学位論文要旨



No 215097
著者(漢字) 堀,雅敏
著者(英字)
著者(カナ) ホリ,マサトシ
標題(和) 植物香気成分を利用したアブラムシ防除法に関する基礎的研究
標題(洋)
報告番号 215097
報告番号 乙15097
学位授与日 2001.07.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15097号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田付,貞洋
 東京大学 教授 古田,公人
 東京大学 教授 小林,正彦
 筑波大学農林学系 助教授 本田,洋
 東京大学 助教授 石川,幸男
内容要旨 要旨を表示する

 アブラムシは吸汁や繁殖による直接的な害を作物に与えるだけでなく,ウイルスを作物に伝播するため,重要な害虫の一つとなっている。防除は,化学合成農薬や光反射を利用した視覚的な忌避資材によって主に行われるが,化学合成農薬は,環境への影響や安全性などの面から,使用を控えていくことが求められている。一方,光反射資材は作物の生長とともに覆われる面積が増大すると,効果が低下するという欠点がある。

 初期の研究では,アブラムシは植物上に降下する際,嗅覚的シグナルは利用しないと考えられていたが,ここ20年の研究は,匂いが寄主探索の際のシグナルとして一つの役割を担っていることを示している。アブラムシの寄主探索行動において,降下場所の決定には視覚的および嗅覚的刺激の双方が主な役割を演じ,降下後の定着には主に味覚的および物理的刺激が働いていると考えられる。ゆえに,負の走性をもたらす嗅覚刺激を与えれば降下行動を,負の走性をもたらす味覚刺激を与えれば定着・吸汁行動を抑制できると考えられる。降下行動の阻止または定着・吸汁行動の即時停止を促すことができれば,アブラムシによるウイルスの一次伝播抑制も可能になると推測される。

 寄主植物香気に誘引されることが確認されているアブラムシは数種に過ぎないが,嗅覚刺激を利用してアブラムシの忌避を考える際,匂いが食性の異なる種々のアブラムシの寄主探索に演じている役割を検討しておくことは重要である。そこで,アブラムシの寄主探索行動における寄主植物香気の役割を検討した。狭食性のUroleucon属アブラムシ3種の寄主および非寄主植物香気に対する行動をオルファクトメーターで調査した。3種とも寄主香気に誘引されたが,一部の非寄主にも誘引された。寄主植物とこれら誘引性を示す非寄主植物の間に選好性の違いはなかったが,非寄主植物上では定着・繁殖はしなかった。このことは植物香気がこれらのアブラムシの寄主探索における唯一の手掛かりではないことを示唆した。寄主植物香気に対する嗅覚応答と寄主範囲の関係を検討するために,その他の狭食性および広食性種の寄主香気に対する嗅覚応答も同様に検討した。狭食性種は寄主の匂いに誘引されたが,広食性種は誘引されなかった。これらのことから狭食性種は寄主の視覚と嗅覚両方の情報を用いて寄主を探索するのに対し,広食性種は主に寄主の視覚情報を頼りに寄主を探索する傾向があると考えられた。

 次に,ネギ類の害虫で狭食性のネギアブラムシの寄主および非寄主植物に対する嗅覚応答をオルファクトメーターで調べたところ,寄主の匂いには誘引され,非寄主のローズマリーやペニーロイヤルの匂いには忌避された。ペニーロイヤルと寄主植物を混合した匂いには誘引されず,ローズマリーと寄主植物を混合した匂いには忌避された。そこでrosemary oilの忌避性を検討したところ,強い活性が示された。rosemary oil中から同定された13種の成分のうち6種の成分が忌避性を示し,1,8-cineoleとd,l-camphorは寄主植物存在下でも忌避し,α-pineneは寄主植物の誘引性を打ち消した。1,8-cineoleはrosemary oilの主成分でもあることから,ローズマリーの忌避性の主要因と推測された。

 忌避物質に関しての報告は広食性アブラムシではあまりない。そこで広食性種でもとくに寄主範囲が広いモモアカアブラムシの忌避物質を探索し,忌避物質によるアブラムシ防除,さらにはアブラムシによって伝播されるウイルス病防除の可能性を検討した。

 42種類の植物精油に対するモモアカアブラムシの嗅覚応答をオルファクトメーターで検討し,20種類の精油に忌避性を認めた。rosemary oil, ginger oil, thyme oil, white pepper oil, carrot seed oilがとくに強い活性を示したので,rosemary oilの13主成分の忌避性を同様に検討したところ,linalool,d,l-camphor, α-terpineolに活性が認められた。

