学位論文要旨



No 215102
著者(漢字) 濱田,香理
著者(英字)
著者(カナ) ハマダ,カオリ
標題(和) 虚血心筋保護における活動電位持続時間の役割に関する研究
標題(洋)
報告番号 215102
報告番号 乙15102
学位授与日 2001.07.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15102号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 助教授 西山,信好
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
 東京大学 助教授 夏苅,英昭
内容要旨 要旨を表示する

 細胞外カリウム濃度は、虚血や急性腎不全によって上昇することが知られており、また細胞外カリウム濃度上昇やそれに伴う活動電位持続時間の短縮は、不整脈発生因子として捉えられている。この心筋虚血時の細胞外カリウム濃度上昇には、細胞内ATP濃度が減少することによって活性化する心筋細胞膜上のATP感受性カリウムチャンネルが関与していると考えられている。一方心筋に短時間の虚血を起こすことで、その後の虚血・再灌流による細胞障害(不整脈、心筋壊死及び心筋収縮力の低下)に対して保護効果を生じる現象(preconditioning)にもATP感受性カリウムチャンネルの活性化が関与していることが報告されている。このpreconditioningにおけるATP感受性カリウムチャンネルの心筋保護作用は、活動電位持続時間の短縮によって膜電位依存性カルシウムチャンネルを介するカルシウムの細胞内への流入の減少により発揮していると考えられている。またATP感受性カリウムチャンネル開口薬も、活動電位持続時間の短縮によって心筋保護作用を現していることが示されている。このようにATP感受性カリウムチャンネルの活性化は、心筋保護効果を発揮する一方で細胞外カリウム濃度の上昇あるいは活動電位持続時間の短縮といった不整脈発生因子を増加させるという2面性を有している可能性がある。しかしながらこれらの報告は、心筋保護作用と活動電位持続時間の変化あるいは細胞外カリウム濃度の変化を同時に検討したものではないため、活動電位持続時間の短縮と心筋保護効果の関係の詳細は明らかではない。

 本研究は、虚血・再灌流に対する心筋保護作用がATP感受性カリウムチャンネルの活性化あるいはそれに伴う活動電位持続時間の短縮を介して効果を現しているかを解明することを目的とした。この目的のため、麻酔イヌを用いて心筋細胞外カリウム、プロトン濃度及び活動電位を経時的かつ同時に測定する技術を開発し、虚血心筋保護における活動電位持続時間の関与について薬理学的検証を行った。

1.心筋細胞外カリウム濃度及び活動電位持続時間に対するATP感受性カリウムチャンネルの関与の研究

 麻酔犬を用いて、心筋虚血時の活動電位持続時間の短縮に対するATP感受性カリウムチャンネルの関与を検討した。麻酔犬において、5分間の塩化カリウムの静脈内持続投与は、細胞外カリウム濃度を上昇させ、活動電位持続時間を短縮させた。ATP感受性カリウムチャンネルの阻害剤であるグリベンクラミドは、塩化カリウム投与による活動電位持続時間の短縮に作用を示さなかった(図1)。左冠状動脈前下降枝の5分間結紮による心筋虚血は、細胞外カリウム濃度の上昇及び活動電位持続時間の短縮を引き起こした。グリベンクラミドは、虚血による活動電位持続時間の短縮を完全に抑制し、また部分的に細胞外カリウム濃度上昇を抑制した(図2)。これらの結果から、虚血時の活動電位持続時間の短縮にATP感受性カリウムチャンネルの活性化が重要な役割を担っており、また塩化カリウム投与による活動電位持続時間の短縮は、ATP感受性カリウムチャンネルとは異なるチャンネルが関与していることが明らかとなった。

