学位論文要旨



No 215022
著者(漢字) 久保田,義喜
著者(英字)
著者(カナ) クボタ,ヨシキ
標題(和) 協同組合による酪農開発 : インドの経験
標題(洋)
報告番号 215022
報告番号 乙15022
学位授与日 2001.04.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15022号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 谷口,信和
 東京大学 教授 八木,宏典
 東京大学 教授 泉田,洋一
 東京大学 教授 生源寺,眞一
 東京大学 助教授 小田切,徳美
内容要旨 要旨を表示する

1.貧困克服手段としての酪農開発

 途上国においては今日なお農村部の貧困克服は重要な政策課題となっている。インドにおいても同様であるが、それを克服する有効な方法として酪農開発が注目を集めている。貧困問題は基本的には所得の問題であり、所得を如何に確保するか、またそれを如何に引き上げていくかが問題となる。一般に途上国は工業化が遅れており工業の人口吸収力が弱いために農業に依拠せざるを得ない状態にある。ところが農業は過剰就業状況にあり十分な所得を挙げることができない。さらに土地改革が不徹底だったため、基本的な生産手段に欠ける人々が多数存在する。土地を持たない人々は農業生産の主体的な担い手となることができないため、労働力を売ることによってしか生計を維持することができない。しかもインドでは宗教に基ずく差別がそれと重なりあって過剰人口問題を一層深刻にさせている。

 こうした中で所得水準を少しでも引き上げていくためにさまざまな試みがなされてきた。たとえば総合農村開発計画(IRDP)や全国農村雇用計画(NREP)等の開発計画であった。けれどもこれらの計画は失業救済的な性格が強く、農村に農業関連産業を興し農村工業化を進めて過剰人口を吸収していくという発想が弱かった。これに対して酪農開発計画は土地を持たない農民にも牛を飼わせ農村部に酪農企業を興し農村の過剰人口を吸収しようとする計画であった。酪農は一般に農地保有から相対的に自由で、農地を持たなくても牛乳を生産できるという特徴をもっている。牛を共有地(河川敷、共有地)などに放牧したり、雇われた農家での農作業中に得た雑草等を飼料とするなどしてきたのである。また酪農協が組織されている地域ならば県連が製造した濃厚飼料を比較的安い価格で購入することができる。こうして酪農開発計画は農業の所得形成力を高め貧困を克服しようとするもので開発志向型の政策とみることができる。

2.何故協同組合なのか

 酪農開発がインドの農村開発において有効だとしても何故協同組合なのかという点を明確にしておくことが必要である。協同組合でなく企業による開発でもよいと思われるが、これにはインドの独立に至る歴史的経緯があり、たとえ農業開発といえどもそうした時代背景から自由ではあり得なかったからである。つまり、長い植民地支配から脱して国家建設を進める理念として社会主義的な国家運営が求められていたからである。とりわけ農業部門においては協同組合方式による再建が強く求められていた。その結果、加工過程を経る商品作物、綿花や砂糖きび、牛乳などは協同組合部門によって生産加工販売していくことが望ましいとされていたのである。

 一方酪農部門はそうした商品生産作物のなかでも国民にとって基本的な食糧であることから政府が生産販売を直接管理する方式をとってきた。穀類などの統制品目と並んで政府は酪農協から牛乳を一定量を調達し配給する仕組みを作ってきた。しかし、この制度のもとでは政府は農民から買い上げる牛乳の価格を再生産可能なギリギリの低い水準に固定せざるを得ず、そのことが農民との間にトラブルを引き起こす要因となっていた。

 こうした欠陥を是正するため政府は協同組合方式で成功していたグジャラート州のアナンド酪農協県連合会(アムール)の一連の生産販売方式をモデルとしてそれを全国に普及する政策をとったのである。これがOF計画といわれるものである。この方式は牛乳の生産から販売までのすべての過程を協同組合に委ねようとするもので、それに必要な施設等の建設に対しては政府が計画的に援助していこうとするものであった。

 牛乳の加工部門においては当時民族企業が存在しなかったので、外国企業と戦って独自の酪農企業体を設立し運営していた協同組合に政府が注目したのは自然の流れであった。実際この協同組合連合会が事業を進めていた地域では農民の所得水準が向上していたし、農民の牛乳自家消費量も上昇していた。こうしてアムール酪農の方式がインドの農村開発のモデルとして評価され実施されるようになったのである。

3.協同組合系統組織

 OF計画は協同組合系統組織を強化し県レベルの連合会に牛乳の加工施設を建設させ、販売についても責任を持たせるシステムである。地域の状況によっては郡レベルでも可能であるが施設の効率的な運営という面からは県レベルに置いた方がより効率的である。協同組合方式をとった場合でも砂糖きびのように郡レベルに施設を建設し県段階に連合会を持たないケースがある。それは砂糖きびの場合、出荷する単位がまとまった場合かなりの重量になるから遠くまで運搬するとロスが発生する。従って加工工場は産地密着型とならざるを得ない。

 これに対して牛乳の場合は砂糖きび以上に鮮度が重視される商品のため、牛乳の加工工場はなるべく消費地に近い方が望ましい。けれども生産地から工場が遠くなるとそれだけ鮮度を落とすことになってしまう。そこで一般的にとられているのが最終加工工場までの中間点にクーラー・ステイションを設け牛乳を一時冷却して工場へ輸送するシステムの建設である。この施設を産地に数多く建設すれは最終加工施設は産地から遠く離れた都市部に設置してもよいことになる。

 他方インドの村は小規模だから村単位から酪農協同組合を組織していくと県レベルでは膨大な数となってしまう。通常1000程度の村単協が構成員となることが多い。これだけ多数の組合を日々管理していくことは大変高度な行政手腕が求められる。

