学位論文要旨



No 215093
著者(漢字) 飯島,勝矢
著者(英字)
著者(カナ) イイジマ,カツヤ
標題(和) 赤ワインポリフェノールの血管平滑筋細胞増殖・遊走に対する効果 : フレンチ・パラドックスの分子機序
標題(洋) Effects of Red Wine Polyphenols on Vascular Smooth Muscle Cell Function : Molecular Mechanism of French Paradox
報告番号 215093
報告番号 乙15093
学位授与日 2001.06.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第15093号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 永井,良三
 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 助教授 岩田,力
 東京大学 講師 平田,恭信
 東京大学 講師 矢野,哲
内容要旨 要旨を表示する

【背景および目的】

 ポリフェノールは植物に多く含まれている抗酸化作用を持つ物質であり、カテキン、アントシアニン、フラボノールなど様々な種類からなり、食品としては赤ワインや緑茶、ココアなどに大量に含まれている。フランス人は欧米型の食生活にも関らず、動脈硬化性心疾患の死亡率が他の欧米諸国と比べて低いことが疫学的調査により知られており、その現象は「フレンチ・パラドックス」として広く注目を集めてきた。その原因の1つとして赤ワインの消費が多いこととの関連が想定され、現在赤ワイン中のポリフェノールがLDL(low-density lipoprotein)の酸化抑制作用を持つことが細胞レベル及び動物・ヒトレベルの実験において報告されている。従来の赤ワインもしくはポリフェノールに関する研究は臨床的観察にとどまっており、脂質との関連で注目されているにすぎず、循環器研究の立場から血管に対する直接作用を調べた研究は報告が少なく、本研究において赤ワインポリフェノールの動脈硬化抑制機序を特に細胞・遺伝子レベルの見地で明らかにし、ポリフェノールの抗動脈硬化作用の新しい機序の解明を目的としている。そこで本研究の目的は、ポリフェノールの血管に対する作用を分子生物学的な観点から明らかにすることである。ポリフェノールは血管壁構成細胞に対して直接作用することにより抗動脈硬化作用をもつ可能性があると考えられる。血管平滑筋細胞の内膜側への遊走および過剰増殖は動脈硬化病変が進展する上で重要な現象であることから、今回、培養血管平滑筋細胞の1)増殖能、及び2)遊走能に対する赤ワインポリフェノールの作用を検討した。また、機序において細胞周期関連遺伝子発現および細胞内シグナル伝達に対するポリフェノールの効果も検討した。

実験1 ; Red Wine Polyphenolsの培養血管平滑筋細胞・培養血管内皮細胞における増殖能に対する効果

【方法】

1)赤ワインポリフェノールの抽出

 赤ワイン10本分(7600ml)から2種のカラムを用いて、総ポリフェノール(以後RWP)及び6つの分子量の異なるポリフェノール分画を抽出した。

2)細胞増殖能

 大動脈平滑筋細胞(ラット;RASMC及びヒト;HASMC)と血管内皮細胞(子牛頚動脈;BCEC及びヒト臍帯静脈;HUVEC)を用い、各細胞の増殖に対する赤ワインポリフェノールの効果を検討するため、10%血清刺激に加え各濃度のポリフェノール(1-100μg/ml)を72時間投与しその後の細胞数及びDNA合成能(サイミジン取り込み)を測定した。

3)細胞周期関連遺伝子(cyclin A遺伝子)発現

 血管平滑筋細胞増殖に関して、細胞周期の観点からみると動脈硬化病変やバルーン障害後再狭窄部において細胞周期調節因子の一つであり、特にDNA合成に深く関与しているcyclin A遺伝子が高発現していることが報告されていることから、各細胞におけるcyclin A遺伝子の発現に対するRWPの効果をノーザン・ブロットにて検討した。さらに、血清刺激下でのcyclin A promoter活性に対するRWPの効果を検討するため、RASMCおよびBCECにcyclin A promoterを含んだluciferase reporter plasmidを遺伝子導入し検討した。また、増殖刺激に対しcyclin A promoter内に存在するATF(activating transcription factor)部位に2つの転写因子(CREB, ATF-1)が結合することによりcyclin A遺伝子の転写活性が上昇することが報告されていることから、RWPを処理したRASMCから核タンパクを抽出し、このATF部位を含む合成DNAオリゴヌクレオチドとの蛋白結合能をゲルシフトにて検討し、さらに転写因子群の発現をノーザンブロットにて検討した。

