学位論文要旨



No 215089
著者(漢字) 内藤,玲
著者(英字)
著者(カナ) ナイトウ,アキラ
標題(和) 喉頭機能としてのエアトラッピングに関する研究
標題(洋)
報告番号 215089
報告番号 乙15089
学位授与日 2001.06.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第15089号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 江藤,文夫
副主査: 東京大学 助教授 織田,弘美
 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 助教授 菅沢,正
 東京大学 助教授 伊良皆,啓治
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

 喉頭の機能の内、発声、嚥下、気道の保護等の機能については多数の研究が存在する。しかし、喉頭と上肢の関係、すなわちエアトラッピングと呼ばれる機能については、未だにその詳細については明らかでない。

 エアトラッピングとは、声門の閉鎖によって胸腔内の空気に空気を閉じ込め、胸郭を固定することである。Negusは1929年に、エアトラッピングについて以下の説明をおこなっている。Negusは、動物の喉頭は、数種類に分類される、と説明した。まずは、トカゲなど、両生類の喉頭で、水面下において、水圧に対抗しても水を中に入れないために、ドーム状の喉頭となっている。次には、四つ足で歩く動物で、単純な弁状の喉頭となっている。そして、最後に、上肢を単独で使用する動物で、二重の弁状の、最も発達した喉頭が形成されている。

(図1)

 それでは、なぜこのような異なる喉頭に進化したのであろうか。Negusは、次のように説明している。上肢を単独で使用する動物は、大胸筋を使用する。そして大胸筋は収縮するときに肋骨を引いてしまう。この肋骨の引きを最小にし、喉頭の閉鎖を完全にして胸郭を固定するために、喉頭は進化して二重になったと解説した。

 Negusのエアトラッピングはその後、広く受け入れられるが、これに関連する論文は少数しか発表されなかった。しかし、現在でも、Negusはしばしば引用され、1993年に発行された喉頭の権威、Tuckerらの'The Larynx'に記載されている、『喉頭の閉鎖なしでは、重量物を上げることは困難か、不可能である』、との認識が一般的に受け入れられていると思われる。

 この方面の研究が遅延する原因の一つは、運動中の喉頭の観察が困難であることがあげられる。

 本実験は、体動中においても喉頭を観察できるシステムを開発し、運動中の喉頭の観察を行い、エアトラッピングについての洞察を得ることを目的とした。

実験1 上肢運動と喉頭

<実験方法>

 予備実験において、経鼻ファイバースコープを応用した喉頭観察器具を開発、使用し、前転等の鉄棒運動中等の過激な運動中でも喉頭の観察が可能であることが確認された。この器具を使用し、3名の健康な男性を被検者に、最小、中等、最大の力での、テニス(フォアハンド)、剣道(面打ち)、および懸垂がそれぞれ4回ずつ行われた。

<実験結果>

 剣道、テニスの最大出力時は、3人の被検者全てに喉頭の閉鎖が認められた。最小、中等の力の時には、それぞれの被検者間で差が認められた。剣道最大出力時では、面に接する前に喉頭の閉鎖が認められた。懸垂時には、運動開始時に被検者全てに喉頭閉鎖が認められた。しかし、懸垂途中では、被検者間に差が存在した。(表1)

<小括>

 最大の力を出す、あるいは瞬発的な力を出す必要があるときには喉頭が閉鎖し、定常的な力を出す時には喉頭の状態が一定しないことが認められた。

実験2 喉頭閉鎖・開大時の上肢出力

 喉頭閉鎖、開放時に鉄棒を押し上げ、力の出力の差について検討を加えた。

<実験方法>

 鉄棒にストレインゲージを装着、被検者12名(19−61歳、男性11名、女性1名)について鉄棒に加えられる負荷量力を計測した。喉頭の観察には、実験1で使用された経鼻ファイバースコープを用いた。被検者はファイバースコープ挿入後、鉄棒の下方より上方に向かって最大限の力で鉄棒を押し上げた。喉頭の閉鎖時、および喉頭の開放時の出力が記録された。

