学位論文要旨



No 215101
著者(漢字) 一井,真二
著者(英字)
著者(カナ) イチイ,シンジ
標題(和) マウス癌転移モデルにおける細胞交通ナビゲーション分子としてのマクロファージレクチン
標題(洋)
報告番号 215101
報告番号 乙15101
学位授与日 2001.07.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15101号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 助教授 鈴木,利治
 東京大学 助教授 仁科,博史
 東京大学 講師 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

【序】

 癌の転移は連続した複数の過程から成り立っており、各過程には癌細胞と宿主組織の相互作用の機会が他数存在すると考えられる。癌の転移過程に関与しうる宿主側分子を同定し、その機能および発現分布を調べることは、癌転移機構を理解し、転移抑制に向けた研究を進展させるのに重要であると考えられる。

 我々はマクロファージ細胞表面の内在性レクチン(mMGL)の癌転移への関与に注目してきた。mMGL(mouse macrophage galactose/N-acetylgalactosamine-specific C-type lectin)は、元々in vitroでの抗腫瘍活性を有する腹腔滲出マクロファージ上に発見された42-kDaのII型膜貫通型糖蛋白質であり、細胞外領域に糖認識ドメインを1つ有する。組み換えmMGLを用いてin vitroで認識糖鎖構造を検討した結果、腫瘍特異的に発現する糖鎖構造と重複した為、腫瘍認識分子として機能しうる可能性が示唆されていた。また免疫組織化学的検討では、mMGLの発現は種々のマウス組織および臓器の結合組織細胞上に限局する一方で、マウス実験転移モデルにおいてOV2944-HM-1卵巣癌細胞(HM-1)の肺転移結節に豊富に認められたことから、mMGLは既知のマクロファージ細胞表面マーカーとは生体内分布が異なるユニークな分子であり、in vivoにおいても腫瘍認識分子として機能しうる可能性が示唆されていた。

 腫瘍浸潤細胞に選択的にmMGLが発現している理由は不明であるが、mMGL発現細胞はmMGL分子を介して転移腫瘍組織に移動あるいは集積し、転移腫瘍に対して生体防御的に、あるいは転移促進的に作用している可能性が考えられる。また、mMGLは各種臓器で発現がみられることから、これら臓器へ転移してくる癌細胞をmMGL発現細胞が転移経路上で捕捉し、生体防御的にあるいは転移促進的に作用している可能性も考えられる。

 本研究では結合組織性のmMGL発現細胞を機能的に同一の細胞亜群として捉え、mMGLの腫瘍認識分子としての機能を明らかにし、癌転移に対する生体防御機構へのmMGL発現細胞の関与を解明することを目標にした。

 第1章ではmMGL発現細胞の積極的な癌組織への移動・集積を解析する目的で、mMGL強制発現細胞を作製してこれのHM-1細胞由来肺転移結節への細胞交通を解析した。第2章では臓器組織中mMGL発現細胞の転移癌細胞への作用を解析する目的で、HM-1細胞由来の転移リンパ節でのmMGL発現細胞の分布およびリンパ節転移初期過程に及ぼす作用について検討した。

【第1章 マウスに養子移入されたマクロファージレクチン発現T細胞株の腫瘍選択的集積性】

 mMGLの安定発現細胞(CTL-ML)は、mMGL cDNAを発現ベクターpCEP4に挿入し、マウスT細胞株CTLL-2細胞にトランスフェクトすることにより得た。

 発現されたmMGLの糖結合能は2通りの方法で確認した。1つめの方法ではカルシウム存在下でガラクトース結合セファロース4Bカラムに吸着した細胞溶解液中のmMGLをイムノブロットで検出することにより行った。CTL-MLのmMGL(43kDa)は天然型mMGL(約42 kDa)よりも若干大きかったが、これは糖鎖の違いよることがNグリカナーゼ消化実験から示された。また、カラム非吸着蛋白画分にはmMGLは検出されなかったことから、CTL-MLに発現するmMGLの殆ど全ては天然型mMGLと同じ糖結合能を有することが判明した。2つめの方法では細胞表面のmMGLの機能を確認する為にラクトース結合小球体とのロゼットアッセイを行い、CTL-ML細胞の糖結合能はモックトランスフェクタント(CTL-CEP)よりも有意に高く、その糖認識特異性はmMGLと一致することを確認した。更にin vitro増殖速度および生存率に関して、CTL-MLとCTL-CEPとで違いは認められず、DiI蛍光標識の影響も無いことを確認した。

