学位論文要旨



No 215072
著者(漢字) 松本,正男
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,マサオ
標題(和) ドイツ観念論における超越論的自我論 : 大文字の〈私〉
標題(洋)
報告番号 215072
報告番号 乙15072
学位授与日 2001.06.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第15072号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高山,守
 東京大学 教授 松永,澄夫
 東京大学 助教授 一ノ瀬,正樹
 東京大学 教授 佐藤,康邦
 駒澤大学 教授 久保,陽一
内容要旨 要旨を表示する

 本書は、かつてドイツ観念論の思想圏において出現した超越論的自我論のひとつの系譜を追求し、それを今日の哲学的思索に寄与し得る生きた遺産として保全する試みである。

 序言で本書の方法(論証的再構成)に言及した後、第一章では、本書の主題となる「超越論的自我」の何たるかが提示される。それは、私的心象を超えた実在的世界への相関性の故に、非人称的に"Ich"と大文字で語られてきたものであり、実在的世界はこのIchとの相関においてしか存在を得ない。フレーゲは、新カント派の流れを汲んで、「思想」の担い手として「精神」一般を考える側面を持つが、「精神」一般は我々のIchと重なり合う。我々は我々のIchにおいて「思想」を捉えるが、それは構成要素として対象に関わる機能部分を含み持ち、そこで世界への関わりを確保する。カントが提示した「カテゴリー」、「原則」は、この関わりの必要条件として解釈できる。本章第二節は、カントが、知の問題との関連で、前批判期の形而上学的自我論を経て、批判期において超越論的自我論を語り出す過程を叙述する。それは、知の成り立ちを説明し得ない立場から、説明し得る唯一の立場への移行である。カントは、超越論的自我論の地平において、客観的真偽の決定可能な場所、すなわち我々が対象と出会う経験の場所を、それの可能条件の析出によって境界区画する。このIch、あるいは超越論的自我という考えは、ドイツ観念論において、カントの「超越論的統覚」論のさらなる展開として豊かな内実を呈示するに至る。

 第二章は、カントによって提出された〈超越論的自我〉概念が、彼の思想的継承者、ラインホルト、フィヒテによってどのように精錬されていったかを明らかにする。超越論的自我論のドイツ観念論における継承は根元哲学から始まる。その基礎をなす根本命題は「意識律」であり、「反省」によって到達可能な意識の「事実」を直接的に表現する。しかし「反省」概念には曖昧さがあり、そこに窺える方法論的考察の欠如の故に、根元哲学はシュルツェのヒューム的懐疑論に攻撃されて、哲学史の舞台から消え去っていった。フィヒテの知識学は、根元哲学と懐疑論に共通の前提、すなわち哲学の出発点は「事実」にあるという見解を否定することによって、両者の対立地平そのものを超えようとする。「事行」は、自足的根本命題の上に学問の全体を建設するという根元哲学の体系構想の影響下で、定理としての「事実」を基礎づける公理の役割を担って導入された。しかしその体系構想に忠実である分だけ、自我の絶対的活動を表現すべき第一根本命題は「統制的」妥当性以上に至り得ない。知識学本来の思想に従えば、「事行」は超越論的自我の対象媒介的な反省構造として、理論的・実践的世界を導出する知識学全体の論証に併せて、「真実の生」を生きる実践において直証的に確認されるのでなければならない。我々の生のあり方をも巻き込んだ知識学のこの循環的構造と、根元哲学に影響された初期体系構想は不具合をきたすが、その後、知識学は「事行」という術語をほとんど用いず、本来の思想により適切な別の叙述形式を探し続ける。

 本書は、以降、ラインホルトからフィヒテ知識学へ展開する超越論的自我論のこの流れをさらに先まで明らかにするとともに、知識学批判において知の論理に関する別方向の思索を批判基盤とするヘーゲルに目を向け、ドイツ観念論の超越論的自我論を、彼らに見られる二つの契機において追求する。

