学位論文要旨



No 215011
著者(漢字) 玉腰,雅忠
著者(英字)
著者(カナ) タマコシ,マサタダ
標題(和) 高度好熱菌を用いた酵素の進化工学的耐熱化
標題(洋)
報告番号 215011
報告番号 乙15011
学位授与日 2001.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15011号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡辺,公綱
 東京大学 教授 輕部,征夫
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 上田,卓也
 東京大学 助教授 関,実
内容要旨 要旨を表示する

 生体内で多様な機能を果たす蛋白質は不安定なものが多いが、それらを安定化できれば多くの分野への利用が期待できる。そのための手法として従来は蛋白質工学の手法が用いられていたが、詳細な立体構造が不可欠であることに加え、安定化のための設計精度が現段階では低いため、安定化が難しい場合が多い。本研究ではそれらの制約がない進化分子工学の手法を用い、酵素を好熱菌内で耐熱化するための実験系の開発を行った。

 モデル酵素として、ロイシンの生合成に関与する3-イソプロピルリンゴ酸デヒドロゲナーゼ(IPMDH)を用いた。本酵素に関しては、好冷菌から超好熱菌までの様々な耐熱性の酵素の遺伝子が単離されており、また結晶構造が明らかにされているので、耐熱化機構を調べる上で有利な材料である。また宿主好熱菌としては、形質転換が可能な好熱菌のうち、最も生育温度の高いThermus thermophilusを用いた。

 まず、T.thermophilusのIPMDH遺伝子を含むロイシン合成系オペロンの遺伝子構造を解析した。以前の報告では、そのオペロン内にあるIPMDHの遺伝子とイソプロピルリンゴ酸イソメラーゼの遺伝子が互いにオーバーラップし、機能的に重要な領域が同じDNAによってコードされている可能性が示唆されていた。それが真実ならば、T.thermophilus内で好熱菌自身のIPMDHのかわりに他種生物のIPMDHを発現させて機能を相補させることは困難になる。その真偽を確かめるために塩基配列解析をやりなおしたところ、以前に報告された配列解析に間違いが見つかり、それらの遺伝子は互いに重複することなく別々の遺伝子として存在することがわかった。

 次に好熱菌IPMDHと枯草菌IPMDHの間のキメラ酵素を耐熱化するための実験系を以下のように作製した(図1)。まずノックアウトベクターを構築し、相同組換え能を利用して好熱菌IPMDHをコードする遺伝子を染色体から完全に欠失させた。次にインテグレーションベクターを用いてキメラIPMDHの遺伝子を染色体中に挿入した。その形質転換株は培地中にロイシンがない場合、70℃では生育できたが、耐熱性の低いキメラ酵素を用いて生育しなければならないために76℃以上では生育できなかった。そこで、自然に起きる突然変異やニトロソグアニジンの変異誘発により、76℃以上でも生育できるようになった株を2株得た。IPMDH遺伝子をクローニングして塩基配列を調べたところ、それぞれIle93LeuおよびAla172Valのアミノ酸置換が起きていることがわかった。次に大腸菌内で大量発現させ、酵素を精製した。それを用いて熱処理後の残存活性を指標にした耐熱性を調べたところ、それらの変異酵素は共に元のキメラ酵素よりも確かに耐熱化していた。立体構造を解析したところ、それらは側鎖内の高いエネルギー状態の解消や蛋白質内部の疎水性パッキングを高めるなど、以前なら設計が困難な微妙な変化によって耐熱化したことがわかった。

