学位論文要旨



No 215044
著者(漢字) 岩瀬,春子
著者(英字)
著者(カナ) イワセ,ハルコ
標題(和) 子宮内膜症性嚢胞のクロナリティに関する研究
標題(洋)
報告番号 215044
報告番号 乙15044
学位授与日 2001.04.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第15044号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,茂郎
 東京大学 助教授 上妻,志郎
 東京大学 教授 名川,弘一
 東京大学 助教授 加藤,賢郎
 東京大学 助教授 辻,浩一郎
内容要旨 要旨を表示する

[緒言] 子宮内膜症は病理組織学的に、子宮体部内膜以外の部位に子宮内膜様上皮細胞と子宮内膜様間質細胞が存在することにより特徴付けられる。良性疾患ではあるが、エストロゲンに依存して増殖・浸潤・播種し、しばしば再発を繰り返すという悪性疾患に類似した性格を持つ。また、卵巣の子宮内膜症性嚢胞の上皮細胞の一部には細胞異型とDNA aneuploidyを示すものがあるという報告や、卵巣癌関連の癌抑制遺伝子等が存在する染色体部位のヘテロ接合性の消失が子宮内膜症の28%にあったという報告があり、卵巣癌との関連が示唆されている。さらに、卵巣の類内膜腺癌や明細胞腺癌などでは、子宮内膜症との共存や連続的移行が報告されており、子宮内膜症は上皮性卵巣癌の発生母地または前駆病変である可能性を持つ。しかし、子宮内膜症の発生機序は未だ解明されておらず、組織学的には非腫瘍の類腫瘍病変と分類されている。

 クロナリティ解析とは、ある腫瘍性病変の起源を検索するものであり、腫瘍や一部の前駆病変が単一細胞に由来するか否かを判定するのに用いられている。現在、ある病変のクロナリティを調べるには、X染色体上に存在する遺伝子の多型領域をメチル化に関連するX染色体不活化パターンによって識別する手法が一般的であり、アンドロゲン受容体遺伝子(HUMARA)は代表的なものの一つである。Xq11-12に存在するHUMARAは、エクソン1にCAGの繰り返し塩基配列よりなる多型領域と、メチル化認識制限酵素Hpa IIの制限酵素切断部位を有する。正常女性の90%で、父親由来と母親由来とではHUMARAのCAGの繰り返し回数は異なり、極めて高い多型といえる。今回、病理分類上、類腫瘍という不明瞭な位置付けをされている子宮内膜症が腫瘍としての性格を持つのかどうかについて検討するため、代表病変である卵巣の子宮内膜症性嚢胞のクロナリティ解析を行なった。

[方法] 1996年4月から1997年2月までに東京大学医学部附属病院、日立総合病院、東京労災病院の産婦人科で手術の行われた12名の卵巣の子宮内膜症性嚢胞患者から得られた17嚢胞を用いた。嚢胞はすべて病理組織学的に子宮内膜症性嚢胞と診断された。摘出直後に、切開した嚢胞の内面をセルスクレーパーで静かにこすり、内面の細胞を採取し、培養液(10%血清入りDMEM)に懸濁し、4℃で保存した。このうち7嚢胞では嚢胞内面の複数の部位から細胞を採取するために、離れた部位を数カ所擦り、それぞれを別々の容器に検体を回収した。次に検体を27〜29ゲージの注射針を用いて実体顕微鏡下で上皮細胞と間質細胞に分離し、上皮細胞のみ回収した。上皮細胞は位相差顕微鏡にて純度を確認した。正常組織のコントロールとしてそれぞれの末梢血リンパ球、正常子宮筋層、あるいは正常卵巣組織を用いた。

 上皮細胞や末梢血からのDNA抽出にはDNA extractor WB kit (Wako, Osaka, Japan)を利用し、最終的なDNA濃度は0.5〜1ng/μlとなるよう調整した。他の正常組織からのDNA抽出はフェノール・クロロホルム抽出法を用い、最終濃度は0.4ng/μlへ調節した。その後、抽出した約1ngのDNAを反応液4μl中で37℃、6時間、Rsa I 1.25単位、Hpa II 1単位で処理し、その後産物をPCR法によって増幅した。この際、各検体についてそれぞれRsa I 1.25単位のみで37℃、6時間処理したHpa II(−)群を同時に増幅した。PCRのプライマーは、AR1として5'-CCGAGGAGCTTTCCAGAATC-3'、AR2としてindodicarbocyanine(Cy5)で蛍光標識した5'-TACGATGGGCTTGGGGAGAA-3'を用いた。PCR産物はALF DNAシークエンサーを用いて泳動し、Fragment Managerにて解析した。また、2つのピークのAUC(area under the curve)の比(アリル比)を求め、クロナリティの判定基準を作成した。

