学位論文要旨



No 215068
著者(漢字) 國頭,英夫
著者(英字)
著者(カナ) クニトウ,ヒデオ
標題(和) 肺がんの化学療法における抗癌剤の薬物動態についての臨床的検討
標題(洋)
報告番号 215068
報告番号 乙15068
学位授与日 2001.05.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第15068号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 助教授 平井,久丸
 東京大学 講師 金子,義保
 東京大学 講師 中島,淳
内容要旨 要旨を表示する

 早期発見の努力にも関わらず肺癌は依然として進行期の状態で発見されることが多く、その治療予後は大きくは改善されていない。再発増悪を来たし死亡に至る経過の殆どが全身の遠隔転移によってfatalとなっており、今後の治療成績の向上のためには全身化学療法の進歩が必須である。しかしながら殺細胞効果をもたらす抗癌剤は現在のところ選択的な細胞毒ではないため治療域と毒性域がきわめて近接しており、治療関連死亡につながることも稀ではなく、毒性への懸念から十分な投与が行われないことも多い。

 実際の治療に当たっては、同量の抗癌剤を投与しても各個症例ごとに薬物の代謝などが異なり、血中濃度など体内での薬物動態(pharmacokinetics, PK)に影響を及ぼす。また、各症例の臓器機能や腫瘍の性質の差などにより、同じPK parametersの下でも毒性や抗腫瘍効果が異なってくる(pharmacodynamics, PD)。従って最大の効果を最小のリスクで得るためには、至適投与量/投与方法を症例ごとに個別化する必要があるが、従来はきわめて不正確かつ定性的な経験則に頼っていた。近年はさらに人口の高齢化に伴う高齢者肺癌の治療の問題、また放射線治療などの他の治療modalityとの併用など、化学療法を施行するのに考慮すべき問題点が増加しており、PK/PDを応用した個別化治療の重要性は高まっている。

 本論文では、3つの観点から肺癌化学療法に抗癌剤のPK/PD解析を応用した臨床試験結果を提示する。おのおの

1) Etoposideという時間依存性を示す薬物を用いた化学療法において、抗癌剤の薬物動態PKが毒性及び抗腫瘍効果を予測する因子となりうるかどうか。

2) 肺癌の化学療法において最も汎用されるcisplatinのPKが、加齢による修飾を受けるかどうか。

3) 放射線治療との同時併用において、抗癌剤carboplatinのPKが治療全体の毒性及び一次効果にどう影響するか。

というテーマを題材として、肺癌の化学療法における抗癌剤の薬物動態解析の臨床的意義について検討を加える。

3) 進行非小細胞肺癌患者におけるシスプラチン併用エトポシドの長期間持続点滴に関する第I/II相および薬物動態試験

 シスプラチン、エトポシドの両薬剤は小細胞癌、非小細胞癌に対する化学療法の両者において汎用される薬物である。エトポシドは抗腫瘍効果の発現に時間依存性を有することが知られており、小細胞肺癌に対する化学療法において1μg/mlという比較的低濃度の維持時間が重要であると示唆されている。この報告に基づいて低用量のエトポシドを長期連用投与する臨床試験がいくつか行われてきた。本来低用量の長期連用投与には経口剤の投与が最も簡便であるが、経口剤は吸収に差が大きく血中濃度が大きくばらつくことが欠点である。この欠点を補うため、本試験では経中心静脈の持続点滴によって薬剤を投与し、PK/PD解析によってエトポシドの濃度と毒性及び抗腫瘍効果の相関を検討した。

 化学療法未施行の進行非小細胞肺癌の患者30例が、シスプラチン90mg/m2(3日間分割)と併用したエトポシド14日間(336時間)の持続投与による化学療法を受けた。エトポシドは、治療濃度の早期達成のため持続点滴投与開始前に10mg/m2のボーラス投与がされている。エトポシド持続点滴は開始量20mg/m2とし、1レベル10例登録し25,30mg/m2/日と増量した。血漿中エトポシド濃度は定時的にhigh performance liquid chromatographyにて測定した。

