学位論文要旨



No 215007
著者(漢字) 樋口,善彦
著者(英字)
著者(カナ) ヒグチ,ヨシヒコ
標題(和) 溶鋼処理プロセスの反応モデルに関する研究
標題(洋)
報告番号 215007
報告番号 乙15007
学位授与日 2001.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15007号
研究科 工学系研究科
専攻 金属工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 前田,正史
 東京大学 教授 月橋,文孝
 東京大学 助教授 篠原,正
 東京大学 助教授 森田,一樹
 東京大学 助教授 山口,周
内容要旨 要旨を表示する

 溶鋼処理プロセスにおいて、生産コストの低減と鋼材品質の改善という二つの課題はますますその重要性を増している。このうち特に重要となるのは、(1)極低炭素鋼の量産化に対応するための真空下脱炭反応の速度向上、(2)溶鋼処理の重処理化・多様化にともなう温度降下を補うための溶鋼加熱の効率化および成分の制御性の向上、(3)耐硫化水素環境で問題となる水素誘起割れを防止するための介在物の組成制御、(4)鋼の清浄性を向上させる際に問題となる再酸化による介在物生成の抑制、である。しかし、従来の研究ではこれらの精錬反応を支配する操業因子が十分に明らかにされておらず、それらの因子の影響が定量化されていないためにプロセスの制御が十分に行われていなかった。本研究では、各溶鋼処理プロセスで生じる溶鋼と雰囲気、スラグおよび介在物との反応を定量的に評価可能な反応モデルを構築し、最適な操業条件について検討した。

 まず、極低炭素鋼を安価で大量に生産するという観点から、RH(Ruhlstahl-Heraus)と呼ばれる溶鋼環流型の真空脱ガス装置を用いた真空脱炭プロセスを対象に脱炭反応速度を支配する因子を検討した。溶鋼環流速度が逐次変化する処理初期の非定常状態を対象として、水モデル実験を行い非定常状態での環流速度を評価した。また、溶鋼環流速度が安定した処理中・後期におけるRH真空槽内の脱炭反応について、溶鋼中[C]、[O]および真空度の影響を検討した。その結果、処理初期の非定常状態における環流速度は従来の評価式で与えられる値よりも小さいことが明らかとなった。さらに、この非定常状態での環流速度を評価する実験式を提案し、実機RHデータの解析によりこの実験式が実プロセスに適用可能であることを確認した。また、脱炭速度の[C]依存性から、溶鋼側物質移動、気相側物質移動および化学反応を律速過程と仮定すると、脱炭反応速度が説明できないことを明らかにした。この脱炭挙動を内部脱炭に着目して解析し、溶鋼中[C]、[O]および真空度Pが脱炭速度に及ぼす影響を初めて定式化した。これにより、真空槽内脱炭容量係数akはCO気泡生成圧Pco*と平衡定数Kを用いて、[C]・[O]-(P+Pco*)/Kと比例関係で表せることが明らかとなり、CO気泡生成圧および内部脱炭速度定数を実験的に精度良く決定することが可能となった。さらに、環流速度と真空槽内脱炭挙動に関する以上の解析に基づいて処理全期の脱炭反応を記述する反応モデルを構築し、真空脱炭時の成分挙動を精度よく再現できることを明らかにした。この反応モデルは真空脱ガス装置の排気能力が脱炭速度に及ぼす影響を定量的に評価でき、排気設備の設計指針を与えることも可能となった。

