学位論文要旨



No 215058
著者(漢字) 宮原,健介
著者(英字)
著者(カナ) ミヤハラ,ケンスケ
標題(和) プローブ顕微鏡技術に基づいたナノインデンテーションによる微小領域の力学特性評価法の確立と材料研究への応用
標題(洋)
報告番号 215058
報告番号 乙15058
学位授与日 2001.05.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15058号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 前田,康二
 東京大学 教授 西,敏夫
 東京大学 教授 鈴木,敬愛
 東京大学 教授 相澤,龍彦
 東京大学 教授 吉田,豊信
内容要旨 要旨を表示する

 最近,半導体デバイス等の配線や薄膜構造,あるいはマイクロマシンや構造材料の微細組織化など,材料分野における研究対象の微小化が進み,それに伴って微小領域の力学特性評価技術の重要性は年々高まってきている。圧子を試料にnmレベルで押し込むナノインデンテーションは,そうした1μm以下の微小領域において力学特性を評価することができる数少ない試験法の一つであるが,高分解能の観察能力を持たないため,複雑な微細組織を持つ試料に対しての応用は制限されている。

 本研究の目的は,走査型トンネル顕微鏡(Scanning Tunneling Microscope : STM)および原子間力顕微鏡(Atomic Force Microscopy : AFM)などのプローブ顕微鏡技術に基づいて,高分解能の観察能力を備えたナノインデンテーション装置を開発し,材料研究へ応用することである。

 著者は,まずSTMを改良し,試料表面の任意の位置に深さ10nm程度の圧痕を形成することに成功した。しかし,STMによるナノインデンテーションでは,押し込み力が不明,押し込み過程が制御できないという問題があるため,次にAFMを用いたナノインデンテーションを試みた。AFMは押し込み力を直接制御できるため,機械的な加工がSTMより容易に行える。著者はAFM/STM複合装置を用いて,試料表面を大荷重で研削しながら表面の電気的特性を調べることにより,酸化膜の膜厚測定が可能であることを,モリブデン酸化膜を対象に実証した。これは,AFMの持つ機械加工能力を積極的に活用したものであり,STMでは得られない利点である。しかし,ナノインデンテーションに関しては,通常の構成では押し込み過程での押し込み深さを精度良く求めることができないこと,片持ちレバーでは圧子を試料に垂直に押し込むことができないことから,AFMでは十分な測定を行うことができなかった。

 そこで,著者はAFMを改良し,図1に示す独自のナノインデンテーション装置を自作・開発することに成功した。この装置では,両持ちレバーを採用し,また,圧子を試料に押し込むために追加のアクチュエータを用意することによって,前述の問題点を解決している。ダイヤモンド圧子を試料に押し込むナノインデンテーションに加えて,AFMとして高分解能の観察能力を持つ本装置は,複雑な微細組織を持つ材料を対象に,微小領域の力学特性を評価することが可能である。

 開発した装置を材料研究へ応用するためには,現在ナノインデンテーションにおいて問題となっている硬さの寸法効果について検討する必要がある。硬さの寸法効果とは,試験荷重あるいは圧痕が小さい領域で硬さ値が上昇する現象であり,これまでにも多くの研究者によって報告されている。著者はこの問題について検討し,金属単結晶による硬さ評価法を提案した。これは,タングステン,モリブデン,ニッケルなどの金属単結晶の電解研磨面を硬さ標準試料として用いるもので,均一な試料でマクロ硬さ試験およびナノインデンテーションを行うことによって,ナノ領域の硬さをマクロと同じビッカース硬さに換算して評価することを特徴としている。この評価法は経験的な方法であるため,実際に適用しその有効性を確認する必要があるが,前述の硬さの寸法効果に加えて,マクロ硬さ試験とナノインデンテーションにおける圧子形状の違いや,圧子先端の曲率などの影響などを含めて補正し,定量的な評価が可能になるという利点がある。

 開発した装置および評価法の有効性を確認するため,微細な組織を持つ材料として,結晶粒サイズが1μm程度の微細フェライト鋼を対象にナノインデンテーション試験を行い,その力学特性の評価を試みた。この材料は,実用鋼の高強度化を目指して,現在,研究・開発が進められているもので,マクロな特性のみならず結晶粒自体の力学特性を評価することによって,その強化メカニズムを深く理解することが期待できる。そのため,比較材として結晶粒サイズが30μm程度の粗大フェライト鋼についても対象とした。

