学位論文要旨



No 215033
著者(漢字) コトリアロフ,ユーリー
著者(英字) KOTLIAROV,YURI
著者(カナ) コトリアロフ,ユーリー
標題(和) 位相幾何学的な手法による結晶データベースの活用と品質管理 : ペロプスカイト系銅酸化物を例題として
標題(洋) Utilization and Quality Control of Crystallographic Databases by Topological Approaches : Perovskite-Related Copper-Oxides as a Case Study
報告番号 215033
報告番号 乙15033
学位授与日 2001.04.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15033号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩田,修一
 東京大学 教授 山脇,道夫
 東京大学 教授 大橋,弘忠
 東京大学 教授 寺井,隆幸
 東京大学 教授 関村,直人
 東京大学 教授 小林,昭子
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

 本研究は、結晶構造データのライフサイクルの中に現れる幾つかの研究分野において、「活用」と「品質管理」の二つの分野に主に焦点をあてたものである。前者のデータの「活用」では、単純な質問要求によってデータベースからデータを検索するだけでなく、データ間の深い関係を注意深く調べ、それらの関係と新たな知識から、新たな意味論を推測するための種々の手法を結合させる。その過程は、データマイニングや知識発見のための研究として知られている。

 結晶構造の多様性、それらの比較や分類の難しさは、データの活用を効果の無い不明瞭なものとしてしまう。それ故、結晶構造の記述に関する新たなアプローチを、構造の本質に対する僅かな変換による影響を防ぎながら、開発しなければならない。

 このような目的に対し、本研究は結晶構造と構造基本単位に焦点をあてる。2次元的な層の積み重ねとして表現される層順列を一般的な結晶学的情報に加えて解析するが、ペロブスカイト関連構造を持つ銅酸化物系においてその順列には規則性が隠されている。その化合物系の多くは高温超電導体であり、そこで示された構造規則性は、他の研究者のこれからの実験的・理論的研究に大きな影響を与えると期待される。

 しなしながら、真に信頼できる情報は品質のよいデータからのみ引き出される。データの品質をチェックするための先進的で自動化された手法を用意するのが重要であり、さらにそれは熟練者が規則原理に基づき再検査や更新を行うべきである。本著者は、データの品質管理もデータのライフサイクルに対する重要な研究分野であると考える。幾何学的に切断されたトポロジーを持つような誤った結晶構造を決定する、グラフ理論に基づいた方法を提案する。

2.層単位による結晶構造の記述とその応用

 知られている全てのペロブスカイト関連構造は、実際、異なる構造的要素の積み重ねとして導くことができる。この要素は、ペロブスカイト(図1)や岩塩型ブロック、または金属−酸素層である。化学的組成が既知であるとすれば、層構造は、層内の原子配置と、単位格子における特定の結晶学的方向に沿った層の順列として記述することができる。

 このような型の基本格子は、a,b=3.8〜4.2Aの格子パラメータを持ったCuO2組成の平面的なネットワークである。このような短い格子パラメータでは、CuO2に見合った可能な陽イオン−陰イオン格子の(種類の)数は限られている。単純化するために、一般的な原子位置を次のように記述する。A:比較的大きな陽イオンの位置。(通常そのイオン半径rAは、rA>0.9A。)B:小さいもしくは中間的な大きさを持つ陽イオンの位置。x:陰イオンの位置。また、下付きの添え字{o,c,x,y}で座標原点からの相対的な(層内)並進ベクトルを表すことにする。それぞれの添え字の定義はo=(0,0);c=(1/2,1/2);x=(1/2,0);y=(0,1/2)である。さらに単純化するために、個々のパターンを数字で表す。この数字自身は原子配置を記述していないが、パターンの研究を簡単化するためには重要である。図2にペロブスカイト関連化合物に可能な原子ネットワークの模式図を示す。

 この符号化をCaTiO3(図1)のペロブスカイト構造に適用すると、順列[(BX2)o(AX)c]が得られる。ここでAはCa、BはTi、XはOである。さらに単純化された表現は、1o5cである。銅酸化物系の2番目の主構成ブロックである岩塩構造は、[(AX)o(AX)c]または5o5cと記述される。

 ここで提案したアプローチは、膨大な量の物質データから、ある特定されたデータを得ることを目的としている。このアプローチを用いる際にあらかじめ必要な条件、既存の手法に対する優位性、データ活用のための高度な手法の開発に対する制限と可能性、といったこれらに対する議論を、無機結晶構造データベース(ICSD)[1]から引き出したデータの解析に基づいて行うち。引き出したデータから層順列の自動生成を行うプログラムはC言語およびSgInfoルーチンライブラリ[2]を用いて作成した。

