学位論文要旨



No 215075
著者(漢字) 鳥羽,陽
著者(英字)
著者(カナ) トリバ,アキラ
標題(和) 自動化を指向したペプチドのN末端アミノ酸逐次配列・D/L絶対配置分析法に関する研究
標題(洋)
報告番号 215075
報告番号 乙15075
学位授与日 2001.06.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15075号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 松木,則夫
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

 Phenylisothiocyanate(PITC)を用いるアミノ酸逐次配列分析法(エドマン法)は、1949年に登場して以来、多くの研究者によって高感度化と自動化とを目的とした改良が加えられ、その成果として開発された気相シークエンサーは現在広く用いられている。エドマン法は、PITCのようなイソチオシアノ基を有する試薬をペプチドのN末端に反応させ、N末端ペプチド結合を特異的に切断した後、最終的に得られるチオヒダントイン(TH-)誘導体をHPLCで同定する手法である。これまでにTH-誘導体の吸光度を測定するPITC法の感度不足を改善するため、蛍光エドマン試薬の開発が試みられてきたが、PITCに比べて試薬骨格が大きく反応性に乏しいため、エドマン法の開発から50年が経過した現在でも、PITC以外ほとんど用いられていないのが実状である。

 最近、カエル、カタツムリ、クモなどの真核生物からD-アミノ酸含有ペプチドが相次いで発見され、ヒトにおいても老化と関連してタンパク質中の特定のアミノ酸残基のラセミ化が報告されている。これらの中には、D-体でないと生物学的活性が失われるものもあり、一次構造解析をする際にD/L絶対配置をも決定することが要求される。そこで本研究では、エドマン法を基礎とし、順次遊離してくるN末端アミノ酸誘導体を光学異性体分離することによって、アミノ酸配列及びD/L絶対配置を決定することを基本方針とした。ベンゾフラザン骨格は他の蛍光試薬と比べて骨格が比較的小さいことから、この骨格を有する蛍光エドマン試薬を用いた、チアゾリノン(TZ-)誘導体やカルバミン酸(CA-)誘導体を測定対象とするN末端逐次配列・D/L絶対配置分析法が開発されたが、市販のプロテインシークエンサーへの適用、すなわち自動化が困難で実用性に乏しいという問題があり、自動化を目的としたさらなる検討が必要とされた。

 本研究では、自動化を指向した高感度N末端アミノ酸逐次配列・D/L絶対配置同時分析法を開発することを目的とし、ベンゾフラザン骨格を有する蛍光エドマン試薬を用い、測定対象となりうる3種類の誘導体(TZ, CA, TH)を比較検討した。

【本論】

1.チアゾリノン(TZ-)誘導体を用いた逐次配列分析における蛍光エドマン試薬の比較

 TZ-誘導体は、試薬とペプチドのカップリング反応、N末端アミノ酸の切断反応の2段階の反応を経て生成する。従来のエドマン法におけるTH-誘導体への転換反応を省略できるため、分析時間の短縮が可能となる。ベンゾフラザン骨格を蛍光団とするエドマン試薬を用いて得られるTZ-誘導体は、そのパラ位置換基のハメット置換基定数(σp)値が大きいほど強い蛍光を示すことが報告されている。

 まず、より高感度にTZ-誘導体を検出できる蛍光エドマン試薬の開発を目的として、新規合成したベンゾフラザン骨格を有する4種類の試薬を比較検討した。パラ位置換基の電子吸引性の増加とともに、TZ-アミノ酸の蛍光強度は増大する一方で、安定性は低下する傾向にあることが分かった。また、エドマン反応の各反応ステップにおけるパラ位置換基の反応性に対する影響を検討したところ、カップリング反応では試薬間の差は観察されなかったが、環化・切断反応に対して抵抗性を示すN末端Pro-His結合を切断する際に、パラ位置換基の電子吸引性が強いほど反応に時間を要した。

 3種類の蛍光エドマン試薬をβ-Casomorphin-7の逐次配列分析に適用したところ、C末端を除くすべてのアミノ酸残基を同定することができた。それぞれの試薬について、TZ-誘導体の安定性及び検出感度、反復収率、クロマトグラム上の妨害ピークについて総合的に評価した結果、7-N, N-dimethylaminosulfonyl-4-(2, 1, 3-benzoxadiazolyl) isothiocyanate (DBD-NCS)が最も自動化に適していると考えられた。しかしながら、TZ-誘導体を用いる方法は、従来のエドマン法よりもステップ数が少ないため分析時間の短縮が期待できるが、TZ-誘導体自体の安定性が低く、標準物質を得ることができない点が自動化の際に問題となることが予測できたため、DBD-NCSを用いてさらに検討を進めた。

