学位論文要旨



No 215053
著者(漢字) 柴田,晋吾
著者(英字)
著者(カナ) シバタ,シンゴ
標題(和) 森林の多元的価値実現論 : 持続可能な森林環境資源管理のあり方についての考察
標題(洋)
報告番号 215053
報告番号 乙15053
学位授与日 2001.05.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15053号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 箕輪,光博
 東京大学 教授 永田,信
 東京大学 教授 山本,博一
 日本大学 教授 木平,勇吉
 東京大学 助教授 白石,則彦
内容要旨 要旨を表示する

 本論においては、国際的かつ地球規模の視点に立ちつつ、文献レビューを中心に歴史論、比較論、制度論、生態学理論を融合した総合的なアプローチを用いて、いわゆる持続可能な森林環境資源管理のあり方についての基本哲学を整理し、その実現のための政策手法を明らかにし、さらにそれに基づく具体的な価値実現のための森林利用のあり方を示すことを目的とした。具体的には、1)歴史的経緯と基礎的理念についての分析・整理、2)新たな基礎的理念の実現のための政策手法としての計画論、及び3)新たな基礎的理念の実現のための具体的な政策方向の提示・分析の三部に分かれる。

1)歴史的経緯と基礎的理念についての分析・整理

 新たな持続可能な森林環境資源管理の基礎的理念と従来の森林管理の考え方の差異を明らかにするため、環境保護サイドを含めた森林環境資源政策についての歴史的経緯と論点についての国際比較を行い、その背後にある基礎的な政策理念を分析した。最初に欧米の主要先進国における20世紀後半の森林・林業政策の転換状況について比較した結果、社会状況、資源内容、所有形態などの違いにより論争の程度や発生時期に差異があるが、いづれの国においても社会的価値観の変化に伴って発生した環境保護と木材生産についての論争が契機となり、従来の「木材生産を中心にした政策」から、生物多様性の保全やレクリエーション利用等など「森林環境資源の有する幅広い価値に視点を当てる政策」への転換が図られたことが分かった。

 次に、欧州で台頭してきている"Close-To Nature Forestry"(自然に近い林業、CTNF)と生態系の状態に着目する考え方であるアメリカの"Ecosystem Management"(エコシステムマネジメント、EM)の歴史的経緯と考え方を分析した結果、CTNFは人工林、EMは原生的な森林がそれぞれ出発点であるが、いづれも健全かつ有機的な森林への誘導が目指されており、CTNFはMollerが1922年に唱えた"Dauerwald"(恒続林)の思想が基であること、EMは思想的にはPinchotの利用推進による保全や近年の多目的利用、さらにはMuirの厳正保存などとも一線を画する考え方であり、20世紀前半にLeopoldが唱えていた自然との共生を目指す保全思想に近いことが分かった。fragile(脆弱)かつresilient(弾力的)な生態系のメカニズムの解明とあわせて、EMにおいて提示されている"Ecological Integrity"(生態系の完全性、EI)、"Historical Ranges of Variability"(歴史的変動範囲、HRV)等の概念の政策手段として活用可能な指標化が課題と考える。

 次いで、森林土地の開発と環境保護サイドとの論争についての実態、及び人為活動の高度化に対応した原生林から非森林までを含む森林土地の実現価値の変化のパターンについての分析を行った結果、森林土地の価値は「生態系保全」、「保全」、「木材生産等」、「中間的利用」、「都市的利用」の五つのクラスターに大別できると考えた。さらに、個々の価値、及びこれらの価値クラスターの両立可能性についての定性的な解析を通じて作成した両立度マトリックスによれば、EIとの相関が比較的低いと考えられる国土保全・災害防止等の「保全」は、「生態系保全」とは積極的に両立し、集約的な木材生産とも比較的両立しやすいが、EIとの相関が高いと考えられる野生生物の生息、原生環境保全等の「生態系保全」は集約的な木材生産と両立しにくく、原生環境の保全に至っては非集約的な木材生産とも両立困難である。このため、「木材生産等」は「保全」及び「生態系保全」とは条件により両立が可能にすぎない。

 以上の分析結果は森林土地の多様な価値の多元性と楽観的な「予定調和論」の限界を示しており、それに代わる新たな指導理念として、特定の価値の過度の追求ではなく、注意深くかつ計画的に多元的な価値のバランスを追求する「計画調和」とでも呼ぶべき新たな理念への転換が必要と考える。そして、フォレスター(森林・林業の専門家)は森林土地の全体を見る一段と高い視座に立ち、「木材生産の利害関係者」という20世紀後半に形作られたイメージを払拭し、環境保護の専門家などと「共働」しつつ広範な分野についての専門的知見を統合、駆使し、森林利用についての合意形成過程における利害関係者の中立的なレフリーとして、「生態系保全」クラスターの領域の確保を図り地球規模のEIを確保すること、すなわち人類の活動をHRVの範囲内に収めるという環境共生型社会へのシナリオを導くことに貢献すべきである。