 以上よりCTL-MLに発現させたmMGLの糖認識能が確認できたので、次に、HM-1の肺転移巣を有するマウスにDiIで蛍光標識したCTL-MLあるいはCTL-CEPを尾静脈内投与し、1〜3日後の肺転移結節への細胞交通を検討した。DiI標識細胞は赤の蛍光色として転移巣および肺実質中に検出され、これを計測して細胞密度を算出した。マウス個体毎に転移結節内および肺実質内細胞密度を集計した結果、投与3日後の転移結節内細胞密度はCTL-CEPに比べてCTL-MLで有意に高かった。

 この結果はCTL-MLがHM-1の転移結節に選択的に分布あるいは滞留したことを意味するが、その要因としてCTL-ML上のmMGLがHM-1細胞表面糖鎖と結合した可能性が考えられた。HM-1細胞表面糖鎖を解析した結果、ピーナッツレクチン(ガラクトース特異的)およびVVA-B4(N−アセチルガラクトサミン特異的)の結合が認められた。

 以上より、CTLL-2細胞に強制発現させたmMGL分子は、HM-1転移結節への選択的細胞交通あるいは腫瘍内での滞留に寄与し、これらはmMGLのHM-1細胞表面糖鎖の認識を介した作用であると推測された。

【第2章 マウス腫瘍のリンパ節転移初期過程におけるマクロファージレクチンの腫瘍認識の意義】

 まず、正常マウスリンパ節でmMGL発現部位を検討し、上腕および腋窩リンパ節においてmMGLは辺縁洞、小柱周囲洞および髄質に存在することを確認した。次に転移リンパ節でのmMGL発現を調べた。マウス卵巣癌HM-1細胞(2×104個)の前足足蹠皮下(fp)移植後15日目の所属リンパ節(上腕および腋窩リンパ節)では辺縁洞における腫瘍増殖がみられ、移植量が多い場合には皮質への浸潤もみられたが、mMGL発現細胞は辺縁洞と腫瘍転移部位に認められた。

 更に、蛍光色素CMTMRで標識したHM-1細胞をfp移植してリンパ節への侵入過程を追跡した。3日後の上腕リンパ節ではHM-1細胞は主に辺縁洞に沿って存在し一部は小柱周囲洞に観察されたが、リンパ節内のHM-1細胞は少なく、移植2日後では3日後に比べて辺縁洞内HM-1細胞は更に少なかった。

 以上より、mMGL発現細胞はリンパ節転移の際に腫瘍細胞が最初に接触する部位(辺縁洞)に存在したことから、mMGL発現細胞あるいはmMGL分子そのものはリンパ節転移に対して防御的な機能を担っている可能性、あるいは逆に細胞間接着による捕獲により転移を促進している可能性が考えられた。この点を解明する為、HM-1のリンパ節転移モデルにおいて抗mMGL中和抗体投与の影響を観察することにした。

 中和抗体の効果を上げる為には転移腫瘍細胞数を最小限に留めることが重要と考え、HM-1移植量の検討を行った。本結果と組織学的所見から、リンパ節転移の評価に必要な最小移植量は2×104個であると考えた。次に抗体投与実験を試みたが、コントロール抗体(正常ラットIgG)の投与のみで免疫応答によると思われるリンパ節重量の増加が認められ、リンパ節重量を指標とする通常法では抗mMGL抗体投与の効果を適切に評価できないと考えた。そこで、摘出リンパ節の細胞懸濁液をin vitro培養した後に腫瘍細胞数を計測するex vivo法を開発した。ex vivo法の妥当性は転移リンパ節から回収したHM-1生細胞数が移植量、リンパ節重量(通常法での転移の指標)および移植部位(fb)での腫瘍増殖と相関することで確認した。

 HM-1(2×104個)をfp移植したマウスに対し、mMGLの糖リガンドへの結合阻害活性を有する抗mMGL抗体LOM-8.7を繰り返し投与し、移植後15日目にex vivo法で上腕リンパ節中のHM-1生細胞数を計測した。LOM-8.7投与マウスでHM-1回収数が有意に増加したことから、mMGL発現細胞はリンパ節転移に対する宿主の防御機構の一端を担っていることが示唆された。

