学位論文要旨



No 215105
著者(漢字) 小林,健一
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,ケンイチ
標題(和) 都市部における大規模地震災害に対応した病院の建築計画に関する研究
標題(洋)
報告番号 215105
報告番号 乙15105
学位授与日 2001.07.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15105号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 教授 菅原,進一
 東京大学 教授 大野,秀敏
 東京大学 助教授 西出,和彦
 東京大学 助教授 岸田,省吾
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は、病院の建築計画について、都市部における大規模地震災害への対応という観点から考察したものである。

 論文は全6章から構成されている。第1章では研究の背景と目的、および論文の構成を示した。第2章と第3章では「建物単体としての病院」という視点から、地震災害と病院建築の関係について考察を行った。第4章と第5章では「地域の中での病院」という視点から、地震災害と病院建築の関係について考察を行った。第6章では以上の結果をもとに、都市部における大規模地震災害に対応した病院の建築計画について、提言を述べるとともに今後の課題を示した。以下、各章について要旨を述べる。

 第1章『研究の背景と目的』では、都市部における地震災害の特異性を指摘し、建築計画学および救急医学の領域における地震災害へのアプローチに言及した上で、本研究の目的、位置づけ、特色を述べた。また本論文の全体構成を示した。

 これまでの建築学の地震災害へのアプローチは主に建築構造学が中心であり、建築計画学の領域で地震災害を扱った先行研究は少ない。しかし1995年の兵庫県南部地震を契機として、被災者の避難行動、地震時の家具や什器の挙動、学校やオープンスペースなど公共空間の機能転用、生活の環境移行としての避難行動、建築経済やまちづくりなどの観点から地震を考える必要性が指摘されている。しかしながら病院建築については、被害の実態調査がほとんどであり、地震対策のあり方を論じたものは少ないことを述べた。

 第2章『過去の大規模地震による病院の被災と対策』では、既往の調査研究報告書による文献調査によって、過去の大規模地震により病院が被った被害について再整理を行った。地震発生直後に病院が医療提供を行えなくなる要因のうち、建築・設備に関連するものを「地域的被災による影響」と「病院自体の被災」とに分類した上で、各問題点の対応策の実行可能性を検討して述べた。

 「地域的被災による影響」としては、ライフラインの寸断、マンパワーの確保困難などが挙げられる。また「病院自体の被災」としては、構造体の破壊、二次部材と家具の被害、建築設備の被害、医療設備の被害などが挙げられる。すなわち地震時にはライフラインの寸断や病院内の混乱などにより、例え病院自体の構造体が壊滅的な被害を免れても、実際に医療提供を行うことが困難になる「機能的被害」が発生することを述べた。

 第3章『震災対策の実施状況と阻害要因』では、前章で考察した問題点を踏まえて、全国の314病院を対象としたアンケート調査によって、病院における震災対策の実施状況と、対策が実施できない場合の阻害要因について考察した。

 調査では免震構造の採用など建築時点で施さなければならない対策事項だけでなく、管理運営上の地震対策に関する事項を盛り込んだアンケートを行った。結果の分析においては、調査対象病院を「公立と公立以外」「一般病院と災害拠点病院」「地震経験ありと地震経験なし」のように分類し、施設の属性による回答の違いを考察した。

 「公立と公立以外」の属性でみると、診療報酬以外に施設整備費の補助金が得られる公立病院のほうが、新耐震基準施行(1981年)以前の建物が多いという結果を得た。その阻害要因としては予算の不足が圧倒的に多く、建物の耐久年数が経過して建て替える必然に迫られるまでは耐震補強工事の機会がないことが挙げられている。

 「一般病院と災害拠点病院」の属性でみると、水やエネルギーの備蓄に関する項目については、災害拠点病院は一般病院よりも備蓄の必要性を認識してはいるものの、実際に実施しているとは限らないという結果を得た。その阻害要因としては予算不足や備蓄スペースの不足、備蓄品の循環の難しさなどが挙げられている。

 「地震経験ありと地震経験なし」の属性でみると、頻繁に地震に見舞われる地域の病院においては、他の地域の病院と比較して地震対策への関心度が高く、金銭的な負担が伴わない運営上の工夫による地震対策を実施している施設が多いことが分かった。

 全般にみると、予算の不足、敷地や建物内のスペースの不足、通常業務における不便などが地震対策実施の阻害要因として挙げられている。

 第4章『震災直後の病院の受療圏域』では、1995年の兵庫県南部地震により被災した5病院を対象とした調査によって、平常時とは条件が異なる地震発生から数日間での患者の受療圏域特性について明らかにした。

