学位論文要旨



No 215067
著者(漢字) 宇津木,忠仁
著者(英字)
著者(カナ) ウツキ,タダヒト
標題(和) 先天性横隔膜ヘルニアラットモデルの低形成肺における肺表面活性リン脂質の生化学的および形態学的研究
標題(洋)
報告番号 215067
報告番号 乙15067
学位授与日 2001.05.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第15067号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 花岡,一雄
副主査: 東京大学 助教授 森田,寛
 東京大学 助教授 上妻,志郎
 東京大学 講師 榊原,洋一
 東京大学 講師 長瀬,隆英
内容要旨 要旨を表示する

【研究の背景】

 現在、新生児外科疾患の治療成績は飛躍的に向上したが、先天性横隔膜ヘルニア(congenital diaphragmatic hernia, CDHと略)は、依然治療に難渋し死亡率の高い疾患である。CDHの予後の向上のためには合併する肺低形成の評価が重要な位置を占める。そこで、胎生期に肺低形成の機能的評価が可能であれば、出生後早期より適切な治療が可能となる。現在、胎児肺の成熟度を評価する方法としてヒト羊水中のレシチン/スフィンゴミエリン比(L/S比)の測定が広く用いられている。レシチンは肺サーファクタントリン脂質であり、その大部分がdisaturated phosphatidyl choline(DSPCと略)であることから、羊水中のDSPC濃度が胎児肺のDSPC濃度を反映すると考えられる。当研究室ではDSPCとスフィンゴミエリン(Smと略)に特異的に反応するモノクローナル抗体を作製することに成功しており、DSPCとSmの微量定量を可能にした。

 本研究では、1)モノクローナル抗体が飽和脂肪酸含有ホスファチジルコリンとSmに特異的に反応することを検証し、DSPCとSmの微量定量への応用を検討した。2)正常胎仔ラットの肺と羊水中のDSPCとSmの胎生期の経時的変化をモノクローナル抗体を用いて解析した。3)除草剤の成分であるニトロフェンを妊娠ラットに経口投与することで、胎仔に著明な肺低形成を伴うCDHが誘導できることを明らかにした。4)CDH胎仔肺および羊水中のDSPCとSmをモノクローナル抗体を用いて定量した。また、このモノクローナル抗体を用いてCDH胎仔肺を免疫組織染色し、DSPCとSmの肺組織内の分布を検討した。

【マウスIgMモノクローナル抗体VJ-41の反応特性】

 材料と方法

 飽和脂肪酸あるいは不飽和脂肪酸と結合した各種リン脂質各々1μgをシリカゲル薄層ガラスプレートとシリカゲル薄層プラスチックプレートにスポットし、クロロホルム/メタノール/0.5%塩化カルシウムの溶媒系で展開し、前者を酢酸銅+リン酸試薬で発色し、後者をマウスIgMモノクローナル抗体VJ-41で免疫染色し、発色させた。

 また、SmとDPPCを各々0.05μg, 0.1μg, 0.2μg, 0.5μg, 1.0μgを用いて、同抗体で免疫染色し検量線を作製した。

 結果

 VJ-41はSmおよびDSPCであるジパルミトイルホスファチジルコリン(di-16:0-PC),ジステアロイルホスファチジルコリン(di-18:0-PC)と特異的に反応した。そして、1個あるいは2個の不飽和脂肪酸をもつホスファチジルコリン(PC)、およびその他のリン脂質とも全く反応しなかった。

 また、VJ-41はdi-16:0-PC, Smと0.05μg以上でよく反応し、1.0μgまでの検量線は直線的に漸増した。

 考察

 VJ-41はSmおよび飽和脂肪酸含有PCと特異的に反応し、不飽和脂肪酸含有PCとは反応しなかった。また、VJ-41はDSPC, Smと0.05μg以上で反応を示し、各々の検量線は1μgまで直線的に増加した。これは、従来の酢酸銅−リン酸試薬を用いた薄層クロマトグラフィー(TLC)による定量法に比べ1/10のサンプル量で検出可能であった。

 VJ-41は、微量サンプルでDSPCとSmを特異的かつ高感度に定量が可能であり、胎仔ラット肺および羊水中のDSPCとSmの測定に応用できると考えられた。

【正常胎仔ラットの子宮内発達に伴う肺と羊水のDSPCとSmの経時的変化】

 材料と方法

 妊娠したSprague-Dawleyラットから、妊娠12日、14日、16日、18日、20日目に羊水と胎仔肺を回収した。羊水は細胞成分を遠心除去した後、クロロホルム/メタノールの溶媒系を用いて、脂質を抽出した。摘出肺は細切した後凍結乾燥し、クロロホルム/メタノール/水の溶媒系を用いて脂質を抽出した。VJ-41を用いたTLC−イムノステイニング法でDSPCおよびSmの定量を行った。