2.虚血心筋保護と活動電位持続時間の関連性に関する研究

1) Preconditioning及びATP感受性カリウムチャンネル開口薬の虚血心筋保護と活動電位持続時間の関連性に関する研究

 Preconditioning及びATP感受性カリウムチャンネルの虚血・再灌流後の心収縮不全に対する改善効果が活動電位持続時間の短縮を介して作用を発揮しているかを検討した。対照群は、左冠状動脈前下降枝を10分間結紮することにより虚血し、その後120分間再灌流を行った。ピナシジル投与群は、虚血10分前より静脈内投与を開始し(0.03mg/kg, i.v.+0.04mg/kg/hr)、その後10分間の虚血及び120分間の再灌流を行った。Preconditioning群は、5分間虚血後10分間再灌流し、続けて10分間虚血後120分間の再灌流を行った。ピナシジル投与群及びpreconditioning群は、虚血・再灌流による心収縮不全を改善した(表1)。Control群において、虚血によって細胞外カリウム濃度は上昇し、また活動電位持続時間は短縮した(図3)。Preconditioning群において、虚血時の活動電位持続時間の短縮及び細胞外カリウム濃度の上昇を抑制した。ピナシジル投与群において、用いた用量では降圧等の心血行動態に対して作用を示さず(表1)、またこの用量において虚血時の活動電位持続時間の短縮及び細胞外カリウム濃度の上昇に影響を与えなかった。これらの結果から、preconditioning及びATP感受性カリウムチャンネル開口薬の心筋保護作用に活動電位持続時間の短縮は必須なものではないことが判明した。

2) カルシウムチャンネル遮断薬の虚血心筋保護における心筋細胞外カリウム濃度及び活動電位持続時間の関連性に関する研究

 カルシウムチャンネル遮断薬であるジルチアゼムの虚血・再灌流後の収縮不全に対する改善効果が活動電位持続時間の短縮を介して作用を発揮しているかを検討した。ジルチアゼム(0.02mg/kg/hr)を虚血10分前に静脈内投与し、その後10分間の虚血及び120分間の再灌流を行った。ジルチアゼムは、10分間虚血後の収縮不全を回復させ(図5)、また虚血時の細胞外カリウム濃度上昇及び活動電位持続時間の短縮を抑制した(図4)。虚血時の細胞外pHは、細胞内ATPの分解によって低下すると考えられている。ジルチアゼムが、虚血時の細胞外pHの低下を抑制したことから(図5)、虚血による細胞内ATPの減少を抑制したことが示唆された。これらの結果から、ジルチアゼムは、活動電位持続時間の短縮に影響せずに心筋保護効果を示すことが明らかとなった。またジルチアゼムによるATPの減少の抑制は、ATPの減少によって開口するATP感受性カリウムチャンネルの活性化を抑制し、細胞外カリウム濃度上昇及び活動電位持続時間の短縮を抑制したと推察された。

総括

1.ATP感受性カリウムチャンネル阻害剤であるグリベンクラミドが、虚血時の細胞外カリウム濃度の上昇及び活動電位持続時間の短縮を抑制したことから、虚血によるこれらの変化に心筋細胞膜上のATP感受性カリウムチャンネルの活性化が重要な役割を担っていることが明らかになった。グリベンクラミドが血中カリウム濃度上昇による活動電位持続時間の短縮を抑制しなかったことより、血中カリウム濃度上昇による活動電位持続時間の短縮に対してATP感受性カリウムチャンネルは関与していないことが明らかになった。

2.ピナシジルは、ATP感受性カリウムチャンネル開口薬の薬理的特徴である降圧作用を示さない用量において、虚血・再灌流による収縮不全を改善した。またこの時ピナシジルは、虚血による細胞外カリウム濃度上昇及び活動電位持続時間の短縮に対して影響を示さなかった。これらの結果よりATP感受性カリウムチャンネル開口薬は活動電位持続時間の短縮を示さない用量においても、心筋保護効果を有することを明らかにした。

3.Preconditioningは、虚血による細胞外カリウム濃度上昇及び活動電位持続時間の短縮を抑制すると共に、虚血・再灌流後の収縮不全に対して改善効果を示したことから、preconditioningの心筋保護効果に心筋細胞膜上のATP感受性カリウムチャンネルの活性化の関与は少ないことが示唆された。

4.カルシウムチャンネル遮断薬は、虚血による細胞外カリウム濃度上昇及び活動電位持続時間の短縮を抑制すると共に、虚血・再灌流後の収縮不全に対して改善効果を示すことを明らかにした。

結語

 以上のことより心筋保護効果に活動電位持続時間の短縮は必須なものではなく、また従来考えられていたことと異なりpreconditioningの心筋保護効果に、ATP感受性カリウムチャンネルの関与は少ないことを示した。これらの本研究の知見は、ピナシジル及びpreconditioningの心筋保護効果に対する心筋細胞膜上のATP感受性カリウムチャンネルの関与を見直すきっかけとなり、現在においてはミトコンドリアのinner membraneに存在するATP感受性カリウムチャンネルの関与が注目されることとなった。

 本研究は、麻酔イヌを用いて心筋細胞外カリウム濃度、活動電位持続時間及び局所心筋収縮力を、同一個体で同時に測定することによって、in vivoにおける心筋保護効果と活動電位持続時間の関与を明らかにし、心筋保護の作用機序の解明に貢献したと考える。