 調査では各病院の協力を得て、兵庫県南部地震の発生当日から7日間の患者住所を整理し、コンピュータソフトを用いて病院までの直線距離を計測し、日別にまとめて分析した。また平常時の患者住所を調査することができた4施設については、災害時と平常時の受療圏域を比較して考察した。

 対象施設が少ないことから、本章の調査はケーススタディとして捉えるべきであり、得られた結果は施設により違いがみられるため、直ちに一般化はできない。しかしながら、災害直後における受療圏域は平常時と比較して小さくなること、その規模は病院からおよそ2〜3km(徒歩圏)の距離内に80%の患者分布があること、受療圏域は地震発生から日を追うに従って大きくなる傾向があること、などが分かった。兵庫県南部地震は発生が早朝であったことから、多くの患者は自宅で被災したと考えるのが自然であり、交通網が麻痺した地震発生直後では、患者は自宅から被災地近くの病院へと徒歩で訪れたことが考えられる。また患者分布のヒストグラムをみると、平常時には患者分布のピークが複数みられるのに対して、地震発生直後の数日間は病院の近傍のみにピークがあることが分かった。

 第5章『都市部における災害拠点病院の配置状況』では、前章で得られた「都市部で大規模地震が発生した直後には患者の受療圏域は徒歩圏に近くなる」という結果を踏まえ、東京都23区内における災害拠点病院の分布状況と、東京の都市構造との関連をシミュレーションにより検討した。さらに地震直後の医療需要の人口規模を算定する計算式を提示した。

 東京の地盤特性をみると、西部には山地・丘陵や台地が広がり、東部には沖積低地が多い。また現在の東京都は都市化が進んでいるが、その発展状況は均一でなく、中心部にはオフィスや商業施設、周辺部には住宅地や工業地域が広がっている。さらに人口分布をみても、昼間は中心部に人口が集中しているのに対して、夜間はドーナツ化現象と呼ばれるように周辺部に人口が集中する。このような昼夜で激変する東京の人口分布を23区ごとに地図上に表現し、また都市構造について東京都が公表している「建物倒壊・火災危険度」と「総合危険度」の調査結果を引用して、災害拠点病院の配置状況と重ね合わせた。さらに前章で得られた兵庫県南部地震直後の受療圏域を引用して累積百分率を示す同心円を2km(徒歩圏)まで描き、東京都下の災害拠点病院に重ね合わせて検討した。その結果、都市構造と災害拠点病院の配置状況との間には、必ずしも計画的な対応がみられないことが明らかになった。

 また各病院へ災害時に徒歩で来院する患者人数の算定式として、2kmという徒歩圏域内の人口密度を変数とした算定式を考案して示した。

 第6章『試論:都市型地震と病院建築計画』では、まず2章から5章までのまとめを行い、地震発生直後に医療を提供する拠点としての病院の限界について、病院単体としての「施設計画」と、都市部に立地するという条件下の「地域計画」の両面から指摘した。次に現在設定されている地震災害時の病院の役割を前章までの結果に即して見直し、すべての病院が都市型地震に対応するために行うべき具体策を示した。以上をもとに、「災害拠点病院の整備」だけが目標とされている現在の災害医療施策の限界と危険性を指摘し、都市型地震発生時の医療提供のあり方を提言した。

 施設計画すなわち病院を単体として考えた場合、都市型地震発生時の病院はインフラの破壊や院内の混乱のため機能的被害を被り、平常時と同等の医療提供機能を維持することは不可能だとみなすべきであることを述べた。地域計画すなわち被災地の患者受療行動を考えた場合、交通網の破壊などから患者は徒歩圏の病院に駆け込むこととなり、地域によっては人口分布と対応していない災害拠点病院だけに医療提供を期待することは現実的でないことを述べた。

 以上のことから都市型地震発生直後に病院が果たすべき役割として、まず患者や職員など病院内にいる人間の生命を守ることを第一とすべきであり、医療提供に余裕がある場合に限って周辺地域の被災者への医療提供を行うべきであると判断した。この前提に立った上で、外部からの救援が得られるまでの24時間、病院内の人間の生命を維持するために必要な条件について、「水の備蓄」「エネルギーの確保」「情報」のそれぞれについて具体的な目標値を挙げて解説した。

