学位論文要旨



No 215054
著者(漢字) 中島,紀一
著者(英字)
著者(カナ) ナカジマ,キイチ
標題(和) 日本農学に関する批判的考察 : 在野農学の水脈とエコロジカル・アグロノミーへの転換課題
標題(洋)
報告番号 215054
報告番号 乙15054
学位授与日 2001.05.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15054号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 生源寺,眞一
 東京大学 教授 八木,宏典
 東京大学 教授 谷口,信和
 東京大学 教授 岩本,純明
 東京大学 助教授 小田切,徳美
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、世紀的転形期としての21世紀における農学のあり方を探るための基礎作業として、20世紀、特にその後半期における日本農学の展開過程を批判的に考察し、新たな農学のあり方として「エコロジカル・アグノロミー」という方向への転換の必要性を提示したものである。

 本論文では20世紀における農学を「近代農学」と規定し、そのパラダイム的基本原理を19世紀ドイツの農学者リービヒによる「農耕循環の外部補給による補完・代替方策の確立」に求めた。このような「近代農学」から「エコロジカル・エコロジー」への転換という課題は、20世紀末の時代状況から要請されてきたものであるが、日本農学の過去にはそこへのいくつかの先行水脈があったと考えられる。本論文では、その重要な例として民間における「在野農学」とアカデミズムにおける「総合農学」の試みを取り上げ、その展開と消滅への顛末を検討した。また、「エコロジカル・アグロノミー」構築への直接的模索事例として有機農業を取り上げ、特に有機稲作における技術形成の状況を整理し、併せて運動戦略のあり方について考察している。

 20世紀は成長し続ける巨大な生産力が形成された時代だった。この時代に、科学は技術を主導し、科学技術の急速な発展は生産力の爆発的成長を創り出した。科学技術主導の巨大生産力の形成というあり方は20世紀後半期により顕著となり、支配的なものとなった。この時期は先進諸国における市民社会の大衆社会化が進み、大衆消費=大量消費の社会条件・社会システムが形成された時代でもあった。この2つの要素が結びついて先進諸国における大量生産=大量消費の成長メカニズム、すなわ「豊かさへの時代」が出現することになった。

 ここで科学技術論として重要な点は、生産力の爆発的成長が、大量生産=大量消費という形で市民社会全体を巻き込み、巨大な社会的循環系として展開されたという点であろう。

 しかし、終わりのない循環系と認識された科学技術主導の成長メカニズムは、たとえそのプロセスで公害管理等についての注意深い措置がとられたとしても、実は、入口における資源収奪と出口における大量廃棄という契機を不可欠な必然とする、すなわち周辺の存在に支えられた巨大な使い捨て的ワンウェイシステムであったことが次第に明確になっていく。成長メカニズムが有効に機能すればするほどその非循環的構造は深刻な欠陥として露呈することになった。地球環境問題、第三世界における自然収奪と絶対的貧困の集積と固定化等々の諸問題はそうした構造問題の表象と理解される。

 だが循環破綻的社会問題の普遍的な形成は、時代のこのようなあり方への異論を市民社会内に形成することになる。1970年代には異端として退けられた反科学論、オルタナティブテクノロジー論なども次第に社会的支持のある議論として受け止められるようになり、1990年代にはこのような事態を解決する道筋論が、20世紀の総括と21世紀への展望という形で多面的に論じられるようになる。

 代表的議論として、20世紀後半期に世界を席巻した成長メカニズムを仮にフォーディズムと規定するとすれば、21世紀ビジョンを、世紀末的な外部不経済も内部化していくウルトラフォーディズムとして構想していこうとする論議と、脱フォーディズムとして構想しようとする論議とがある。いずれの立論においても爆進する科学技術の取り扱いは中心的論点に据えられている。20世紀末の諸矛盾をどのように解決するのか、20世紀の生産力展開を主導した科学技術をどのように捉えるのか、をめぐって市民社会における21世紀ビジョン論議において相当に厳しい亀裂が広がりつつあると見られる。