 モモアカアブラムシの忌避物質の存在は明らかとなったが,野外においてはその効果を弱める様々な要因が存在している。そこで野外での効果を予備検討するため,野外網室を用いてrosemary oilの忌避効果を調査した。網室内に放飼したモモアカアブラムシ有翅胎生雌成虫にrosemary oilの匂いを漂わせた区のタバコと漂わさない区のタバコとを選択させたところ,処理区のタバコを選択したアブラムシ数は対照区の約70%であった。この結果からモモアカアブラムシは寄主植物への着地の際,匂いによる影響を受けることが判明し,忌避物質によってアブラムシの飛来を抑制できる可能性が示された。

 ウイルス病伝播阻止のためのアブラムシ防除法としては,飛来阻止の他に,定着・吸汁のごく短時間での阻止が考えられる。モモアカアブラムシはハーブをあまり加害しないといわれ,また,それらの精油は昆虫に対して様々な生理活性を有しているものが多い。そこでモモアカアブラムシに対するハーブ精油の定着・吸汁阻害活性を検討した。

 12科34種のハーブでモモアカアブラムシの繁殖状況を調査したところ,10科28種で繁殖が認められなかった。それらの植物に無翅アブラムシを接種したところ,シソ科植物,ネギ属植物,ドクダミ科植物,バラ科植物,ホソバイラクサ上には,ほとんど定着しなかった。

 そこで,シソ科10種とネギ属2種の植物精油の吸汁・定着阻害活性を電気的吸汁行動測定試験(EMIF),非選択的定着行動試験,選択的定着行動試験によって検討した。EMIFではrosemary oil, sage oil, garlic oil, onion oil以外の精油が吸汁行動を阻害した。非選択的定着行動試験ではspearmint oilやthyme oil, garlic oilを含んだ飼料上にはアブラムシはほとんど定着せず,24時間後には大部分が死亡した。選択的定着行動試験では全供試精油が定着阻害活性を示し,とくにspearmint oil, thyme oil, pennyroyal oil, mint oil, peppermint oil, garlic oil, onion oilの活性が高かった。定着阻害活性の高かったspearmint oilとthyme oilの主成分l-(-)-carvoneとthymolの活性も同様に検討した結果,いずれの試験においても強い活性が示され,これらがそれぞれの活性因子の一つであることが示された。

 定着阻害物質を作物に散布すれば,アブラムシの定着や吸汁を抑制できると考えられたので,2%spearmint oil懸濁液を散布したタバコと対照のタバコを野外に配置し,それぞれのタバコ上の有翅アブラムシ数を比較した。散布3時間後では処理タバコ上のアブラムシ数は対照区のそれよりも有意に少なかったが,1日後には有意差は認められなくなった。またspearmint oil処理により,若干の薬害がタバコに生じた。

 以上の結果から,残効性や薬害の点で,吸汁・定着阻害物質よりも忌避物質としての植物香気成分の利用の方が容易と考えられた。そこでモモアカアブラムシに対して強い忌避効果を示したrosemary oilおよびginger oilの野外における有効性を,忌避効果およびウイルス病抑制効果の面から評価した。タバコ圃場内にrosemary oilの匂いを漂わせた区,ginger oilの匂いを漂わせた区,対照区を設け,それぞれのタバコ上に飛来したモモアカアブラムシの数を調査した。rosemary oil処理区,ginger oil処理区の飛来数は,対照区のそれぞれ74, 86%で,3区の飛来数の間には有意差が認められた。黄斑えそ病の発病率は両処理区とも対照区の約50%で推移したが,rosemary oilの方がginger oilよりもより広い範囲で黄斑えそ病発病を抑制した。

 忌避物質によってアブラムシの飛来を抑制し,アブラムシによって媒介されるウイルス病を抑制できる可能性は示されたが,本圃場試験の処理法では,高い効果は得られなかった。そこで野外網室を用いて処理法と忌避効果の関係を検討した。rosemary oilを含浸させたEVAビーズをタバコの株元に置く方法と,rosemary oilを含浸させた木綿製ロープでタバコを囲む方法を検討した。ビーズ法,ロープ法の処理区のタバコに飛来したアブラムシ数は対照区のそれぞれ69, 63%で,いずれも有意差が認められた。ビーズ法ではタバコの生育に伴い忌避効果は不安定となり,ロープ法では比較的効果は安定していた。忌避物質を効果的に作用させるためには,拡散を容易にさせることが必要であり,防除対象空間が常に有効濃度の忌避物質で満たされるか,防除対象空間が有効濃度の忌避物質で囲まれて匂いによる障壁が築かれることが必要である。このような考え方からも,ロープあるいはネットなどに処理する方法は適当であると推測された。

