学位論文要旨



No 215020
著者(漢字) 佐藤,守俊
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,モリトシ
標題(和) サイクリックGMP及び蛋白質リン酸化に基づく細胞内情報伝達を可視化する蛍光プローブ分子
標題(洋) Fluorescent Indicators for Visualizing Cyclic GMP and Protein Phosphorylation in Living Cells
報告番号 215020
報告番号 乙15020
学位授与日 2001.04.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第15020号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 教授 浜口,宏夫
 東京大学 教授 塩谷,光彦
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 長棟,輝行
内容要旨 要旨を表示する

[目的]ホルモン・神経伝達物質などの情報伝達因子は,主に細胞膜上の受容体蛋白質を介して細胞内のイオン・小分子・蛋白質の濃度・化学形・細胞内での局在等の変化を誘起する.この細胞内情報伝達を担う因子の一つに細胞内セカンドメッセンジャーとして知られるCa2+があるが,1980年代に始まる一連のCa2+蛍光プローブの開発は,生きた細胞でのCa2+の挙動観察,つまりCa2+イメージングを通じて情報伝達機構の理解に大きく貢献した.しかしながら蛍光プローブ分子の開発の例は少ない,セカンドメッセンジャーを含めた多くの細胞内情報伝達過程は依然として十万個以上の細胞をすりつぶして破壊分析されている.従って本研究では,(1)循環器および中枢神経系における主要なセカンドメッセンジャーの一つであるサイクリックGMP(cGMP),(2)蛋白質のリン酸化に基づく情報伝達,について新しい蛍光プローブ分子を開発し,蛍光顕微鏡下の生きた単一細胞でこれら情報伝達過程を可視化検出することを目的とする.

[cGMPの蛍光プローブ]cGMPは一酸化窒素(NO)やペプチド性ホルモン刺激により,GTPを基質としてグアニル酸シクラーゼ(GC)により合成され,cGMPホスホジエステラーゼ(PDE)により加水分解される.cGMPの選択的分子認識のため,細胞内でのcGMP結合蛋白質の一つであるcGMP依存性蛋白質リン酸化酵素Iα(PKG Iα)を用いた.PKG IαはcGMPの結合により大きく構造変化することが明らかになっている.この構造変化を蛍光シグナル変化として抽出するために,オワンクラゲ由来の緑色蛍光蛋白質(GFP)の変異体で蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)の優れたドナー・アクセプター蛍光団であるシアン色蛍光蛋白質(CFP)および黄色蛍光蛋白質(YFP)を,PKG IαのN−およびC−末端にそれぞれ遺伝子工学的に連結した(図1a).この融合蛋白質CFP-PKG Iα-YFP(CGY)をコードするcDNAを培養細胞に導入し,cGMPの膜透過性のアナログである8-Br-cGMPでCGY発現細胞を刺激すると,440nmでドナーであるCFPを励起した際のCFPの蛍光(480nm)が減少し,アクセプターであるYFPの蛍光(535nm)が増加した(図2).このことから図1bのようにcGMPのCGYへの結合により,CFPからYFPへのFRETが増加することが分かった.またCFP/YFP蛍光強度比の8-Br-cGMPおよび8-Br-cAMP濃度依存性を図3に示すが,CGYはcGMPに対してcAMPの二桁近い選択性を有したcGMP蛍光プローブ分子であり,かつ生理的なcAMP濃度はCGYの応答を妨害しないことが分かった.次に,生理的アゴニストである一酸化窒素(NO)でヒト胎児腎細胞株(HEK293)を刺激し,細胞内のcGMPイメージングを行った.NOを自発的に発生させるNOドナーとしてNOC-7を加えると,図4のようにCFP/YFP蛍光強度比は急激に減少した後,回復を始めた.しかしcGMPホスホジエステラーゼ(PDE)阻害剤であるzaprinast存在下でNO刺激すると,この蛍光強度比の回復が観察されず,グアニル酸シクラーゼ(GC)阻害剤であるODQ存在下ではNO刺激による蛍光強度比の有意な変化は観察されなかった.このことからCGYはNO刺激によるcGMP産生,およびPDEによるcGMP分解に可逆的に応答することが分かった.またNO濃度依存性を評価すると,NO濃度変化に対してcGMPの濃度は必ずしもパラレルには変化せず,100nM NOC-7で刺激した際には細胞内でのcGMP濃度振動が起こることが見いだされた.この生理的なNO濃度下でのcGMP濃度振動の生理的意義は現在研究中である.本研究でのcGMP蛍光プローブ分子は,細胞内でのcGMP情報伝達の新たな発見・検証のみならず,生体内のcGMP濃度を制御する医薬品の高速スクリーニングにも貢献すると期待される.