2)新たな基礎的理念の実現のための政策手法としての計画論

 1)で導いた「計画調和」の理念の実現のための具体的な手法を明らかにするため、カナダの事例を見た結果、Clayoquot Soundの原生林伐採をめぐる論争が引き金となり、BC州のLUP(土地利用計画)等の策定や各地での"Community-Based Forest Management"(地域住民立脚型森林管理、CBFM)などの共働型の森林管理が行われていることが分かった。また、森林環境資源についての多元主義の考え方と世界各地で行われているその実現を図るための取り組みを分析した結果、論争の発生の可能性が高く時間をかけて結論を出すことが可能な場合、伝統的な単なる"participation"(参加)とは一線を画する概念であり、一定の地域分権のもとで多様な利害関係者の相互学習の促進を図るメカニズムである"collaborative management"(共働型管理、CM)を導入することが有効な場合があることが分かった。共働型管理は北米のみならず、世界各地において行われてきており、相当の成果が上がってきている一方で、住民への過度の委譲によるコントロールの喪失や財政的、政策的支援の欠如などの問題も報告されており、さらなる知見の収集、分析が必要な段階にある。

 次に、森林計画が土地利用のゾーニングを行う計画に発展した"strategic level"(戦略レベル)の森林土地利用計画の策定のあり方について、カナダ及びアメリカの事例の比較考察を中心に多角的な観点から分析した。アメリカの国有林の環境アセスメントと一体となったLRMP(土地資源管理計画)は、法制度に基づく「協議レベルの参加型計画」の国際的な先駆事例であり、数学モデルを用いた官製計画と硬直的な参加の仕組みが対立をエスカレートさせたなどの多くの貴重な教訓を生み、adaptive(順応型)アプローチによる関係者の"collaboration"(共働)による共生を実現するという新たな視点に立った取り組みが行われているほか、持続可能性の目標の設定、共働型のより実質的な参加、科学的知見の強化、規則の簡素化の四点を柱とする改訂計画策定規則が定められた。一方、カナダBC州のLRMPは、各省庁の政府関係者を含む利害関係者の直接参加方式の"Planning Table"(計画テーブル、PT)などに策定の委任を行う「共働型の参加型計画」であり、代替案に代わるシナリオアプローチや分かりやすい策定ツールの使用などの工夫がこらされている。結論として、森林環境資源管理についての合意形成は状況に応じた多様な手法を用いるべきであり、ボトムアップとトップダウンのバランス、直接参加方式、シンプルで穏やかな合意、直感的ディスプレイ、対話と学習、関係者の「共働」などが重要なポイントと考える。

3)新たな基礎的理念の実現のための具体的な政策方向の提示・分析

 地球規模のEIの確保のためには、森林地の維持に加えて、森林利用の両極端の形態といえる原生林等の保護地域と一斉造林地、及びその中間地域のバランスのとれた配分、配置が必要となるが、地球規模での森林の現状、森林利用についてのゾーニングの各国の傾向などを分析した結果、今後、利用可能な面積が限定された地域における原生林等の保護地域と一斉造林地との中間的存在である多様な機能が期待できる森林の維持管理には、森林に単一的な機能を求めるゾーニングではなく、環境学習などの非集約的なレクリエーション利用と非集約的な木材生産等を適宜組み合わせるなどの多目的な生態系保全型の利用を推進することが重要となると考える。

 最後に、生態系の持続のための保全型の利用の推進に貢献する経済活動として林業を位置づけた場合、林業の発展方向は、森林の全ての産物、サービスに視点を当ててその多元的な価値の実現を目指す統合型森林産業である"holistic forestry"(森林業)を推進することであると考える。地域住民や都市住民を巻き込んだ取り組みの実態を分析した結果、エコツーリズムや小規模な非木材森林産品(NWFP)生産など「森林業」の萌芽は世界各地で見られる。「森林業」は、"timber forestry"(木材生産林業)から森林環境総合ビジネスへの脱皮であり、「林業」の可能性を無限に拡大するものであるが、EIとの関連で生態系保全型利用の範囲を見定めることが大きな課題である。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、森林の多元的価値実現及び国際的・地球規模の観点から、文献レビューを中心に、主として歴史・制度・生態系面から比較論的に「持続可能な森林環境資源の管理経営のあり方」について総合的考察を加え、その基礎的理念を整理すると共に、その実現のための政策手法と森林保全・利用の方向を明らかにすることを目的としたものである。その内容は、以下の四つに大別される。