 つぎに、取鍋内溶鋼をガス撹拌しつつ酸素ガスを上吹きする溶鋼加熱プロセスにおいて、上吹きした酸素と溶鋼中Al,Si,Mnとの反応に着目した実操業規模の実験を行い、操業因子がAl燃焼効率に及ぼす影響を検討した。さらに、上吹きした酸素ガスが取鍋内溶鋼と接触する領域(反応帯)とそれ以外の領域(混合帯)の間で溶鋼が循環するという反応モデルを構築した。反応モデルでは操業因子である酸素ガスの上吹き条件と撹拌ガス流量を反応帯の体積比および反応帯と混合帯との間の溶鋼循環速度で考慮した。その結果、上吹き酸素ガスのジェットが形成する溶鋼表面のへこみ深さが増加すると、反応帯の体積が増大しAl燃焼効率が向上することが明らかになった。また、溶鋼を撹拌するための撹拌ガス流量を増加させることによってもAl燃焼効率は増大するが、その効果が飽和する臨界ガス流量が存在することを明らかにした。この臨界ガス流量を超えると、上吹き酸素ガスによる溶鋼表面のへこみ深さの影響が大きくなることも示した。また、混合帯のAl濃度が高く酸素との親和力の小さいSi,Mnの酸化反応が熱力学的に生寺内条件でもSi,Mnの酸化反応が進行する理由は、反応帯におけるAl濃度が著しく低下することで説明できることも、反応モデルより明らかとなった。さらに、この反応モデルを用いると酸素ガス上吹き後の溶鋼中成分を高い精度で予測可能であることを確認した。

 つぎに、耐水素誘起割れ鋼に要求される介在物の無害化処理を対象に、研究室規模で2kg、180kgと処理量の異なる溶鋼へCaを添加する実験を行い、介在物組成に及ぼす添加方法や溶鋼条件の影響を検討した。また、Caの添加にともない生じる、溶鋼中Caの蒸発反応、溶鋼中Caと介在物との反応、溶鋼中Sと介在物との反応を考慮した反応モデルを構築し、実験結果から反応速度定数を決定した。その結果、Alを用いた事前脱酸により塊状のAl2O3であった介在物は溶鋼へのCa添加によって、その組成をCaO-Al2O3あるいはCaO-Al2O3-CaSへ変化させることを示した。また、溶鋼へCaを一括添加した場合には介在物中CaO濃度が急激に増加し最大値を示した後減少し、Caを分割添加した場合には介在物中CaO濃度が徐々に増加することを示した。さらに、溶鋼中S濃度が高いほど介在物中CaS濃度が増加すること、Ca添加量の増加および一回のCa添加量の増加により、介在物中CaO濃度およびCaS濃度の増加が顕著となることを明らかにした。この実験結果に対して反応モデルを適用し、蒸発反応、溶鋼中Caと介在物との反応、溶鋼中Sと介在物との反応のそれぞれに対して見かけの速度定数を決定した。これらの速度定数の溶鋼中成分依存性から、蒸発反応の律速過程は気相側物質移動ではないこと、溶鋼と介在物との反応は介在物内物質移動律速であること、を推定した。決定された見かけの速度定数は溶鋼量に関わらず同じ値が適用でき、これを用いた反応モデルは溶鋼量ならびにCa添加方法、溶鋼成分に関わらず、実験で得られた介在物組成を精度良く予測可能であることを明らかにした。

 つぎに、鋳造中において溶鋼中Alがスラグあるいは雰囲気中の酸素源と反応してAl2O3系介在物を生成するという溶鋼の再酸化反応を対象に検討を行った。研究室規模では10kg溶鋼を用いたるつぼ実験を行い、スラグによる溶鋼中Alの再酸化速度に及ぼす流動条件およびスラグ条件の影響を調査した。実機規模では250×103kg溶鋼を収容した取鍋および鋳造用タンディッシュでの再酸化挙動を調査した。また、溶鋼とスラグとの反応に関しては溶鋼側とスラグ側物質移動速度のみを考慮した従来の競合反応モデルに化学反応速度の項目を付加した拡張モデルを構築し、るつぼ実験および実機実験結果を評価した。さらに、タンディッシュ内[sol.Al]変化については、取鍋内[sol.Al]変化および溶鋼中Alと進入空気、タンディッシュスラグとの反応を考慮し、タンディッシュ内溶鋼流動も加味した総合反応モデルで評価した。その結果、るつぼ実験から得られた物質移動係数は表面流速の3/2乗に比例し、この関係を用いて鋳造待ち中の実機取鍋内での再酸化速度を精度良く予測できることを明らかにした。また、スラグ量の増加とともに再酸化速度が増加する傾向をるつぼ実験で確認し、鋳造中に溶鋼量が減少する取鍋においても溶鋼量当たりのスラグ量が増大し鋳造末期の取鍋内溶鋼中[sol.Al]が加速度的に低下することを反応モデルから定量的に明らかにした。さらに、実機タンディッシュでの溶鋼再酸化挙動は総合反応モデルで説明できることを示した。本反応モデルは鋳造全期にわたる溶鋼中[sol.Al]挙動を精度よく推定可能であり、鋳造時の取鍋内溶鋼およびタンディッシュ内溶鋼と進入空気やスラグとの反応の影響を要因別に定量化することが可能となった。その結果、再酸化量を抑制するためには、まず取鍋内溶鋼上のスラグ中(FeO)+(MnO)を低減することが最も有効であることを明らかにした.