 本検討より、HM-1マウス卵巣癌の転移リンパ節においてmMGL発現マクロファージは癌細胞の転移(侵入)経路に沿って存在し、リンパ節転移の初期段階に対して生体防御的に働くことが示唆された。

【総括】

 本研究により、mMGLは癌細胞表面糖鎖構造の認識を介してmMGL発現細胞の癌組織への集積に寄与していることが示唆された。また、リンパ節転移初期段階においてリンパ節内のmMGL発現細胞は生体防御的に機能していることが示された。

 癌転移が成立する為の必要条件として、原発巣から転移先臓器への癌細胞の細胞交通が完遂することが挙げられる。本研究結果は、mMGLが癌転移過程における癌細胞およびこれを認識する宿主側細胞の細胞交通ナビゲーターとして機能していることを示唆していると考えられる。即ち、mMGL発現細胞を癌転移巣へと誘導あるいは集積させることや、逆に転移癌細胞をmMGL発現組織へと誘導あるいは捕捉することにより、mMGLが癌転移過程を細胞交通の面から制御している可能性が示唆された。

 以上より、mMGLが腫瘍認識分子として癌転移へ積極的に関与していることが示唆されたが、腫瘍認識によってmMGL発現細胞に引き起こされる反応の有無および転移腫瘍に対する作用については今後の検討が必要である。また、mMGL分子は養子免疫療法におけるエフェクター細胞の腫瘍部位集積の為のデバイスとして有用と考えられ、今後の展開が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 「マウス癌転移モデルにおける細胞交通ナビゲーション分子としてのマクロファージレクチン」と題する本論文は、マクロファージに発現するC型レクチンの一つで単糖としてはガラクトースとN−アセチルガラクトサミンに特異性を有するもの(MGL)が、マクロファージの局在性を決定することによって癌の転移性に影響することを、分子レベルで明らかにした研究成果をまとめたものである。

 癌の転移過程に関与する宿主細胞とそこにおいて機能する分子を明らかにすることは、癌が転移する機構を理解し、転移抑制に向けた研究を進展させるために重要である。マウスOV2944-HM-1卵巣癌絹胞(HM-1細胞)は、尾静注により肺転移を、前肢皮下に注入することによりリンパ節転移を形成する。これらの転移形成において、マクロファージとその類縁細胞が重要な役割を果たすことを示す予備的な知見は既に多く得られていた。本研究では、MGLを発現する細胞が肺転移結節に豊富に認められたことから、MGL自身が、細胞を腫瘍内に導くナビゲーション分子として機能するという可能性を追求している。全体は大きく分けて二つの部分から成り、第1章ではMGLがこれを発現する細胞の癌組織への積極的な移動と集積を起こさせるかを査定する目的で、MGL強制発現細胞を作製してこの細胞の交通パターンを解析している。第2章ではMGL発現細胞のリンパ節転移への影響を解析する目的で、HM-1細胞がリンパ節転移を形成する過程で、MGL発現細胞が如何なる分布を示すか、又MGLに対してレクチン機能を阻害する抗体がリンパ節転移形成にどのように影響するかについて検討している。

第1章では、Tリンパ腫CTLL-2細胞からMGLの安定発現細胞(CTL-ML細胞)を得て、MGLが細胞表面に存在して糖結合能を持つことを確かめた。このin vitroでの解析には、糖鎖で修飾した表面への細胞の接着性と、ラクトースを表面に持つマイクロスフェアとのロゼットアッセイを用いている。次にin vivoにおいて、HM-1細胞由来の肺転移巣を有するマウスにDiIで蛍光標識したCTL-ML細胞あるいはコントロールのCTL-CEP細胞を尾静脈内投与し、1〜3日後の肺転移結節への細胞集積を定量した。 DiI標識細胞は赤の蛍光色として転移巣および肺実質中に検出され、これを計測して細胞密度を算出した。マウス個体毎に転移結節内および肺実質内細胞密度を集計した結果、投与3日後の転移結節内における細胞密度はCTL-CEP細胞に比べてCTL-ML細胞で有意に高かった。この結果はCTL-ML細胞がHM-1の転移結節に選択的に分布あるいは滞留したことを意味する。以上より学位申請者は、CTLL-2細胞に強制発現させたMGL分子は、HM-1転移結節への選択的細胞交通あるいは腫瘍内での滞留に寄与し、これらはMGLのHM-1細胞表面糖鎖の認識を介した作用であると推測した。