<結果>

 被検者ごとの平均を図2に示す。

 全被検者12名のすべての反復ごとに、喉頭開放時より、閉鎖時により多くの出力が認められた。統計的にも、明らかな有意差が認められた。(t検定 <0.0001)

以上より、立位の場合、意図的な喉頭開放時より、喉頭閉鎖時の方が上方への押し上げ出力が多いことが確認された。

実験3 座位での上肢出力

 下肢の影響を排除し、上方よりの引き下げ、上方への押し上げの条件での拮抗する状態での喉頭開放、閉鎖時の差を観察するために、力量計が設計され、使用された。

<実験器具>

 基本的には、座位において等尺性の随意運動が可能となるような装置が作成された(図3)。筋力の測定には、フォースプレートと引張型ロードセルを用いた。喉頭観察器具は、実験1で使用された内視鏡ビデオシステムを用いた。

<対象・方法>

 被検者2名の男性(21、33歳)であった。被検者はまず、特に喉頭の状態を特定せずに最大筋力を出す、喉頭自由の状態での出力を計測した。その後、意識的な喉頭開放時,喉頭閉鎖時それぞれの出力を計測した。

 動作1 両手による上方への押し上げ

 動作2 両手による上方からの引き下げ(動作2では、体幹部が上方に引き上げられることを防止するため、左右の肩を上方より固定する。)

<結果>

 動作1、2共に映像を遮蔽しての、喉頭自由での状況では、喉頭の閉鎖が全例に認められた。

 動作1(上方への押し上げ)においては、被検者1、被検者2共に全ての場合に喉頭閉鎖時の方が喉頭開放時よりも出力が有意に(t−検定、p<0.05)大きい事が観察された。喉頭自由時は、喉頭の閉鎖が認められたため、出力は喉頭閉鎖時とほぼ同一である。(表2)

 動作2(上方よりの引き下げ)では、喉頭閉鎖時と喉頭開放時の出力は有意差が存在しなかった。

<小括>

 体幹部を圧迫する押し上げ時には喉頭閉鎖・開放の差はあり、圧迫しない引き下げ時には差が認められなかった。このことより、体幹部の圧迫時にエアトラッピングの効果が必要な機序の存在が示唆された。

考察

<臨床的応用について>

 1時間以上の連続的な喉頭の観察が可能となったシステムの報告は、本実験が世界でも初めてである。本システムを用いれば、さらに長時間の喉頭の観察が可能であり、Exercise Induced Laryngomalacia (EIL)、Emotional Laryngeal Wheezing等の連続的な喉頭の観察が必要な疾患の臨床的な応用以外の歌、運動研究等に使用することが可能である。

 結果の応用としては、声門閉鎖不全に対する治療法pushing exerciseの効率化があげられる。この治療法は広く行われているが、1993年にYamaguchiが述べているように、その機序についての記載は存在しないに近い。本実験の結果より、pushing exerciseの機序としては、脊椎負荷に関連することが示唆され、垂直方向に最大限の上肢の力を出すこと、また、瞬発的な力が必要な時には喉頭が閉鎖し、このような運動時にpushing exerciseを行うことが最も効率的であると思われた。

<エアトラッピングの機序について>

 本実験では、健康な成人においてエアトラッピングが行なわれており、実際に喉頭閉鎖の効果が上肢に対してあるとの結果であるが、Negusの提唱した機序について考察したい。

 Negusは、空気が胸腔内に入る事を防止し、収縮時に肋骨が外側に引かれない喉頭の形状(Lemorの喉頭)が、最も進化した喉頭の形態であると述べている。(図1)ところが、人間の喉頭は、上下両側向きの弁として表わされる(図4)。すなわち、この場合の喉頭は、Negusが主張するように、空気が入る事を阻止するだけではなく、出て行くことも阻止する事になる。

 日本においても、吸気時のピーク付近での止息状態において最大の力が発揮されることが発表されている。また、上肢運動に伴う喉頭閉鎖時の声門下圧の測定でも、声門下圧は急速に上昇することが認められている。つまり、最大出力時の上肢運動時には、声門下圧、つまり胸腔内の圧力はNegusの説のように陰圧になるのではなく、最大の吸気を行い、喉頭を閉鎖して胸腔内圧を上昇させて行っていることになる。