[蛋白質リン酸化の蛍光プローブ:Synthetic approach]蛋白質を構成するチロシン・セリン・トレオニン残基のリン酸化は主要な細胞内情報伝達メカニズムの一つであり,細胞増殖・糖代謝など生体内の膨大な細胞機能発現のキーステップである.Synthetic approachの一例として,インスリン受容体による蛋白質リン酸化を蛍光顕微鏡下の生きた細胞で可視化検出するために,図5のような蛍光プローブ分子を設計した.インスリン受容体の細胞内基質蛋白質IRS-1のチロシン−リン酸化部位の一つからなる12残基の合成リン酸化ペプチドpY939と,このリン酸化部位を認識し結合するPI3-kinaseのSH2ドメインを含むSH2N蛋白質を,それぞれテトラメチルローダミン(T)とフルオレセイン(F)で蛍光標識した(T-pY939,F-SH2N).F-SH2N-T-pY939錯体(FRET pair)形成によるドナー蛍光団Fとアクセプター蛍光団Tの相互近接により,蛍光団間にFRETが誘起されることを蛍光スペクトル変化から確認した.500nMのFRET pairに合成リン酸化ペプチドpY939を加えると,ドナーFの蛍光(520nm)とアクセプターTの蛍光(580nm)強度比(Em520/Em580)が増加し,FRETが解消したことから,リン酸化ペプチド濃度依存的にFRET pairが競争的に解離したことが分かった(図6).一方リン酸化していないペプチドY939には応答しなかった.さらに培養細胞より抽出・粗精製したインスリン受容体をインスリン刺激したところ,濃度依存的(10-9〜10-6M)な基質ペプチドY939のリン酸化を,このFRET pairを用いて検出できた(図7).これにより,FRET pairが細胞内環境により近いprotein richなキナーゼ溶液においても十分機能する蛍光プローブであることが分かった.