[結果]

1)上皮細胞検体の純度

 子宮内膜症性嚢胞内で上皮細胞のみを選択的に採取するため、術中に嚢胞の内面を直接セルスクレーパーで静かにこすり、回収した組織片を実体顕微鏡下で観察しながら、上皮と間質に分離するという手法を用いた。これにより、ほぼ上皮細胞のみ回収できたが、さらに純度をあげるため、位相差顕微鏡下でも分離を行った。位相差顕微鏡下で嚢胞上皮細胞は大型の核を有する多角細胞がシート状に配列した状態で認められ、小型の間質系細胞との違いは明らかであるため、上皮細胞の分離は可能であった。分離後の細胞は、一部をパパニコロ染色し、上皮であることを確認した。この方法で、17嚢胞のうち14嚢胞から上皮細胞36検体を採取し、これらの純度はいずれも80%以上であることが確認できた。残りの3嚢胞は肉眼的に内面の萎縮が著明であり、細胞を採取することができなかった。

2)クロナリティ判定基準作成のための基礎実験

 2つのHUMARA遺伝子の間に多型を有する解析可能症例である場合、Hpa II未処理群ではシークエンサー上2つのピークが得られる。Hpa II処理をした場合、正常子宮筋層や正常卵巣のようにポリクローナルな細胞集団では、これらのピークは同様に2つであったが、子宮筋腫のようにモノクローナルな細胞集団では、不活化されていないX染色体ではHUMARAがHpa IIにより切断されてしまうため、ピークは1つとなった。

 間質細胞等のポリクローナルな細胞集団の混入が多いとモノクローナルな組織をポリクローナルと評価してしまう可能性があるため、まず、混入の程度と解析結果への影響について検討することとし、子宮筋腫組織(モノクローナル)から抽出したDNAと正常子宮筋層(ポリクローナル)から抽出したDNAをいろいろな比率で混ぜ、定量的にクロナリティ解析を行った。その結果、アリル比が0.32以下ならば、その細胞集団には70%以上モノクローナルな細胞が含まれることがわかった。逆に用いた検体の純度が70%以上であればモノクローナルな細胞集団をポリクローナルと判定してしまう危険は低いと考えられた。

3)子宮内膜症性嚢胞のクロナリティ

 今回対象とした12名の患者はすべて、2つのHUMARA遺伝子の間でCAGリピート数の異なる解析可能症例であることが確認された。従って14嚢胞から得られた嚢胞内上皮細胞の36検体はすべてクロナリティ解析を行うことができた。その結果、Hpa II処理後のPCRで、正常組織はすべて両方のアリルが等しく増幅し、ピークが2つとなり、ポリクローナルと判断された。一方、嚢胞内上皮の36検体では、片側のアリルが有意に消失しており、ピークが1つとなった。さらに、それらのアリル比はすべて0.24以下であり、上皮細胞の純度の高さから考えてもモノクローナルと判断できることが示された。すなわち、今回調べた14嚢胞すべてがそれぞれ単一クローンであることがわかった。さらに、7症例ではひとつの嚢胞内から複数の検体を採取することができ、同一嚢胞内での比較が可能であったが、これらの嚢胞では例外なく、同一嚢胞内でX染色体の不活化パターンが一致していることもわかった。

[考察] 子宮内膜症性嚢胞を裏打ちする1層の上皮細胞は、多くの場合、萎縮や剥脱が見られ、分子生物学的な解析を行うに十分な検体が得られないことが多い。これは、嚢胞の陳旧化という理由以外にも、術前の薬物療法、あるいは術中操作(嚢胞内の洗浄など)による影響なども考えられる。今回我々は、採取の困難だった子宮内膜症性嚢胞の上皮細胞を効率よく得るための手法を考案し、純度の高い上皮細胞を手に入れることにより、他細胞の混入が致命的であるクロナリティ解析を正確になし得た。その結果、解析したすべての上皮細胞検体は単一クローンの細胞集団であることが判明した。さらに同一嚢胞内の検体ではX染色体不活化パターンまで一致しており、子宮内膜症性嚢胞は、複数の異なる単一クローンの細胞集団がパッチのように組み合わさってひとつの嚢胞を構成しているのではなく、嚢胞全体が単一クローンによって増生していることが示唆された。