 結果

 胎齢12日目で肺と羊水にDSPCおよびSmが検出され、両者とも胎齢16日から18日目にかけて急激な増加を示した。羊水ではDSPCは同胎齢のSmに比べ著しく減少しており、特に胎齢20日目ではその差は顕著であった。

 考察

 正常胎仔ラット肺のDSPCとSmは胎齢12日目で検出され、この時期に肺でサーファクタント合成が行われていることが判明した。肺のDSPCは胎齢16日から18日目にかけて急激に増加しており、急速な肺の成熟が示唆されるが、羊水中のDSPCは胎齢16日目から漸減し、肺のDSPCの増加を反映しなかった。以上よりヒト胎児と異なり、ラットでは胎仔の肺内のDSPCは羊水には移行されないことが示された。

【ニトロフェン投与によるCDHモデルラットの作製】

 材料と方法

 妊娠9日目のSprague-Dawleyラットに、体重1kg当たり250mgのニトロフェンを胃内に強制経口投与した。妊娠20日目に母獣より胎仔を回収した。胎仔の体重測定し、横隔膜欠損の有無を確認した後、肺を摘出し重量を測定し、肺重量/体重比を求めた。

 結果

 合計103匹の胎仔を回収し、44匹に横隔膜の欠損を認め、左側横隔膜の欠損は15匹、右側横隔膜の欠損は25匹、両側欠損は3匹、胸骨後部の欠損は1匹に認めた。ニトロフェン投与群ではヘルニアの有無にかかわらず左右肺のそれぞれの肺重量/体重比は対照群に対して有意に減少していた。CDH胎仔ラットの左右の肺ともに重量的発育不全が顕著であった。

 考察

 ニトロフェンの催奇形性には横隔膜ヘルニア、肺低形成、心血管奇形、水腎症などがあることが明かになっている。マウス・ラット胎仔に横隔膜ヘルニアが発生する頻度と、横隔膜の欠損部位の偏在性はニトロフェンの投与時期と投与量に密接に関連している。本研究では、胎仔に左側横隔膜ヘルニアを誘発するため妊娠9日目にニトロフェンを投与した。CDH胎仔の左右各々の肺重量/体重比は、有意に減少しており、横隔膜欠損側の肺のみならず反対側の肺も低形成であることが示唆された。これは重症のヒトCDHにおいて患側肺のみならず反対側の肺にも低形成が認められることと一致する。

【CDH胎仔ラットの肺と羊水のDSPCとSmの変化および肺組織中のDSPCとSmの局在】

 材料と方法

 胎齢20日目のニトロフェン投与群の胎仔肺と羊水から脂質を抽出し、VJ-41を用いたTLC−イムノステイニング法でDSPCおよびSmの定量を行った。また、胎齢20日目の胎仔肺を一部はヘマトキシリン・エオジン染色(HE染色)し、一部は凍結包埋した後、VJ-41と蛍光抗体を用いて免疫組織染色した。

 結果

 CDH胎仔肺のDSPCは、対照群の65.9%に減少しており、CDH無形成胎仔の肺のDSPCは対照群の85.1%に減少していた。しかし、いずれも胎齢18日目の正常胎仔肺のDSPCよりは増加していた。ニトロフェン投与群の胎仔肺のSmはヘルニア形成の有無に関わらず、対照群とほぼ同じ値を示した。ニトロフェン投与群の羊水のSmは、対照群の約28.0%まで減少しており、DSPCは検出されなかった。

 HE染色では対照群の肺胞腔は十分に拡張しており肺胞壁は薄く、免疫組織染色では、抗原が主として肺胞表面に均一な層状に分布しているのを認めた。一方、CDH胎仔ラットでは、HE染色で肺胞腔は狭小化し、肺胞壁は肥厚しており、免疫組織染色では、抗原が肺胞表面には分布しておらず肺胞壁の細胞内に凝集しているのが認められた。

 考察

 本研究では、ニトロフェン投与群の胎仔肺のDSPCは対照群より減少しているが、胎齢18日目の正常胎仔肺のDSPCより増加しており、ニトロフェン投与群のサーファクタントは在胎後期に生合成される可能性があることが示唆された。胎仔ラットでは肺内のDSPCは羊水中に分泌されにくいため、羊水中のDSPCは胎仔肺の成熟度の評価には適していないと考えられる。

 組織学的には、ニトロフェン投与群の胎仔の両側の肺に肺胞腔の狭小化、肺胞壁の肥厚が認められ、肺低形成の所見に一致した。VJ-41を用いた免疫組織染色において、対照群ではサーファクタントが肺胞表面に一様に拡散しているのに対し、ニトロフェン投与群では、サーファクタントが肺胞上皮細胞の細胞質内に認められ、細胞外には認めらなかった。以上より、ニトロフェンは肺胞上皮細胞内でのサーファクタントの合成系は抑制しないが、サーファクタントの肺胞上皮細胞外への分泌過程を抑制していると結論される。