4.酪農開発の課題

 酪農開発が貧困克服に有効な手段であることが明らかにされたが、克服されなければならない問題も多い。

 1)低い生産水準

 現在搾乳されている牛は水牛と乳用牛であるが、今日の生産乳量水準は乳用牛で年間1,100kg、水牛で1,400kg程度と考えられる。西欧諸国の乳牛1頭当たりの生産量が8,000kgを越える状況からするときわめて低いといわざるをえない。これには栄養価の高い濃厚飼料などが十分に給与されないことや乳用牛を農耕用に利用しているため雄牛を確保することが優先されて牛乳生産が副産物と位置づけられていることなどが作用していると考えられる。そのため搾乳する牛を水牛にしたり乳用牛の品種改良を進めていくことが必要であろう。

 2)系統組織への販売

 農家は酪農協の組合員であっても現金が欲しいために庭先まで牛乳を集めに来る業者に販売してしまう。系統組織は期間プール方式で価額を支払っているが、日々現金を支払える体制をつくっていくことが必要であるし、酪農協も支払期間をできるかぎり短縮していく努力が必要であろう。

 3)州連合会の役割

 牛乳の加工販売事業は県連の仕事であるが、これが十分機能するためには村レベルの単協が県連に結集していくことが重要である。けれどもマハラシュトラ州に見られるように郡連の組織がまだ残っていてOF計画が求める体制となっていない。そのため県連の事業規模は拡大できないし加工事業も加工度が高く、付加価値の高い乳製品の加工ができない。また配合飼料の供給や獣医サービスなども十分にできないし、総じて販売活動は低水準に置かれており、輸出をも視野においた販売戦略が立てられない状態にある。牛乳の生産加工販売事業はできる限り県連に委ね州連合会は県連間の調整を図るなどもっと中央会としての指導的な活動に力を注ぐべきであろう。

審査要旨 要旨を表示する

 インドは中国に次ぐ人口超大国である。一人っ子政策の影響で中国の人口増加率がインドの1/2程度に止まっていることから、このままの状態で推移すれば、2040年までにはインドが中国を追い越して、世界の人口最多国になる可能性が存在している。したがって、インドの経済と農業発展のありかたは、一方で21世紀の世界食料問題の帰趨を制する重要な要素になるとともに、他方で開発途上国における農村開発の有力なモデルを提供することになるといってよいであろう。

 本論文はこうしたインドにおける望ましい農村開発の方式を、協同組合方式による酪農開発ととらえ、その最先進地であるグジャラート州とマハシュトラ州を対象として、個別農業経営のレベルから、単位酪農協を経て、県連合会、州連合会組織に至るまでを詳細に検討したものである。

 これまでアジアにおける農村開発方式として注目されてきたのは、いうまでもなく「緑の革命」であるが、そこでは潅漑設備の整備、農薬・化学肥料の十分な投与が前提条件となっていて、これらに恵まれない地域への普及という点では難点を抱えていた。インドでは1980年代に入ると「緑の革命」によって穀物の自給が一応達成され、農業生産の重点が牛乳や卵などの酪農・畜産に移るとともに、発展の遅れた地域での農業開発の必要性が認識され、これに対応して編み出されたのがOperation Flood Planとよばれる酪農開発計画であった(序章)。

 インドはヴェジタリアンの国であって、肉食が行われないことから、畜産物として牛乳が特別に重要な地位を占めている(牛肉などは輪出されている)。他方で、土地改革が不徹底だったため、土地なし農民層を大量に抱えているが、彼らでも共有地(河川敷など)への放牧や雇用期間中に得られた雑草の利用によって牛の飼育が可能であるという特徴を有している。また、土地所有農民も概して零細であり、乳用牛を役牛としても使用する段階にあって、飼育数が数頭規模に止まり、自家消費が多く、商品化率は5割程度にすぎないのが実情である(第1−3章)。

 したがって、こうした消費・生産構造の特徴に規定され、「緑の革命」(穀物)から「白い革命」(牛乳)への移行にあたっては、協同組合方式の意義が高く評価され、グジャラート州のアナンド酪農協県連合会の生産販売方式をモデルとして全国に普及するOF計画が採用されることになったのである。政府は牛乳の生産から加工・販売までの全ての過程を協同組合に委ね、必要な施設の建設の援助などの後方支援に徹するというものである(第4章)。

 単位酪農協は主として村レベルに組織され、供給組合の性格をもつ。以前は半径25km程度の郡レベルで集乳し、加工することが望ましいとされてきたが、今日ではクーラーステーションを中間点におき、県レベルで加工施設を設け、加工・販売するとともに、人工授精・獣医サービスを行う方式が一般化しつつある(第5、6章)。なお、州連合会は30州のうち、6州で結成されているにすぎず、グジャラート州を除けば、県連間の調整といった本来の機能を果たしているものはなく、組織化と事業内容の明確化が遅れている(終章)。

 確かに、一方ではカースト制度の壁によって広範な農民層が協同組合に結集することが妨げられ、経済団体たる協同組合が政治的な介入によって効率的な運営を行いえない現実が存在している。また、他方では90年代初頭からの規制緩和・自由化の動きが強化される中で協同組合の存立基盤が揺らぎつつあり、酪農開発方式が転機に立たされているのが今日的状況である。しかし、酪農開発方式によって、インドの農村が着実に発展してきたことも事実であり、その全体像を示したところに本論文の意義があるといえよう。

 以上のように、本論文はこれまでの開発途上国農業研究に新たな一石を投じたものであり、理論上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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