 銅酸化化合物の層構造に関係したこれまでの研究[3-5]では、特性に関する記述を有し、主たる構造構成ブロックを分解しこれらの化合物に共通した結晶学的特徴を明らかにするためにこのモデルを用いていた。本著者は、本研究において、類似ではあるが異なる結晶構造を持つ化合物系の探索に対し、層による記述の適用を先進的なデータマイニングの方法として初めて提案した。ある研究者が、同族の系列元素を含んだものや固溶体、派生構造等の類似構造をもつ化合物を見つけようとする場合、単位格子の対称性に基づくスタンダードな原理は大して役に立たない。加えて本研究では、これらの興味深い物質の分類と設計のための、可能な新しい手法の適用を提案する。

3.結晶学的データ品質管理へのグラフ理論の応用

 上に述べた層間の距離の解析から、データベース中に幾つかの誤りを発見した。そこでは互いの層が非現実的なほどの大きなギャップを形成して離れている。(図3)このように、層を用いた方法は、結晶構造データベースの品質管理の遂行を簡単なものにしている。しかし、この構造中のギャップは大雑把にしか吟味できない。なぜなら、層間距離は原子間距離より短く、原子間の実際の結合を反映していないからである。本研究で開発したもうひとつの方法は、結晶構造をグラフ理論により記述し、データの品質管理をさらに改善することができるというものである。これにより、上で述べた不利を克服することができる。ここで提案する方法は、位相幾何学的アプローチによる利便性により、どんな結晶構造に対してもその管理を行うことができる強力なツールとなっている。

 全ての結晶構造は、頂点(=原子)とそれらを繋ぐ(稜)線(=原子間の結合)とで表される位相幾何学的グラフとして記述できる。そのようなグラフは空間的な原子配置や対称性の情報を失うが、原子間の結合を数学的に表現できる。これに基づき、位相幾何学を用いた新しいアプローチを、切断構造探知のための普遍的で新しい方法の開発に用いた。

 二つの原子が、あらかじめ決められたある臨界距離dcより短い距離dijで結合していたとする。原子のペア全ての間でそれらを繋ぐ経路が存在していれば、この構造グラフは「結合している」と呼ばれる。結合の基準となるdcは、切断したグラフが、誤った(切断されている)構造を意味するように決められる。

 新たな手法における重要なステップは、グラフの構築の基準となる適切な距離の選択であり、これは本研究で議論される。この目的のため、最大切断距離(MDD)を、結合構造を導くdcの最小値として定義する。この研究における重要な作業は、MDDの分布を調べることであった。(図4)

4.結論

 構造情報を扱う既に確立したアプローチに加え、本論文は、物質世界の持つ高いポテンシャルから新たな観点を導くための新しいアプローチを提案する。その主たる優位性は、結晶構造の対称性よりも空間内の原子間の関係を記述している点であり、それらの対称性とは独立に複数の類似構造を同時に扱える可能性を示している。伝統的な手法と結び付けられた先進的なデータマイニングに向けたこのアプローチの適用は、物質研究に携わる我々に新たな機会を与えてくれるであろう。

5.参考文献

1)Bergerhoff G,Hundt R,Sievers R,Brown ID.J.Chem.Inf.Comput.Sci.,1983;23:66-69.

2)Grosse-Kunstleve RW.SgInfo:http://www.kristall.ethz.ch/LFK/software/sginfo/

3)Santoro A,Beech F.Physica C,1988,156:693-700.

4)Poole CP,Datta T,Farach HA.J.Superconductivity,1989,2:369-386.

5)Solodovnikov S.Problem of Crystallochemical Design of Superconducting Oxides. Preprint of Institute of Inorganic Chemistry,Novosibirsk,1990,15-22(in Russian).

図1.ABO3型ペロブスカイト構造の模式図

図2.ペロブスカイト関連化合物に可能な原子ネットワーク。

添え字の"*"は実存する層の型を示している。

図3.切断されている結晶構造の例:a)Tl1.5Ca2Ba2Cu2.10O8.8(collection code 71342)b)YbBa2Cu3O6.952(collection code 67645)