 エトポシド持続点滴の最大耐用量は25mg/m2/日であり、用量規定毒性は白血病減少であった。血漿中エトポシド濃度には同じ用量レベルでも約2倍の患者間変動が認められた。好中球減少の程度は全身状態、年齢と定常状態での血漿中エトポシド濃度(Css)と相関していた。抗腫瘍効果でPR (partial response)を得るのを予測する因子を多変量解析にて検索したところ、Cssが統計学的有意に近いp valueを示した。下記表のようにCssが上がるにつれPRとなる症例数は増加したがPD (progressive disease)となる症例の率はほとんど変化しなかった。

     抗腫瘍効果PR   NC   PDCss:μg/ml<1.0    1/10(10%)    7    21.0-1.19   2/8(25%)     3    3>1.2    5/11(46%)    1    5合計     8/29(28%)    11   10

 以上より非小細胞肺癌においてはエトポシドの一定の血漿内濃度(1-1.2μg/ml)を保つことは抗腫瘍効果発現のための必要条件にはなるが、耐性腫瘍の存在によりそれのみでは十分条件にはならないと結論された。

2) 高齢者におけるシスプラチンの薬物動態

 高齢者における抗癌剤の薬物動態については従来殆ど検討されておらず、増加している高齢者層の化学療法の大きな障害となっている。本試験では肺癌化学療法のkey drugであり、かつ消化器症状や腎障害などのため高齢者で最も使いづらいとされるシスプラチンの薬物動態について検討した。

 シスプラチン40mg/m2投与後の血中遊離プラチナ濃度を75歳以上と75歳未満の肺癌患者各5例について測定し、年齢によって薬物動態が変化するかどうかを検証した。遊離プラチナの半減期や投与後AUC (area under the plasma level-time curve)といった薬物動態パラメーターについては高齢者対非高齢者の2群で有意の差を認めなかったが、投与後120分の遊離プラチナ濃度は高齢者群において有意(p=0.03)に高く、高齢者における遊離プラチナの排泄遅延傾向が認められた。遊離プラチナの半減期はクレアチニンクリアランスやアルブミン濃度と有意の相関はなく、年齢そのものが遊離プラチナの血中動態に関与している因子の一つである可能性が示唆された。

4) 局所進行非小細胞肺癌におけるカルボプラチン連日投与及び加速多分割胸部放射線照射の同時併用

 切除不能の局所進行非小細胞肺癌に対しては、化学療法と胸部放射線照射の併用が胸部放射線単独による治療よりも優れていることが証明されつつあるが、併用治療のタイミングやスケジュールについては至適治療は確定されていない。有望な治療法の一つに放射線治療効果の増強(増感作用)を狙った低用量プラチナ製剤の連日同時併用がある。本試験では、すでに有効性を示唆する比較試験データのあるシスプラチンの代わりに血中半減期の長いカルボプラチンを用い、これも肺癌治療により有効と期待される加速多分割照射と併用することにより効果増強を図った。また薬物動態の観点から低用量プラチナの連日投与が放射線増感作用をもつかどうかについて検討した。

 31症例の局所進行非小細胞肺癌患者に対し、1日2回、1回1.5Gy(合計60Gy/40分割/4週間)の加速多分割胸部放射線治療を行った。放射線治療日には午前中の照射直前にカルボプラチン25mg/m2を急速点滴静注にて投与した。治療day1に遊離プラチナの薬物動態検討のための採血を行った。

 症例は年齢中央値73歳と比較的高齢者が多かったが、31例全例が計画通りの治療を受け、遅延/中断などはみられなかった。Grade3以上の毒性は好中球減少が17例(55%)、血小板減少が5例(16%)、食道炎が7例(23%)にみられた。瀰漫性肺臓炎による治療関連死疑いが1例に発症した。抗腫瘍効果は照射野内で3例がcomplete response (CR)、23例がpartial response (PR)であり、全体の奏効率は84%であったが、再発形式としては照射野内が多く局所制御は不十分であった。生存期間中央値は9.8ヶ月であった。

 治療day1における遊離プラチナのAUCは白血球減少の程度と有意の相関があった(p=0.04)が、食道炎の程度とは相関していなかった。奏効例のAUCは非奏効例と比較して有意に(p=0.04)高値であった。

