学位論文要旨



No 215052
著者(漢字) 渡辺,靖仁
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,ヤスヒト
標題(和) 農村における保障需要と農協共済事業 : 1990年代における農協共済の事業推進活動特性の計量分析
標題(洋)
報告番号 215052
報告番号 乙15052
学位授与日 2001.05.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15052号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 生源寺,眞一
 東京大学 教授 谷口,信和
 東京大学 教授 泉田,洋一
 東京大学 助教授 斎藤,勝宏
 東京大学 助教授 萬木,孝雄
内容要旨 要旨を表示する

 日本の農業経済および農村経済において農業協同組合(以下農協とする)の占める位置や果たす役割は大きい.農協の営む複数の事業のひとつで保険の機能を持つ農協共済も,農家・組合員の保障需要の過半を満たすなど,農村経済の中で一定のウェイトを占めてきている.農業経済研究の分野でも農協研究は,その農村経済での占める位置の高さから多くの研究成果を上げている.しかし農協共済についての研究は必ずしも多くはなく,また,日本の高貯蓄率を説明するために注目された遺産動機による保障需要の分析でも,農協共済は対象に含められてこなかった.本論文では,このように既往研究が少ない農協共済を対象にして,1990年代における,その商品特性や経済組織としての農協の特性を踏まえた農協共済の事業推進(営業)活動の特徴を計量的に明らかにした.

 1990年代の農協共済の事業実績は,生命保険業・損害保険業・簡易保険事業(以下順に生保・損保・簡保とする)の他業態と比べて相対的に安定的であった.この安定性の背後には,協同組合であることからくる安定的な取引関係の維持や農村の高齢化など,農協組織の様々な特性があると考えられる.この特性を明らかにするため,本論文の課題とは異なる業務目的で行われた組合員や農協へのアンケート調査結果を再活用し,主として多変量解析の手法を用いた分析を行った.

 第1章では,農協の共済担当課長へのアンケート調査結果により,農協における共済事業の1984年から1993年までの推移をみた.共済事業の事業量目標の設定基準について経営収支を考慮する農協の割合が一貫して最も高いこと,その目標達成に至る推進活動の長期化が認められる一方で,事業実施体制の拡充に向けた対応は緩やかであったことを示した.また,農協の活動が組合員の保障ニーズをどう満たしているかについては,従来必ずしも十分に明らかになっていないことから,第2章以降における計量分析の必要性を述べた.

 第2章と第3章では,農村における保障需要の特性を分析し,一定の事業規模に至った農協共済の加入要因に検討を加えた.

 第2章では,農協共済加入者へのアンケート調査結果により,保障を提供する生保・損保・簡保・農協の4業態に対する農協共済加入者の今後の加入意向が,どのような要因によって影響されるかを分析した.まず,生保・農協共済では遺産動機が,簡保では貯蓄動機が加入意向を高めていること,次にデモグラフィック特性では,保障は男性中心という一般傾向がみられたほか,簡保の人気はすそ野が広いうえに農協共済との競合関係も示唆されていること,さらにマーケティング要因では,農協共済の場合,生活全般への幅広い相談機能への期待や顔なじみによる推進活動が加入意向を高めているという特徴があることを示した.このように保障需要に関する通念的な事柄を,影響因子間の相互作用を考慮したシステマティックな分析で明らかにすることができたほか,農協共済の特徴を指摘することができた.

 第3章では,第2章で得られなかった保障契約の加入金額データを含むアンケート調査結果を用い,組合員と農協との結びつきが農協共済の加入水準や利用率に及ぼす影響を検証した.農協組織や農協共済の推進担当職員に対する組合員の意向を表す指標を主成分分析によって求め,これを利用して組合員を7つに類型化してその特徴をみた.この結果,まず,組合員の農協との密着度は組合員の農業実施状況と一定程度正の相関を持つこと,しかし組合員の農協への評価は必ずしもその農業の実施状況に関連せず,農協に対する厳しい見方が少なからぬ割合で認められることを示した.次に,農協推進員を低く評価する類型の割合がかなり高いこと,この7類型で農協共済利用率には明確な差が見られ,組合員の農協との密着度がとくに大きな影響を及ぼすことを示した.このように,農協共済が協同組合事業であることから,農協共済の利用率には組合員と農協とのつながりに特色があることを明らかにした.

 第4章から第7章では,農協共済の需要に影響を与えると考えられる1990年代の特記事項を扱った.