【結果】

 赤ワインポリフェノール(RWP)はRASMCの増殖に対し細胞数、DNA合成能ともに濃度依存性に抑制し、逆にBCECに対しては高濃度(100μg/ml)の場合を除いては抑制効果が認められなかった。(ヘキスト33258によるDNA染色では、アポトーシスを示唆する所見は認められなかった。)cyclin A遺伝子発現およびpromoter活性に対する効果を検討したところ、RWPはRASMCにおいてcyclin A mRNAレベルおよびpromoter活性を濃度依存性に抑制した。(BCECでは、同様に最高濃度以外では抑制効果は認められなかった。)さらに、RWPはRASMCの核タンパクとDNAオリゴヌクレオチド内のATF部位への結合を抑制し、その中に存在する転写因子(CREB, ATF-1)のmRNAレベルの発現も濃度依存性に抑制した。なお、ヒトの種を用いてもRWPの血管平滑筋細胞増殖抑制およびcyclin A遺伝子発現抑制は認められ、種差にかかわらず同様の結果が得られた。

実験2 ; Red Wine Polyphenolの培養血管平滑筋細胞・培養血管内皮細胞における細胞遊走能に対する効果

【方法】

1)細胞遊走能;monolayer wounding assay

RASMC及びBCECを培養後、無血清処理し、各濃度のRWPを前投与した後カッターにより一定面積の細胞を剥離し、引き続きPDGF-BB(10ng/ml)又は10%血清刺激(30時間)を行ないWound healingとしての遊走能に対するRWPの影響を検討した。

2)細胞遊走能;Boyden chamber assay

PDGF-BB(10ng/ml)又は10%血清によりRASMC及びBCECの遊走を6時間刺激し、同時にRWP(1〜100μg/ml)を添加することにより遊走能に対する影響を検討した。

3)細胞内シグナル伝達

現在、細胞遊走能を調節していることが報告されているいくつかの細胞内シグナル(PI-kinase, MAP-kinase系)活性に対するRWPの影響を検討した。

【結果】

 Wounding assayにおいて、血管平滑筋細胞はPDGF-BB刺激または血清刺激により強い遊走能を示し、RWPは濃度依存性にその遊走能を濃度依存性に抑制した。さらに、Boyden chamber assayではRWPの前処理なく短時間(6時間)のRWPへの暴露により、血管平滑筋細胞においてPDGF-BB及び10%血清刺激の遊走能が濃度依存性に抑制された。しかし、血管内皮細胞に対しては最大濃度100μg/mlにおいても有意な遊走抑制効果は認められなかった。また、血管平滑筋細胞にRWPを前処置することにより、PDGF-BB刺激による独立した細胞内シグナル系(PI3-kinase, p38MAPK)の活性を濃度依存性に抑制した。このシグナル活性抑制効果は、classic MAPKであるERK1/2の活性においては最高濃度以外では認められなかった。

【考察】

 今回、我々は赤ワインポリフェノールの持つ血管構成細胞への作用を検討した。血清刺激による増殖においては、血管平滑筋細胞の方が血管内皮細胞と比較し種差にかかわらず明らかにポリフェノールの増殖抑制効果が認められた。この抑制効果の作用機序としては、その一つに細胞周期調節因子の一つであるcyclin A遺伝子の発現を転写因子レベルから抑制しDNA合成抑制へと導いたと考えられる。また、抽出したポリフェノール物質を分子量の差により6分画に分離したが、一つ興味深いことに分子量の小さいモノマーから大きいポリマーまで全ての分画において強い血管平滑筋細胞増殖抑制作用が認められた。現在、カテキンやガリック酸などモノマー物質の精製およびその作用は比較的研究が進められているが、他の食物には少なく赤ワインに豊富に存在しているプロアントシアニン系などのポリマーは未だに純粋な精製が困難であり、それによる作用もまだ未知である。今後、特にこのポリマー物質の解析を進めることが、また新たな効果の発見につながる可能性があると考えられる。さらに、ポリフェノールは強力な血管平滑筋細胞遊走抑制作用を併せ持ち、逆に血管内皮細胞遊走に対しては全く影響を与えないことが確認された。この現象は、ポリフェノールが内皮傷害状態からの修復過程には抑制的には働かず、むしろ新生内膜形成に重要な血管平滑筋細胞遊走を抑制することにより抗動脈硬化作用を発揮することが示唆された。