【結語】

1.モノクローナル抗体VJ-41は飽和脂肪酸含有リン脂質と特異的に反応し、DPPCおよびSmの高感度定量への応用が可能であった。

2.正常胎仔ラットの肺では、胎齢12日目でDSPCは合成されており、胎齢16日目以降に急増した。しかし、肺内のDSPCは羊水中へほとんど分泌されないことが明かとなった。

3.ニト口フェンを妊娠ラットに強制経口投与することで、胎仔の両側の肺に肺低形成を伴うCDHを誘導することが可能であった。

4.胎齢20日目のニトロフェン投与群の胎仔ラットの肺のDSPCは対照群より減少していたが、胎齢18日目の正常胎仔ラットよりは増加しており、DSPCの合成系は抑制されていないことが示された。

5.DSPCおよびSmは、対照群では肺胞表面に一様に広く分布しているが、ニトロフェン投与群では肺胞上皮細胞内に凝集しており、肺胞腔への分泌は認められなかった。

6.以上より、ニトロフェンはサーファクタントの主成分であるDSPCの合成は抑制せず、DSPCの細胞外への分泌を抑制することが明らかとなった。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究では、先天性横隔膜ヘルニアの予後を左右する肺低形成の病態を評価することを目的としている。病態の評価には胎仔肺の成熟度と相関のある肺サーファクタントリン脂質の濃度を特異性の高いモノクローナル抗体を用いて測定している。測定は正常ラットの胎仔肺およびニトロフェンで誘導される先天性横隔膜ヘルニアラットの胎仔肺を対象として行われ、肺サーファクタントの定量的解析と組織内の局在を検討したものであり、下記の結果を得てる。

1.マウスIgMモノクローナル抗体VJ-41はスフィンゴミエリン(Smと略)および飽和脂肪酸含有ホスファチジルコリン(DSPCと略)であるジパルミトイルホスファチジルコリン,ジステアロイルホスファチジルコリンと特異的に反応し、不飽和脂肪酸をもつホスファチジルコリン、およびその他のリン脂質と全く反応しなかったので、DSPCおよびSmの高感度定量への応用が可能であった。

2.正常胎仔ラットの肺では、胎齢12日目でDSPCおよびSmは合成されており、胎齢16日から18日目にかけて急激に増加した。しかし、肺内のDSPCは羊水中へほとんど分泌されなかった。

 ニトロフェンを妊娠ラットに経口投与することで得られた先天性横隔膜ヘルニア胎仔の低形成肺におけるDSPCおよびSmの濃度と検討し、肺組織内におけるDSPCおよびSmの局在を検討した。以下に実験結果を示す。

1.ニトロフェン投与群ではヘルニアの有無にかかわらず左右肺のそれぞれの肺重量/体重比は対照群に対して有意に減少していた。先天性横隔膜ヘルニア胎仔ラットの左右の肺はともに重量的発育不全が顕著であり、ヘルニアと同側の肺のみならず反対側の肺も低形成であった。

2.胎齢20日目のニトロフェン投与群の胎仔ラットの肺のDSPCは横隔膜ヘルニアの有無にかかわらず対照群より減少していた。しかし、胎齢18日目の正常胎仔ラット肺のDSPCよりは増加しており、DSPCの合成系は抑制されていなかった。

3.肺組織像において、対照群では肺胞腔が十分に拡張しており、DSPCおよびSmが肺胞表面に一様に広く分布していた。一方、ニトロフェン投与群では肺胞腔が狭小化しており、DSPCおよびSmの肺胞表面への分泌は認められなかった。

以上より、ニトロフェンは肺サーファクタントの生合成を抑制しておらず、ニトロフェン投与群では在胎後期にサーファクタント生合成される可能性があることが示唆された。また、胎仔ラットでは肺内のDSPCは羊水中に分泌されにくいため、羊水中のDSPCは胎仔肺の成熟度の評価には適していないことが明らかとなった。組織学的には、ニトロフェン投与群の胎仔の両側肺は形態的な肺低形成の所見に一致した。免疫組織染色において、ニトロフェン投与群では、サーファクタントが肺胞腔内には認められなかったことより、ニトロフェンは肺胞上皮細胞内でのサーファクタントの合成系は抑制しないが、サーファクタントの肺胞上皮細胞外への分泌過程を抑制していると結論される。本論文は、先天性横隔膜ヘルニアのラットモデルを用いて、これまで未知であった肺低形成における肺サーファクタントの生合成能と肺組織での局在を明らかにし、ヒト先天性横隔膜ヘルニアの予後を左右する低形成肺の病態の解明に重要な貢献をなすものと考えられ、学位授与に値するものである。

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