学位論文要旨



No 215050
著者(漢字) 安永,卓生
著者(英字)
著者(カナ) ヤスナガ,タクオ
標題(和) 構造から探るアクチン・ミオシン系エネルギー変換の分子機構
標題(洋)
報告番号 215050
報告番号 乙15050
学位授与日 2001.05.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第15050号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 桑島,邦博
 東京大学 教授 和達,三樹
 東京大学 教授 佐野,雅己
 東京大学 教授 初田,哲男
 東京大学 教授 豊島,近
内容要旨 要旨を表示する

 生物は、アデノシン3リン酸(ATP)が加水分解されアデノシン2リン酸(ADP)になる時に解放される化学エネルギーを使って様々な生物活性を実現する。そこで、化学エネルギーを、目的とするエネルギーに変換するメカニズムが必要となる。これを担うものはタンパク質である。筋収縮に関わるアクチン・ミオシン系タンパク質は真核生物に普遍的に存するタンパク質である。このタンパク質により、ATPの加水分解反応の化学エネルギーが「アクチンとミオシン間の滑り運動」の力学エネルギーに変換される。この化学−力学エネルギー変換能をもつタンパク質は分子モーターと呼ばれる。本研究では、「エネルギー変換」という興味深い物理現象を示す分子モーターを対象として、モーター機能を担うタンパク質構造の観点から、そのメカニズムに迫る研究を行った。

 現在、滑り運動を考えるメカニズムには、モータータンパク質は、化学反応中間状態に応じてミオシンが構造を変化するという「マクロなエンジン」(爆発反応状態と車軸回転が直接カップルする)であるという考え方と、熱揺らぎを利用した「マックスウェルのデーモン型」(タンパク質構造の異方性とATPのエネルギーがデーモン役を果たす)の熱機関であるという考え方の大きく2種の考え方がある。どちら場合にもミオシンあるいはアクチンの構造がエネルギー変換を行うのに重要な役割を果たす事は明らかである。

 そこで、本研究では、クライオ電子顕微鏡を用いて溶液中でのアクチン、ミオシン及びその複合体の構造研究を行った。また、蛍光エネルギー移動の情報と他の構造情報を結びつけて、タンパク質の特定部位の三次元的な位置を同定するための新しい解析法(確率的距離幾何学法:probabilistic distance geometry法)を開発し、ミオシンの構造及びアクチンの構造に適応した。その際、電子顕微鏡像の解析法等の開発を迅速かつ容易に拡張でき、開発した処理法が有効に集積可能な画像処理システム(Eos)を構築した。このシステムは、国際的に他の研究機関でも用いられている。

 第一に、クライオ電子顕微鏡法を用いて、アクチンがフィラメントを形成した際に放出される無機リン酸がアクチンフィラメント構造に与える影響を調べた。先ず、マクロな量としてのアクチンの曲げ弾性を、非晶質の氷(vitreous ice)の中に急速凍結されたアクチンフィラメントの電子顕微鏡像からpersistent lengthを測定することにより決定した。その結果、無機リン酸濃度が上昇するにつれてアクチンが硬くなり、その見かけの無機リン酸の解離定数は10 mM程度であった。また、MgADP結合型アクチンフィラメントに比べて、ATP加水分解直前の状態のアナログであるMgAMPPNP結合型アクチンフィラメントでは非常に長いpersistent lengthを持った。これらのことは、アクチンがフィラメント化した際に、ATPを加水分解し無機リン酸の放出を行うにつれて、次第に柔らかくなることを意味している。また、この曲げ弾性に影響を与えるのに必要な無機リン酸の濃度は、筋繊維で測定される最大張力の減少に必要な濃度とほぼ一致し、張力発生に対するアクチンの構造の影響を考える必要がある事が分かった。また、MgAMPPNP結合型アクチンとMgADP結合型アクチンの三次元構造を電子顕微鏡像から再構成し比較すると、アクチンの第2サブドメインに構造変化が限局していることが分かった。また、構造揺らぎの様子も変化していると推定され、こうした構造変化・構造揺らぎの変化がアクチンの曲げ弾性、アクチン・ミオシン系の張力発生に影響を与えていると予測できる。