図1 塩化カリウム投与による活動電位持続時間の経時的変化(B)及びグリベンクラミドの作用

図2 心筋虚血による細胞外カリウム濃度(A)と活動電位持続時間の経時的変化(B)及びグリベンクラミドの作用

表1 心血行動態に対するpinacidil及びpreconditioningの作用

図3 心筋虚血による活動電位持続時間短縮に対するピナシジル(A)及びpreconditioning(B)の作用

図4 心筋虚血による活動電位持続時間短縮に対するジルチアゼムの作用

図5 心筋虚血による局所心筋収縮の低下(A)及び細胞外pHの低下(B)に対するジルチアゼムの作用

審査要旨 要旨を表示する

 心筋に短時間の虚血を起こすことで、その後の虚血・再灌流による細胞障害に対して保護効果を生じる現象(preconditioning)にATP感受性カリウムチャネルの活性化が関与していることが報告されている。またATP感受性カリウムチャネル開口薬も、preconditioning類似の心筋保護効果を有している。このpreconditioningにおけるATP感受性カリウムチャネルの心筋保護作用及びATP感受性カリウムチャネル開口薬の心筋保護作用は、活動電位持続時間の短縮によって膜電位依存性カルシウムチャネルを介するカルシウムの細胞内への流入の減少により発揮していると考えられていた。しかしながらこれらの報告は、心筋保護作用と活動電位持続時間の変化あるいは細胞外カリウム濃度の変化を同時に検討したものではないため、活動電位持続時間の短縮と心筋保護効果の関係の詳細は明らかではない。

 本研究は、麻酔イヌを用いて心筋細胞外カリウム、プロトン濃度及び活動電位を同時かつ経時的に測定する標本を開発し、虚血・再灌流に対する心筋保護作用に対する活動電位持続時間の短縮の役割を検証したものである。

 最初に虚血時の細胞外カリウム濃度上昇及び活動電位持続時間の短縮に対するATP感受性カリウムチャネルの関与について検討した。ATP感受性カリウムチャネル阻害薬であるグリベンクラミドが、虚血時の細胞外カリウム濃度の上昇及び活動電位持続時間の短縮を抑制したことより、虚血によるこれらの変化にATP感受性カリウムチャネルの活性化が重要な役割を担っていることを明らかにした。

 次にATP感受性カリウムチャネル開口薬であるピナシジルを用いて、心筋保護作用と活動電位持続時間の短縮の関連性について検討した。ピナシジルは、ATP感受性カリウムチャネル開口薬の薬理的特徴である降圧作用を示さない用量において、虚血・再灌流による収縮不全を改善した。またこの時ピナシジルは、虚血による細胞外カリウム濃度上昇及び活動電位持続時間の短縮に対して影響を示さなかった。これらの結果からATP感受性カリウムチャネル開口薬は活動電位持続時間の短縮を示さない用量においても、心筋保護効果を有することを見出した。

 更にpreconditioningによる心筋保護作用と活動電位持続時間の短縮の関連性について検討した。Preconditioningは、虚血による細胞外カリウム濃度上昇及び活動電位持続時間の短縮を抑制すると共に、虚血・再灌流後の収縮不全に対して改善効果を示したことより、preconditioningの心筋保護効果に心筋細胞膜上のATP感受性カリウムチャネルの活性化の関与は少ないことを示唆した。

 最後にカルシウムチャネル遮断薬のジルチアゼムを用いて、ジルチアゼムの心筋保護作用と活動電位持続時間に対する作用を検討した。その結果カルシウムチャネル遮断薬は、虚血による細胞外カリウム濃度上昇及び活動電位持続時間の短縮を抑制すると共に、虚血・再灌流後の収縮不全に対して改善効果を示すことを明らかにした。

 以上の結果より短時間の虚血に対する心筋保護効果に活動電位持続時間の短縮は必須なものではなく、また従来考えられていたことと異なりpreconditioningの心筋保護効果に、ATP感受性カリウムチャネルの関与は少ないことを示した。

 本研究は、麻酔イヌを用いて心筋細胞外カリウム濃度、活動電位持続時間及び局所心筋収縮力を、同一個体で同時に測定することによって、in vivoにおける心筋保護効果と活動電位持続時間の関与を明らかにしたものである。またこれらの知見は、ピナシジル及びpreconditioningの心筋保護効果に対する心筋細胞膜上のATP感受性カリウムチャネルの関与を見直すきっかけともなり、研究動向に大きな影響を与えることになった。本研究は虚血心筋の病態解明と心血管薬理学の進歩に貢献するものであり、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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