学位論文要旨



No 215038
著者(漢字) 寺内,康夫
著者(英字)
著者(カナ) テラウチ,ヤスオ
標題(和) 発生工学を用いた2型糖尿病発症の分子機構の解明 : グルコキナーゼ欠損マウス,グルコキナーゼ・インスリン受容体基質−1ダブル欠損マウスの解析
標題(洋)
報告番号 215038
報告番号 乙15038
学位授与日 2001.04.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第15038号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 脊山,洋右
 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 五十嵐,徹也
 東京大学 講師 橋本,佳明
内容要旨 要旨を表示する

 糖尿病は膵β細胞の破壊性病変でインスワンの欠乏が生じることによっておこる1型糖尿病と、特定の機序・疾患による糖尿病(膵β細胞機能に関わる遺伝子異常が同定されているものや膵外分泌疾患に伴うものなど)、妊娠糖尿病、及びそれ以外の2型糖尿病に大別される。2型糖尿病は日本人の糖尿病の95%以上を占め、インスリン分泌不全、インスリン抵抗性などの遺伝因子と肥満、過食、運動不足などの環境因子(生活習慣)が重なって発症する多因子病と考えられる。多因子病としての2型糖尿病の分子機構の解明には、個々の遺伝子の異常やその組合せが個体にどのような遺伝的感受性を形成し、どのような環境要因の負荷が加わって糖尿病が発症するかという全体像を明らかにすることが大切である。この点で、計画的な遺伝子のかけ合わせは人では不可能であり、個々の糖尿病候補遺伝子の欠損マウスを作製することにより遺伝因子の明確なインスリン分泌不全やインスリン抵抗性の動物モデルを樹立したり、またそれらのかけ合わせや環境因子の負荷を行いヒト糖尿病を再構成したりすることにより、糖尿病の発症過程や分子機構を解明するというアプローチが有効と考えられる。

 膵β細胞はさまざまな刺激に反応してインスリンを分泌する。糖輸送担体を介してβ細胞内に取り込まれたグルコースは、解糖系の一番最初に位置する酵素 グルコキナーゼによりリン酸化され、グルコース−6リン酸になる。グルコースに対するKmが生理的濃度であることから、膵β細胞においてグルコース濃度依存性にインスリンを分泌する際にグルコースセンサーとして働き,インスリン分泌に重要な役割を果していると考えられている。グルコキナーゼには主に膵β細胞で発現している膵β細胞型と、主に肝臓で発現している肝型の2つのアイソフォームが存在する。これらのアイソフォームは第1エクソンが異なり、alternative splicingによる発現制御がなされている。若年発症成人型糖尿病(Maturity-onset diabetes of the young:MODY)で様々な人種において同定された遺伝子変異は両者の共通領域に限られており、糖尿病の発症にあたりインスリン分泌不全とインスリン抵抗性がどの程度寄与しているのか不明であった。また今までに同定された変異はすべてヘテロ異常であり、ホモ欠損状態でどのような表現型となるかも興味がもたれた。グルコキナーゼがインスリン分泌においてグルコースセンサーとして働いていることを直接的に証明し、インスリン分泌不全を持つ糖尿病モデル動物を作製するために、グルコキナーゼを膵β細胞で特異的に欠損するマウスを世界に先駆けて樹立した。グルコキナーゼヘテロ欠損マウスはインスリン分泌不全に起因する耐糖能異常をおこし,ホモ欠損マウスは著明な高血糖による脱水状態となって数日で死亡した。免疫組織染色を用いた検討より、グルコキナーゼは膵臓の形態形成、細胞分化、インスリン生合成には必須ではないことがわかった。また、グルコキナーゼヘテロ欠損膵島ではグルコース濃度の上昇に対するインスリン分泌増加が障害され、グルコキナーゼホモ欠損膵島ではグルコース濃度上昇に対するインスリン分泌反応が全く見られなかった。また、グルコキナーゼホモ欠損膵島ではグリベンクラミドに対してある程度反応し、アルギニンに対してほぼ正常に反応したことより、これら分泌刺激物質に対する反応上必須のものではないことも明らかとなった。このように、グルコキナーゼが膵島においてグルコースセンサーの役割を果たしていることを個体レベルおよび細胞レベルで直接証明した。