 おわりに「災害医療提供における課題」として、病院単体としての施設的な対策の限界と、地域的な災害医療提供の課題を述べ、災害拠点病院を基本とした施策だけに頼るのではなく、指定広域避難所に設けられる救護所を相互補完的に計画する必要性を述べた。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、都市部における大規模地震の発生時に病院がおかれる状況の把握に基づいて大規模地震災害時に病院がその機能を維持するための建築計画的な考察を通して、有効な対策について提言を行うことを目的としている。

 論文は全6章から構成される。第1章では研究の背景と目的、そして論文の構成を示している。第2章と第3章では「建物単体としての病院」という視点に立って、地震災害と病院建築の関係について考察を行っている。第4章と第5章では「地域の中での病院」という視点から、同様の考察を行っている。第6章では以上の結果をもとに、都市部における大規模地震災害に対応した病院の建築計画について、提言を述べるとともに今後の課題を示している。

 第1章では、都市部における地震災害の特異性を指摘し、建築計画学と救急医学の領域における地震災害へのアプローチに言及した上で、本研究の目的、位置づけ、特色を述べている。すなわち、これまでの建築学の地震災害へのアプローチは主に建築構造学が中心であり、建築計画学の領域で地震災害を扱った先行研究は少なかったが、1995年の兵庫県南部地震を契機として、被災者の避難行動、地震時の家具や什器の挙動、学校やオープンスペースなど公共空間の機能転用、生活の環境移行としての避難行動、建築経済やまちづくりなどの観点から地震を考える必要性が指摘されはじめた。しかしながら病院建築については、被害の実態調査がほとんどであり、地震対策のあり方を論じたものは少ないことが述べれれている。また章末に本論文の全体構成を示している。

 第2章では、既往の調査研究報告書を主体に文献調査により過去の大規模地震で病院が被った被害について改めて整理を行っている。地震発生直後に病院で医療提供が不可能になる要因のうち、建築・設備に関連するものを「地域的な被災」と「病院自体の被災」とに分類した上で、各問題点への対応策の実行可能性を検討している。具体的に「地域的な被災」による影響としては、ライフラインの寸断、マンパワーの確保困難などが挙げられ、また「病院自体の被災」としては、構造体の破壊、二次部材・家具の被害、建築設備・医療設備の被害などが挙げられている。すなわち地震時にはライフラインの寸断や病院内の混乱などにより、例え病院自体の構造体が壊滅的な被害を免れても、実際に医療提供を行うことが困難になる「機能的被害」が発生することを述べている。

 第3章では、前章で考察した問題点を踏まえて、全国の314病院を対象としたアンケート調査によって、病院における震災対策の実施状況と対策が実施できない場合の阻害要因について考察している。アンケート調査では免震構造の採用など建設の時点で施さなければならない対策事項だけではなく、管理運営上の地震対策に関する事項を盛り込んだが、分析においては、調査対象病院を「公立と公立以外」「一般病院と災害拠点病院」「地震経験ありと経験なし」のように分類し、施設の属性による回答の違いを考察している。具体的には「公立と公立以外」の属性でみると、診療報酬以外に施設整備費の補助金が得られる公立病院のほうが、新耐震基準施行(1981年)以前の建物が多いという結果を得ている。その対策実現の阻害要因としては予算の不足が圧倒的に多く、建物の耐久年数が経過して建て替える必然性に迫られるまでは耐震補強工事の機会がないことが挙げられている。「一般病院と災害拠点病院」の属性でみると、水やエネルギーの備蓄に関する項目については、災害拠点病院は一般病院よりも備蓄の必要性を認識してはいるものの、実際に実施しているとは限らないという結果を得ている。その対策実現の阻害要因としては予算不足や備蓄スペースの不足、備蓄品の循環の難しさなどが挙げられている。「地震経験ありと経験なし」の属性でみると、頻繁に地震に見舞われる地域の病院においては、他の地域の病院と比較して地震対策への関心度が高く、金銭的な負担が伴わない運営上の工夫による地震対策を実施している施設が多いことを指摘している。全般的には、予算の不足、敷地や建物内のスペースの不足、通常業務における不都合などが地震対策実施の阻害要因として挙げられている。