 体幹部に空気を閉じ込めることによる利点で、重量物の持ち上げ時に発生する確定しているものの一つとして、脊椎の保護があげられる。

 椎体の耐えられる負荷に関しては、文献によって差はあるが、60歳以下で4267Nから10217Nと言われている。これに対して、最大重量物持ち上げ時の椎体にかかる負荷も、腹圧上昇がある場合とない場合について検討されている。Eieは腹圧のある場合、椎体にかかる負荷が3127Nであるが、腹圧のない場合は6423Nと、ほぼ半分の負荷になることを発表している。Morrisは腹圧のある場合は、椎体の負荷は6233Nであり、腹圧のない場合は8869Nと30%程度の負荷の軽減を認めたことを報告している。

 上記の椎体の負荷を、現在まで発表された研究の最大の椎体の強度を推定したHuttonの10217Nと比較すると、腹圧の有無にかかわらず、椎体の損傷は起き難いように見える。しかし、これは静的な(重量物を持って動かない)状態であり、動的な(例えば急速に重量物を持ち上げる時)状態では、さらに負荷が増大することが推察される。Leskinenらは、動的な動作の場合、静的な推定値より33%から66%の負荷の増大が生じると述べており、Buseckらは実験の結果、それを肯定している。この動的な動作時の負荷を考え、椎体の負荷が66%増大するとすると、最大強度の椎体を推定したHuttonの10217Nですら、過去に発表された最大重量物持ち上げ時の椎体の負荷の推定値のほぼすべて(Eieの腹圧ありの負荷値以外)が椎体損傷を起こす値以上となる。

 さらに、上記は、過去の文献上より引用した椎体の強度を最大としているが、加齢等によって椎体の強度が健常成人の2割程度まで低下することも確認されており、個体差によって椎体の保護がさらに重要となる可能性もある。

 喉頭閉鎖による腹腔内圧の上昇については、Pressmanが喉頭閉鎖不全による腹腔内圧の低下が有意に20%程度低下することを述べている。動的な最大重量持ち上げ時には、すでに椎体に対する負荷はかなり限界に近いので、喉頭閉鎖不全は重量物の持ち上げ時に、最大重量の低下が見込まれると考えられる。

 以上より、脊椎の負荷の軽減がエアトラッピング効果の発現の一つの意義であると示唆されることが、本研究の結論である。

図1 Negusの喉頭比較解剖

Negus(1929)

図2 実験2 喉頭開放時・閉鎖時出力

図3 力量計外部映像

被検者に肩固定を行った後の外部映像を示す。頭部に内視鏡を用いた喉頭観察装置が装着されている。

図4 人間の喉頭と仮声帯機能

空気を閉じ込める弁状の機能をもつ(Pressman 1954改)

表1 動作と喉頭の状態

表2 実験3 結果

動作1では喉頭開放、閉鎖間で有意差あり(p<0.05)

審査要旨 要旨を表示する

 喉頭の機能の内、発声、嚥下、気道の保護等の機能については多数の研究が存在する。しかし、喉頭と上肢の関係、すなわちエアトラッピングと呼ばれる機能については、未だにその詳細については明らかでない。本研究は、体動中においても喉頭を観察できるシステムを開発し、運動中の喉頭の観察を行い、エアトラッピングについての洞察を得ることを目的としたものであり、下記の結果を得ている。

 1) 運動中の喉頭を観察できるシステムの開発を行った。アサヒペンタックスのFNL13型喉頭ファイバースコープを元に、ライトガイドが延長され、基台が装着された。これをオートバイ用のヘルメットに固定し、小型軽量の単板カラーCCDカメラ、日立CN401をファイバースコープに装着した。この喉頭映像および、外部運動映像、さらに双方の合成映像の3つの画像を、3台のS-VHSビデオレコーダーにて記録した。画像には、データーの同期が可能なように、ビデオシンクロナイザーによる信号も挿入された。実験時には、被検者にヘルメットが装着され、ファイバースコープが経鼻的に挿入された。被検者の3名の男性の安静、頚部運動、歩行、上肢運動、鞍馬、鉄棒(前方回転、後方回転)安静時での観察では、吸気、呼気、および発声での喉頭の観察が常時可能であった。頚部の左右の動きにおいても喉頭は観察可能であった。さらに、歩行時、上肢の動きでも、観察に特別な問題はなかった。このため、システムの耐久性を試すために、鞍馬、鉄棒中の喉頭の観察を試みた。鉄棒回転中の喉頭の観察も可能であった。ファイバースコープ挿入後、2時間程度の観察が行われたが、予想された被検者の違和感等もなく、さらに長時間の観察が可能であることが予想された。