 こうしたアクチンの中での構造変化の可能性を吟味するためバイオインフォマティクスを用いた。即ち、Ambivalent配列予測法を用いて、アクチン構造変化のswitch領域を検定したところ、アクチンの第三サブドメインから第四サブドメインにいたるループ領域と、アクチンのカルボキシル末端領域(C末端領域)が候補となった。前者は今回得られた構造揺らぎモードの変化に対応する領域と一致する、今後、以下での述べる分解能の向上により、こうした配列構造からの予測と実際の三次元構造変化を結びつけることができるものと考えている。

 C末端近傍に存在するCys374(アミノ末端から374番目にあるシステイン残基)は、アクチンのランドマークとして使われてきた。しかし、Ambivalent配列予測は、環境による構造変化がこの領域に生じやすい事を示しており、蛍光分子などによる化学標識の結果、Cys374を含むC末端領域の構造変化が誘起される可能性を考慮する必要がある。一方で、X線結晶解析からも、Cys374が重原子標識された場合に近傍の構造が大きく変わっていることが報告されている。

 そこで、前述のprobabilistic distance geometry法を適用し、アクチンのCys374の位置を計算した。その結果、Cys374の位置は、それが標識されていない結晶構造と、20A以上異なっていた。この解析法は、後に述べるようにミオシンの構造変化や筋収縮制御機構の構造解析においても有効であった。このC末端構造の変化をクライオ電子顕微鏡法で確認するにも、電子顕微鏡像の分解能の向上が求められている。

 第二に、モータータンパク質であるミオシンに関して、以下の研究を行った。

 先ず、ミオシンと蛍光性タンパク質との融合タンパク質での蛍光エネルギー移動を用い、ミオシンの構造変化を捉えることに鈴木らとの共同研究により成功した。その際は、ミオシンのX線結晶構造として2つの異なる構造の存在が明らかとなっていたので、これらについてprobabilistic distance geometry法により、それぞれ、溶液中でのMgADP及びMgADPPiの状態とよく対応することを明らかとした。この時、加水分解反応に伴うミオシンの構造変化は滑り運動の向きと一致しており、「マクロなエンジン説」と無矛盾であった。その後、ミオシンの第三の構造が結晶構造により見出された。本研究では、その第三の構造を検証したところ、MgADP及びMgADPPi条件での蛍光エネルギー移動から得られた距離を説明できなかった。従って、ミオシンの第三の構造は遷移状態を捕捉したものであると考えられた。しかし、蛍光エネルギー移動から得られた構造は多数の分子の平均である点に疑問が残った。

 そこで、クライオ電子顕微鏡法を用いて溶液内での単一分子構造を明らかにするために、新しい画像解析法(ホログラフィック像再構成法)の開発を行った。このホログラフィック像再構成法を用いて、ミオシン頭部の像をクライオ電子顕微鏡法によりコントラストが高くかつ2 nm程度の分解能を確保しつつ撮影することに成功した。この時、ヌクレオチドが結合しない、同一化学状態でも、2つ以上の構造が混在している事が分かった。特に、軽鎖結合部位とモータードメインとの相対配置が変化していることが分かった。この事は、蛍光エネルギー移動の結果と合わせると、「ミオシンは二つ以上の構造の平衡にあり、この平衡が化学反応状態に応じてシフトする」と考えるべきであろう事を示している。