 第4章では、1995年の兵庫県南部地震により被災した5病院を対象とした調査によって、平常時とは条件が異なる地震発生から数日間での患者の受療圏域特性について明らかにしている。各病院の協力を得て、兵庫県南部地震の発生当日から7日間の患者住所を整理し、コンピュータソフトを用いて病院までの直線距離を計測し、日別にまとめて分析し、また平常時の患者住所を調査することができた4施設については、災害時と平常時の受療圏域を比較して考察している。調査対象施設数が少なく、得られた結果は施設により違いがみられ直ちに一般化はできないため、これらはケーススタディとして捉えるべきであるとしているが、災害直後における受療圏域は平常時と比較して小さくなること、その圏域は病院からおよそ2〜3km(徒歩圏)の距離内に80%の患者分布があること、受療圏域は地震発生から日を追うに従って大きくなる傾向があること、などを明かにしている。兵庫県南部地震は発生が早朝であったことから、多くの患者は自宅で被災したと考えるのが自然であり、交通網が麻痺した地震発生直後では、患者は自宅から被災地近くの病院へと徒歩で訪れたと考えられ、また患者分布のヒストグラム分析から、平常時には患者分布のピークが複数みられるのに対して地震発生直後の数日間は病院の近傍のみにピークがあることを明かにしている。

 第5章では、前章で得られた「都市部で大規模地震が発生した直後には患者の受療圏域は徒歩圏に近くなる」という結果を踏まえ、東京都23区内における災害拠点病院の分布状況と東京の都市構造との関連をシミュレーションにより検討し、さらに地震直後の医療需要の人口規模を算定する計算式を提示している。東京の地盤特性をみると、西部には山地・丘陵や台地が広がり、東部には沖積低地が多い。また現在進んでいる東京都の都市化の発展状況は均一でなく、中心部にはオフィスや商業施設、周辺部には住宅地や工業地域が広がっており、さらに人口分布をみても、昼間は中心部に人口が集中しているのに対して、夜間はドーナツ化現象と呼ばれるように周辺部に人口が集中している。このような昼夜で激変する東京の人口分布を23区ごとに地図上に表現し、また都市構造について東京都が公表している「建物倒壊・火災危険度」と「総合危険度」の調査結果を引用して、災害拠点病院の配置状況と重ね合わせて検討を行っている。さらに前章で得られた兵庫県南部地震直後の受療圏域を適用して累積百分率を示す同心円を2km(徒歩圏)で描き、東京都下の災害拠点病院に重ね合わせて検討した結果、都市構造と災害拠点病院の配置状況との間には、必ずしも十分な対応がとられていないことを明らかにしている。 また各病院へ災害時に徒歩で来院する患者人数の算定式として、2kmという徒歩圏域内の人口密度を変数とした算定式を考案している。

 第6章では、まず2章から5章までのまとめを行い、病院単体としての「施設計画」と、都市部に立地するという条件下の「地域計画」の両面から地震発生直後に医療を提供する拠点としての病院の限界について指摘をしている。次に現在設定されている地震災害時の病院の役割を前章までの結果に即して見直し、すべての病院が都市型地震に対応するために行うべき具体策を示している。さらに以上をもとに「災害拠点病院の整備」だけを目標としている現在の災害医療施策の限界と危険性を指摘し、都市型地震発生時の医療提供のあり方を提言している。具体的には、施設計画すなわち病院を単体として考えた場合、都市型地震発生時の病院はインフラの破壊や院内の混乱のため機能的被害を被り、平常時と同等の医療提供機能を維持することは不可能だとみなすべきであることを述べ、地域計画すなわち被災地の患者受療行動を考えた場合、交通網の破壊などから患者は徒歩圏の病院に駆け込むこととなり、地域によっては人口分布と対応していない災害拠点病院だけに医療提供を期待することは現実的でないことを述べている。

 結論として以上のことから都市型地震発生直後に病院が果たすべき役割として、まず患者や職員など病院内にいる人間の生命を守ることを第一とすべきであり、医療提供に余裕がある場合に限って周辺地域の被災者への医療提供を行うべきであると主張している。この前提に立った上で、外部からの救援が得られるまでの24時間、病院内の人間の生命を維持するために必要な条件について、「水の備蓄」「エネルギーの確保」「情報」のそれぞれについて具体的な目標値を挙げて解説している。

 おわりに「災害医療提供における課題」として、病院単体としての施設的な対策の限界と地域的な災害医療提供の課題を述べ、災害拠点病院を基本とした施策だけに頼るのではなく、指定広域避難所に設けられる救護所を相互補完的に計画する必要性を述べている。

 以上のように、本論文は、遠からず発生することが予想されている都市型の大地震への対応が社会的な大問題となっている状況で、災害時の医療提供の在り方を病院を中心に考察したもので、基本的な知見を明確に示し、建築計画学の発展に寄与したものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

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