 二つの材料について,圧痕サイズに対して硬さをプロットする「硬さの圧痕サイズ依存性」の結果を図2に示す。この図には,従来のマクロ硬さ試験機による測定結果と,ナノインデンテーションによる結果を合わせて示してある。粗大フェライト鋼では,圧痕サイズによらずほぼ一定の硬さとなるのに対し,微細フェライト鋼では,マクロなビッカース硬さ試験でHV210程度だった硬さが,圧痕サイズが小さくなるにつれて低下し,圧痕サイズが0.1μmのナノインデンテーションでは,換算ビッカース硬さHV*130まで低下することが明らかになった。この結果は,微細フェライト鋼ではマクロな強度の一部が結晶粒の微細化強化によるものであることを示唆するものである。結晶粒微細化強化については,次のHall-Petchの関係がよく知られている。

ここで,σB,σ0,k,dはそれぞれ引張強度,結晶粒径以外の強化による引張強度,ロッキングパラメータ,結晶粒径である。このうちロッキングパラメータkは,材料の高強度化に関する重要なパラメータの一つである。kやσ0を評価するためには,通常,結晶粒径dの異なる複数の試料について引張強度σBを求め,σBとd-1/2のプロットをすることが必要になるが,ナノインデンテーションによる特性評価では直接σ0に相当するナノ硬さを測定するため,一つの試料からkを評価することが可能となる。本論文で得られた微細フェライト鋼のロッキングパラメータkは2.6×105N/m3/2となり,この値は,従来の方法で求められたk=2.4×105N/m3/2とほぼ等しい。したがって,本研究で得られた硬さ評価法および硬さの圧痕サイズ依存性は,材料の強化メカニズムに関する重要な情報を提供し,材料研究分野へ貢献する有効な評価法であるといえる。

 別の応用として,高強度鋼の長期疲労特性を低下させる原因となっている内部破壊現象について取り上げた。内部破壊の原因の一つである介在物は微小化と軟質化で解決に向かいつつあり,現状では新たに組織起点の内部破壊が問題となっている。この組織起点の内部破壊に関しては,改良オースフォーム処理を施すことによって抑制されるという報告があり,本研究では,組織起点の内部破壊を生じるばね鋼SUP12通常熱処理材と,生じない改良オースフォーム材を対象にナノインデンテーションおよびAFM等による力学特性評価と組織観察から,その原因について検討した。その結果,極値統計解析から,通常熱処理材では試験片中に推定で最大19.7μm程度のサイズを持つ不均一組織が含まれており,最大7.7μmの改良オースフォーム材より材料組織が不均一な状態になっていることを明らかにした。通常熱処理材の組織起点は平均約18μmのサイズであり,不均一組織の推定最大寸法とほぼ一致する。さらに,高倍率観察によって,この不均一組織が通常熱処理材では主として下部ベイナイト,改良オースフォーム材ではフェライトであることを同定し,図3および4に示すナノインデンテーションによる結果から,不均一組織が素地より低い換算ビッカース硬さHV*150程度であることを明らかにした。以上の結果から,材料に含まれる不均一組織が,組織起点の内部破壊の原因である可能性が高いと結論し,高強度鋼の疲労特性を向上させるために,組織を均一化すべきであるという明確な材料設計指針を得ることができた。

 以上をまとめると,本論文において,著者はプローブ顕微鏡技術に基づいたナノインデンテーション装置を開発するとともに,微小領域の硬さ評価法を提案し,材料研究への応用を実証したと結論できる。

図1 本研究で開発したAFMに基づくナノインデンテーション装置

図2 微細フェライト鋼,粗大フェライト鋼における硬さの圧痕サイズ依存性

図3 SUP12鋼通常熱処理材におけるナノインデンテーション試験前後のAFM像.

中央にある横に長い部分が不均一組織(下部ベイナイト)である.

図4通常熱処理材における素地(マルテンサイト)と不均一組織(下部ベイナイト)のナノインデンテーション

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,プローブ顕微鏡技術を応用することによって,微小領域の力学特性を評価する手法として,1μm以下の押し込み深さで硬さ測定を行うナノインデンテーションによる力学特性評価と原子間力顕微鏡(Atomic Force Microscopy : AFM)による組織観察の両方を行うことのできる装置を開発するとともに,同装置を用いて,巨視的硬度値と整合性のある微小硬度値の定量的評価法を提案したものである。さらに,これらの装置および評価法の有効性確認と材料研究への応用として,微細フェライト鋼の力学特性評価と,高強度鋼における疲労特性と組織の関連を調べた結果についても報告している。

 本論文は6章よりなる。

 第1章は緒言であり,微小領域における力学特性評価の重要性が述べられ,「プローブ顕微鏡技術を用いて,1μmあるいはそれ以下の微小領域において、ナノインデンテーションによって材料の力学特性を評価する装置・手法を開発・確立し、応用すること」という本研究の目的と,全体の構成が述べられている。

