学位論文要旨



No 215061
著者(漢字) 伊藤,一誠
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,カズマサ
標題(和) 水文地質環境モデリング技術の開発とフィールドへの適用
標題(洋)
報告番号 215061
報告番号 乙15061
学位授与日 2001.05.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15061号
研究科 工学系研究科
専攻 地球システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 登坂,博行
 東京大学 教授 山冨,二郎
 東京大学 助教授 増田,昌敬
 東京大学 助教授 佐藤,光三
 東京大学 助教授 福井,勝則
 東京大学 助教授 徳永,朋祥
内容要旨 要旨を表示する

 地表水、地下水から構成される陸域の水は、我々の生活に欠かすべからざるものである一方、洪水、斜面崩壊、土石流等の多大な被害を及ぼす要因ともなりうる。防災という観点からは、降雨による広域の地表水、地下水の流動状況変化を的確に予測する手法が必要とされている。また、我々は社会生活を営んで行く上で、トンネルやダム等、地下や地上に大規模構造物を建設することによって陸城の水の流れに影響を与えたり、農工業活動によって、河川や地下水を汚染している。

 最近の防災、環境に対する社会的な関心の高まりとともに、必要性我々が水循環過程に与える様々な影響に対する定量的な評価手法が必要とされている。本論文では、水文循環過程における地表水−地下水の流動状況、地下水汚染の問題を総合的に評価する事を目的として新しい要素技術の開発を行った。

本論文で特に研究対象としている問題は、(1)溶解、揮発、吸着現象を含む土壌地下水汚染解析手法の開発、(2)適切な河道表現による地表水−地下水流動の結合解析手法の開発、(3)広域を対象とした効率的自動格子生成手法の開発である。本論文では、それぞれの内容に対し、個別の技術の開発と実際のサイトにおける適用を行った。

 以下に、個々の事項に関する研究内容および成果を示す。

1.溶解、揮発、吸着過程を含めた土壌地下水汚染解析手法の開発

 土壌地下水汚染においては、地下水中の溶質として移動する物質から、難溶性のNAPLと総称される物質までの様々な汚染物質を取り扱う必要がある。しかしながら、現状では多様な物質を統一的に取り扱うことができる解析手法は存在しない。また、溶解、揮発、吸着に関しても、現状の解析手法では、現象が瞬時に平衡に到達するという仮定に基づいたモデル化がされており、浄化対策等において流速が速い場合には実際の現象を適切に表現しているとは言えない。以上の問題を踏まえ、本論文では、より適用性の広い非定常の溶解、揮発、吸着モデルを組み込んだ土壌地下水汚染解析手法の研究を行った。研究の内容と成果は以下の通りである。

・非定常溶解、揮発、吸着過程を含む解析手法の開発

 揮発、溶解、吸着過程に対し、従来の瞬時平衡モデルと異なる非定常拡散型モデルに基づく定式化を行った。また、非定常溶解、揮発、吸着モデルを、多相流解析モデルに導入し、様々な汚染物質による土壌地下水汚染の解析に対応可能な3次元数値解析シミュレータを開発した。

・揮発過程に関する室内実験

 揮発過程に関しては、標準砂およびBerea砂岩を対象として、エチルアルコールの1次元的な非定常揮発拡散過程に関する室内実験を実施した。また、室内実験に対して本論文で開発した数値解析を適用し、実験結果と解析結果の比較検討を行った。

 その結果、揮発過程においては、非定常拡散型の揮発モデルを用い、瞬時平衡型と比較してより妥当なパラメータの組み合わせによって実験結果を精度良く再現する事が可能であることが示された。また、標準砂中におけるアセトンの非定常揮発拡散過程の実験を実施し、エチルアルコールを用いた実験の解析で求められた標準砂のパラメータと、既知であるアセトンの物性値を用いることで、本モデルによって実験結果を十分に再現することが可能であった。

・吸着過程に関する室内実験

 吸着過程に関しては、標準砂およびロームへのアンモニウムイオンの吸着過程のバッチ試験を行った。その結果、吸着過程に関しては、揮発と同様に非定常過程が観察され、解析上は瞬時吸着過程とその後の拡散過程としてモデル化することにより実験結果と整合性の良い解析結果を得た。

・実際の地下水汚染サイトへの適用

 本研究で開発した解析手法を、実際に真空吸引および揚水による浄化対策を実施しているテトラクロロエチレンによる汚染サイトに適用した。その結果、汚染物質の飽和帯、不飽和帯のモニタリング点における測定濃度の再現が可能であったとともに、真空吸引および揚水による対策工のデータに関しても実測値をほぼ再現することが可能であった。