 最後に、各溶鋼処理プロセスに適用した反応モデルをまとめ、その意義について述べた。本研究で対象とした反応はいずれも異相間の反応であり、基本的には異相間の界面における物質移動速度および化学反応速度を考慮したモデリングが重要である。ただし、界面反応の適用ができないプロセスに対しては内部脱炭モデルのようなマクロモデルの援用が必要である。また、溶鋼内での循環や混合を考慮する必要がある場合には、流動に関する適切なモデル化も必要である。反応モデルの意義としてはプロセス特性の把握と操業因子の最適条件の提示による操業指針を与えること、設備改造の際の設計指針を与えること、などの工業的な意義が挙げられる。さらに、真空脱炭プロセスと酸素による溶鋼加熱プロセスについて、現状の精錬性能を超えた新たなプロセスの提案を行ない、反応モデルが新しいプロセスの探査にも有効であることを示した。

審査要旨 要旨を表示する

 溶鋼処理プロセスでは、(1)鋼の極低炭素化、(2)溶鋼加熱、(3)鋼中介在物の組成制御、(4)再酸化による介在物生成の抑制、が重要な課題である。これらはいずれも溶鋼と雰囲気、スラグ、介在物との間の複雑な異相間反応が関与したものである。これらの反応を制御することは、鋼材品質の改善、生産コストの低減に直接つながる。

 本論文は、溶鋼処理プロセスを制御するための反応モデルを述べたものである。各処理プロセスで生じる溶鋼と異相との反応に関わる反応モデルを流動条件を考慮しつつ構築し、これらの反応を定量的に評価することにより最適な操業条件を設定する方法を見いだしたもので全7章よりなる。

 第1章は序論であり、本研究の背景、溶鋼処理プロセスの反応モデルに関する従来の知見および本研究の目的を述べている。溶鋼処理プロセスの反応モデルについては従来から提案されているが、反応を支配する因子の特定が十分でなく、各因子の影響も定量化されているとは言い難い。本論文においては、種々の支配因子の影響を明確化し、反応モデルを構築した。そのモデルを用いて、反応を精度よく制御することに主眼を置いたことを示している。

 第2章では、極低炭素鋼の生産という観点から、RH(Ruhlstahl-Heraus)と呼ばれる溶鋼環流型の真空脱ガス装置を用いた真空脱炭プロセスを対象に検討を行った。その結果、処理初期の非定常状態における環流速度は従来の知見よりも小さいことを確認した。また、溶鋼側物質移動、気相側物質移動および化学反応を律速過程と仮定すると脱炭反応速度が説明できないことから、脱炭挙動を内部脱炭に着目した解析を行い、溶鋼中炭素濃度、酸素濃度および真空度が脱炭速度に及ぼす影響を定式化した。環流速度と真空槽内脱炭挙動に関するこれらの解析に基づいて処理全期の脱炭反応を記述する反応モデルを構築した。このモデルにより真空脱炭時の成分挙動を制度よく予測できることを明らかにした。モデルは真空脱ガス装置の排気能力の影響を定量的に評価でき、排気設備の設計指針を与えることが可能となった。