 次に、同様の手法を用いて、アクチン・ミオシン硬直複合体の三次元構造を得た。分解能が2 nmより良くなったので、ミオシンがアクチンと結合する際、ミオシン内の2つのドメイン構造(Lower 50KとUpper 50Kと呼ばれる2つのドメイン)がその配置を変える事がわかった。この配置変換により2つの構造の間にあるクレフトがより大きく開くようになった。その結果、ATPの加水分解で生じた無機リン酸の放出が容易になる。この変化こそがエネルギー散逸(反応の不可逆性・滑り運動の一方向性)が生じる原因であり、エネルギー変換の鍵となると考えた。この時、現在の分解能では、ミオシンの2つのドメインは、それぞれ単独に吟味すると、X線結晶解析の結果得られた原子モデルと良く一致していた。この事は、ミオシンの原子モデルでも示唆されているように、Lower 50KとUpper 50Kと呼ばれる2つのドメインはそれぞれ一つの構造体として一体であり、変化するのはそれらの相対的配置の転換である事を意味している。従って、力学反応を説明するためには、二つのドメイン間を、化学状態などに応じてコンプライアンスが変化するバネでつないだモデルが有効であると考える。

 現在の情報を使って、ミオシン・アクチン系がエネルギー変換を行う分子メカニズムを考えると以下のようになる。2つ以上の準安定的な構造をミオシンはとることができ、それらの構造の間でミオシンは構造を可逆的に遷移する。それぞれの構造での滞在時間が、ミオシンの化学状態(特に結合したヌクレオチド、リン酸)やアクチンとの結合により変化し、構造の平衡がシフトする。この平衡のシフトをバネ定数の変化として、てこの支点、力点、作用点の関係が変化すると考えることは有効であろう。また、アクチンとの結合による無機リン酸の放出は、ミオシンへの無機リン酸の再結合がほとんど不可逆的である故に、無機リン酸の結合状態の変化を伴う構造の間の平衡のシフトを不可逆的なものとし、滑り運動の一方向性を確実に起こすことができると考えられる。この意味で「マックスウェルのデーモン型」の考え方が重要である。

 今後、更に、ミオシン、アクチン及びその複合体の三次元構造を、二次構造(特にαへリックス)の配置が認識できる分解能(〜0.9 nm)まであげることにより、原子モデルとより直接的に比較することができるようになり、詳細な分子メカニズムを明らかにすることができると考えている。

 本論文の論文の結論は以下の通りである。

1. アクチンは、ATP型、ADP・Pi型、ADP型と次第に柔らかくなり、その構造と揺らぎのモードを変化させる。これは、筋収縮における力発生や細胞骨格系のスイッチなどに関連している可能性がある。

2. アクチンのC末端近傍のCys374を化学標識すると、C末端近傍の構造が変化する。このことは、アクチンC末端近傍が環境に応じて構造を変え得ることを示唆している。

3. X線結晶解析によって報告されたミオシンの第三の構造は蛍光エネルギー移動法による距離情報と互いに矛盾する。従って、遷移状態であると考えられる。

4. ホログラフィック・クライオ電子顕微鏡法を用いて、ミオシン単一分子(分子重量130kDa)の実像を捉えることに成功した。

5. 得られたミオシン単一分子像を、結晶構造と比較すると、溶液中で異なる構造をとっているものと同じ構造を取っているものがある。このことは、二つの構造の間の平衡があり、この平衡がリガンドによってシフトするとした徳永らの研究と矛盾しない。

6. ミオシン頭部はアクチンと強い結合をする際に、アクチン・クレフトを開く。このアクチン・クレフトの解放は無機リン酸の解離と関連していると考えられる。

7. ミオシン内に存在する熱揺らぎにより、分子内に想定された「てこ」がアクチン結合、ヌクレオチドの状態、張力の状態などに応じて、支点、力点、作用点などを変化させることが、滑り運動に結びついている可能性がある。

8. 確率的距離幾何学法は分子の構造変化を捉える際に有効である。

9. 新しく開発した画像解析支援システム(Eos)は電子顕微鏡像解析、確率的幾何学法のプログラム開発において有効であり、また、インターネットへの公開を通して広く使われている。