 忌避物質の野外での効果は顕著ではなかったが,すくなくとも有意な効果は認められた。忌避剤単独でのアブラムシ防除は難しいが,視覚的忌避資材や物理的防除資材,誘引資材など他の防除技術と組合せ,IPMシステムの中に組み込むことにより,その使用は特に有効な手法となることが期待できる。殺虫剤に偏重した害虫防除がもたらしてきた深刻な問題を解決するうえでも,また,殺虫剤では困難なアブラムシ伝播性ウイルス病を防除するうえでも,忌避剤の利用を組み込んだIPMシステムの確立には大きな利点があるであろう。

審査要旨 要旨を表示する

 アブラムシは吸汁害を与えるだけでなく、ウイルス病を伝播する重要な農作物害虫である。防除はおもに化学合成農薬と視覚忌避資材によっているが、農薬は環境影響や安全性の面で、視覚忌避資材は効果の安定性の面で、それぞれ問題がある。したがって環境負荷の小さい新たなアブラムシ防除法の開発は重要課題である。

 アブラムシでは従来、寄主植物への降下には寄主の嗅覚刺激はあまり関与せず、一方、降下後の定着には寄主の味覚刺激が重要であるとされてきた。しかし、近年、一部狭食性種の寄主探索に寄主の匂いの重要性が示されたため、広食性種においても嗅覚刺激の役割を再検討する必要性が生じた。それによって何らかの関与が示されれば、嗅覚忌避刺激による降下行動の抑制、味覚忌避刺激による吸汁・定着行動の即時停止という二段階の行動抑制をとおしてウイルスの一次伝播抑制を可能にできることが期待される。

 本論文は、以上の観点から植物香気成分を利用してアブラムシの寄主植物探索・定着過程を撹乱することによる防除の可能性を探求したものである。

1.アブラムシの食性と寄主植物探索過程における嗅覚的刺激の役割

 アブラムシの食性は狭食性から広食性まで非常に広いため、寄主範囲と嗅覚刺激の役割との関係をオルファクトメーターを用いて検討した。広食性種は狭食性種と異なり、寄主探索に寄主の嗅覚情報を用いないことが確認された。狭食性種に非寄主植物の匂いを与えたところ、ハーブ類、とくにローズマリーとその精油(rosemary oil)および精油中の主成分、1,8-cineoleに強い嗅覚忌避活性が認められた。さらにrosemary oilは広食性のアブラムシに対しても強い嗅覚忌避活性をもつことがわかり、広食性種でも非寄主の匂いが寄主探索に抑制的な影響を及ぼすことが初めて示された。また、この忌避効果は野外網室でも認められ、忌避物質による飛来抑制の可能性が示された。

2.植物香気成分によるアブラムシの吸汁・定着行動阻害

 各種ハーブ上で広食性アブラムシを放飼したところ、多くのハーブ上で繁殖・定着できなかった。そこで、効果の高かったシソ科やネギ属植物の精油を用いて、電気的吸汁行動測定試験(EMIF)により吸汁阻害活性を、2種の定着行動試験によって定着阻害活性を調べたところ、spearmint oilとthyme oilがとくに強い吸汁・定着阻害活性を示した。それぞれに含まれるおもな活性因子はl-(-)-carvoneとthymolと同定された。

3.野外における植物精油の忌避効果および防除効果

 定着阻害活性の高いspearmint oilをタバコに散布して吸汁・定着阻害効果を調べたが効果は顕著ではなく、しかもタバコに弱い薬害が生じた。そこで、吸汁・定着阻害効果よりも嗅覚忌避効果を利用する方が実用的と考え、強い嗅覚忌避効果を示したrosemary oilとginger oilの圃場における有効性を調べた。これらの処理によりアブラムシの飛来数は有意に低下し、黄斑えそ病の発病率も半減した。しかし、それでも効果は十分ではなかったので、野外網室内でrosemary oilを用いて処理法を検討した。精油を含浸させたEVAビーズをタバコの株元に置く「ビーズ法」と、同じく木綿製ロープでタバコを囲む「ロープ法」ではともにアブラムシの飛来を有意に抑制したが、ロープ法のほうが効果の安定性に優れていた。将来的にはIPMシステムの中で、忌避剤単独ではなく、視覚的忌避資材や物理的防除資材、誘引資材など他の防除技術と組合せることにより,忌避剤をより有効に使用できると期待される。

 以上、本論文は、環境負荷の小さい新たなアブラムシの防除法として植物香気成分を利用するための重要な課題を種々の研究手法を組み合わせて総合的に検討したもので、アブラムシの食性と嗅覚刺激の関係を初めて明らかにするなど多くの新知見を得、さらに忌避剤の利用を組み込んだIPMシステムの構築に具体的方法を提示したものであり、学術上・応用上、貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文に博士(農学)を授与すべきとの結論に達した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42860