 第4章では,1995年における住専処理にまつわる農協の信用・共済事業に関する諸議論が,農家の農協に対する見方(農協観)に及ぼす影響をみた.利用するデータの制約から,「意見構造」の変化を捉えるという手法を採用した.これは,1993・1995・1996年に実施した組合員アンケート調査における農協観に関する設問群の回答結果に林式数量化3類を適用し,その回答結果の分布の特徴(意見構造)とその変化をみるものである.この意見構造の異時点間の比較と農家の世代別比較を行った.この結果,まず,1993年と1996年の,意見構造としてみた地元の単位農協に対する農家の農協観に,大きな変化はないことが明らかになった.このことについて,意見構造の変化という分析手法の下ではという前提で,(1)いわゆる住専議論が主として連合会の問題ととらえられた,(2)農協の共済・信用事業実績へのネガティブな影響を踏まえると,部落座談会へは出席するが事業の利用は手控えるといった,農協の組織体としての側面と事業体としての側面が峻別されたと考えられるとの検討を加えた.このほか,農協の地域をまとめる役割への評価は相対的に後退したこと,壮年世代農家では,(1)農協の活動に自分たちの意見が反映されることが,農協を肯定的にみるための大きな要素となり,(2)農協の事業が信用・共済事業中心であるという印象が強まるという変化が認められた.

 第5章では,前章で認められた壮年世代農家の農協観の変化に着目して,次世代の組合員の農協観がその農業観と営農意思にどう関連するかを把握し,その特性が農協共済の利用に及ぼす影響をみた.この結果,次世代の組合員は農協からの独立性が高いこと,農協への意識の良否で農協共済を選択する傾向に乏しいことを明らかにした.加えて,高齢化の進行する農村部における次世代の組合員への対応では,農協共済には他業態と比べて弱いとされているコンサルティング機能の充実など従来と異なるものが求められていることを検討した.

 第2章と第3章で示した保障需要に与える影響が無視し得ない心理要因を,第6章では家計リスク観ととらえ,最近の金融機関の経営破綻が,農村部の世帯の資産保全行動や保障需要に及ぼす影響について検証した.農村部の世帯へのアンケート調査結果によれば,資産保全行動をとった割合は低く,金融機関の経営情報に敏感に反応した人々は少数派であること,家計リスク観の資産保全行動への影響を推定した結果,少数の家計リスク観の高い人たちは,リスク回避的行動をとったと考えられることを示した.次に,生保・簡保・農協共済の3業態の保障契約の需要に対する家計リスク観の影響を,タイプIIトービットモデルの適用により推定した.この結果,生保契約加入者に市場リスク感応度の高い者が含まれること,農協共済加入者は資産デフレの影響を被っており,また,株式投資に消極的な傾向があることなど,業態別の特徴が明らかになった.なお,タイプIIトービットモデルによる保険料等支出額の推定精度が必ずしも高くないことから,補論において,ニューラルネットワークモデル(Multi Layer Perceptron)を用いて保障需要を分析した結果,推定精度の向上と変数相互の関連のより詳細な把握という点で改善がみられた.

 保障ニーズを満たすための保障契約加入の意思決定に,組合員の農協への意識が影響をもつことは,第2章と第3章でみたとおりである.このような,組合員の農協への意識を左右する要素のひとつである農協の共済事業推進活動には,農協のほぼ全事業部門の職員による一定期間の活動である集中推進と,共済事業専任の職員(LA)が年間を通じて行う活動とがある.第5章では,1994年に制度化されたLAに注目し,農協の共済事業推進組織に対する制度の特性がその経営に与える影響をみた.まず,農協と農協共済利用者へのアンケート調査結果を用いて,共済事業の経営指標をもとに,高加入意向型(市場の評価が高い)・高成長率型(死亡保障分野を除く事業種類の契約成長率が高い)・成熟型(死亡保障市場に特化)の3つに農協を分類した.次に,エージェンシー理論の基礎的概念を用いて,共済事業の推進組織に関するインセンティブ制度等が農協の3類型に及ぼす影響を検証した.この結果,LAへのインセンティブ制度の付与は成熟型で認められ,利益の高寄与率部門に報酬を積極的に与えていることが明らかとなった.市場志向・成長志向のように組織全体で共有されやすい目的がある場合には,LAに対して特別な措置をせず,全体の協力関係の促進を重視する傾向がみられ,集団行動性向の強い農協組織の特徴や目標の一元化の一形態を示すものとの検討を加えた.また,高成長率型の場合では,農協の経営管理部門の明確な意向表明とLAの分権化のルールがみられること,高加入意向型の場合は,情報の非対称性の解消に気を配っていることなど,3類型で異なる制度が設計されていることを明らかにした.クラスター分類や3類型への影響要因の検証に,ニューラルネットワークモデル(Kohonen networkとRadial Basis Function)を使用し,分類の明確さや実態の把握で一定の成果を得た.