 世界各地の疫学調査によると、出生時低体重とその後の2型糖尿病の発症が関連することが報告されている。また、低体重児には家族集積性が認められ、遺伝素因とともに喫煙、母親の栄養状態、妊娠中の運動などの環境因子の影響も強く受けることが報告されている。最近、胎児期のインスリン分泌・作用が胎児の成長を規定するというfetal insulin仮説が提唱された。そこで、グルコキナーゼ欠損マウス新生児の体重、血糖値、インスリン値を測定することにより、胎児期のインスリン分泌が胎児の成長・出生時体重を規定する可能性を検討した。雄ヘテロ欠損マウスと雌野生型マウスの交配により得られたヘテロ欠損マウスは出生直後の血糖値が野生型マウスと同レベルでありながら、低インスリン血症と低体重を呈しており、出生時低体重は胎児期のグルコース応答性インスリン分泌低下とリンクしていた。グルコキナーゼ遺伝子異常をもつものは胎児期においてグルコース応答性のインスリン分泌が低下し、そのために成長障害がおき、出生時低体重になると考えられた。このグルコキナーゼヘテロ欠損マウスの低体重の成績は、Hattersleyらのヒトグルコキナーゼ遺伝子異常児の低体重の報告(Nat Genet 19,268-270,1998)とも合致している。このように、膵β細胞型グルコキナーゼ欠損マウスの出生時低体重の成績はfetal insulin仮説を支持している。

 膵β細胞特異的グルコキナーゼヘテロ欠損マウスはインスリン分泌不全とそれに起因する耐糖能障害を呈したが、糖尿病には至らなかった。ヒトのグルコキナーゼ遺伝子異常症ではインスリン分泌不全に加えて、インスリン抵抗性が認められ、糖尿病を発症する。そこで、インスリン抵抗性を持たない膵β細胞特異的グルコキナーゼヘテロ欠損マウスに遺伝因子によるインスリン抵抗性が加わるとどうなるか検討するため、インスリン分泌不全を遺伝的に有する膵β細胞特異的グルコキナーゼヘテロ欠損マウスと、インスリン抵抗性を遺伝的に有するインスリン受容体基質-1(IRS-1)欠損マウスとの交配を行った。

 膵β細胞特異的グルコキナーゼヘテロ欠損マウスはインスリン分泌能が低下しているため耐糖能異常は認められるものの、インスリン抵抗性は無いため糖尿病を発症するには至らない。IRS-1欠損マウスはインスリン抵抗性は有するものの、高インスリン血症により代償され、耐糖能は正常である。ところが両者を掛け合わせたグルコキナーゼ(ヘテロ)IRS-1(ホモ)ダブル欠損マウスでは相乗的に耐糖能の悪化を認め糖尿病を発症した。組織学的検討の結果、IRS-1欠損によるインスリン抵抗性があっても膵β細胞過形成により十分に代償されるため、血糖の上昇がみられない。しかし、グルコキナーゼヘテロ欠損をかけ合わせることによりグルコースに対するインスリン分泌低下が加わった場合には、インスリン抵抗性に対し膵β細胞過形成が"正常"におこっても十分には代償されず、糖尿病を発症すると考えられた。このように糖尿病候補遺伝子の欠損マウスのかけ合わせにより多因子病としてのヒト糖尿病を再構成し、糖尿病の発症進展にはインスリン分泌不全とインスリン抵抗性の両者の存在が重要であることを個体レベルで直接示した。

 以上、発生工学を用いてグルコキナーゼ欠損マウスを作製し、グルコキナーゼが膵島においてグルコースセンサーの役割を果たしていること、胎児期のインスリン分泌が胎児の成長を規定すること、糖尿病の発症進展にはインスリン分泌不全とインスリン抵抗性の両者の存在が重要であることを示した。

 このようにインスリン分泌不全モデルマウス(グルコキナーゼ欠損マウス)とインスリン抵抗性モデルマウス(IRS-1欠損マウス)を用いた解析により、ヒト2型糖尿病の発症・進展においてもインスリン分泌不全とインスリン抵抗性の両者が相乗的に働いていることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究はグルコキナーゼ欠損マウス、グルコキナーゼ・インスリン受容体基質−1ダブル欠損マウスの作製と解析を通して、多因子病である2型糖尿病発症の分子機構の解明を試みたものであり、以下の結果を得ている。