審査要旨 要旨を表示する

 アクチン・ミオシン系分子モーターは,アデノシン3リン酸(ATP)の加水分解により放出される化学エネルギーを利用して,滑り運動という力学運動を引き起こすことができる。この化学エネルギー−力学エネルギー変換は筋収縮などをつかさどる分子モータ蛋白質に普遍的な現象であるが,その分子機構は未だ明らかではない。本論文では,このエネルギー変換の分子機構解明を目的として,おもにクライオ電子顕微鏡法と蛍光エネルギー移動法を用いて,アクチン・ミオシン系の構造学的研究を行い,それらの成果が報告されている。特に,蛍光エネルギー移動に基づく確率的距離幾何学法は申請者が独自に開発した新しい手法であり,X線結晶構造解析により明らかにされている蛋白質立体構造の原子モデルと溶液中の蛋白質立体構造との関係を明らかにすることができた。

 本論文は4章よりなり,第1章では,クライオ電子顕微鏡法,蛋白質2次構造予測法,蛍光エネルギー移動に基づく確率的距離幾何学法の3つの手法を用いて,アクチンフィラメントの構造と揺らぎとの相関を調べた結果が述べられている。アクチンがフィラメントを形成した直後のATP型では,電子顕微鏡像の持続長から見積もられた構造の硬直度が最も大きく,それが,ADPPi型,ADP型となるに従い次第に柔らかくなることが示されている。また,アクチンのカルボキシル末端(C末端)は構造変化を起こしやすい領域であり,特に,アクチンC末端近傍のシステイン(Cys374)を蛍光色素で標識すると構造が変化し,Cys374の立体構造上の位置がX線結晶構造解析で観測された位置から大きくずれることが示されている。この結果は,これまで蛍光エネルギー移動法などを用いて報告された,Cys374の立体構造上の位置に関する実験データを矛盾なく説明するものである。

 第2章では,蛍光エネルギー移動法に基づく確率的距離幾何学法とクライオ電子顕微鏡法を用いて,溶液中での化学状態の変化に共役した,ミオシンの立体構造変化を観測した。確率的距離幾何学法による解析結果とX線結晶解析法により提唱されたミオシン立体構造の原子モデルとを比較することにより,ミオシン立体構造の各原子モデル(第1の構造および第2の構造と呼ばれる2つの異なった立体構造モデル)を溶液中のミオシンの異なった化学状態に帰属することができた。その結果,無機リン酸の解離にともなってミオシンの構造が変化し,その変化の向きが滑り運動の向きと一致していることが初めて明らかとされた。また,最近X線結晶解析により明らかにされたミオシンの第3の立体構造が,ATP加水分解定常反応中における過渡的な状態である可能性も示されている。さらに,クライオ電子顕微鏡法を用いて,ミオシン単一分子を可視化し,ミオシン分子の立体構造多型性を観察した結果も報告されている。

 第3章では,クライオ電子顕微鏡法を用いてアクチン・ミオシン硬直複合体の三次元構造を解析した結果が報告されている。ミオシンはアクチンと結合することにより,そのアクチンクレフトと呼ばれるクレフト構造領域が構造転移し,その結果,結合していた無機リン酸が解離しやすくなる可能性が示されている。

 第4章では,上記の結果を総合して,アクチン・ミオシン系エネルギー変換の分子機構を蛋白質構造学の観点から考察し,滑り運動を説明する一つのモデルとして「天秤棒モデル」が提唱されている。

 本論文では,無機リン酸の解離に伴うモーター蛋白質ミオシンの大きな構造転移の詳細が初めて明らかにされた。ミオシンの溶液中の立体構造が結晶構造原子モデルに帰属できることが初めて示された。また,クライオ電子顕微鏡法を用いた蛋白質一分子の可視化や構造揺らぎ情報の抽出についても報告されている。以上の成果は,アクチン・ミオシン系のエネルギー変換の分子機構を解明する上で多大の寄与をなすものである。なお,この論文は,鈴木良和氏,大倉玲子氏,須藤和夫氏,若林健之氏との共同研究であるが,論文提出者が主体となって研究を行ったものであり,審査員一同は同提出者が博士(理学)の学位を授与するのに十分であると判断した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42854