学位論文要旨



No 215076
著者(漢字) 石井,弓夫
著者(英字)
著者(カナ) イシイ,ユミオ
標題(和) わが国における建設コンサルタント産業の形成過程に関する研究
標題(洋)
報告番号 215076
報告番号 乙15076
学位授与日 2001.06.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15076号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 國島,正彦
 東京大学 教授 玉井,信行
 東京大学 教授 家田,仁
 東京大学 助教授 竹内,佐和子
 東京大学 助教授 小澤,一雅
 東京大学 教授 金本,良嗣
内容要旨 要旨を表示する

 技術者の個人的職業として始まったわが国の建設コンサルタントは、技術士法が施行された1958年(昭和33)から企業として本格的な活動を開始した。以来40年余、建設コンサルタントは何度かの危機を乗越え、その業務の質と量を改善し、社会基盤開発整備管理運営を担う建設産業の一翼を担うまでに成長した。

 本論文は、わが国の建設コンサルタントが産業へと成長していった過程を調査研究し、その形成過程の歴史的経過および現状の事実関係を取りまとめ、国際競争力を見据えた建設コンサルタント産業の将来ビジョンを提示することを目的とした。

 本論文の構成と概要は以下に示す通りである。

 第1章の序論では、建設コンサルタントの発展過程を分析する切り口として、(1)需要の存在 (2)明確な役割 (3)企業・協会・技術者の存在 (4)契約の双務性 (5)能力・倫理の保持の5項目を提示し、建設コンサルタントが、これらの5要件を満たして産業として発展してきたという仮説を立てた。

 第2章では、コンサルタントは個人の知的能力をクライエント(発注者)に提供する職業であるから専門分野ごとにそれぞれコンサルタントが存在すること、最も活発に活動してきたのは技術分野を担当するコンサルティング・エンジニア(以下CEと称す)であることを示し、この中で建設分野を専門とするCEを建設コンサルタントと定義した。CEは18世紀の産業革命期にヨーロッパにおいて現れたが、製造者あるいは施工者から独立した専門家(CE)による設計がクライエント(発注者)の利益になると考えられ、19世紀初頭には職業として確立したこと、および、当初は個人として出発したCEも経済の発展に対応して企業化が進み、やがて産業へと発展していったことを示した。建設産業における最大の発注者は公共機関であるため特に「公正さ」が求められ、これを担保するためにCEが多く利用されたこと、および、その結果、建設分野を専門とする建設コンサルタントが他の分野のCEより多くなったことが明らかとなった。

 第3章では、わが国における建設事業は、古代、中世、近世各時代において、中央政府=官=為政者の最も重要な施策と見なされていたので、コンサルタント的業務が官から分離することはなかったこと、1867年(慶応3)の明治維新により最新の西洋芸術(技術)がお雇い外国人や留学生を通じて導入され、技術専門家の必要性は認識されていたと思われるが、急速に欧米先進国に追いつくために技術者を「官」に集中せざるを得なかったので、職業としての建設コンサルタントは現れなかったことが明らかとなった。大正から昭和中期には、建設事業は官の業務と考えられていたものの、技術者の社会的地位を確立しようという建設コンサルタントの先覚者が出始めたこと、しかし、これらの動きも官中心の時代であったので建設コンサルタントとしては萌芽のままであったことを示した。

 第4章では、1945年(昭和20)の敗戦によって復興のため社会基盤施設開発整備が急務とされ、公共(官)部門の設計業務を「手伝う」建設コンサルタントに対する膨大な需要が生まれたこと、そこで初めて専門技術者としての建設コンサルタントが登場したこと、これらの技術者は戦前から先駆的にコンサルタント的業務を行っていたが、新しい時代の到来を機会に企業を設立し職業としての発展を目指したことを示した。1950年代後半に高度成長を支える建設事業の急速な増大が始まり、これに対応して多数の建設コンサルタント企業が設立されたこと、1957年(昭和32)に技術者の資格として「技術士法」が制定されたが、これに日本技術士会(1951年設立)の大きな働きかけがあったこと、建設コンサルタントの発展の基礎ともなった「公共事業における設計・施工の分離原則」が、1959年(昭和34)に建設事務次官から関係機関に通達されたことの影響が明らかとなった。この時期における建設コンサルタントヘの需要、明確な役割、資格の公認、協会の設立等、いずれの事柄も産業確立の5要件を満たす方向へと前進したことが分かった。

