学位論文要旨



No 215025
著者(漢字) 深水,義之
著者(英字)
著者(カナ) フコウズ,ヨシユキ
標題(和) 図形認知モデルの構築と橋梁への応用に関する基礎的研究
標題(洋)
報告番号 215025
報告番号 乙15025
学位授与日 2001.04.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15025号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 篠原,修
 東京大学 教授 藤野,陽三
 東京大学 教授 安岡,善文
 東京大学 助教授 天野,光一
 東京大学 講師 石井,信行
内容要旨 要旨を表示する

 景観デザインを考える対象としての橋梁の設計寿命は100年以上に及ぶ。この間、橋梁のデザインがそれにかかわる人々のみならず一般市民からも評価され続けるためには、時間や空間の変化を越えて普遍的な評価に耐え得るデザインが要求される。しかも景観問題となると、景観は存在が常に一つしかなく、その景観にかかわる人々には景観を選択することはできないし、その地に最適で個性的であることも必要である。こうしたことを踏まえて景観デザインには普遍性が要求される。ところで、世に名橋といわれ残存している幾つかの橋梁は、千古不変の美しさが評価されている。時には損壊しても、再生されることが多い。こうした事実を踏まえると景観デザインにはデザインの普遍性が存在し、その存在の必要性を考えると共にそれを生み出すことが可能ではないかと考える。すなわち、デザインは「感性」の産物であるに加えて、更に時代を越えて十分に評価が得られるための設計の基本となる何かが存在する。それを表すものを解明する必要性に気がついた。人は「感性」を持つと同時に一方では「感覚」を持つ。感性は時代の変化に対応するが、ヒトの感覚あるいは視知覚現象は時代と共に変化することは考えられない。Time variant(時変関数)である「感性」と、Time invariant(時不変関数)である「視知覚」を考察すると、この両者を組み合わせて景観デザインを考え、特にTime invariantの要素を解明してみることの必要性に気がついた。換言するならば、「感性の世界」には時不変のセオリーは無いが「視知覚の世界」には時不変のセオリーが存在する。この「視知覚の世界」に存在する時不変のセオリーを用いて景観予測のセオリーを創り出すことが、普遍性のあるデザインを創造する基本の論理になることに着眼した。

 以上のような観点から本論文では、その「視知覚の世界」に存在する時不変のセオリーを構築し、その有効性を立証して景観設計の根拠と基盤を得ようとしたものである。

 本論文は6章から成り立っている。以下に各章の論点と概要を記す。

 第1章では、「序論」として研究の目的、研究を進める上で景観という立場で考えた心理ポテンシャルの位置付け、特に本研究で着眼した点、及び本論文の構成について述べている。

 第2章では、まず時不変のセオリーとして、横瀬の「場の理論」の検討からはじめた。心理ポテンシャルという偉大な発見を行った「場の理論」は当初魅力のある理論と見えた。しかし、横瀬の理論式を用いて計算を行った結果、横瀬の実験値とまったく異なるデータが現れた。そこで、理論式に問題があるのか、実験値に問題があるのかを検討することにする。更に2径間連続桁橋の理論式に基づくポテンシャル解析を行ったが、デザインを評価するには余りにもラフデータであり過ぎることも理解された。この時点で、横瀬の理論式を用いてデザインの評価を行うことに危惧を覚えた。

 そこでまず実験に着手した。実験を行うに当たり、装置と環境には極めて慎重に配慮した。目的が心理学の原理を探究することでなく、工学的に応用可能な基礎資料として精密さ、厳密さ、再現性の高い実験結果を得ることを目標としたからである。

 実験の結果、心理ポテンシャルは確かに存在したが、横瀬のデータとはまったく異なるものが出現する。横瀬の実験結果よりも心理ポテンシャルは、図形の近傍にしか存在せず、更にビオ・サバールの法則に基づく理論式の計算結果とも、全く異なる結果が生じた。ここで横瀬の理論式も実験結果も否定せざるを得ず、新たなより精密なモデルの構築を考察する。

 横瀬の採用したビオ・サバールの法則は、磁界を定義するものであったが、心理物理同形説に則りスカラーポテンシャルを定義する静電界を流用し、筆者の実験結果を踏まえて近似式の構築が可能かどうか検討する。まずラプラスの微分方程式を採用し、種々の図形について解析をする。その結果幾つかの実験値とは相違する結果が出てきて、この計算法では不十分と判定する。次いで、ポアッソンの微分方程式を用いて、計算を行った結果、これも不十分な結果を得る。結局、2方法とも候補として提案することはできないと判断した。心理現象を的確に表現する物理モデルは存在しなかった。