 結果として、本論文で示した非定常溶解、揮発、吸着モデルを組み込んだ土壌地下水汚染解析手法は、従来のモデルでは表現が困難であった現象に対しても適切に対応可能であることが示された。

2.適切な河道表現による地表水−地下水流動の結合解析手法の開発

 地表水−地下水流動の結合解析は、広域の水循環問題を取り扱う上で必要な解析手法であるが、現状では方法的に確立されておらず、地下水と地表水を切り離した解析を行うことが一般的である。また、結合解析に関する研究事例においても、地表流に対しては水路勾配のみを考慮するKinematic Wave近似で表現することが一般的であるが、河床勾配が変化する場合には解析が不可能となるという問題がある。従って、本論文では地表流をより自然に近い形で表現する解析手法の開発を目的とした研究を行った。研究の内容と成果は以下の通りである。

・地表流の運動方程式としてDiffusion Wave近似を用いた結合解析手法の開発

 地表流−地下水流結合解析手法における地表流運動方程式として、水路勾配に加え水深勾配を考慮するDiffusion Wave近似とManningの平均流速公式による運動方程式を、地下における多相流の基礎方程式と類似の形に変形し、3次元シミュレータに導入した。

 Diffusion Wave近似の解析精度に関しては特性曲線法による運動方程式の数値解との比較を行い、十分な精度を持つことを確認した。

・室内における水路実験および実スケールでの数値実験

 室内における単純水路および複合水路を用いた実験結果を用いた数値解析および実サイトスケールでの数値実験を行った。その結果、Diffusion Wave近似による解析結果は室内実験結果を十分に再現可能であることが示された。また、数値実験の結果、Diffusion Wave近似は、地下への浸透、地表水の流動、湛水、越流という一連の状況に関しても解析可能であることが示された。

・河床部におけるモデル化手法の改良と実サイトにおける流出解析への適用

 数値モデル中での河川のより自然な表現を目的として、河道への側方からの地下水の流入をモデル化するため、地表流を複数層で表現する解析手法を開発した。このモデルを実際の流域における流出解析に適用した結果、短期流出過程で得られたパラメータの組み合わせを用いて、長期流出過程も良好に再現可能であることが示された。これから、本研究で開発を行った結合解析手法は、水循環を表現する上で十分な適用性があることが示された。

3.広域水文解析における空間離散化手法の開発

 広域を対象とした解析を実施する際に、現状では解析モデルの作成、特に解析領域の空間的離散化に多大な時間を要する。機械工学分野では、自動格子生成手法として代数的補間法や偏微分方程式を用いた方法が研究されているが、水文解析においては地形、地質条件を考慮することが重要であるため、それらの手法の単純な適用は困難である。そのため、本研究では、水文解析に適した空間的離散化手法の研究を行った。研究内容と成果は以下の通りである。

・質点−バネ−流体モデルによる自動格子離散化手法の開発

 本論文では、最終格子形状に地形を反映し、かつ解析精度維持の観点から可能な限りの格子平面形状の漸移性、直交性を得るために、質点−バネ−流体モデルの開発を行った。これは、領域内に配置した格子点上に質点を置き、質点間のバネと、格子内の仮想流体の圧力によって質点に作用する力の釣り合いを反復的に解くことによって領域内の最適な格子点配置を求める方法である。このモデルを簡単な領域境界形状を持つ領域における自動格子生成の数値実験に適用した結果、境界形状に関わらず適切な格子が求められることが示された。また、このモデルの適用性を向上させるため、FEMを用いた前処理を付加することで、格子点の初期配置をより適切化することが可能であり、格子形成に要する時間を大幅に短縮する効果が得られる事が明らかになった。また、形成された格子形状の適切性を評価するために、一般座標系の座標変換マトリックスを基に格子の変形度を評価する手法を開発した。

・実際の流域に対する適用

 以上の手法を実際の数百km2オーダーの領域に適用し、解析格子の自動生成を行った。その結果、従来の人力による離散化では数週間を要した格子分割を、数時間で終了することができ、格子の適切性も保証されることが示された。

 本論文における成果は、広域の水循環過程から局所的な土壌地下水汚染問題までを統一的、かつ効率的に取り扱うことを目的とした解析の要素技術を開発し、統合したことにある。このため、従来では個別に対処していた問題に対し、格子生成から実際の解析までを一連の手法によって対応することが可能となった。今後、本研究の成果を多くの実サイトに適用することによって、より信頼性を増大させ、水環境評価の有力な手法として行きたい。

