学位論文要旨



No 215083
著者(漢字) 平山,力
著者(英字)
著者(カナ) ヒラヤマ,チカラ
標題(和) 家蚕幼虫におけるアンモニア窒素の代謝・利用に関する生理・生化学的研究
標題(洋)
報告番号 215083
報告番号 乙15083
学位授与日 2001.06.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15083号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,正彦
 東京大学 教授 田付,貞洋
 東京大学 教授 永田,昌男
 東京大学 助教授 石川,幸男
 東京大学 助教授 嶋田,透
内容要旨 要旨を表示する

 近年、我が国の養蚕業は、従事者の高齢化、後継者不足等により繭生産の著しい減少が続き、その結果、養蚕業のみならず製糸業の衰退をももたらしている。このような現状を打開するためには、繭生産性の飛躍的な向上と規模拡大により農家の競争力を高める必要がある。それには現行の桑を利用した養蚕技術体系から脱却し、人工飼料を活用した全く新しい技術システムを構築することが急務になっている。しかしながら、人工飼料育は従来の桑葉飼育に比べ、繭層生産性が劣ることが指摘され、人工飼料育の欠点とされていた。繭層生産性を高める一つの方策としては、非必須アミノ酸混合物を人工飼料中に添加することが有効であることが知られているが、コスト面から実用的ではない。哺乳動物等においては、飼料中に添加したアンモニウム塩の一部が腸管から吸収され、非必須アミノ酸に変換されることが報告されていることから、アンモニウム塩は非必須アミノ酸混合物の代替物としてカイコの人工飼料の素材になりうる可能性がある。

 本研究では、低コストかつ繭層生産性の高い人工飼料の開発のためにアンモニウム塩を飼料素材として導入することを想定し、従来検討されていなかったカイコにおけるアンモニア窒素の代謝機構について栄養生理学および生化学的手法を用いて研究を行った。また、カイコ体内におけるアンモニアの発生源の一つである尿素に着目し、その代謝特性が飼料に依存して大きく異なる点について生化学的側面から解明を行った。本研究で得られた知見の概略は以下の通りである。

1.アンモニア窒素の窒素栄養源としての有効性

 アンモニウム塩の飼料窒素源としての有効性を判定するために、まず、必須アミノ酸のみを窒素源とする人工飼料(基本飼料)に各種アンモニウム塩を添加した試験飼料で5齢幼虫を飼育し、基本飼料と栄養価を比較した。栄養価の指標として体重、絹糸腺、その他組織の重量および生存率を調べた結果、アンモニウム塩の中ではクエン酸アンモニウムおよび酢酸アンモニウムに成長促進効果があった。クエン酸アンモニウムの添加はグルタミン酸とほぼ同等の有効性を示した。また、体液のアミノ酸組成を分析した結果、クエン酸アンモニウムの添加により、セリン、アスパラギン、グルタミン、グリシン、アラニンやプロリンなどの非必須アミノ酸の顕著な増加が観察され、アンモニア窒素から非必須アミノ酸への転換が示唆された。さらに、15Nで標識された酢酸アンモニウムを添加した人工飼料を与えると約50%の15Nが体内に取り込まれ、そのうちの40%が絹糸タンパク質合成に利用された。また、大豆タンパク質を主な窒素源とする通常の人工飼料で飼育した5齢2、5、8日齢のカイコの体液中に[15N]酢酸アンモニウムを注射し、12時間後の各組織への分布を調べたところ、注射した15Nのうち5齢2日目では約20%が、5齢5日および8日目では60〜70%が絹糸タンパク質へ取り込まれており、5齢の中・後期において、アンモニア窒素の利用がより効率的であることが明らかになった。

2.終齢幼虫におけるアンモニア同化経路

 カイコの5齢幼虫におけるアンモニア同化経路を明らかにするため各組織の窒素代謝関連酵素の活性について検討を行った。その結果、脂肪体、後部絹糸腺、中腸において植物や微生物のアンモニア同化に関わるグルタミン合成酵素(GS)、グルタミン酸合成酵素(GOGAT)およびグルタミン酸脱水素酵素(GDH)の活性が検出された。このことからカイコ体内におけるアンモニアの代謝経路としては、微生物や植物で知られるGS/GOGAT経路と、哺乳動物等にも存在するGDH経路の2通りが考えられた。カイコにおける主要なアンモニア代謝経路を知るため、5齢7日目のカイコ体液中にGSの特異的な阻害剤(メチオニンスルフォキシミン;MS)を注射し、GS/GOGAT経路を人為的に遮断することでGDH経路だけが働きうる状態を作った。この結果、各組織のGSの活性が阻害され、体液中のグルタミンの急激な減少が引き起こされたが、これに伴い体液中のアンモニアが顕著に増加した。このことは、脱アミノ反応等によりカイコ体内で生じるアンモニアは主にGSによってグルタミンに変換されていることを示しており、GDHによるアンモニアからのグルタミン酸への変換の代謝系は弱いと考えられた。さらに、MSを[15N]酢酸アンモニウムと一緒に注射すると、15Nの絹糸タンパク質への取り込みは著しく阻害されたが、[15N]酢酸アンモニウムの代わりに[15Nアミド]グルタミンを投与した場合には、影響をほとんど受けなかった。これらの結果から、カイコ体内で発生するアンモニアの主要な同化経路がGS/GOGAT経路であると推定された。