1.β細胞内に取り込まれたグルコースは解糖系の一番最初に位置する酵素 グルコキナーゼによりリン酸化され、グルコース−6リン酸になる。グルコキナーゼを膵β細胞で特異的に欠損するマウスを世界に先駆けて樹立した。グルコキナーゼヘテロ欠損マウスはインスリン分泌不全に起因する耐糖能異常をおこし,ホモ欠損マウスは著明な高血糖による脱水状態となって数日で死亡した。免疫組織染色を用いた検討より、グルコキナーゼは膵臓の形態形成、細胞分化、インスリン生合成には必須ではないことがわかった。また、グルコキナーゼヘテロ欠損膵島ではグルコース濃度の上昇に対するインスリン分泌増加が障害され、グルコキナーゼホモ欠損膵島ではグルコース濃度上昇に対するインスリン分泌反応が全く見られなかった。また、グルコキナーゼホモ欠損膵島ではグリベンクラミドに対してある程度反応し、アルギニンに対してほぼ正常に反応したことより、これら分泌刺激物質に対する反応上必須のものではないことも明らかとなった。このように、グルコキナーゼが膵島においてグルコースセンサーの役割を果たしていることを個体レベルおよび細胞レベルで直接証明した。グルコキナーゼヘテロ欠損マウスはインスリン分泌不全を有する糖尿病モデル動物となる。

2.グルコキナーゼ欠損マウス新生児の体重、血糖値、インスリン値を測定することにより、胎児期のインスリン分泌が胎児の成長・出生時体重を規定する可能性を検討した。雄ヘテロ欠損マウスと雌野生型マウスの交配により得られたヘテロ欠損マウスは出生直後の血糖値が野生型マウスと同レベルでありながら、低インスリン血症と低体重を呈しており、出生時低体重は胎児期のグルコース応答性インスリン分泌低下とリンクしていた。グルコキナーゼ遺伝子異常をもつものは胎児期においてグルコース応答性のインスリン分泌が低下し、そのために成長障害がおき、出生時低体重になると考えられた。このグルコキナーゼヘテロ欠損マウスの低体重の成績はヒトグルコキナーゼ遺伝子異常児の低体重の報告とも合致しており、胎児期のインスリン分泌・作用が胎児の成長を規定するというfetal insulin仮説を支持する。

3.膵β細胞特異的グルコキナーゼヘテロ欠損マウスはインスリン分泌不全とそれに起因する耐糖能障害を呈したが、糖尿病には至らなかった。ヒトのグルコキナーゼ遺伝子異常症ではインスリン分泌不全に加えて、インスリン抵抗性が認められ、糖尿病を発症する。そこで、インスリン抵抗性を持たない膵β細胞特異的グルコキナーゼヘテロ欠損マウスに遺伝因子によるインスリン抵抗性が加わるとどうなるか検討するため、インスリン分泌不全を遺伝的に有する膵β細胞特異的グルコキナーゼヘテロ欠損マウスと、インスリン抵抗性を遺伝的に有するインスリン受容体基質-1(IRS-1)欠損マウスとの交配を行った。膵β細胞特異的グルコキナーゼヘテロ欠損マウスはインスリン分泌能が低下しているため耐糖能異常は認められるものの、インスリン抵抗性は無いため糖尿病を発症するには至らない。IRS-1欠損マウスはインスリン抵抗性は有するものの、高インスリン血症により代償され、耐糖能は正常である。ところが両者を掛け合わせたグルコキナーゼ(ヘテロ)IRS-1(ホモ)ダブル欠損マウスでは相乗的に耐糖 能の悪化を認め糖尿病を発症した。組織学的検討の結果、IRS-1欠損によるインスリン抵抗性があっても膵β細胞過形成により十分に代償されるため、血糖の上昇がみられない。しかし、グルコキナーゼヘテロ欠損をかけ合わせることによりグルコースに対するインスリン分泌低下が加わった場合には、インスリン抵抗性に対し膵β細胞過形成が"正常"におこっても十分には代償されず、糖尿病を発症すると考えられた。このように糖尿病候補遺伝子の欠損マウスのかけ合わせにより多因子病としてのヒト糖尿病を再構成し、糖尿病の発症進展にはインスリン分泌不全とインスリン抵抗性の両者の存在が重要であることを個体レベルで直接示した。

 以上、本論文は発生工学を用いたグルコキナーゼ欠損マウス、グルコキナーゼ・インスリン受容体基質−1ダブル欠損マウスの作製と解析を通して、グルコキナーゼが膵島においてグルコースセンサーの役割を果たしていること、胎児期のインスリン分泌が胎児の成長を規定すること、糖尿病の発症進展にはインスリン分泌不全とインスリン抵抗性の両者の存在が重要であることを示した。ヒト2型糖尿病の発症・進展においてもインスリン分泌不全とインスリン抵抗性の両者が相乗的に働いていることが示唆された。本研究はヒト2型糖尿病発症の分子機構の解明という糖尿病・代謝学の重要な分野への貢献は極めて大きいと考え、学位の授与に値するものと考えられる。

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