2.DBD-カルバミン酸(CA-)誘導体を用いたN末端アミノ酸逐次配列・D/L絶対配置分析法の開発

 DBD-NCSを用いて得られるDBD-TZ-誘導体を加水分解して蛍光性のないTC-誘導体とした後、さらに酸化して得られるCA-誘導体はTZ-誘導体より安定で、かつ強い蛍光を有する。しかしながら、CA-誘導体を用いる配列分析法は、市販のシークエンサーに適用できない。その理由は、従来のエドマン反応より1ステップ増え、さらにCA-誘導体に変換する際に用いるNaNO2などの塩を含む溶液の供給が困難なためである。そこで、シークエンサーへの適用を目的としてCA-誘導体への変換過程を省略する方法、すなわち、TC-誘導体をHPLCに導入して分離した後、ポストカラム法により酸化剤を加えCA-誘導体に変換し、その蛍光を検出するシステムを開発した。

 はじめに、ポストカラム法によるCA-誘導体への変換過程の最適化を行い、反応コイルの長さを10m、反応温度を62℃とした。次に、アミノ酸の同定に用いる逆相カラムでの分離の検討を行った結果、すべてのDBD-TC-アミノ酸が一斉分離でき、ポストカラム法によりCA-誘導体に変換して蛍光検出できた。次に、D/L絶対配置を決定するためにDBD-TC-アミノ酸の光学異性体分離を試みた。光学活性固定相としてPirkle型キラル固定相を用い、Glyを除く19種のDBD-TC-アミノ酸の光学分割を達成した。以上の結果を踏まえて、[D-Ala2]-Deltorphin IIのN末端アミノ酸逐次配列・D/L-絶対配置分析を実施した。環化・切断反応試薬としてラセミ化を抑制できることが報告されているBF3をTFAの替わりに用い、得られたDBD-TC-アミノ酸の一部を逆相HPLCシステムに導入してアミノ酸を同定し、また別に光学活性固定相に導入して絶対配置を決定した。20%前後のラセミ化が観察されたものの、2残基目のAlaはD-体として容易に決定された。

 ポストカラム法を取り入れたHPLCシステムを用いてCA-誘導体を分析する方法は、従来の転換反応の替わりに加水分解反応をシークエンサーに組み込むことで自動化が可能である。しかしながらAsp、Gluの収率が低いため分析前に側鎖をメチルエステル化する必要があり、PVDF膜などに転写したタンパク質の分析が主流となっている今日では、あらかじめエステル化することは困難である。この理由からチオヒダントイン誘導体を検出する逐次配列分析法をさらに検討した。

3.チオヒダントイン(TH-)誘導体を用いたN末端アミノ酸逐次配列・D/L絶対配置分析法の開発

 TZ-誘導体から転換反応によって得られるTH-誘導体は、PITCを用いる従来のエドマン法における分析対象化合物であり、TH-誘導体が蛍光を有するような蛍光エドマン試薬を開発すれば、容易に市販のシークエンサーへの適用が可能となる。これまでの検討で用いた試薬から得られるTH-誘導体はすべて無蛍光であるため、新たにTH-誘導体が蛍光を有する7-methylthio-4-(2, 1, 3-benzoxadiazolyl) isothiocyanate (MTBD-NCS)を設計、合成した。

 これまでに報告された蛍光エドマン試薬の問題点として、試薬自身や副生成物が蛍光を有するため、これらを除去するための洗浄操作をする際に試料の流出を招き、反復収率の低下を引き起こすことが挙げられる。そこですでに明らかになっている4, 7−位置換ベンゾフラザン化合物と蛍光との関係を利用してMTBD-NCSを設計した。ベンゾフラザン化合物の4, 7−位置換基のHammett定数(σp)の和を横軸に、その差を縦軸にプロットすると蛍光を有する化合物が2つの群に集まることから、蛍光の有無が予測できる。MTBD-NCSについて、エドマン反応の過程で得られる各誘導体や副生成物、試薬自身の蛍光の有無をこれにあてはめて考えると、試薬自身に蛍光があるものの、TH-誘導体だけが蛍光を有することが予測できた。そこで実際にMTBD-NCSを合成し、エドマン反応の過程で生成する各誘導体の蛍光特性を調べた。同定できなかったTZ-誘導体を除いて、予測どおりTH−誘導体以外のTC-、CA-誘導体には、ほとんど蛍光がなく、反応の過程で生成する副生成物のMTBD-NH2も無蛍光であった。次に、MTBD-TH-アミノ酸の逆相HPLCにおける分離の検討を行った結果、転換反応の試薬としてHCl-methanolを用いた場合に生成するAsp及びGluのメチルエステル体、Ser及びThrの副生成物として生成するデヒドロ体を含めた24種のTH-アミノ酸が分離された。また、すべてのMTBD-TH-アミノ酸は、2種類のセルロース型光学活性固定相によって光学分割することができた。

 次に、エドマン法の各反応過程を最適化した。カップリング反応は50℃、30分、環化・切断反応は、TFAの替わりにラセミ化を抑制できるBF3を用いて60℃、30分で完結した。転換反応では通常TFA水溶液を用いるが、TH-アミノ酸のラセミ化率が約45%に達したため、D/L絶対配置の決定に用いることができなかった。そこで、PTH-アミノ酸のラセミ化を抑制することが報告されているHCl-methanolを転換反応試薬として選択した。反応時間を検討したところ、Leuでは60℃、60分で反応が完結したが、転換反応に抵抗性を示すProでは2時間経っても完結しなかった。また、そのときのラセミ化率は10%前後であったが、時間と共に増加する傾向にあった。これらのことから、TH-誘導体の生成量とラセミ化率とを考慮してHCl-methanolを用いる転換反応は、60℃、60分で行うこととした。以上の結果を踏まえて、[D-Ala2]-Deltorphin IIのN末端アミノ酸逐次配列・D/L絶対配置分析を実施した。逆相HPLCと光学分割HPLCシステムとを用いてアミノ酸配列と絶対配置とを決定することができ、ごくわずかなラセミ化が観察された。