 第三章は、次の二章で論述されるヘーゲルとフィヒテの超越論的自我論を対比的に特徴づける準備作業として、ヘーゲルのフィヒテ批判の妥当性を、フィヒテの思想的変遷に沿って検討し、「絶対知」論をめぐる両者の真の乖離点を明確にする。ヘーゲルのフィヒテ批判には、心理主義批判、図式主義批判、形式主義批判という異なった要素が含まれているが、ヘーゲルはそれら批判の背景的基盤として彼一流の、いわゆる弁証法的な〈概念〉理解を持っている。しかし夙に指摘されているように、彼の批判はフィヒテの前期著作しか視野に入れておらず、本書の見解によれば、彼の批判はフィヒテ知識学の変遷を追いきれていない。『基礎』から無神論論争までの時期に、以降のフィヒテ哲学を貫徹する主要思想が明瞭に姿を現わすが、それは無神論論争の影響の下で変容を蒙り、中・後期知識学の基本特徴、「絶対知」と「絶対者」、生と思弁の対立・連関の関係に関わるものとして形を定めていく。ヘーゲルとフィヒテの「絶対知」論を対決させて、まずヘーゲルの側に立つなら、「絶対知」と「絶対的者」の区別、「絶対知」の「発生的」説明は、それ自身、自己自身を組織化し基礎づけるべき体系内部の欠陥を標示するものでしかない。一方、フィヒテの側に立つなら、このいわば自分自身へ生成する体系自身の実在性は、それを超越する絶対者との関連なしにその体系自身から導出され得ない。「絶対知」論におけるこの思索方向の乖離は、そのまま、超越論的自我論をひたすら思惟形式体系の自己生成の局面において展開する方向(ヘーゲル)と、絶対者との関連において超越論的自我の成立構造を反省的に探究する方向(フィヒテ)の乖離でもある。

 第四章は、ヘーゲルにおける超越論的自我論の展開を、論理学における「概念」論のうちに追求する。カントの演繹論によれば、経験的認識は、「統覚」の論理的機能が感性的制約の下でカテゴリー的機能を果たすことによって可能となる。このカテゴリー的機能が「超越論的真理」、すなわち我々の対象への関わりを可能とし、「経験的」真偽を語り得る場所をあらかじめ開く。ヘーゲルの言う強い意味での「思惟」はまさにこの場所をかたち作るものであり、彼の論理学はその論理的結構を提示する。ヘーゲル論理学はその意味で、その全体が経験の成立を保証する「真理の論理学」である。そこで「客観的論理学」から「主観的論理学」への移行は「真理」「根拠」への回帰と意味づけられる。すなわちそこでは、論理的形式が論理的内容を規定するという「絶対的形式」の思想の下で、カテゴリー的諸機能の背後でその内容限定を統御するものとして論理的諸機能が考えられている。ヘーゲル流の「形而上学的演繹」における回帰的循環によって、ヘーゲルは思惟の論理的形式とカテゴリーを絶対的に---すなわちその反省的構造の彼岸に絶対者を追加することなく---基礎づけようとしたのである。

 第五章は、後期フィヒテの超越論的論理学講義(1812年)における超越論的自我論の展開を追求する。カントの超越論的自我論は初期知識学の絶対的自我論へ深化したが、絶対的自我はさらに後期の「像」論においてその主要部分を無神論論争の証跡を残す超越的絶対者への配視の下で、変容させつつ、再生産する。自我の自己確認の場は事実的知であるが、前記講義は、我々の生の現場を形成するこの事実的知を出発点に取り、それの可能性の制約を問うという叙述方式の下で、それ故つまりは「像」のpossibilitas realisを反省的に問い確かめる。フィヒテによれば、事実的知は存在の像とその像の像からなり、両者は不可分である。しかし像が像である限り、それはなんらかの存在の表出であり、そしてなんらかの存在とは、それ自身像である「原像」でしかあり得ない。「原像」の表出とは、事実的知の現場で我々が見いだす像の質料的・総合的統一である。それは、我々が像の形式的統一(像としての統一性)を透過して無限の多様を生成として捉えるところに成立する。そこには知の反省性(生成するものにおいて自己を見いだす)の側面が含まれるが、それは、一方で、我々の生の反省的性格を根源的にかたち作る推論に従って、事実的知において自己を生成原理として確認するとともに、他方で、生成における〈外から由来するもの〉という性格を法則的必然性として内在的に見いだすことによって可能となる。現象の諸状態は自我によっては構成され得ないが、しかし構成不能なものとして構成される。事実的知において自我は自分を非自由へと形像するのである。