 第3章では、取鍋内溶鋼をガス攪拌しつつ酸素ガスを上吹きする溶鋼加熱プロセスにおいて、上吹きした酸素と溶鋼中Al,Si,Mnとの反応を検討し、上吹き酸素ガスの吹き付け条件と取鍋内溶鋼の攪拌条件を考慮した反応モデルを構築した。その結果、上吹き酸素ガスのジェットが形成する溶鋼表面のへこみ深さの増加、あるいは、攪拌ガス流量の増加によりAl燃焼効率が向上することを明らかにし、最適な操業条件の提示を可能とした。Alよりも酸素との親和力の小さいSi,Mnの酸化反応がAlが共存する状態で進行する理由は、反応帯におけるAl濃度が局部的に著しく低下することで説明できることを明らかにした。さらに、この反応モデルを用いると酸素ガス上吹き後の溶鋼中成分を高い精度で予測可能であることを確認した。

 第4章では、耐水素誘起割れ鋼に要求される介在物の無害化処理を対象に溶鋼へCaを添加する実験を行い、介在物組成に及ぼす添加方法や溶鋼条件の影響を検討した。Caの添加の後、溶鋼中Caの蒸発反応、溶鋼中Caと介在物との反応、溶鋼中Sと介在物などの反応が進行する。これらを考慮した反応モデルを構築した結果、Alを用いた事前脱酸により塊状のAl2O3であった介在物は溶鋼へのCa添加によって、その組成がCaO-Al2O3あるいはCaO-Al2O3-CaSへ変化することを示した。実験結果と反応モデルを比較し、蒸発反応の律速過程は気相側物質移動ではないこと、溶鋼と介在物との反応は介在物内物質移動律速であることを、推定した。反応モデルは溶鋼量ならびにCa添加方法、溶鋼成分に関わらず介在物組成を精度よく予測でき、Ca添加処理プロセスの制御が可能であることを明らかにした。 第5章では、鋳造中において溶鋼中Alがスラグあるいは雰囲気中の酸素源と反応してAl2O3系介在物を生成するという溶鋼の再酸化反応を対象に検討を行った。再酸化反応速度に及ぼす流動および雰囲気、スラグ条件の影響を調査し、これらを考慮可能な反応モデルを構築した。その結果、物質移動係数は表面流速と関連づけられ、この関係を用いて鋳造待ちおよび鋳造中の取鍋内での再酸化挙動を明らかにした。さらに、溶鋼流動と雰囲気中酸素による再酸化反応を考慮したタンディッシュ内溶鋼を対象とした反応モデルを構築し、鋳造全期にわたる溶鋼中成分変化および再酸化反応に及ぼす影響を要因別に定量化可能であることを示した。その結果、再酸化量を抑制するためには、まず取鍋内溶鋼上のスラグ中(FeO)+(MnO)を低減することがもっとも有効であることを明らかにした。

 第6章では、各溶鋼処理プロセスに適用した反応モデルをまとめ、その意義について述べた。本研究で対象とした反応はいずれも異相間の反応であり、物質移動速度および化学反応速度に基づくモデリングとともに、溶鋼内での循環や混合を考慮した流動モデルとの結合が重要である。反応モデルの意義としてはプロセス特性の把握と操業因子の最適条件の提示による操業指針を与えること、設備改造の際の設計指針を与えること、などの工業的な意義があげられる。さらに、真空脱炭プロセスと酸素による溶鋼加熱プロセスについて、現状の精錬性能を超えた新たなプロセスの提案を行い、反応モデルが新しいプロセスの探査にも有効であることを示した。

 第7章は、本論文の総括である。

 以上を要するに、本論文は、溶鋼処理プロセスの溶鋼と異相との反応を流動を考慮して検討することで反応プロセスの制御手法を確立したものであり、金属精錬工学の発展に寄与するところが大きい。よって本論文は博士(工学)学位請求論文として合格と認められる。

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