3.グルタミン酸合成酵素の精製と性質

 動物組織にGSは普遍的に存在しているものの、GOGATについてはこれまで存在が全く知られていなかった。そこで、カイコにおけるGOGATの性質と機能を知る目的で、後部絹糸腺および脂肪体から本酵素の精製を行った。分離・精製した酵素の分子量、N末端アミノ酸配列、至適pH、基質特異性、基質親和性、各種阻害剤に対する影響等を調べた結果、カイコGOGATは植物や酵母等の真核生物に存在するNADH依存型GOGATと極めてよく似た性質を持っていることが判明した。また、脂肪体と後部絹糸腺の酵素は全く同一の酵素と推定された。アンモニア窒素が絹糸タンパク質合成に効率よく利用される5齢中・後期の各組織、特に後部絹糸腺中の酵素活性が非常に強いことから、この酵素は後部絹糸腺における絹糸タンパク質(フィブロイン)の合成に必要なアミノ酸を供給する機能を担っていると推定された。

4.飼料に依存した尿素の利用・代謝特性

 カイコを桑葉で飼育した場合に、尿素をアンモニアに分解するウレアーゼ活性が吐糸期以降の体液中に出現し、これに伴って体液尿素濃度が急激に減少することが知られている。摂取した飼料の違いにより、体液中の尿素の運命にどの程度の違いが見られるかを知るために、[15N]尿素および[15N]酢酸アンモニウムを5齢7日齢(吐糸期)のカイコに注射し、絹糸タンパク質中に取り込まれる15N量を測定した。人工飼料で飼育したカイコに[15N]酢酸アンモニウムを注射した場合、15Nは効率よく絹糸タンパク質中に取り込まれたが、[15N]尿素は全く取り込まれなかった。一方、桑葉で飼育したカイコでは、[15N]尿素も[15N]アンモニウム塩と全く同様に利用された。次いで、摂食期においても飼料に依存した尿素の利用・代謝特性の違いが見られるか検討を行った。桑葉で飼育した5齢3日齢(摂食期)のカイコに[15N]尿素を注射した場合に、15Nの一部は絹糸タンパク質へ取り込まれたが、人工飼料で飼育したカイコでは、[15N]尿素は利用されなかった。桑葉で飼育した場合、5齢3日齢のカイコ体液中にはウレアーゼ活性は存在しなかったものの、消化管内容物中には活性が認められた。消化管の内容物中の尿素を定量したところ、人工飼料で飼育したカイコに比べると、桑葉で飼育したカイコでは、尿素が少ないことがわかった。このことから、消化管内腔に分泌された尿素の一部はウレアーゼによりアンモニアに分解され、消化管組織によって再吸収された後に窒素源として再利用されるものと推測された。

5.カイコの尿素代謝に関わるウレアーゼの起源とその生化学的・酵素学的性質

 桑葉ウレアーゼがカイコの尿素代謝へ関与していることを実証し、その生理学的な機能について解明する目的で桑葉からウレアーゼの精製を行った。精製された酵素の分子量、N末端アミノ酸配列、至適pH、基質親和性等の酵素学的性質を明らかにするとともに、カイコ消化液に対する安定性を調べた。その結果、桑葉ウレアーゼの性質は、これまで精製された植物ウレアーゼとは性質が異なり、至適pHがカイコの消化管内のようなアルカリ側にあることがわかった。また、カイコ消化液中で比較的安定であり、桑葉ウレアーゼが消化管内で十分に機能する性質を持っていることが判明した。さらに、桑葉で飼育したカイコの吐糸期の体液からウレアーゼを部分精製し、諸性質を調べた結果、カイコの体液ウレアーゼの性質は桑葉ウレアーゼの性質とほぼ完全に一致し、桑葉ウレアーゼが消化管から何らかの機構で体液中に取り込まれていることが明らかとなった。