図4.ペロブスカイト関連構造における最大切断距離(MDD)の分布。 約2,300個のペロブスカイト関連構造をICSDから引き出し、層順列による記述とグラフ理論を用いて解析を行った。最大切断距離、さらにそれと元素のイオン半径との関係を解析した。我々の定義に基づくと誤りであるとされる八つの切断構造がICSD内に発見された。これら八つの項目は結晶構造データの品質に対する伝統的な検査では認識されておらず、この新たなアプローチが強力であることを示している。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、結晶構造データベース構築と活用の両面において重要な情報処理である「新たな知識の抽出」と「品質管理」の二つの過程に焦点をあて、位相幾何学的な手法の適用して新しい知識の発見とこれまで見逃して来た過誤の抽出を試みたものである。前者のデータの「新たな知識の抽出」に関しては、単純な質問要求によってデータベースからデータを検索するだけでなく構造と特性の相関に着目してデータ間の深い関係を注意深く調べ、材料開発の指針となる知識の発見を試みたものである。一方、後者の「品質管理」に関しては、位相幾何学的なアプローチにより幾何学的に切断されたトポロジーを持つような誤った結晶構造を抽出する方法を開発し、結晶データベースの品質を高めることを可能としている。

 論文は8章から構成される。第1章は序論であり、材料設計、結晶構造データ取り扱いについての概要と、研究の動機となった酸化物高温超伝導材料を例に上記の研究目的を設定している。第2章は、低次元物質系の構造記述についての一般論と結晶構造の多様性とそれらの比較や分類の難しさについて論じ、結晶構造の記述に関連して、構造の本質に対する僅かな変換による影響を防ぐ新たなアプローチとして位相幾何学的な特徴の記述を考え、結晶構造と構造基本単位に焦点をあて2次元的な層の積み重ねとして表現される層順列を一般的な結晶学的情報に加えて解析する手法を提案している。特に、ペロブスカイト関連構造を持つ銅酸化物系においてその順列には規則性が隠されているが、化学的組成が既知であるとすれば層構造は層内の原子配置と単位格子における特定の結晶学的方向に沿った層の順列として記述され、そこで示された構造規則性と高温超伝導体の材料開発指針について論じている。

 第3章〜第5章では、無機結晶構造データベースを例題としたプログラム開発と実装、予備的な結晶構造解析結果について説明し、酸化物高温超伝導材料の材料設計への適用について論述している。開発したプログラムは、空間群の対称性についての取り扱いをするための標準ライブラリであるSgInfoに上記の位相幾何学的な特徴を抽出するための機能を追加したもので、無機結晶構造データベースとしては市販のICSDを選び、そのデータ解析を行っている。これまでの構造−特性相関に関する類似の研究では、主に要素分解した構造の結晶学的特徴と特性との相関を明らかにすることに着目していたが、この場合研究者が同族の系列元素を含んだ物質や固溶体、派生構造等の類似構造をもつ化合物を見つけようとすると、単位格子の対称性に基づく標準的な原理は大して役に立たない。本研究では銅酸化物の層構造に関係して低次元物質系の構造要素間の特徴に着目し、類似ではあるが異なる結晶構造を持つ化合物系の探索に対し、層順列の比較分類を行う先進的なデータマイニング手法を初めて実装した。本手法により膨大な結晶構造データから類似の物質を抽出することが極めて容易になることがわかり、また、層間の距離の解析からデータベース中に互いの層が非現実的なほどの大きなギャップを形成して離れている幾つかの誤りを発見した。このように、層を用いた方法は、結晶構造データベースの品質管理の遂行を簡単なものにしている。

 第6章は、層関係の記述の一般化と品質管理への適用について述べている。上述の層記述は、層間距離が原子間距離より短く、原子間の実際の結合を反映していない構造中のギャップについては大雑把にしか吟味できないため、結晶構造をグラフ理論により記述し、データの品質管理をさらに改善することを試みた。つまり、全ての結晶構造を、頂点(=原子)とそれらを繋ぐ(稜)線(=原子間の結合)とで表される位相幾何学的グラフにより表現することにより、空間的な原子配置や対称性の情報を失うが原子間の結合を数学的に表現できるため、どんな結晶構造に対してもその管理を行うことができる強力なツールを開発している。新たな手法における重要なステップは、グラフの構築の基準となる適切な距離の選択であり、この目的のため、最大切断距離(MDD)をグラフの結合構造を導く距離の最小値として定義する。この研究における重要な作業はMDDの分布を調べることであるが、結晶構造データベースは構造解析プログラムと組み合わせることにより自己説明的にそうした基準を与えている。

 第7章は以上の結果を基にした知識の構造化についての議論であり、第8章は位相幾何学的な記述による新たな手法の導入の効果として結論をまとめている。

 以上のように本研究は、データベースの活用の要件となるデータ抽出と品質管理のための新しい方法を提示し、情報システムのライフサイクルを成立させるための基盤技術を開発した点で、人工物工学に寄与するところが少なくない。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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