 第3章では、研究方針を基本的に変え、神経生理学的測定の結果を利用して捉えるモデルの構築を思考する。これを生理学モデルと称する。これに対して、視覚系の各部を合目的的な部品と考え、その一連のシステムが一つの結果を生み出すという工学的立場が考えられる。これを生体工学的モデルと称する。こうしたことを踏まえて、神経生理学的事実から心理現象を引き出す立場に立つと、この現象を単純に示すものが側抑制回路である。これに着眼し、側抑制モデルF(0)を構築、閾値の再現性にも有効であり、実験結果とも整合性の高いことの立証を得る。すでに藤井・森田がこの側抑制モデルを用いて計算を行っていたが、結合係数の設定に問題があり、筆者は実験からこの結合係数を求めF(0)式の構築に成功する。次いでF(0)式は、網膜及び外側膝状体に至る比較的簡単なモデルであるため、視覚系全体を視野に置くF(1)の構築を目指す。その中では多くの側抑制が働いていて、種々の異なる特性を持つ。それを計算上一つの側抑制に近似する。更に現象的立場から検討を加え、視空間の異方性、図形線幅と空間周波数特性、実験環境の一般化、網膜神経密度、図形濃度など各現象を表す関数を加えることにより、F(0)の補正を行いF(1)を構築する。本研究ではコントラスト強調現象による輝度上昇を測定する心理実験の結果を基に、異方向性モデル表現を提案し、諸パラメータを決定した。このモデルは種々の対象図形に対して、広い条件の基で、心理実験を高精度に近似することができた。

 第4章では、視空間伝達特性モデルの有効性を検討する。ところで,筆者は横瀬の命名した心理ポテンシャルという名称を用いてきたが、この章から名称を心理生理ポテンシャル(psychophysiologic potential)と変更する。今までの研究を背景に心理生理ポテンシャルの応用研究として、定量的把握が可能な錯視を取り上げ、橋梁の景観デザインにおける検討を行う。具体的には、アーチ橋のアーチライズ比の錯視を心理学の常道プロセスである調整法で検討した。実験するまでは、アーチ橋のアーチライズ比に錯視が生じているとは全く意識がなかったが、アーチ部と桁部との組み合わせによる互いの図形の影響が、錯視を生ぜしめていることが理解できる。アーチは橋梁では三心円、放物線、円の3種類が代表的であるが、このうち三心円アーチではほとんど見誤りはなかった。放物線、円のアーチについては、アーチ部と桁が接したり、重なったりする上路橋の2点のみアーチライズ比に過小視が生じているが、他のレイアウトでは過大視が生じていることが理解される。またライズ比が緩くなるに従って見誤り率が上昇する傾向にあった。こうしたデータ結果を踏まえて、視空間伝達特性モデルによる検討を行う。計算結果では、アーチ部と桁が互いに影響する状況になると心理生理ポテンシャル値が上昇する傾向にあり、両者が接したり重なったり一体となると、心理生理ポテンシャルの布置状況が全く異なる状況を呈し、これからただちに結論を引き出す状態ではない。多くのデータの積み重ねが法則性を生み出すものと考える。ただし、心理生理ポテンシャル値がこうしたTime invariant design principleの何かを表示してくる可能性は非常に高いことは理解される。

 次いで、斜張橋の塔の高さについての錯視量を定量化する検討を行う。斜張橋の塔の高さについては、水平垂直錯視図形とミューラー・リヤーの錯視図形との合成による錯視図形と位置付けられる。こうした錯視の考え方を用いて、塔の高さについて定量的な把握を目指すものである。すでにミューラー・リヤーの錯視図形の定量化は検討済であるので、この図形を縦位置に変更しこの状態から検討を始めた。次いでこの錯視図形を二分して傘状の錯視図形の検討を行う。更に斜張橋の桁に当たる横線を組み合わせて、一層斜張橋に近い図形の検討を行う。最後にこの桁を延長し、ケーブルを細くし(これまでの検討図形はケーブルの線の太さは桁の太さと同一であった)、斜張橋の基本的な形状を想定して、その塔の錯視量を定量化する検討で結論を得た。結果では110%の過大視が生じていることが判明する。今後の検討を要するが、設計時に塔の高さを矯正する必要が、今後出てくる可能性は大である。アーチ橋、斜張橋の錯視量の定量化を検討した結果、こうした錯視量を心理生理ポテンシャル値から推測する方法が考えられることも判明する。

 第5章では、有効性を立場を変えて検討し、視覚的に理解し易く且「地」に心理生理ポテンシャルが振る舞う状況から、デザインの問題を解決することが可能な方法を検討する。特にAlamillo橋の検討では、極めて率直で明快なデータが生じ、今後に大いに期待のできる状況が理解される。