 TH-誘導体を用いる場合の反応ステップは従来法と同じであり、市販のシークエンサーへの適用を容易に行うことができる。また、TH-誘導体の安定性及び酸性アミノ酸の収率は高く、前述の2法に比べて実用性は高いと考えられる。

【結論】

 ベンゾフラザン骨格を有する蛍光エドマン試薬を用いて、エドマン反応によって生成する3種類の誘導体を測定対象とする、N末端アミノ酸逐次配列・D/L-絶対配置分析法を開発した。最終的に、MTBD-NCSを用いてTH-誘導体を検出するシステムが誘導体の安定性、酸性アミノ酸の収率等を考慮すると優れており、このシステムの自動化によりPITC法より高感度で、かつD/L-絶対配置をも決定できる自動分析装置を開発できるものと考える。

審査要旨 要旨を表示する

 生物体内に存在するタンパク質やペプチドは、そのほとんどがL-アミノ酸のみから構成されると考えられてきたが、近年、哺乳類を含めた高等動物からD-アミノ酸含有ペプチドまたはタンパク質が相次いで発見されている。ヒトに於いても多くのD−アミノ酸含有ペプチド(タンパク質)の存在が報告され、疾患との関連が議論されていることから、ペプチド(タンパク質)中のD-アミノ酸を容易に同定できる分析法の開発が急務となっている。鳥羽はこの課題に取り組み、従来から広く用いられているN末端アミノ酸逐次配列分析法(エドマン法)を基礎として、蛍光試薬を用いることによる高感度化と順次得られるアミノ酸誘導体の光学異性体分離を検討し、アミノ酸配列のみならずD/L-絶対配置の決定をも可能なアミノ酸逐次配列分析法を、自動化をも視野に入れつつ検討した。

 エドマン法によって得られるN末端アミノ酸誘導体は数種類の誘導体に導くことができる。まず第一章では、ベンゾフラザン骨格を有する蛍光試薬を用い、従来法の測定対象であるチオヒダントイン誘導体への転換反応を省略した、チアゾリノン誘導体を測定対象とする分析法を開発し、高感度化と分析時間の短縮とを達成している。また、蛍光試薬のパラ位置換基が、検出するチアゾリノン誘導体の蛍光量子収率や安定性、反応効率に影響を及ぼすことを明らかにしている。

 第二章では、カルバミン酸誘導体を測定対象とするN末端アミノ酸逐次配列・D/L-絶対配置分析法を検討している。チオカルバミン酸誘導体からカルバミン酸誘導体への反応制御の困難な変換過程をHPLC-ポストカラム法によって行うことで、副生成物からの分離も必要とせず、また反応過程の省略によって自動化への対応も可能にしている。さらに反応過程でのラセミ化を抑制するためにルイス酸(BF3)を環化・切断反応試薬として用い、得られたアミノ酸誘導体をPirkle型光学活性固定相で分離することでD/L-絶対配置の決定をも可能とした。

 第三章では、ベンゾフラザン化合物の蛍光特性と置換基との関係から蛍光の有無を予測し、測定対象のチオヒダントイン誘導体のみが蛍光を有するような蛍光エドマン試薬を設計し、実際に副生成物が蛍光を示さない新規蛍光試薬(MTBD-NCS)の合成に成功した。MTBD-NCSを用いる逐次配列分析法では、環化・切断反応にBF3を、転換反応に塩酸−メタノール溶液を用いることでラセミ化を抑制し、得られたチオヒダントイン誘導体をセルロース型の光学活性固定相で分離することでD/L-絶対配置の決定を可能としている。最終的に、MTBD-NCSを用いてチオヒダントイン誘導体を検出する方法が誘導体の安定性、酸性アミノ酸の収率等の点で優れており、反応過程は従来法と同じであることから、市販のシークエンサーを用いた自動化を容易に行うことができ、今回検討した方法の中で最も実用性が高いと結論付けている。

 従来、アミノ酸配列とD/L-絶対配置を同時に決定できる手法が確立していなかったため、D-アミノ酸含有ペプチド(タンパク質)の構造解析に多大な時間と労力が費やされてきている。このことから、本研究に於ける蛍光エドマン試薬を用いた高感度N末端アミノ酸逐次配列・D/L-絶対配置分析法は、自動化にも適した方法であり、更に検討を加えることにより、D−アミノ酸含有ペプチド(タンパク質)の構造解析における有力な手法となるものと期待される。本研究で得られたこのような知見は、分析化学の分野に貢献すること大であり、博士(薬学)の学位に値するものと判定した。

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