学位論文要旨



No 215069
著者(漢字) 山田,智惠里
著者(英字)
著者(カナ) ヤマダ,チエリ
標題(和) モンゴル国ヨード欠乏症対策進展の分析評価と持続的住民主導型ヨード化塩プログラムの確立
標題(洋) Analysis and evaluation of the National Iodine Deficiency Disorders Elimination Program and establishment of a sustainable community salt iodization program in Mongolia
報告番号 215069
報告番号 乙15069
学位授与日 2001.05.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第15069号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 牛島,廣治
 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 助教授 横山,和仁
 東京大学 助教授 渡辺,知保
 東京大学 講師 榊原,洋一
内容要旨 要旨を表示する

 〈始めに〉微量栄養素の一つであるヨードの欠乏は先進国途上国を問わず世界に広く蔓延している。その対策としては、ヨードを添加した塩の普及が実施されている。この対策の成功の鍵は強力で有効な普及戦略とヨード欠乏(iodine deficiency disorders : IDD)状態の適正なモニタリングにある。本研究の目的は、第一に、モンゴルにIDD対策モニタリングシステムを確立して、疫学的調査によってIDD対策の進展状況と問題点を明らかにすることにある。第二に塩分摂取量を調査し、その結果から適正な塩分中ヨード添加量を推定し、現在の標準量を評価することである。第三に、IDD制圧のヨード化塩普及政策では遠隔地の遊牧民社会には普及が困難である現状に鑑み、低価格のヨード化塩を村レベルで生産して普及させる住民主導のプログラムを策定し、このプログラムの現実的な応用性を模索することである。

 〈IDDの実態と対策〉IDD対策開始の事前調査として1992年に全国の児童と出産可能年齢の女性を対象に甲状腺腫調査が実施され、重度のヨード欠乏状態が認められた。この結果を受けて、UNICEFの支援で1996年初頭よりヨード化塩の普及によるIDD対策が開始された。日本も国際協力事業団が技術協力を1997年から開始しており、本研究者は当初の2年間参画した。

 〈IDD対策モニタリングシステムの確立と調査〉本研究者は、触診による甲状腺腫調査以外の検査法が導入されていなかったモンゴルに生化学的検査法を導入し、尿中ヨード排泄量(UIE)と血中甲状腺刺激ホルモン量(TSH)を測定可能とした。更に滴定法による塩分中のヨード量測定を定着させた。調査ではWHO/UNICEFが推奨する4指標、(1)触診法と超音波断層診断機を用いた甲状腺腫検査、(2)UIE, (3)TSH, (4)家庭のヨード化塩普及率、を用い、さらに(5)人々のIDDとヨード化塩に対する知識・態度・行動(KAP)を調べた。これらの指標を統合して調査時点のIDDの実態を明らかにすることを対策のモニタリング手法とした。

 (IDD対策モニタリング調査)調査を1996年11月と1998年2月から1999年9月までの期間、ウランバートル市と10県で行った。調査対象者は4群である。児童調査:甲状腺腫、UIE, TSH, 家庭使用塩のヨード量、児童の母親のKAPを調査(n=6,707)、妊婦群:UIEとKAPを調査(n=441)、新生児群:TSHと母親のKAPを調査(n=998)、乳幼児群(生後1ヶ月−6歳):TSHを調査した(n=224)。

 (調査結果)児童の甲状腺腫率は11地域で平均22%(中等度のヨード欠乏)であり、同地域の1992年時の35.2%より、有意に低かった(p<0.01)。地域別では3.2%から39%と格差が認められた。超音波による検査は実施地域が限られ、触診による結果と充分比較することが出来なかった。

 UIEの11地域の中央値は、軽度のヨード欠乏状態にあることを示した。首都と3県では正常値(ヨード欠乏なし)、1県が重度、4県が中等度、2県が軽度のヨード欠乏状態を示した。

 TSH調査では、8地域で998例の新生児中18.6%が5mU/L以上を示した(軽度のヨード欠乏)。乳幼児では1例、児童では3例のみ高TSH値がみられた。

 児童の家庭でのヨード化塩の使用率は首都で62-73%と高く、その他の地域では3.4-86.5%とばらつきが存在した。また、KAP調査では95%以上の母親がIDDやヨード化塩を知っており、ヨード化塩を使用していない母親は、高価格と常時販売されていないことを使用しない理由に挙げた。

 〈IDD対策モニタリング考察〉各指標によるヨード欠乏状態の結果は完全には一致していないが、モンゴルのヨード欠乏状態が1992年の「重度」から1998-1999年には「軽度」に改善されたことが示唆された。さらにヨード欠乏状態はヨード化塩の普及程度によって地域で大きな格差があることが明らかになった。

 指標間でヨード欠乏の状態判定が一致しなかった理由として、UIEが短期的ヨード摂取状態を示し、甲状腺腫とTSHが長期的ヨード摂取状態をあらわす、その相違があげられよう。今後は全指標ではなく、適正な指標を選択しモニタリングを行う必要があり、その選択には科学的妥当性のみならずフィールド調査での適応性、経済性等をも考慮すべきである。現在のモンゴルでは超音波断層診断は機材・電気の不足と測定技術の問題があり、触診法は安価で簡便に実施できる反面、モンゴルのような小さな甲状腺腫が大半を占める場合、結果の正確度が低い点が指摘されている。TSH検査は高価な検査キットを輸入するしかなく、しかも検体収集に特別な技術が必要とされる。一方、UIEは検体収集も簡便で、低コストの検査法が既にモンゴルで実施されている。更に短期的ヨード摂取状態をあらわすUIEにより対策の進展度を評価する有効性は近年WHO/UNICEF他からも報告されている。よって、モンゴルのIDD対策モニタリング調査では摂取ヨード量を測定するUIEを主指標として採用すべきであろうと考える。