 第5章では、1960年代、建設産業は空前の活況を呈し、建設コンサルタントも企業の拡大と組織の整備、技術の高度化・多様化等に取り組んだこと、1970年代に入り2度のオイルショックにより高度経済成長は終わり、国民の関心が大型建設プロジェクトよりは環境保全へと向かったので、これに対応して建設コンサルタント各社は環境部門を設けるなどの努力を行ったこと、そして、建設コンサルタントの地位が高まるにしたがって、クライエント(発注者)の代表とも言える建設省において、この職業の望ましい位置付けを検討するようになったことを示した。1982年(昭和57)建設省および建設業振興基金は「建設コンサルタント業の経営方針」をまとめ、1987年(昭和62)には建設省が「建設コンサルタント中長期ビジョン」研究会を設け、その成果を2年後に「ATI構想:Attractive, Technologically spirited, Independentな知的産業」として発表した。この報告書では、建設コンサルタントは「発注者の技術的パートナー」として位置付けられ、この時点で、戦後「お手伝い」として発足した建設コンサルタントが、初めて発注者の対等なパートナーとしての役割が公的に認められたと考えられる。

 第6章では、わが国の建設コンサルタントが、1990年代前半に、本論文で提示した発展段階を分析する視点の5要件をほほ達成し産業として確立したことを論証した。その後、建設コンサルタントは着実に発展を続け、1998年(平成10)には、企業数約2,900社、技術者10万人、売上高1兆7千億円となった。その中で独立の倫理を掲げる企業で知識する建設コンサルタンツ協会の会員企業数は480社、技術者数46,000人、技術士7,500人、売上高1兆円を確保している。産業としての実態を、建設コンサルタントの資格要件、選定方法、および報酬の構造等について欧米諸国と比較分析した結果、わが国の建設コンサルタントの独立性は、現状では未だ低いことが明らかとなった。

 第7章の建設コンサルタント産業の発展のための課題、および、第8章の建設産業を取り巻く環境の変化と課題では、1990年代から日本経済の国際化および自由化が進行し、日米建設協議、GATTウルグアイラウンド等の時代の趨勢に建設産業も晒されて、建設生産システムの改革を迫られることとなった過程、および、公共事業が、バブル経済の破綻、公共事業費削減、公共工事不要論等厳しい社会的批判に晒される環境に直面している状況を整理して纏めた。さらに、わが国において順調に成長してきた建設コンサルタント産業が、現時点において、経営指標に関しては社会的標準に達していない側面があり、その改善の努力が求められている事柄について論じた。

 敗戦後の約50年間、インフラストラクチャ整備を担ってきた公共事業は、大多数の国民の合意と支持を得てきたといえる。しかし、1990年代以降、かつてない不況による国および地方自治体の財源の枯渇、コントラクターによる不祥事の顕在化等のため、国民の合意と支持が揺らぎ失われてくると共に公共事業費は削減の方向にある。1998年(平成10)に一時的に削減方針は緩和されたが、公共事業費が減少する基本的方向に変わりはないと思われる。将来のインフラストラクチャ整備に関わる建設生産システムは、地方分権化およびPFI(Private Finance Initiative)等の民営化手法が導入されると考えられる。

 公共事業費削減という変化は、建設コンサルタント企業の経営にとって厳しい制約条件といえる。しかし、新しい建設生産システムにおける建設コンサルタントの役割は、これまでの「設計者」のみならず「調整者」あるいは「発注者の代理人」等へと拡がるので、社会経済状況の変化に対応できる企業は大きな発展の可能性があると考えられる

 第9章は、結論であり、各章で論述した建設コンサルタントの段階的な産業成立過程を纏め、自由化および国際化の趨勢および公共事業費の減少という社会経済状況における建設コンサルタントの将来の方向を提示した。

審査要旨 要旨を表示する

 我が国の建設産業は、第二次大戦敗戦後の荒廃した国土を復興し、国民生活の福利厚生の向上および経済発展の礎となる社会基盤開発整備に貢献してきた。国造りを目的とした公共事業が活発に実施され、その過程において、事業調整官としての公共工事発注者および施工を担当する建設会社と共に、建設コンサルタントが、計画および設計を主たる業務として建設産業の一翼としての重要な役割を担ってきた。

 本論文は、わが国の建設コンサルタントが産業へと成長していった発展過程を調査研究し、その歴史的経過および現状に関する事実関係を整理して明らかとし、国際競争力を見据えた建設コンサルタント産業の将来ビジョンを提言することを目的としている。

 建設コンサルタントの発展過程を分析する切り口として、(1)需要の存在 (2)明確な役割 (3)企業・協会・技術者の存在 (4)契約の双務性 (5)能力・倫理の保持の5項目を提示し、建設コンサルタントが、これらの5要件を満たして産業として発展してきたという仮説を立て、それを時代を追って検証している。