 キメラ酵素よりも更に耐熱性の低い酵素として、酵母IPMDHの進化工学的耐熱化を試みた。まず、好熱菌内で複製可能なプラスミドベクターを構築し、IPMDH欠失株内で酵母IPMDHを発現させた。得られた形質転換株は、培地中にロイシンがない場合50℃程度まで生育できた。それを出発として、60、62、65、67、および70℃でも生育できるようになった株を段階的に得た(図2)。それらのIPMDH遺伝子の塩基配列を解析したところ、選択温度が上昇するにつれてアミノ酸変異が1つずつ蓄積していった。pETシステムを用いて酵素を大量発現させ、精製法を新たに検討して電気泳動上単一バンドにまで精製した。それを用いて耐熱性を調べたところ、どの変異酵素も酵母の野生型IPMDHより耐熱性が上昇しており、かつ選択温度が上昇するにつれて耐熱性も上がっていることがわかった(図3)。また、酵母の野生型IPMDHは室温付近でもグリセロールなどの保護剤がないと急速に失活することが知られていたが、得られた耐熱化酵素は全て保護剤がなくても活性を維持できることがわかった。一方、触媒活性を調べたところ、耐熱化の程度が比較的大きな変異酵素でわずかに活性の低下が見られたが、どの酵素も野生型酵素と同じオーダーであり、著しい変化は見られなかった。キメラ酵素の場合も活性はほとんど変化しなかったことから、何れの場合も活性を維持したまま酵素を耐熱化できた。

 進化分子工学の手法を用いると耐熱化酵素を効率よく選択できることがわかったが、IPMDH以外の多くの酵素にも進化実験系を適用できるように好熱菌の宿主ベクター系を改良した。まず、形質転換の際のマーカーとして、新たにピリミジン合成に関わるpyrE遺伝子(オロト酸ホスホリボシルトランスフェラーゼをコードする)をマーカーとするベクター系を構築した。薬剤である5-フルオロオロチン酸(5-FOA)が培地中にある場合、野生株ではオロト酸の代わりにその薬剤を取り込んで増殖が阻害されるが、pyrE遺伝子が欠損するとそれが取り込まれなくなり、かわりにウラシルが培地中に存在すると生育が可能になる。このことを利用して、pyrE遺伝子欠失株を作製した。また、pyrE遺伝子を発現させるためのベクターも構築した。さらにpyrE遺伝子をマーカーとしたベクターを用いて染色体中の遺伝子をpyrE遺伝子と置換し、かつそのように挿入されたpyrE遺伝子も5-FOAと適当なノックアウトベクターを用いて形質転換すれば、再びpyrE遺伝子を欠失できることがわかった。このように染色体を自在に改変できる技術を確立した。

 以上をまとめると、高度好熱菌内で酵素を進化分子工学的に耐熱化するための実験系を開発し、実際に多くの耐熱化酵素を効率よく選択できた。技術改良を重ねることによって、より多くの酵素を耐熱化の対象とすることができるようにもなった。これらを発展させれば、有用な酵素を耐熱化できるばかりか、立体構造に基づいた安定化設計の精度向上にも貢献する筈である。

図1 好熱菌を用いた耐熱化酵素の選択系

T.thermophilusの野生株から耐熱化の対象とする酵素遺伝子を完全に欠失させ(ステップ1)、その株の染色体中に非耐熱性酵素遺伝子を挿入して発現させる(ステップ2)。その株を出発として選択培地で高温下に生育できるようになった耐熱化株を取得する(ステップ3)。耐熱化株の〓は変異部位を示す。

図2 酵母IPMDHの進化工学的耐熱化

図に示す各温度で耐熱化株を選択し、それらの株が保持するプラスミドのIPMDH遺伝子の塩基配列解析をした。各ステップで得られた変異を下線で示した。

図3 変異酵母IPMDHの耐熱性

温度を変えて10分間熱処理した後の残存活性を測定した。熱処理前の酵素活性を100%とした。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、酵素を進化分子工学的手法により耐熱化することを目的として、高度好熱菌を宿主とした酵素の耐熱化実験系を開発し、それを用いて多くの耐熱化変異酵素を取得した結果について述べたものである。

 第1章では、本研究の背景を述べた。まず高次構造に基づいて人為的にアミノ酸置換を行い酵素を安定化する従来の手法を述べ、その問題点を指摘した。それを克服するためには進化分子工学の手法が有望であり、その先駆的な研究として中等度好熱菌を用いた酵素の耐熱化実験系を紹介した。その実験系には改良の余地が大いにあるため、耐熱化実験系の宿主として高度好熱菌Thermus thermophilusがより適していることを述べた。またモデルとした酵素、3-イソプロピルリンゴ酸デヒドロゲナーゼ(以下IPMDH)を選んだ理由について述べた。