 第2章では,まず研究の背景として,硬度値の物理的意味と工業的に利用されている現状について述べられ,従来のナノインデンテーション装置に関する説明の後,プローブ顕微鏡技術をナノインデンテーションに利用することの利点が述べられている。その後,著者が行った試みとして,まず,走査型トンネル顕微鏡(Scanning Tunneling Microscope : STM)を用いて押し込み試験を行う原理について説明し,それを実現する自作の装置と実際の圧痕のSTM像の例を示している。さらに,STMをナノインデンテーションに用いた場合の問題点を検討している。

 さらに著者は,この問題点を解決するため,原子間力顕微鏡(AFM)を用いた機械加工について検討を進めている。自作のAFM/STM装置について説明し,研削加工能力を活かした酸化膜の膜厚測定を行っている。さらに,AFMをナノインデンテーションに用いた場合の利点と問題点を検討している。本章の最後では,以上の問題点を解決するために,著者が開発したAFMを改良したナノインデンテーション装置について詳しく説明されており,その際に必要な改良点や,他の装置との比較についても述べられ,今後の展開についてもまとめられている。

 第3章では,ナノインデンテーションにおいて問題となっている定量的な評価法について検討している。ナノインデンテーションでは,通常のマクロ硬さ試験で用いられる硬度値の評価法が適用できないことを説明し,特に圧子の形状補正と硬度値の寸法効果について詳細にレビューしている。著者はこの定量評価の問題を解決すべく,金属単結晶を標準試料として用いる独自のキャリブレーション法を提案し,実際の方法を詳しく説明している。

 第4章では,開発した装置および評価法の有効性を確認するため,微細な組織を持つ材料の例として,結晶粒サイズが1μm程度の微細フェライト鋼を対象にナノインデンテーション試験を行った結果について,比較のために結晶粒サイズが30μm程度の粗大フェライト鋼の結果と合わせて報告している。圧痕サイズに対して硬度値をプロットした「硬度値の圧痕サイズ依存性」で結果を整理し,粗大フェライト鋼では圧痕サイズによらずほぼ一定の硬度値が得られるのに対し,微細フェライト鋼では,マクロな硬さ試験ではHV210程度だった硬度が,圧痕サイズが小さくなるにつれて低下し,圧痕サイズが0.1μmでは換算ビッカース硬度HV*130まで低下することを明らかにしている。この結果は,微細フェライト鋼ではマクロな強度の一部が結晶粒の微細化強化により達成されていること,また,Hall-Petchの関係から期待される結果と一致していることを考察し,硬度値の圧痕サイズ依存性が材料の強化機構についての情報をもたらす重要なデータであると結論している。

 第5章では,さらなる応用として,高強度鋼の長期疲労において特性を低下させる原因となっている内部破壊に関して,ナノインデンテーションおよびAFMによる力学特性評価と組織観察を応用した例について述べられている。最初に背景として,介在物起点の内部破壊が介在物の微小化と軟質化で駆逐されつつある一方で,新たに組織起点の内部破壊が問題となっている現状について簡単に説明されている。実験結果では,組織観察で得られる極値統計解析から,材料に含まれる不均一な組織が組織起点の内部破壊の原因である可能性が高いという結論を得ている。さらに,AFMによる組織観察を行い,この不均一組織が,主として通常材では下部ベイナイト,オースフォーム材ではフェライトであると同定し,同時に行ったナノインデンテーションによる評価結果から,硬さの面でも不均一組織が疲労き裂の起点となりやすいことを示している。また,以上の結果から,高強度鋼の疲労特性を向上させるための具体的な材料設計指針を示している。

 第6章は本論文の結言であり,AFM技術に基づいてナノインデンテーション装置を開発したこと,金属単結晶を用いる硬度評価法を提案したこと,そしてそれらの応用として,微細フェライト鋼の強化機構の解析を行ったこと,また,高強度鋼の疲労特性に関して,内部破壊の起点となる不均一組織の同定と力学特性の評価を行い,疲労特性向上の指針が得られたことが結論されている。

 以上を要するに,本研究はプローブ顕微鏡技術を応用し,1μ以下の微小領域の硬さ試験と圧痕の観察能力を備えたナノインデンテーション装置を開発するとともに,微小硬度値の評価法を新たに提案し,微細フェライト鋼と高強度鋼へ応用し,手法の有効性を実証したものである。これらの業績は,鉄鋼材料を始めとする構造材料開発分野へ貢献する新しい評価手法を提供するのみならず,微小領域の力学特性に関する学術的研究にも寄与するものと評価できる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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