 下表に示すように遊離プラチナのpharmacodynamicsとして、AUCが上がるにつれ血液毒性(好中球減少)も高度となるが抗腫瘍効果も増強することが示唆された。この治療そのものは局所制御も十分ではなく推奨されないが、遊離プラチナのpharmacodynamicsは毒性のみならず治療効果にも影響を及ぼすことが示唆され、プラチナ製剤の放射線増感効果は今後の検討に値するものと考えられる。

     抗腫瘍効果(CR+PR)   Grade3以上の好中球減少AUC:μg/ml*h0-3       1/3(33%)        0/3(0%)3-4      8/10(80%)       5/10(50%)4-5      6/6(100%)        4/6(67%)5+       5/6(83%)        5/6(83%)

 以上を総括して、抗癌剤の薬物動態は治療の毒性のみならず治療効果にも影響を及ぼすことが示唆された。従来の体表面積補正などでは代謝などの個人差に十分対応することができず、"同量"の投与でも結果的に過剰投与や過小投与になりかねない。また加齢現象そのものが薬物動態に及ぼす変化も無視できず、問題を複雑化している。今後肺癌化学療法の領域でも薬物の数が増え、化学療法と他の治療modalityの併用が進歩し、また高齢化や合併症を抱えた患者層の増加により対象症例の固体差がより大きくなる傾向が予想される。従って抗癌剤のような毒性の強い薬物での治療においては個別化がますます重要になり、本論文で取り上げたPK/PD解析の意義は高いものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は重要な治療法でありながら従来は十分な効果を挙げるに至っていなかった非小細胞肺癌の化学療法に、薬物動態(pharmacokinetics, PK)及び薬物動力学(pharmacodynamics, PD)解析の手法を応用することにより、治療成績の向上につなげようとする臨床研究である。3つの臨床試験においてこのPK/PD解析を導入し、下記の成績を得ている。

1.エトポシドという時間依存性を示す薬物を14日間(336時間)の長期持続点滴にて投与する化学療法において、用量規定毒性である好中球減少が全身状態、年齢とともに定常状態での血漿中エトポシド濃度(Css)とも有意の相関関係がみられていた。のみならず、抗腫瘍効果でPR(partial response:有効)を得るのを予測する因子を多変量解析にて検索したところ、Cssが統計学的有意に近いp valueを示した。この有効血中濃度は、推定で1-1.2μg/mlであり、英国のグループが小細胞癌のデータより予測していたものとほぼ同一であった。ただし、化学療法に関わらず腫瘍が増大する率についてはこのエトポシド濃度の影響が見られず、非小細胞肺癌においてはエトポシドの一定の血漿内濃度(1-1.2μg/ml)を保つことは抗腫瘍効果発現のための必要条件にはなるが、耐性腫瘍の存在によりそれのみでは十分条件にはならないと結論された。

2.75歳以上の高齢者に対しシスプラチン40mg/m2投与後の血中遊離プラチナ濃度を75歳未満の若年者と比較対照し、高齢者における遊離プラチナの排泄遅延傾向が認められた。これは他の身体要因によらない結果と解析され、年齢そのものが遊離プラチナの血中動態に関与している因子の一つである可能性が示唆された。

3.局所進行非小細胞肺癌に対して放射線増感作用を期待してカルボプラチン連日投与と組み合わせた加速多分割胸部放射線治療を行い、遊離プラチナのAUC (area under the plasma level-time curve)が上がるにつれ血液毒性(好中球減少)も高度となるが抗腫瘍効果も増強することが示唆された。これはプラチナ製剤の放射線増感効果を示唆するものであり、現在多施設共同研究でこの仮説を検証すべく比較試験が進行中とのことである。

 以上、本論文は抗癌剤の薬物動態は治療の毒性のみならず非小細胞肺癌の治療効果にも影響を及ぼすことを示唆している。本研究は、これまで治療域が狭く危険性が高いものでありながら、ブラックボックスに近かった癌化学療法を、科学的な根拠に基づく個別治療に導く具体的な道筋の一つを示している。これは将来の臨床へ重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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