 〈塩分摂取量とヨード添加量〉尿中クレアチニン量とナトリウム量から塩分摂取量を推定する調査が1998年に実施された。成人男性(n=571)の平均摂取量は14.6g、妊婦(n=499)では15.6g、非妊婦(n=598)では12.6gであった。この結果より、適正な塩へのヨード添加量は30±10PPMと計算された。この調査以前には塩分摂取のデータなく50±10PPMと既定されていたが、この結果を受けて2000年に公式に30±10PPMに改められた。

 〈対策の戦略評価〉ヨードを添加した塩を普及させることにより不足しているヨード摂取量を補いIDDを予防する戦略は理論上有効である。モンゴルはヨード化塩政策を開始して3年で42%の普及率を達成したが、現在の施策では今後の進展に困難が予想される。現行の製塩会社による販売では地方への流通は増加せず、価格も下がる可能性がないためである。これを打破するために住民自らがヨード化塩を生産して安価に販売し、普及を向上させるプログラムを導入した。

 (スプレー式ヨード化法)1998年8月よりウブルハンガイ県3村で住民健康教育活動を開始し、同時期に首都でハンドスプレーによるヨード化法の安全性と安定性を確認する作業を行った。適量化されたヨード水溶液を用い、1kgの塩に3回撒布し振り混ぜる簡易な方法で30PPMのヨードを添加することができた。そこで村での生産販売を1999年8月より開始した。販売価格は自然塩小売価格と同程度に設定された。

 それ以前の村内で販売されていたヨード化塩量は不明であるが、このプログラムで1年後には、ヨード化塩普及率は3村で平均18.5%-33.7%となった。UIE中央値は村の中心では40.2-122.2μg/Lとヨード欠乏が是正されつつあるが、遠隔地では17.8-45.4μg/Lと低いままであった。

 〈スプレー式ヨード化法の考察〉スプレー式塩のヨード化法を導入して1年の時点で、生産、普及、健康教育の活動は3村で定着していた。普及率は1年で20-30%に達した。率を更に上げるためには自然塩の購入基金の確保が不可欠と考える。これが確保されれば低い利潤でも住民教育や遠隔地への輸送費が捻出できる。自然塩購入基金は3村で1年分約65万円と推定される。これは羊295頭分に相当し、3村内での資金調達は可能であろう。開始1年で20-30%の普及率を達成している成果から、もし基金が確保されれば90%の使用率は数年内に達成可能と思われ、また基金を含めてプログラムの自主独立性が高くなれば、この活動が継続実施される可能性は高い。

 〈結論〉 本研究において、ヨード化塩の導入によりIDDは改善されつつあるが、地方では高価格と流通量不足が障害となって対策が進んでいないこと、これを克服する目的で導入された住民主導型ヨード化塩プログラムが有効であることを検証した。モンゴル国民のIDD対策に対する意識は高く、多様な技術やシステムの確立が可能である。現行のヨード化塩政策に住民主導型スプレー式ヨード化塩プログラムを統合させることによって、普及率が飛躍的に向上し、IDDを制圧する可能性が示唆された。この研究のようなIDD対策の住民活動は地域のプライマリーヘルスケアの構築、維持、強化に極めて大きな意義があると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究はモンゴル国の汎ヨード化塩プログラムによるヨード欠乏症対策の進展度を疫学的実態調査により評価し、塩分中の適正添加ヨード量を明らかにし、かつヨード化塩を普及させる目的で導入した住民活動の有効性検証を試みたものであり、以下の結果を得ている。

1.10県1市で実施された児童・新生児・妊婦・乳幼児を対象とした甲状腺腫率、尿中ヨード排泄量、血中甲状腺刺激ホルモン量、ヨード化塩使用率を用いた実態調査により、ヨード欠乏状況は1992年の重度から、1998-99年には軽度に軽減されたことを示した。

2.1998年のヨード化塩普及率は42%と推定され、ヨード化塩普及は地方で進んでいない事を明らかにした。理由は、ヨード化塩の高価格と流通量の不足であった。

3.今後のモニタリング調査では、短期的ヨード摂取状況を示す尿中ヨード排泄量が、主指標として有用であることが示唆された。

4.4県1市で実施された塩分摂取量調査より、成人男性は平均14.6g摂取し、成人女性では妊婦が15.6g、非妊婦が12.6g摂取していることが示された。よって30PPM±10PPMが適正添加ヨード量であることが示され、2000年に国の添加量標準値となった。

5.ハンドスプレーを用いて塩をヨード化する方法は簡便で安全であることが明らかにされ、村レベルで住民主導の安価なヨード化塩普及活動が試みられた。その結果、1年後に使用率が20-30%に達し、スプレー式法と住民活動は定着した。普及を更に向上させるためには塩を購入する基金の確保が不可欠であることが示された。また、製塩会社によるヨード化塩販売と村レベルのハンドスプレー式普及活動を統合することにより全国的な普及を達成させる可能性が高いことを示した。

 以上、本論分はモンゴル国におけるヨード欠乏症制圧プログラムの進展度を初めて評価分析し、対策プログラムの問題点を改善する目的で住民主導の新活動を立ち上げ、その高い現実性を明らかにした。本研究は、これまで詳細な報告のない途上国でのヨード欠乏症対策進展の科学的評価を行い、新たな視点での国際保健活動を提示したことに独自性があり、モンゴル国のみならず他の途上国での対策政策へ重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考える。

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