 2) 3名の健康な男性を被検者に、最小、中等、最大の力での、テニス(フォアハンド)、剣道(面打ち)、および懸垂をそれぞれ4回ずつ行った。その結果、剣道、テニスの最大出力時は、3人の被検者全てに喉頭の閉鎖が認められた。最小、中等の力の時には、それぞれの被検者間で差が認められた。剣道最大出力時では、面に接する前に喉頭の閉鎖が認められた。懸垂時には、運動開始時に被検者全てに喉頭閉鎖が認められた。しかし、懸垂途中では、被検者間に差が存在した。このことより、最大の力を出す、あるいは瞬発的な力を出す必要があるときには喉頭が閉鎖し、定常的な力を出す時には喉頭の状態が一定しないことが示された。

 3) 鉄棒にストレインゲージを装着、被検者12名(19-61歳、男性11名、女性1名)について鉄棒に加えられる負荷量力を計測した。被検者はファイバースコープ挿入後、鉄棒の下方より上方に向かって最大限の力で鉄棒を押し上げた。喉頭の閉鎖時、および喉頭の開放時の出力が記録された。その結果、全被検者12名のすべての反復ごとに、喉頭開放時より、閉鎖時により多くの出力が認められた。統計的にも、明らかな有意差が認められた。(t検定 <0.0001)以上より、立位の場合、意図的な喉頭開放時より、喉頭閉鎖時の方が上方への押し上げ出力が多いことが確認された。

 4) 力量計を作成し、男性被検者3名について、坐位での上方よりの上方への押し上げ(動作1)、引き下げ(動作2)の拮抗する状態での喉頭開放、閉鎖時の上肢の出力の差を観察した。筋力の測定には、フォースプレートと引張型ロードセルを用いた。フォースプレートは被検者の座る部位の下に設置し、上方への押し上げの測定に使用した。ロードセルは上方に装着が可能とし、上方からの引き下げに使用した。動作1(上方への押し上げ)においては、被検者1、被検者2共に全ての場合に喉頭閉鎖時の方が喉頭開放時よりも出力が有意に(t−検定、p<0.05)大きい事が観察された。動作2(上方よりの引き下げ)では、喉頭閉鎖時と喉頭開放時の出力は有意差が存在しなかった。体幹部を圧迫する押し上げ時には喉頭閉鎖・開放の差はあり、圧迫しない引き下げ時には差が認められなかった。このことより、体幹部の圧迫時にエアトラッピングの効果が必要な機序の存在が示唆された。文献的に、喉頭閉鎖なしでは、腹圧が20%以上減少すると言われており、腹圧なしでは、30%から50%の椎体負荷の増加が認められるとされている。さらに、椎体の強度の推定論文と喉頭閉鎖なしでの椎体負荷を比較すると、喉頭閉鎖なしでは椎体損傷を起こす値以上となる。以上より、喉頭閉鎖と上肢の出力の機序に関しては、脊椎の保護が関連することが示唆される。

 以上、本研究では世界でも初めて、1時間以上、連続的に喉頭が観察可能な装置を作成した。鉄棒後方回転等の激しい運動時の喉頭の観察が可能であった。このような激しい運動時の喉頭を観察可能としたのも、本研究が最初である。装置を応用した臨床応用としては、Exercise Induced Laryngomalacia (EIL)、Emotional Laryngeal Wheezing等の疾患の病態の解明、診断が考えられる。結果を用いた臨床応用としては、pushing exercise(声帯の運動療法)の効率化あげられる。また、本研究においては、1929年以来議論のあった、喉頭閉鎖と上肢の出力の機序の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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