 以上のように本論文に示された農村における保障需要や農協共済の事業推進活動の分析により,従来からあった一般的な通念を計量的に検証できたほか,いくつかの新しい知見を得ることができた.

審査要旨 要旨を表示する

 わが国の農村経済において、農業協同組合(以下、農協)の経済活動はいまなお無視できないシェアを占めている。農協組合員の家計保障需要の過半を満たしている農協共済も例外ではない。しかしながら、信用事業や購買・販売事業をめぐる農協研究の厚みに比べて、共済事業に関する研究の蓄積は乏しい。とくに、計量経済学的なアプローチによる研究はほとんど未開拓の状態にあった。本論文は、わが国保険業が動揺期に入った1990年代を主たる対象に、組合員の保障需要の解析を通じて、農協共済の特質を計量的に明らかにしたものである。

 序章と第1章は、既往文献の吟味と、研究対象期間における農協共済事業のパフォーマンスの概観に当てられている。すなわち、視野を一般の保険業にまで広げて先行研究のレビューが行われ(序章)、農協共済が90年代にも相対的に安定していたことが、各種の統計や事業担当者に対するアンケート調査の分析によって示される(第1章)。

 第2章と第3章では、組合員を対象とするアンケート調査に多変量解析を施すことにより、農協共済への加入要因という観点から、組合員の保障需要の特徴を浮き彫りにしている。他の業態(生保・損保・簡保)との比較を試みた第2章からは、簡保との競合の度合いが高いこと、農協共済の加入には遺産動機が強いこと、生活全般にわたる相談機能が農協共済への加入誘因として作用しているといったファインディングスが得られている。第3章では、農協共済利用高に焦点を絞り、組合員と農協の結びつきの強さが共済加入率と利用量に与える影響を評価している。正の相関が検出され、ほぼ通説を追認する結果となったが、同時に、農協に対する好意的な評価が当該組合員の農業従事の度合いと必ずしも結びついていないこと、共済の推進員の活動が忌避される傾向の出現といった注目すべき観察結果も得られている。

 第4章と第5章は、1995年のいわゆる住専処理の農協共済需要に対するインパクトを分析している。まず第4章では、住専処理前後の組合員意識調査の結果に数量化3類を適用し、全体として農協観に変化は生じていないことを確認し、その要因として、単協レベルの問題と連合会レベルの問題が識別されていることなどを指摘した。ただし、壮年層組合員には、農協運営への参加意識の高まり、信用・共済事業中心観の強まりといった変化が観察された。こうした壮年層組合員の意識構造の変化に着目して、第5章では壮年層をターゲットにした共済事業のありかたについて考察している。とくに、農協への受け身の帰属意識が低下していることから、競合する他業態に比べて弱いとされるコンサルティング機能の充実が急務であることを指摘している。

 第6章では、組合員の意識調査と保険利用実態のデータにトービットモデルとニューラルネットワークモデルを適用することにより、リスクへの態度の差異と業態間の保険選択の関係を分析している。その結果、近年の金融危機のもとにおいても、農協組合員に目立った資産保全行動は認められず、資産デフレの影響を被る傾向にあること、これとは対照的に、生保加入者には相対的に市場リスク感応度の高い顧客が含まれていることなどの新知見が明らかにされた。

 第7章では、第6章までの分析によって解明された農協共済に対する需要の特性を踏まえて、農協共済の推進組織のデザインという観点から考察を加えている。とくに1994年に制度化された共済事業専任職員(通称LA)をめぐるインセンティブと権限の委譲のありかたについて、エイジェンシー理論を援用しながら、3つに分類された農協のタイプごとに具体的な提案を行っている。

 以上を要するに、本論文は研究上の空白が大きく残されていたわが国総合農協の共済事業について、計量経済学的な手法を用いながら、その特性を多面的に明らかにしたものである。農協組合員の保障需要の特徴をはじめとして、少なからぬ新知見が得られるとともに、あわせて目下の共済事業の問題点を浮き彫りにした点で、本論文の成果は学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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