 以上要するに、本研究において、カイコ終齢幼虫がアンモニア窒素を活発に絹糸タンパク質へ同化する能力があることを見出すとともに、動物においてこれまで知られていなかったアンモニアの同化経路の存在を立証し、その代謝経路を構成するグルタミン酸合成酵素の性質を明らかした。さらに、カイコの生体内でのアンモニア発生源の一つである尿素の代謝・利用の様相が幼虫の摂取した飼料に依存して全く異なっており、その原因が飼料中のウレアーゼの存否であることを明らかにした。今後、繭生産を目的とする栄養管理技術の開発・研究の発展に本研究の知見が役立つものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、カイコにおけるアンモニア窒素の代謝機構について、栄養生理学的及び生化学的研究を行い、新たなアンモニア同化経路の存在を立証し、体内アンモニア源となる尿素の代謝特性が飼料由来の酵素に依存する点について解明したものである。

1.アンモニア窒素の窒素栄養源としての有効性

 アンモニュウム塩の飼料窒素源としての価値と有効性を体重、器官重量、及び生存率を指標に判定した結果、クエン酸アンモニュウムと酢酸アンモニュウムに成長促進効果が見られた。クエン酸アンモニュウムの添加はグルタミン酸とほぼ同等の有効性を示し、体液のアミノ酸組成に非必須アミノ酸の顕著な増加が観察されたことから、アンモニア窒素から非必須アミノ酸への転換が示唆された。また、飼料に添加した[15N]酢酸アンモニュウムは、50%が体内に取り込まれ、その内の40%が絹糸タンパク質の合成に利用された。体液中に注射した[15N]酢酸アンモニュウムは、5齢中後期においては大豆タンパク質より効率的に利用されていた。

2.アンモニア同化経路

 カイコの5齢幼虫におけるアンモニア同化経路を明らかにするため、数種器官の窒素代謝関連酵素の活性を調べた結果、グルタミン合成酵素(GS)、グルタミン酸合成酵素(GOGAT)、及びグルタミン酸脱水素酵素(GDH)の活性が検出された。このことからカイコ体内におけるアンモニア代謝経路として、植物や微生物でのみ知られているGS/GOGAT経路と哺乳動物で知られるGDH経路の2通りが考えられた。そこでGSの特異的阻害剤を注射しGS/GOGAT経路を人為的に遮断したところ、体液中のグルタミンの急激な減少とアンモニアの顕著な増加が見られた。このことから、脱アミノ反応等によりカイコ体内に生じるアンモニアは主にGSによってグルタミンに変換されており、GDHによるアンモニアからグルタミン酸への変換の代謝系は通常は働いておらず、カイコの主要なアンモニア同化経路はGS/GOGAT経路であると考えられた。

3.グルタミン酸合成酵素の精製と性質

 動物ではその存在が知られていなかったGOGATをカイコから精製し、分子量、N末端アミノ酸配列、至適pH、基質特異性、基質親和性、阻害剤の影響等を調べた結果、植物や酵母等の真核生物のNADH依存型GOGATときわめて類似する性質を持っていた。この酵素は後部絹糸腺における絹糸タンパク質の合成に必要なアミノ酸を供給する機能を担っていると推定された。

4.飼料に依存した尿素の利用・代謝特性

 カイコでは吐糸期以降の体液中にウレアーゼ活性が出現し、尿素をアンモニアに分解する。[15N]尿素及び[15N]酢酸アンモニュウムをカイコに注射し絹糸タンパク質に取り込まれる15N量を測定したところ、桑葉で飼育したカイコでは[15N]尿素も[15N]アンモニュウム塩と同様に取り込まれていたのに対し、人工飼料で飼育したカイコでは[15N]尿素は全く取り込まれていなかった。このことから、吐糸期以降のカイコの体液中には飼料に依存するウレアーゼ活性があることが判明した。これに対し、盛食期のカイコでは、ウレアーゼ活性が体液中にはなく消化管内容物中に認められたことから、消化管内腔に分泌された尿素の一部がウレアーゼによりアンモニアに分解され、消化管から吸収された後に窒素源として再利用されるものと推測された。

5.カイコのウレアーゼの起源と性質

 桑葉ウレアーゼがカイコの尿素代謝に直接関与していることを実証した。桑葉ウレアーゼは、これまで精製された他の植物ウレアーゼとは異なり、至適pHがカイコの消化管内のようなアルカリ側にあり、カイコ消化液中で安定であることが判明した。また、カイコの体液からウレアーゼを精製し桑葉のものと比較したところ諸性質が完全に一致し、桑葉ウレアーゼが消化管から体液中に取り込まれていることが明らかになった。

 以上要するに、本研究は、カイコの終齢幼虫がアンモニア窒素を活発に絹糸タンパク質へ同化する能力があることを見出すと共に、動物においてこれまで知られていなかったアンモニアの同化経路の存在を立証し、さらに、桑葉中のウレアーゼを体内に取り込み尿素を代謝してアンモニアを発生させ利用していることを明らかにしたものである。本論文は、学術上極めて大きな知見を明らかにし、応用上も重要な基本的事実を明らかにしたものである。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として十分に価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42856