[蛋白質リン酸化の蛍光プローブ:Genetic approach]有機合成した分子でなく,遺伝子工学的にプローブ分子を設計・合成することにより,マイクロインジェクション等の手段に頼る必要なく,生細胞および動物個体に蛍光プローブを発現させ,その中の情報伝達を可視化することができると期待される.図8のようにGenetic approachに基づいて,蛋白質リン酸化を検出する蛍光プローブ分子phocusを開発した.Phocusは基質ドメインとしてIRSのリン酸化配列(Y941),リン酸化認識ドメインとしてPI3−キナーゼのSH2ドメイン(SH2n)を含み,インスリン受容体がphocus内のチロシン残基をリン酸化すると隣のSH2ドメインがここに結合してphocusに大きな構造変化が起こる.この構造変化をN−およびC−末端に連結したCFPとYFP間のFRETを指標に検出する.図9に今回設計・解析したphocusを示す.まずphocusの基質としての能力を評価するために,培養細胞にphocusをコードするcDNAを導入して蛋白質発現を行わせた後に100nMインスリンで20分間細胞を刺激し,抗−リン酸化チロシン抗体でウエスタンブロッティングを行った.図10aに示すようにphocus-2は細胞内で効率よくリン酸化されるのに対して,phocus-1はほとんどリン酸化されないことが分かった.これはリン酸化配列とSH2ドメインの並べ方の違いで蛍光プローブとインスリン受容体との相互作用に差があることを意味する.蛍光顕微鏡下でイメージングを行ったところ,phocus-2は細胞質と核に存在し(図10b),細胞質のCFP/YFP蛍光強度比は100nMインスリン刺激により大きく減少した(図11).以上のことから,phocus-2はインスリン受容体の優れた基質であり,インスリン受容体によるリン酸化に応答してCFPからYFPへのFRETが増加することが分かった.また図11に示すように核に存在するphocus-2はリン酸化されず,蛍光プレートリーダー等での多細胞同時解析では蛍光強度比変化の感度低下の原因となることが予想された.これに対してphocus-2のC−末端に10アミノ酸程度の核排出シグナル(nes)を連結したphocus-2nesは核には入っていかず(図10b),phocus-2と同様にインスリン刺激によって効率よく蛍光強度比変化することが分かった(図12).また,IRS蛋白質のN−末端に存在するPH-PTBドメインは,細胞内でのインスリン受容体とIRSの選択的相互作用に重要であることが知られているが,phocus-2のN−末端にこのPH-PTBドメインを連結したphocus-2ppは,図11に示すようにphocus-2に比べてリン酸化される速度が速くなることが分かった.本研究ではphocusのリン酸化認識ドメインとしてインスリン情報伝達蛋白質のSH2nを用いたが,その他の細胞内に数多く存在するリン酸化認識ドメイン,あるいは抗体の可変領域(scFv)を用いることにより,蛋白質リン酸化に基づく情報伝達一般に適用可能な方法論として期待される.

図1(a)CFP-PKG Iα-YFP(CGY)融合蛋白質の構造 (b)cGMPの結合によるCGYの構造変化をFRETで検出

図2 1mM8-Br-cGMP刺激によるCFPとYFPの蛍光変化

図3 サイクリックヌクレオチド選択性

図4 NOに対する応答

図5 インスリン受容体によるリン酸化を検出するFRET pairの原理

図6 pY939濃度依存的なFRET pairの解離

図7 FRET pair応答のインスリン濃度依存性

図8 蛋白質リン酸化を検出する蛍光プローブ分子の原理

図9 インスリン受容体によるリン酸化を検出するphocusの構造

図10(a)抗リン酸化チロシン抗体によるウエスタンプロッティング(b)蛍光プローブ発現細胞の蛍光イメージ

図11 100nMインスリン刺激によるCFP/YFP蛍光強度比変化

図12 phocus-2nes応答のインスリン濃度依存性

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は5章から成る.

 第1章は序論であり,本研究の動機と目的が簡潔にまとめられている.まず多くの細胞内情報伝達過程は,Ca2+,cAMP,Zn2+,NOなどの蛍光プローブ分子による細胞内可視化検出を除き,多くは依然として十万個以上の細胞の破壊分析によりなされていることを背景として述べられている.そのことを踏まえ,本研究では(1)主要なセカンドメッセンジャーの一つであるサイクリックGMP(cGMP)(2)蛋白質のリン酸化に基づく情報伝達,について新しい蛍光プローブ分子を開発し,蛍光顕微鏡下の生きた単一細胞でこれら情報伝達過程の可視化検出を目的とすることが述べられている.

 第2章は,細胞内cGMPの可視化蛍光プローブ分子開発について論じている.cGMPの選択的分子認識部位として,cGMPの結合により大きく構造変化をすることが知られるcGMP依存性蛋白質リン酸化酵素Iα(PKG Iα)を用いている.この構造変化を蛍光シグナル変化として抽出するためにオワンクラゲ由来の緑色蛍光蛋白質(GFP)の変異体で蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)の優れたドナー・アクセプター蛍光団であるシアン色蛍光蛋白質(CFP)および黄色蛍光蛋白質(YFP)を,N−およびC−末端にそれぞれ遺伝子工学的に連結している.