 以上のように、本研究はTime invariant design principleを発見するための手法として横瀬の理論の応用から検討をはじめたが、横瀬理論に問題が発見され、それに変わる理論式の構築を目指した。その結果、大変有効な理論式を構築し、更にその理論式のデザイン予測の為の有効性も検討して、今後、この方法を進めるならば、景観デザインの質を高める方法として、極めて効果の高い方法であることを発見した。第6章では、各章で明らかにされた内容を項目毎にまとめ、研究成果を総合的に述べている。また今後の課題として、更に一層理論式の充実、有効性の具体的なデータ化、例えば世の名橋の心理生理ポテンシャルの解析によるポテンシャルの布置状況の法則性の発見など、設計資料の根拠を得ることが必要であることなどを述べて結びとしている。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は時間の評価に耐える橋梁の景観デザインを検討する立場から、時不変関数である視知覚の構造を究明し、景観評価の普遍的セオリーの構築を目的としている。まず第一に心理生理学的によく知られた視覚の側抑制現象を、精密な心理実験に基づく予測理論として定式化している。次に、この成果を用い、橋梁の基本形における錯視量をミューラー・リヤーの錯視量とその変形について定量的に予測し、心理実験結果との間に見事な一致を得ている。デザインの世界において視知覚の心理生理学的理論を構築した本論文の科学的アプローチは他に類を見ない大きな特徴である。

 本論文は6章からなる。第1章は序論として研究の目的、特に研究の手がかりとなった心理ポテンシャルの位置付けと本研究の着眼点、及び本論文の構成を述べている。

 第2章では古典的な横瀬の「場の理論」(図形の周辺のコントラスト強調現象)の実験的、理論的検討を行っている。この厳密な実験に基づく検討の結果、横瀬の引用したビオ・サバールの法則は成立せず、次の候補として静電界理論の流用を試みている。結果は、場が等質場のラプラスの微分方程式による解析でも、また非等質場のポアッソンの微分方程式による解析でも実験値との一致を見なかったことを検証している。

 第3章では、方針を変えて、神経生理学的知見に基づいて生体工学モデルを構築し、理論構築の手がかりとして視覚現象における側抑制モデルを考察している。既知の藤井・森田の側抑制モデルでは実験値と一致しなかった為、0次近似モデルとして実験結果からモデルを説明するに足る結合係数の4定数を求ている。この近似理論式をF(0)式と呼び、次いで視覚の異方性、図形の線幅と空間周波数特性、網膜の視神経密度、図形の濃淡、さらに実験条件の一般化などの諸要素を1枚のフィルターに置き換えた側抑制モデルF(1)式を構築し、同時に、F(1)式に付随する各種実験条件に従って変動する諸パラメータも決定している。このモデルは種々の対象図形に対し、広い条件のもとで図形周辺のコントラスト強調現象を高精度に記述でき、かつ再現性が極めて高く予測理論として極めて有効であることと結論づけている。

 第4章ではF(1)式によって記述される新しい心理生理ポテンシャルの橋梁の景観デザインへの工学的応用の有効性を実験的に検討している。その第1実験ではアーチ橋のアーチライズ比の錯視現象を調整法で観測している。実験のアーチは三心円、放物線、円の3種である。結果は三心円ではアーチの見誤りは観測されず、しかし、放物線、円ではアーチ部と桁が重なった時の上路橋のみ過小視が起き、他は過大視が起きるとする。この実験結果とF(1)式による解析結果の心理生理ポテンシャルの配置分布との相関関係を直ちに論ずることは困難であるが、より多くの実験によって法則化が期待されるとする。次の第2実験ではミューラー・リヤー錯視図形を一対比較法による加算則の成立する心理尺度による実験的錯視量の解析を行い、一方F(1)式によって表される心理生理ポテンシャルの最大値との関連を検討している。ミューラー・リヤーの錯視では図形を二分して縦型に変形して傘状の錯視図形(斜張橋の原型)の検討をしている。この原型から斜張橋図形とその塔の錯視量を検討した結果、110%の過大視(錯視)が実験的、定量的に記述でき、一方、この錯視量をF(1)式で理論的に精密に予測し説明し得ると結論づける。

 第5章では著名なAlamillo橋を解析し、F(1)式の有効性を示している。

 第6章では結論を述べている。

 以上、橋梁の景観デザインにおいて時不変関数である人間の「感覚」に基づくデザイン指針を獲得しようとする本研究の方法論は評価に値し、この指針から厳密な心理実験に基づいて構築した視知覚に関する新理論式は、その誘導アルゴリズムと、誘導過程の厳密さを基にきわめて汎用性の高いものと評価できる。更に各種の綿密で巧妙な心理実験の結果は、数学的解析に耐えうる高いレベルを持つ。心理実験の巧みさと、理論式展開のアルゴリズムの確実さによって人間の感覚を取り扱い、景観デザインの分野に有益な新知見を与えたことは高く評価できる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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