 赤ワインを服飲するにあたり問題となるのは、ポリフェノール物質の吸収効率と体内での代謝経路である。今までにも多くの動物およびヒトにおける吸収効率の実験がなされてきたが、ポリマー物質の吸収効率がまだ不明であることも含め結果は一様ではない。しかし、その中でもDuthieらの実験によれば、ガリック酸による換算では吸収効率は約5%前後と推定される。この吸収効率と今回用いたポリフェノール物質がそのままの形で血中に存在することを前提とすれば、我々の実験において赤ワインの適量服飲による至適血中濃度は1〜10μg/mlと推定することができる。これは血管内皮細胞の増殖に影響を与えず血管平滑筋細胞に対し増殖抑制、遊走抑制に働く濃度であり、長期に渡る適量の赤ワイン服飲により抗動脈硬化作用へと繋がる可能性が示唆される。

 このように、赤ワインポリフェノールはLDLコレステロールの酸化抑制だけでなく、血管平滑筋細胞の増殖・遊走抑制作用など血管構成細胞に対しても様々な抗動脈硬化作用を持ちあわせていると考えられる。今後、ポリフェノールの血管への直接作用における基礎的解析および臨床的解析により、赤ワインの持つ抗動脈硬化作用の新しい機序解明が、新しい治療薬、発症予防法の開発にまでつながる可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

 フランス人は欧米型の食生活にも関らず、動脈硬化性心疾患の死亡率が他の欧米諸国と比べて低いことが疫学的調査により知られており、その現象は「フレンチ・パラドックス」として広く注目を集めている。その原因の1つとして赤ワインの消費が多いこととの関連が想定され、今までのところ、赤ワイン中のポリフェノールがLDLコレステロールへの抗酸化作用を持つことが報告されている。従来の赤ワインポリフェノールに関する研究は、脂質との関連を中心に臨床的観察にとどまっており、循環器研究の立場から血管に対する直接作用を調べた研究は報告がない。動脈硬化病変が進展する上で、血管平滑筋細胞の内膜側への遊走および過剰増殖は重要な現象であることから、本研究は、培養血管平滑筋細胞の1)増殖能、及び2)遊走能に対する赤ワインポリフェノールの作用を検討することにより、赤ワインポリフェノールの動脈硬化抑制機序を特に細胞・遺伝子レベルの見地で明らかにし、ポリフェノールの抗動脈硬化作用の新しい機序の解明を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1)赤ワインポリフェノールの培養血管平滑筋細胞・培養血管内皮細胞における増殖能に対する効果の解析の結果、赤ワインポリフェノールは血管平滑筋細胞に対し細胞数、DNA合成能ともに至適血中濃度範囲内で濃度依存性に抑制し、逆に血管内皮細胞に対しては高濃度(100μg/ml)の場合を除いては抑制効果が認められなかった。

2)赤ワインポリフェノールの血管平滑筋細胞に対する増殖抑制作用において、細胞周期関連遺伝子の一つcyclin A遺伝子発現およびpromoter活性に対する効果を検討したところ、赤ワインポリフェノールはcyclin A発現およびpromoter活性を濃度依存性に抑制した。(ちなみに血管内皮細胞では抑制効果は認められなかった。)さらに、赤ワインポリフェノールは血管平滑筋細胞の核タンパクとDNAオリゴヌクレオチド内のATF部位への結合を抑制し、その中に存在する転写因子(CREB, ATF-1)の発現も抑制し、赤ワインポリフェノールのcyclin A遺伝子発現抑制作用が転写因子レベルからの抑制であることが示唆された。

3)赤ワインポリフェノールの培養血管平滑筋細胞・培養血管内皮細胞における細胞遊走能に対する効果の解析の結果、遊走実験であるWounding法およびBoyden chamber法において、赤ワインポリフェノールはPDGF-BB刺激または血清刺激による血管平滑筋細胞の遊走能を抑制した。しかし、血管内皮細胞に対しては最大濃度100μg/mlにおいても有意な遊走抑制効果は認められなかった。

4)赤ワインポリフェノールの血管平滑筋細胞に対する遊走抑制作用において、細胞遊走能を司っている細胞内シグナルを検討したところ、血管平滑筋細胞に赤ワインポリフェノールを前処置することにより、PDGF-BB刺激による独立した細胞内シグナル系であるPI3-kinaseとp38MAPKの活性が選択的に抑制された。赤ワインポリフェノールのこのシグナル活性抑制効果は、classic MAPKであるERK1/2の活性においては最高濃度以外では認められなかった。

 以上、本論文は赤ワインポリフェノールのLDLコレステロールへの酸化抑制作用だけでなく、血管平滑筋細胞の増殖・遊走抑制作用など血管構成細胞に対しても様々な抗動脈硬化作用を持ち合わせていることを特に細胞・遺伝子レベルの見地から明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、赤ワインポリフェノールの持つ別の抗動脈硬化作用の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与にあたいするものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42858