 第六章は、観念論にまつわる意識内在主義の懸念を、そこに導く「表象」概念の批判的検討を介して払拭した。それによって、超越論的自我の機能する場所が我々の生のただ中に指摘され得る。根元哲学のうちには懐疑論の攻撃の手が届かない「表象」概念が含まれていた。それはフィヒテの非我論に繋がる着想であり、その概念の持つ豊かな可能性は、根元哲学を継承するフィヒテの論理学・形而上学講義のなかで「具体的概念」や対象の「切り取り」という用語で如実に示されている。それは、知と存在の相即性において我々の経験の現実を露呈させる概念である。そしてそうした経験の現実こそ、まさにヘーゲルとフィヒテの超越論的自我論が、超越論的自我の機能する場所として指し示していたものに他ならない。

審査要旨 要旨を表示する

 本論考は、20世紀哲学の幕開けとされるいわゆる「言語論的転回(linguistic turn)」以来、すでに過去のもの、19世紀までの近世哲学の遺物と見なされるに至った「意識論」をあらためて主題化しようとする。それによって、意識論も、決して過去の思想ではなく、現代に生きる理論であり、また、現代の言語論的哲学に引き継がれた確かな遺産でもあることを、明らかにしようとする。

 こうした視座において、まず第一章で主題化されるのは、いわゆる分析哲学の古典理論と見なされるフレーゲ・ラッセル流の「思想」論もしくは「命題」論(「命題関数」論)である。それによれば、しばしば素朴に考えられるようないわば生の事実(事実そのもの)なるものはおよそ存在しない。そうではなく、「存在」するのは、正しい「思想」・正しい「命題」なのである−−存在とは、命題関数の性質である−−。換言すれば、事実(「布団の上にネコが一匹いる」)とは、正しい「思想」・正しい「命題」にほかならないのである。

 こうした議論を展開・擁護しつつ、論者は、視点を徐々に20世紀哲学から、カントおよびドイツ観念論へと移動させる。すなわち、もし、そのようにして、事実もしくは事実世界が、正しい「思想」においてこそ、そのものとして存在するのであるとするならば、20世紀哲学が行なったような「意識」(「自我」)の表舞台からの追放は、むしろ不当なものであったのではないのか、と。なぜなら、「思想」とは「意識」(「自我」)と密接不可分である、あるいはそれどころか、「意識」(「自我」)そのものであるからである。「事実」とは即ち「思想」であり、「思想」とは即ち「自我」なのである。こうした視座が、論者によれば、まずはカントにおいて典型的に採られているのである。

 そうである限り、カントの意識(自我)哲学、および、そこに発するドイツ観念論も決して過去のものなのではない。ここにこそまさに20世紀哲学の淵源が見て取られなければならない。

 こうしてカント哲学の論究が始まる。ここに登場するのが、論者の言う「大文字の<私>(Ich)」である。すなわち、カントによれば、正しい「思想」・「事実」として存在する「自我」とは、個性的な存在としての「自我」つまり「小文字の<私>(ich)」ではなく、「理性一般」としての「大文字の<私>」すなわち「超越論的自我」である。ここに自我論=事実世界論としてのカント特有の「経験の可能性」論が、いわゆる前批判期および批判期を通して検証される。

