動を支援する新しい提案を行い、その有効性を検討してきた著者の長年にわたる研究成果を取りまとめたものであり、全体は5章から構成されている。

 第1章は序章で、研究の背景と動機、従来の研究と課題、研究の目的について述べている。

 第2章は、情報技術によって運転員の認知活動を支援するいくつかのアイデアについて実験的な考察を行った結果をとりまとめているもので、第1に、機器の状態表示に大型表示システムを採用した場合の効果を運転クルーの発話頻度や内容の比較分析から検討したところ、運転クルーのコミュニケーションが活性化し、発話の有効伝達率が増加すると共に、CRTから得られる情報も増加することがわかったこと、第2に、警報音の中心周波数を運転員の発話の周波数帯から高・低周波数側に移行させたところ、運転クルーのコミュニケーションを阻害しない警報音を実現できることがわかったこと、第3に警報音に音楽的要素を取り入れる場合、長さは1〜2小節の2音程度で構成し、アタック音のある音色を用いるのが記憶の持続の観点から適切であるとわかったこと、そして第4に、プラント状態表示方式を変えて行った異常事象同定実験の解析から、CRT画面は分散型よりも集約型表示方式を採用するほうが監視に有効であると確認できたとしている。

 第3章は、運転クルー間の情報共有化手段を提案して、その有用性を検討しているもので、主要系統のミミック表示にプロセス量と機器状態の付加したものを大型表示システムに提示したところ、運転員の状況把握が的確になり、当直長の状況確認のための発話が減少したこと、警報音を状態毎に変えてこれを音声告知を組み合わせる方式や、これにへッドセットを組合せた警報システムを試験をしたところ、音声告知が運転員の注意を引きつける効果を強化し、状況理解の迅速化をもたらすことが確認されたとしている。

 第4章は、CRTを用いた2種類の運転員判断支援システムを開発し、その有用性を検証した結果を述べているもので、ナビゲーション機能がヒューマンエラーの防止に効果があることに着目して、炉心損傷を防止するための運転手順書をフローチャート表現を用いて提示することにより、手順の抜け落ちを防止できること、炉心損傷が発生した場合にプラント状態を把握し、事故進展の可能性とそれに伴う被害状況、その状況に適切なアクシデントマネジメントガイドを提示できる支援システムを用意したところ、運転員はとくに状態把握メニューやガイドを多用し、このシステムの有用性を表明したとしている。

 第5章は、本研究の結論を、大型表示システムによる情報共有化の効果の考察やその結果明らかにされた課題を中心に述べているものである。

 以上を要するに、本研究は、原子力発電所の中央操作室のヒューマンインターフェイス設計を運転員の認知負荷を軽減する観点から改善するために情報技術の効果的な活用策を提案し、その有用性と課題を実験的に検討して、応用して有用な知見と研究課題を見出しており、原子炉システム工学及びヒューマンインターフェイス工学の進展に寄与するところが少なくない。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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