第2章では、同じHM-1細胞を用いて、リンパ節転移形成の初期過程におけるMGL発現細胞の意義を検討した。HM-1細胞を前足足蹠皮下に移植した後15日目の所属リンパ節を観察し、転移巣が形成しつつあるリンパ節でのMGL発現を調べた。辺縁洞における腫瘍増殖がみられた一方、MGL発現細胞は辺縁洞と腫瘍転移部位に認めた。蛍光色素CMTMRで標識したHM-1細胞を前足足蹠皮下移植してリンパ節への侵入過程を追跡した。3日後の上腕リンパ節ではHM-1細胞は主に辺縁洞に沿って存在し一部は小柱周囲洞に観察された。すなわち、少なくとも腫瘍細胞投与後3日頃にはMGL発現細胞はリンパ節転移の際に腫瘍細胞が最初に接触する部位(辺縁洞)に存在した。MGL発現細胞あるいはMGL分子はリンパ節転移に対して防御的な機能を担っている可能性、あるいは逆に細胞間接着による捕獲により転移を促進している可能性が考えられた。いずれであるかを解明する為、HM-1細胞のリンパ節転移モデルにおいて、抗MGL中和抗体投与の影響を観察した。中和抗体の効果を上げる為に転移腫瘍細胞数を最小限に留め、HM-1移植量の検討を行った。リンパ節転移の評価に必要な最小移植量が2×104個であるとことを示し、抗体投与実験を試みたが、コントロール抗体(正常ラットIgG)の投与のみで免疫応答によると思われるリンパ節重量の増加が認められ、リンパ節重量を指標とする通常法では抗MGL抗体投与の効果を適切に評価できないことを明らかにした。そこで、摘出リンパ節の細胞懸濁液をin vitro培養した後に腫瘍細胞数を計測するex vivo法を開発した。ex vivo法の妥当性は転移リンパ節から回収したHM-1生細胞数が移植量、リンパ節重量(通常法での転移の指標)および移植部位での腫瘍増殖と相関することで確認した。HM-1(2×104個)を移植したマウスに対し、MGLの糖リガンドへの結合阻害活性を有する抗体LOM-8.7を繰り返し投与し、移植後15日目にex vivo法で上腕リンパ節中のHM-1生細胞数を計測した。LOM-8.7投与マウスでHM-1回収数が有意に増加したことから、MGL発現細胞はリンパ節転移に対する宿主の防御機構の一端を担っていることが示唆された。本検討より、HM-1マウス卵巣癌の転移リンパ節においてMGL発現マクロファージは癌細胞の転移(侵入)経路に沿って存在し、リンパ節転移の初期段階に対して生体防御的に働くことが示唆された。

本研究により、糖鎖認識分子であるMGLが癌細胞表面糖鎖を介してMGL発現細胞の癌組織への集積に寄与することが明らかにされた。また、リンパ節転移初期段階においてリンパ節内のMGL発現細胞は生体防御的に機能している事が明かとなった。癌転移が成立する為の必要条件として、転移先臓器における癌細胞増殖環境の成立が挙げられるが、MGLが癌転移の成立過程において宿主側細胞の細胞交通ナビゲーターとして機能していることを強く示唆した。即ち、MGL発現細胞を癌転移巣へと誘導あるいは集積させることにより、MGLが癌転移過程を制御していることが示された。学位申請者の研究により、MGL発現細胞が癌転移の制御に積極的に関与していることが示唆され、MGL分子自身が中心的な役割を担うことも判明した。また、MGL分子は養子免疫療法におけるエフェクター細胞の腫瘍部位集積の為のデバイスとして有用であることが明かとなった。これらの知見は、免疫学、腫瘍学、癌の薬物治療法の開発に大きく寄与するものであり、本研究を行った一井真二は、博士(薬学)の学位を得るにふさわしいと判断した。

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