1)「持続可能な森林環境資源の管理経営」の考え方の台頭に至る歴史的経緯

 まず、欧米の主要先進国における20世紀後半の環境保護サイドと森林・林業政策の動きの両面に関して対比、分析を行い、60-70年代及び80年代後半以降における環境保護と木材生産との対立・論争が、従来の「木材生産を中心にした政策」から「森林環境資源の有する幅広い価値に視点を当てる政策」への転換の引き金となっていること、その政策転換の過程や論争の内容・時期等に関しては社会状況、資源内容、所有形態などの違いに応じて差があること、また、フォレスターの環境保護NGOへの対応姿勢は、無視、反論等から次第に傾聴、共働の方向へと変化しつつあることを明らかにした。

 次に、それぞれ欧州及びアメリカで台頭してきている"Close-To Nature Forestry"(CTNF、自然に近い林業)と"Ecosystem Management"(EM、エコシステムマネジメント)の思想とその歴史的経緯を分析し、CTNFは1922年にMollerが唱えた"Dauerwaldgedanke"(恒続林思想)に端を発していること、他方EMは、思想的にはMuirの厳正保存やPinchotの利用推進型保全、またMultiple-Use(多目的利用)とも一線を画する考え方であり、20世紀前半にLeopoldが唱えた自然との共生を目指す保全思想に近いことを明らかにした。

2)「持続可能な森林環境資源の管理経営」の基礎的理念についての分析、整理

 まず、アメリカの「内陸コロンビア水系エコシステムマネジメントプロジェクト(ICBEMP)」の事例分析を行い、生態系の持続を示す指標として、基本的には"Ecological Integrity"(EI、生態的統合度)と"Socioeconomic Resiliency"(SER、社会経済的弾性度)が用いられていること、またその他に、"Historical Ranges of Variability"(HRV、歴史的変動範囲)等の概念が提示されているが、これらの指標、概念の政策手段としての活用を可能にすることが今後の課題であるとことを指摘している。

 次いで、森林に対する人為を「都市型開発」、「農業型開発」(以上が林地開発)、一斉植林型の「開発型保全」、原生的森林の保全の「非開発型保全」、及びこれらの中間の「中間型保全」(以上が森林保全)の五つに区分し、歴史的・経験的事実などに基づき各クラスターにおいて特に期待される価値・利用間の両立可能度のマトリックスを作成した。その結果、各種保全活動と、各種木材生産活動との間の両立可能性・困難性の関係が明確になり、古くから存在する楽観的な「予定調和論」にはおのずから限界があることが示された。そして、「予定調和」に代わって生態系の持続の範囲内で計画的に多様な価値のバランスを追求する「計画調和」という新たな理念を提示した。

3)新たな理念の実現のための政策手法の分析

 まず、「計画調和」の理念の実現を図るための手段として、伝統的な"participation"(参加)とは一線を画する"collaborative management"(CM、共働型管理)の概念が有効であることと、その問題点、たとえば住民への過度の委譲によるコントロールの喪失や財政的、政策的支援の欠如などが指摘されている。次いで、「計画調和」を目指したCMの事例であると考えられるアメリカ、カナダにおける"strategic level"(戦略レベル)の森林土地利用計画の策定について多角的な観点から比較考察を行い、実質的なCMへの転換と生態系の持続のための科学的知見の強化が必要であること、及び戦略レベルの森林計画は実行指針としての成果物から民主的な政策形成過程へと変質しつつあることを明らかにした。

4)森林の保全・利用の方向の提示

 地球規模の生態系の持続の観点からEI及びSERの双方の確保を図るためには、原生的森林と一斉植林地の中間の森林(「中間森林」と呼ぶ)の保全(「中間型保全」)が特に重要であること、さらに、そのための森林保全・利用の方向として、「中間森林」を中心的な対象として森林の全ての産物、サービスに視点を当てた統合型森林環境経営である"holistic forestry"(森林業)への展開を提示している。

 以上、本論文は、森林の多元的価値実現の立場から、持続可能な森林環境資源管理経営に関して、基礎理念、政策手法、保全・利用方向の三つの観点から総合的に論じたもので、これからの森林環境資源管理経営の研究及び実践に多大の貢献をなすものと考えられる。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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