 だが、こうして検証されるカントの自我論は、必ずしも十分に展開された事実世界論としての自我論ではなかった。というのもそれは他面、「自我」(「叡知界」)と「事実世界」(「現象界」)との−−評価されるべき面をもつとはいえ、やはり−−二元論であったからである。こうした二元論に対して、一元的な自我論=事実世界論を自覚的に展開するのは、ラインホルトの「意識律」批判を通じて登場するフィヒテであり、ここに提起されるのが、「事実」=「行為」としての「事行(Tathandlung)」概念である。第二章は、この概念を中心とするフィヒテ「知識学」(『全知識学の基礎』)の検討に当てられる。ただし、この検討によるならば、この「事行」論もまた、十分に展開された自我論ではなかった。というのも、「第一根本命題」すなわち「事行」とは、その真理性をそれ自体において証示することは実はできていないのであり、その証示のためには、「実践的部門」の展開を俟たなければならないものであったからである。ヘーゲルのフィヒテ批判もまたここにこそあったのである。

 引き続き第三章において、フィヒテ「知識学」−−1796年から1804年まで−−が主題的に論じられる。すなわち、この一連の「知識学」的論述において、「第一根本命題」=「事行」をめぐる上述の難点が、「生きる」ということそのことを「原確実性」(原真理性)と捉えることによっていかに解消され、いかに十全な自我論(=事実世界論)が展開されようとしたのかが、詳細にたどられる。難解をもって鳴るいわゆる1804年『知識学』の系統的解釈の試みもここで行なわれる。

 第四章は、論者によれば、カント哲学を直接的に継承する、フィヒテ哲学とは別系譜のもう一つの哲学、すなわち、ヘーゲル哲学を主題化する。詳論されるのは、とりわけ『論理学』の第三部である「主観的論理学」である。論者によれば、この箇所においてこそ、かのカントの「超越論的自我」論(「大文字の<私>」論)が、徹底して追及される。すなわち、自我形式としての論理学的諸形式の相互廃棄および相互連関を総体として提示すること(論理形式のいわゆる弁証法的自己展開)によって、事実世界の存立基盤の全面開示が試みられる−−いわゆる思惟と存在との一致の論証−−。

 第五章では、再びフィヒテ「知識学」−−今度は1812年の後期「知識学」−−に立ち返り、有名な「像」論としての「事実的存在」論が詳論される。「事実的存在」とは、「大文字の<私>」において成立する重層的な「像」にほかならないのである。

 こうしてカントおよびドイツ観念論の哲学が詳細にたどられることによって、「事実」論・「事実世界」論が、いかに同時に「意識」論・「自我」論でありうるのか、また、「意識」論・「自我」論でなければならないのかが、徹底して論究される。

 最後に、第六章および結語に至って、再び視点が徐々に20世紀哲学へと引き戻される。カントおよびドイツ観念論の系譜において展開された、自我論としての事実世界論は、たとえばアンスコムの「志向的対象」と「実質的対象」との区別論のなかに確かに見て取ることができるのではないか、そしてまたそれは、振り返ってあらためて、フレーゲの「思想」論、そして、それを引き継ぐ限りでのラッセルの「命題」論−−ただし論者はこの両者の対立をも際だたせる−−に、確かな遺産として引き継がれているのではないか、と論者は見る。

 そうである限り、論者によれば、しばしばすでに過去の遺物でしかないと見なされる「意識」論も、いま現在に至るまで脈々と息づいているのである。

 以上の論考は、時にドイツ哲学特有の晦渋な諸表現に取り込まれ、きわめて難解な論議に陥る。また、カント・ドイツ観念論における自我論と20世紀的言語論哲学とが、果たして論じられるように整合的でありうるのか、疑問なしとしない。実際、カント・ドイツ観念論に関する歴史的論述と、現代哲学をめぐる問題探求とが、必ずしも噛み合っていない面のあることは否定できない。

 しかし論考は、こうした問題点を孕みつつも、カント・ドイツ観念論を実に丹念に探求し、これと英米分析哲学を一体のものとして論じようとする力作であることは疑う余地がない。それは、ひとつドイツ哲学研究のみならず、広く哲学的議論一般に、間違いなく一石を投じうるものである。

 よって審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位を授与するに値すると判定する。

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