 作製したcGMP蛍光プローブ分子は,培養細胞(CHO-K1)内で10-8〜10-3Mの範囲のcGMP濃度変化に応答して,そのFRET信号を変化させることを示した.またcAMPに対して100倍近い選択性を示し,生理的cAMP濃度には妨害されないことを示した.更に,ヒト胎児腎細胞株(HEK293)を用い,一酸化窒素(NO)の刺激によるcGMP産生およびcGMPホスホジエステラーゼによるcGMPの分解に本プローブ分子は可逆的に応答することを示している.またNO濃度変化に対しcGMPは必ずしもパラレルに変化せず,100nM NOC-7(NOドナー)で刺激した際には,細胞内ではcGMP濃度振動が起こることを見出している.

 本研究でのcGMP蛍光プローブ分子は,細胞内でのcGMP情報伝達の新たな発見・検証のみならず,生体内のcGMP濃度を制御する医薬品等の高速スクリーニングにも貢献すると期待される.

 第3章および第4章は蛋白質リン酸化の蛍光プローブの開発に関する研究について述べている.

 第3章では,有機合成を加味したアプローチについて述べている.インスリン受容体の細胞内基質蛋白質IRS-1のチロシンーリン酸化部位の一つからなる12残基の合成リン酸化ペプチドpY939とこのリン酸化部位を認識し結合するPI3−キナーゼのSH2ドメインを含むSH2蛋白質を,それぞれテトラメチルローダミン(T)とフルオレセイン(F)で蛍光標識した(T-pY939,F-SH2N).このF-SH2N−T-pY939錯体(FRET pair)はインスリンの濃度依存的(10-9〜10-6M)な基質ペプチドY939のリン酸化をそのFRET pairの競争的解離を指標に可視化プローブできることを示した.

 第4章は,遺伝子工学的に蛋白質リン酸化を検出する蛍光プローブ分子を開発したことについて述べている.本プローブは,基質ドメインとしてIRSのリン酸化配列(Y941),リン酸化認識ドメインとしてPI3−キナーゼのSH2ドメイン(SH2n)を含み,インスリン受容体が本プローブ内のチロシン残基をリン酸化すると隣のSH2ドメインがここに結合して本プローブ分子に大きな構造変化が起こる.この構造変化をN−およびC−末端に連結したCFPとYFP間のFRETを指標に検出する.ヒトインスリン受容体蛋白を発現させた培養細胞(CHO-HIR)の100nMインスリン刺激により細胞質のCFP/YFP蛍光強度比は大きく減少したことより,本プローブはインスリン受容体の優れた基質であり,インスリン受容体によるリン酸化に応答してCFPからYFPへのFRETが増大することを示した.

 本研究はプローブのリン酸化認識ドメインとしてインスリン情報伝達蛋白質のSH2nを用いたが,その他の細胞内に数多く存在するリン酸化認識ドメイン,あるいは抗体の可変領域(scFv)を用いることにより,蛋白質リン酸化に基づく情報伝達一般に適用可能な方法論として期待される.第5章では総合的結論が述べられている.

 このように本研究は,細胞内情報伝達を可視化する新規蛍光プローブ分子の開発,とくに生細胞内cGMPおよび蛋白質リン酸化の非破壊分析法の開発に関するもので,理学の発展に大きく寄与する成果を収めた.よって博士(理学)取得を目的とする研究として十分であると審査員は全員一致で認めた.なお,本論文は各章の研究が複数の研究者との共同研究であるが,論文提出者が主体となって行ったもので論文提出者の寄与は十分であると判断する.

 したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

蛋白質リン酸化を検出する蛍光プローブ分子の原理

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42851