審査要旨 要旨を表示する

 現在、国連をはじめとして世界の関連諸機関から、先進国、発展途上国を問わず水資源・水汚染・水災害問題に対する予測・対策を速やかにとる必要性が指摘されている。実際、地表水、地下水から構成される陸域の水は、生活資源として我々の生活に欠くべからざるものである一方、人間活動により河川・湖沼・地下水の汚染が進み、また洪水、斜面崩壊、土石流等の多大な被害をおよほす要因ともなっている。このような状況に鑑み、著者は、陸域水循環系問題を的確に評価・予測するための一つの不可欠な手法として数値シミュレーション技術を研究し、新しく実用性の高い評価手法の開発を行い成果をまとめている。

 著者は、第一に、水汚染問題の代表的なものとして、難水溶性かつ揮発性の物質(石油、トリクロロエチレン、テトラクロロエチレン等の有機塩素系溶剤)による土壌・地下水汚染を取り上げ、地下の汚染状況を物理的に追跡するシミュレーション手法の開発・検証、およびフィールドへの適用を行っている。前記物質による汚染では、地下の多孔質媒体中において空気・水・汚染物質の3相状態での移動、汚染物質の水への溶解、空気相への揮発、固体表面への吸着が同時におこる。従来、揮発・溶解・吸着現象は瞬時に平衡状態に達するとしたモデルが一般的に考えられているが、著者は、そのようなモデルでは、解析上コントロールボリュームを大きく取らざる得ない場合や、揚水、吸引等によって地下水あるいは空気の状態変化が速い場合には、現象を適切に評価できない可能性が大きいことを指摘し、それら全てに非定常拡散型のモデルを導入している。最終的には、それらと3相流れの基本方程式とを組み合わせ、実用的な3次元数値シミュレーションコードを開発している。著者は、開発したシミュレーションモデルの適用性に関し、多孔質体からの長期揮発過程を実験室で計測すると共に、計測データと計算値を比較し、多孔質体と流体の物性の合理的な組み合わせで揮発現象を十分に再現できることを示した。また、吸着過程に関しても既存実験データから非定常吸着モデルに関連するパラメータの検討を通じて、著者の導入したモデルによって実験結果の良い再現性を示した。さらに、実際に有機塩素系溶剤による汚染フィールドでの長期間の実測データを用いて、汚染物質回収時の水中溶解濃度変化、吸引空気中の濃度変化と計算結果を比較し、これも良好な再現性を得ている。この様な解析技術は世界的にも最先端のものであり、今後の多数のフィールド評価への適用が待たれる。

 第二に、地表水(河川・湖沼)と地下水の相互作用を考慮した水循環表現手法が検討され、実用化されている。従来、地下の多相流れと河川流れは方程式形が異なるため、両流動を十分に連動するのが難しく、殆どの場合別個に解析されてきたが、本研究では、地下の多相ダルシー流れと開水路流れの拡散波近似とを結合して、水循環の主要な部分を表現する方法が提案されている。その適切性・精度・安定性については、開水路実験結果、数値実験結果、および実際のフィールドの適用例を通して確認している。また、河川をより自然に表現するため、侵食され彫り込まれた河床への側方地層からの地下水の流入、および洪水時の越流を考慮した河道表現手法を開発している。そのモデルを実流域の流出解析に適用し、短期流出過程のマッチング度合いが大きく向上すること、長期の流出過程が短期のマッチング結果から得られたパラメータをそのまま用いて良い精度で再現できることを示した。このような成果は、今後水循環系全体の整合的モデリングにおいて重要な役割を果たすものと考えられる。

 第三に、広域の地形を考慮した水理解析における離散化手法について検討を行い、新しい発想に基づく提案をしている。広域を対象とした差分型数値解析では、格子の直交性をなるべく維持し、格子の大きさがなるべく滑らかに漸移し落水線の方向に並ぶようなものが望まれる。このような条件を人間が手作業で満足させることは非常に難しい。著者は、領域全体に四辺形の数値的網(ネット)をかぶせ、ネットの交点には質点を、辺には弾性バネを配置し、四辺形の中には圧縮性流体が封じられている「バネ・質点・流体ネットワークモデル」を考案し、ネット交点の力の釣り合いを反復的に解くことで、地表面に最適な格子点位置を形成する手法を提案している。また、大領域の格子形成を効率化するためラプラス方程式を解く前処理を導入し、解を得るまでの計算時間が大幅に短縮できることを示した。著者はこの手法を実際の数千平方キロメータの領域の格子分割に利用し、十分な適用性を検証している。

 以上の3つの主要な成果は、陸域水循環系の挙動評価の信頼性の向上に大きく寄与するものであり、既に統合化された水循環シミュレーションシステムに組み込まれ実用上利用されるに至っている。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42855