 第2章では、T.thermophilusのロイシン合成系オペロンの塩基配列解析と大腸菌の変異株を用いた相補試験を行い、T.thermophilusのロイシン合成系遺伝子の配置を確定した。IPMDHはロイシン合成に関わる酵素であるが、以前からその遺伝子の機能上重要な部分が他の遺伝子とオーバーラップしている可能性が指摘されていた。しかし本章の結果からはその可能性が否定され、かつオペロンの構造が明らかになったので、IPMDHをT.thermophilus内で発現させるためのベクターを開発することが可能になった。

 第3章では、T.thermophilusのインテグレーションベクター系の開発と、それを用いてキメラ酵素(好熱菌IPMDHと常温菌IPMDHとの間のキメラ酵素)を耐熱化した結果を述べた。すなわち、ノックアウトベクターを用いてIPMDHの遺伝子を染色体から完全に欠失させたT.thermophilusの変異株を作製し、次いでインテグレーションベクターを用いてキメラ酵素をT.thermophilus内で発現させた。得られた形質転換株は培地中にロイシンがない場合、キメラ酵素の耐熱性が低いために76℃以上では生育できなかったが、自然に起きる突然変異によって76℃以上でも生育できるような株を2株得た。塩基配列を解析したところ、それぞれ別々の変異が起きていた。熱処理後の残存活性を指標として耐熱性を調べたところ、両酵素とも元のキメラ酵素よりも耐熱化していることを確かめた。立体構造の解析から、側鎖内の高いエネルギー状態を解消するか、あるいは分子内部の疎水性パッキングを高めることによって耐熱化したことが推定された。

 第4章では、T.thermophilusのプラスミドベクター系の開発と、それを用いた酵母IPMDHの耐熱化について述べた。すなわち酵母IPMDHを発現するT.thermophilusの形質転換株は、培地中にロイシンがない場合50℃程度まで生育できたが、それを出発として、60、62、65、67、および70℃でも生育できるようになった株を自然に起きる突然変異によって段階的に得た。それらのIPMDH遺伝子の塩基配列を解析したところ、選択温度が上昇するにつれてアミノ酸変異が1つずつ蓄積していった。精製酵素を用いて耐熱性を調べたところ、どの変異酵素も酵母の野生型IPMDHより耐熱性が上昇しており、かつ選択温度が上昇するにつれて耐熱性も上がっていることがわかった。また、酵母の野生型IPMDHは室温付近でもグリセロールなどの保護剤がないと急速に失活することが知られていたが、得られた耐熱化酵素は全て保護剤がなくても活性を維持できることがわかった。

 第5章では、IPMDH以外の多くの酵素を耐熱化できるようにT.thermophilusの宿主・ベクター系を改良した結果について述べた。まず形質転換の際のマーカーとして、新たにピリミジン合成に関わるpyrE遺伝子(オロト酸ホスホリボシルトランスフェラーゼをコードする)をマーカーとするベクター系を構築した。pyrE遺伝子の欠損株は薬剤である5-フルオロオロチン酸(5-FOA)耐性になることを利用して、ノックアウトベクターを用いてpyrE遺伝子欠失株を作製した。同様にpyrE遺伝子をマーカーとしたベクターを用いて他の遺伝子の欠失株を容易に選択する実験系を確立した。さらにプラスミドベクターが好熱菌内で安定に保持されるように組換え能欠損株を単離した。

 第6章では、本研究で得られた耐熱化変異の特徴をまとめ、酵素を耐熱化するためのメカニズムを考察した。特に従来の安定化ルールでは説明できない新しいタイプの耐熱化戦略を発見した。また今後の進化分子工学の展望や問題点を述べた。具体的には、変異導入の効率やブロック単位での変異導入に関する問題、および耐熱化酵素を得るための新しい選択技術について述べた。

 第7章では、各章で用いた材料と方法について述べた。

 以上、本論文は高度好熱菌を用いた酵素の耐熱化実験系を開発し、その有用性を明らかにしたものである。これは、蛋白質を安定化し、その優れた特質を多方面で利用するための技術開発に貢献するものであり、基礎科学のみならず工学的にも資するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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