 21世紀における農業展望もこのような亀裂ある21世紀論議の重要な一角をなしている。そこでは21世紀に予測される食料問題への対応方策、生物多様性の保全のための農業の多様性確保、砂漠化や熱帯林破壊と途上国農業開発との関係、これからも農業国として生きるであろう途上国の開発ビジョン、WTO体制のもとでの各国農業の多様性のあり方、等々の多岐にわたる論点についてさまざまな対抗的議論が展開されている。こうした状況の下で、農業にかかわる科学技術のあり方、端的には農学論に関しても、従来の認識の再検討とあらたな組み立てが社会的にも強く求められるに至っている。

 従来の農学論、端的には近代農学論は、生産性の向上と効率化を至上命題として組み立てられており、それは大局的には農業の工業化、工業的論理の農業への適用、工業的生産力の農業への援用等を内容とするものと理解できる。しかし、21世紀論で求められる農学論はこのような単線的論議ではなく、多様な産業目的、多様な目標価値論を踏まえた、複線的な農学論の構築が求められているように思われる。農業はさまざまな価値観の下で生きる世界各国のたくさんの民衆が担う生業的産業であり、それを支える技術論は本来多様性において認識されるべきであった。近代農業・近代農学はそれを一元的論理で把握しようとしてきた。振り返ればそれは一つの時代的イデオロギーであったのだが、そのような社会認識の行き詰まりと弊害は相当明確になってしまったと理解されるべきだろう。

 本論文では、こうした21世紀における農業あり方と可能性をめぐる社会的議論の亀裂を念頭において、農学論、農業技術論の視点から20世紀後半期の農業を振り返り、21世紀農業についての試論を提起することを課題としている。そこで特に意識した論点は、循環型社会、循環型農業の創造という将来展望を前提として、農業生産活動に係わる自然と人為の位置関係、直接的生産者としての農業者の主体性、農業生産の風土性などである。

 具体的には、第I章で、20世紀末の科学技術と農学をめぐる時代状況について検討し、本論文における日本農学に関する考察の基本的視座を設定した。

 第II章で近代農学の基本パラダイムをリービヒを始祖とする農学論、すなわち自然の循環に支えられて進行する農業生産過程を解明し、それをより効率的な外部補給技術で代替させるという考え方として理解し、その対極に農業生産過程とそれを支える自然の循環を強くリンクさせながら両者をより良く進行させることを目指すエコロジカル・アグロノミーという展望を提起し、本論文での農学論の基本的枠組みを提示した。

 第III章では、日本において上述のような近代農学が農業生産過程を本格的に掌握するようになる1950年代に、実は近代農学とは対抗的なエコロジカル・アグロノミーの萌芽的形成が、民間学的在野農法(民間農法)という形で自生しようとしていたことを、稲作を例にとって、その技術形成の様相を発掘し、それらの農学的創造性、到達点、問題点等について検討した。

 第IV章では、農学アカデミズムの場でも、1950年代には在野的視点からの農学形成へのチャレンジがあったことを新制大学農学部における総合農学科と農村生活研究への萌芽を例として示し、同時にそれらの取り組みが農学の近代化という流れのなかで自己解体していく過程を跡付けた。

 第V章では、1950年代における民間農法を先行水脈として、1980年代頃から模索されはじめるエコロジカル・アグロノミー形成への胎動を有機稲作を例として検討した。

 第VI章では、オルタナティブという議論のもつ問題性を検討した。本論文では近代農学に対するオルタナティブとしてエコロジカル・アグロノミーという構想を提起した。しかし、このような二分法的論議には枠組み自体がもつ問題性がつきまとう。この点を認識するために、オルタナティブ運動の一典型として有機農業運動を取り上げ、それが内包してきた問題点を検討した。