 コンサルタントは、個人の知的能力をクライエント(発注者)に提供する職業で、専門分野ごとにそれぞれコンサルタントが存在し、最も活発に活動してきたのが技術分野を担当するコンサルティング・エンジニアであり、その中の建設分野を専門とするコンサルティング・エンジニアを建設コンサルタントと定義している。18世紀の産業革命期にヨーロッパにおいてコンサルティング・エンジニアが現われ、製造者あるいは施工者から独立した専門家による設計がクライエント(発注者)の利益になると考えられ、19世紀初頭には職業として確立したこと、当初は個人として出発したコンサルティング・エンジニアが経済の発展に対応して企業化が進み産業へと発展していったこと、建設産業における最大の発注者の公共機関が公正さを担保するためにコンサルティング・エンジニアを多用し、その結果、建設コンサルタントが他の分野のコンサルティング・エンジニアより多くなったこと等を明らかとしている。

 我が国の建設産業は、1867年(慶応3)の明治維新以降、御雇い外国人や留学生を通じて西洋技術を導入し、欧米先進国に早く追いつくために技術者を官に集中したので、職業としての建設コンサルタントは現れなかったこと、大正から昭和中期迄は、技術者の社会的地位を確立しようとする建設コンサルタントの先覚者が出始めたが、建設事業が公共事業中心の時代であったので萌芽のままであったこと等を示している。1945年(昭和20)の敗戦後、国土復興のため社会基盤施設開発整備が急務とされ、公共事業の設計業務を手伝う役割を担う建設コンサルタントヘの膨大な需要が生まれ、初めて専門技術者としての建設コンサルタントが登場したこと、これらの技術者が戦前から先駆的にコンサルタント的業務を行っており、新しい時代の到来を機会に企業を設立し職業としての発展を目指したこと等を論述している。1950年代後半に高度成長を支える建設事業の急速な増大が始まり、これに対応して多数の建設コンサルタント企業が設立され、1957年(昭和32)に制定された技術者の資格としての技術士法、および、1959年(昭和34)の「公共事業における設計・施工分離の原則」に関する建設事務次官通達が、建設コンサルタントの発展の基礎になったと論じ、需要、明確な役割、資格の公認、協会の設立等の、産業確立の5要件を満たす方向へ進んだことを示している。

 1960年代、我が国の建設産業は空前の活況を呈し、建設コンサルタントも企業の拡大と組織の整備、技術の高度化・多様化等に取り組み、1970年代の2度のオイルショックにより高度経済成長が一段落し、大型建設プロジェクトから環境保全への国民の関心の変化に対応して、建設コンサルタント各社は、環境部門を設けるなどの時代の変化へ対応する努力をした。1982年(昭和57)建設省および建設業振興基金は「建設コンサルタント業の経営方針」を纏め、1987年(昭和62)には建設省が「建設コンサルタント中長期ビジョン」研究会を設け,1989年(平成元)にATI構想(Attractive, Technologically spirited, Independentな知的産業)として発表した。この報告書で、建設コンサルタントは,発注者の技術的パートナーとして位置付けられ、この時点で、お手伝いとして発足した建設コンサルタントが、初めて発注者の対等なパートナーとしての役割が公的に認められ,1990年代前半に、我が国の建設コンサルタントは、本論文で提示した発展段階を分析する視点の5要件をほぼ達成し産業として確立したことを論証している。

 それと同時に、この時期における産業としての実態を、建設コンサルタントの資格要件、選定方法、および報酬の構造等について欧米諸国と比較分析し、わが国の建設コンサルタントの独立性が依然として低いことを明らかとしている。さらに、1990年代以降の、経済不況による国および地方自治体の財源の枯渇、建設会社等による不祥事の顕在化、および公共事業への国民の支持の低下等の状況における公共事業費削減という変化と、建設コンサルタント企業の経営との関係について詳細に検討している。そして、将来の社会基盤開発整備管理運営に関わる新しい建設生産システムにおいては、地方分権化および民営手法の導入が重要と論じ、その場合、建設コンサルタントが、これまでの設計者のみならず、調整者あるいは発注者の代理人という新しい役割を担うべきことを提言している。

 本論文における、我が国の建設コンサルタントが産業へと成長していった発展過程と現状に関する調査研究と分析によって得られた成果、および、将来の建設コンサルタント企業の経営理念と具体的方策に関する提言は、従来の研究および論説と比較して、極めて斬新で数多くの有益な知見と示唆に富むものと認められる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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