 現在までに子宮内膜症性嚢胞のクロナリティに関しては2つの文献があるのみで、それぞれ、5例中3例(60%)、17例中14例(83%)がモノクローナルであったと報告している。本研究では、検体採取の工夫により純度の高い上皮細胞の解析が可能であったこと、1ng/μl以下の微量検体での解析も容易である感度の高い系を用いたことなどが先の結果との違いであったと考えられた。しかし、実際、細胞の採取ができなかった症例があること、今回は手術適応となるような比較的大きな嚢胞を対象として選択したこともあり、ポリクローナルな嚢胞の存在を完全には否定できない。すなわち、ごく初期の頃はポリクローナルであった小嚢胞が、発育・進展につれモノクローナルに収束していった可能性も残されている。今回解析した症例では、類腫瘍性病変に分類され病理学的には非腫瘍とされる子宮内膜症性嚢胞が、腫瘍性病変と同様、モノクローナルな増殖をしていることが判明した。モノクローナルであることは腫瘍であることと同義ではないので、このことだけからは、内膜症性嚢胞が腫瘍であるとはいえない。しかし、内膜症性嚢胞が、"単一クローンの増殖"という、腫瘍であるための必要条件を満たすことを立証できたと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

 良性疾患である子宮内膜症は、増殖・浸潤・播種・再発という悪性疾患に類似した性格を持ち、上皮性卵巣癌発生との関連も示唆されている。本研究は、病理分類上は類腫瘍病変と不明瞭な位置付けをされている子宮内膜症が腫瘍としての性格を持つのかどうかについて検討するため、アンドロゲン受容体遺伝子(HUMARA)を用いたクロナリティ解析を行なったものであり、下記の結果を得ている。

1.子宮内膜症の代表病変である卵巣の子宮内膜症性嚢胞を用いることとし、12名の患者から得られた14嚢胞(2名は両側性嚢胞症例)より上皮細胞の検体を採取した。摘出直後にセルスクレーパーで嚢胞内面を複数カ所から擦りとり、実体顕微鏡下で上皮と間質を分離するという採取法の工夫により、80%以上は上皮細胞で構成された純度の高い検体を36検体集めることが可能であった。

2.間質細胞の混入の程度とクロナリティ判定への影響について検討するため、子宮筋腫組織(モノクローナル)から抽出したDNAと正常子宮筋層(ポリクローナル)から抽出したDNAをいろいろな比率で混ぜ、クロナリティ解析を行った。その結果、メチル化認識制限酵素Hpa II処理後のPCRで得られる産物を示すシークエンサー上の2つのピークから算出したAUCの比(アリル比)が0.32以下ならば、その細胞集団をモノクローナルと判断できることが示された。

3.Hpa II処理後のPCRで、12症例の正常組織はすべて両方のアリルが等しく増幅し、ポリクローナルと判断できた。一方、嚢胞内上皮の36検体では、片側のアリルが有意に消失し、2つのピークのアリル比はすべて0.24以下であったため、モノクローナルと判断できることがわかった。すなわち、今回調べた14嚢胞すべてがそれぞれ単一クローンであることが示された。

4.7症例ではひとつの嚢胞内から複数の検体を採取することができ、同一嚢胞内での比較が可能であったが、これらの嚢胞では例外なく、同一嚢胞内でX染色体の不活化パターンが一致していることが示された。

 以上、本研究では、純度の高い上皮細胞を採取することにより子宮内膜症性嚢胞のクロナリティ解析を正確になし得た。その結果、解析したすべての上皮細胞検体は単一クローンの細胞集団であること、さらに同一嚢胞内の複数検体ではX染色体不活化パターンまで一致しており、子宮内膜症性嚢胞は、嚢胞全体が単一クローンによって増生していることが明らかとなった。本論文は、類腫瘍性病変に分類され病理学的には非腫瘍とされる子宮内膜症性嚢胞が、腫瘍性病変と同様、モノクローナルな増殖をしていることを証明し、子宮内膜症性嚢胞が、"単一クローンの増殖"という腫瘍であるための必要条件を満たすことを初めて立証したものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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