 第VII章では、本論文の結びとして、現代農学の焦点として遺伝子組換え技術の意味について検討し、エコロジカル・アグロノミーは循環型社会論の基礎理論として位置付けられるべきだという視点から21世紀における農業と農学のビジョンを試論として提起した。

審査要旨 要旨を表示する

 1999年に施行された食料・農業・農村基本法には、農業の自然循環機能の維持増進がうたわれ、同年の改正JAS法では、有機農産物に関する国としての検査・認証制度が定められた。環境問題や食の安全性に対する国民の関心の高まりを背景に、循環をキーワードとして農業のありかたが見直されている。本論文は、資料の再吟味と丹念な考証に基づいて、かかる農業見直しの思潮が在野農法の実践という前史を有していることを明らかにし、併せて、こうしたいわば稗史の検討を通じて、戦後のメインストリームの農業技術と農学の展開をめぐって、その意義と限界について考察を加えたものである。

 第1章では、本論文を貫く分析の基本フレームが提示される。すなわち、近代の農業技術の流れをフォーディズムと脱フォーディズムの対抗として捉え、20世紀末に顕著となった循環型技術再評価の機運を、グローバルな産業史・技術史の文脈のもとで理解すべきことが提案される。第2章では、この基本フレームのもとで、リービヒの業績に対する代表的な評価・批判をあらためて取り上げ、その比較検討を試みている。さらに、農業生産の諸要素を分析し、主として効果的な外部補給技術によってその効率を改善する近代農学の流れに対して、以下の章で吟味するさまざまな農法上の試行を、自然循環との調和を重視するエコロジカル・アグロノミーの系譜として位置付けている。

 第3章では、1950年代に隆盛期を迎えた民間稲作農法について、黒沢淨・松田喜一・島本覚也(邦彦)の3氏のケースを取り上げ、農法の内容と普及の実態を資料の多角的な分析を通じて明らかにしている。そのうえで、民間農法の特徴である体系性や思想性の強調が普及面でブレーキとして働いた点、資材や機械に体化された技術として開発されることがまれであった点など、問題と限界は存在したものの、農地改革と食料増産の熱気のなかで民間農法の競演ともいうべき活況の認められたこと、自然循環への強い配慮に共通の特質の認められることを考慮すると、これまでに編まれた戦後の農業技術史は、こと民間農法に関する限り、過小評価のそしりを免れないと結論している。

 第4章では、アカデミズムの領域においても在野の視点を重視した農学形成の試みのあったことを、1950年代の新制大学農学部における総合農学科の誕生と解体のプロセスとして跡づけている。すなわち、機構改革をめぐるGHQや文部省等の資料の吟味、当時の関係者からのインタビューなどを通じて、短命に終わった総合農学科の試みを、ドイツ科学思想の強い影響下にあった農学の官房学的体質を克服するチャレンジとして位置付けている。

 第5章と第6章は、1950年代の民間農法を先行水脈とする有機農業運動を分析の対象としている。第5章では、稲作を中心に有機農業の特質を整理するとともに、代表的な実践例に即して、運動の現在の到達点を明らかにしている。第6章では、日本有機農業研究会会員の動向等に関するデータを吟味することにより、1970年代にスタートした提携型の有機農業について、その先駆的な役割を評価している。同時に、今日求められている裾野の広い循環型農業の形成という課題に照らして、運動のリード役としての存在から、幅広い運動の一翼を担う存在へと自己限定することが望ましいと提言している。

 第7章では、本論文全体を総括するとともに、公共財としての技術という観点からみた場合の遺伝子組み換え作物の問題点をはじめとして、今後に残された研究課題が提示されている。

 以上を要するに、本論文は自然循環との調和を重視するエコロジカル・アグロノミーの史的変遷とその現代的意義を、客観的な資料の多角的な吟味に基づいて明らかにしたものである。本論文は、少なからぬ新知見とともに、有機農業運動をはじめとする実践の場に対する傾聴すべき提言を含んでおり、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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