学位論文要旨



No 215117
著者(漢字) 兒島,洋一
著者(英字)
著者(カナ) コジマ,ヨウイチ
標題(和) 酸化剤の存在する環境下における不動態化金属の局部腐食
標題(洋)
報告番号 215117
報告番号 乙15117
学位授与日 2001.07.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15117号
研究科 工学系研究科
専攻 金属工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 篠原,正
 東京大学 教授 辻川,茂男
 東京大学 教授 菅野,幹宏
 東京大学 教授 吉田,豊信
 東京大学 教授 月橋,文孝
内容要旨 要旨を表示する

 これまでに常圧下の中性塩化物水溶液中ステンレス鋼の局部腐食について確立されてきた概念を,酸化性アルカリ性臭化物水溶液中炭素鋼の孔食,高温塩化物水溶液中チタンのすきま腐食,および白ぶどう酒中アルミニウムの局部腐食に適用し,これらを調べた.概念構築の過程では,溶存酸素等を取り除いた,酸化剤のない塩化物水溶液環境中において電気化学的手法が用いられてきた.炭素鋼の孔食およびアルミニウムの局部腐食においては,概念が,酸化剤の存在する実環境中自然浸漬状態においても成立し,各挙動を因果時系列的に把握できる唯一の手段であることを示した.高温塩化物水溶液中チタンのすきま腐食においては,概念をはじめて高温水環境に適用した.これにより,想定される材料の使用環境条件をカバーした,塩化物イオン濃度・温度に関するすきま腐食条件図を完成した.各項目ごとの概要を以下に示す.

 吸収式冷温水機は大型建造物の空調設備として25年以上の実績をもつ.同機では,その作動媒体(吸収液)である臭化リチウム(LiBr)の濃厚水溶液が約150℃までの高温で用いられている.構造材料に採用されてきた炭素鋼は,水酸化リチウム(LiOH)と酸化剤とが添加された吸収液中でおおむね良好な耐食性を示してきた.すなわち,腐食形態は本質的に局部腐食であるにもかかわらず,通常の場合,あたかも均一腐食であるかのように全面が侵食される形態をとり,かつその侵食速度は小さく実機の10〜20年にわたる健全性に対応している.ただし,まれに孔あき事例はあり,これらは運転開始初期に多い,とのことである.酸化剤にクロム酸リチウム(Li2CrO4)および硝酸リチウム(LiNO3)をそれぞれ用いた吸収液環境中の炭素鋼について,上述の通常みられる健全性とまれに起こる早期破損の可能性とが食孔の臨界深さ概念により峻別できることを見いだした.Li2CrO4を用いた作動液は60%LiBr水溶液に0.2% LiOHおよび0.2% Li2CrO4を添加した液で,沸点より4度低い150℃で試験した.孔食電位VC,PIT'皮膜破壊電位EZおよびピット再不動態化電位ER,PITはそれぞれ-490,-540および-550mVと測定された.VC,PIT以上の電位ではピットは発生して成長を継続した.VC,PIT〜EZ間では,皮膜破壊が生じたが,これによる侵食は臨界深さr*=20μmを超える前に再不動態化した.にもかかわらず,30μmより深いピットはER,PIT以上の電位で成長を継続した.単に溶液に浸漬した炭素鋼には,EZより高い電位ではr*より浅いマイクロピットが次々と生成した.このときの溶解電流がECORRがVC,PITより貴化するのを防ぎ,結果的に成長性食孔の発生が防止された.しかしながら,液中で-800mVに10h以上保持した後に自然浸漬した炭素鋼には,浸漬初期に成長性食孔が発生した.この前処理によって皮膜破壊に対する抵抗および鋼表面でのカソード反応が大きくなったため,浸漬初期の自然電位はVC,PITより貴に保たれ,ECORRがVC,PITより卑になる前に1個のピットがr*より深くなった.このピットは以降のER,PITより貴なECORRで成長を継続した.LiNO3を用いた作動液は,150℃の60% LiBr水溶液に0.2% LiOHおよび0.2% LiNO3を添加した液である.Li2CrO4添加の作動液中における炭素鋼と同様に,成長性食孔発生の可能性は,臨界深さ概念により判別できた.VC,PIT'EZおよびER,PITはそれぞれ-480,-490および-540mVと測定された.さらに,r*は10μmであった.炭素鋼を溶液に自然浸漬すると,数時間で,r*より浅いマイクロピットが次々と生成するが成長性食孔は発生しない,という定常状態に達した.しかしながら,液中で-800mVに10h以上保持した後に自然浸漬した炭素鋼では,浸漬初期にr*より深くなったピットが7μm/yの速度で成長を続けた.この前処理によって,皮膜破壊に対する抵抗が大きくなり,鋼表面でのカソード反応は活発になった.前処理のこのような影響は,LiNO3添加液中のほうがLi2CrO4添加液中よりも大きいことがわかった.

 工業用純チタン(C.P.Ti)の塩化ナトリウム(NaCl)水溶液環境における金属/金属−すきまについては,再不動態化法概念の成立がすでに確認されている.すなわち,温度・NaCl濃度・電極電位に関して測定された腐食すきま再不動態化条件は,すきま腐食の発生および成長停止の双方を包括する臨界条件である.さらにこの確認を踏まえ,C.P.Ti,およびASTM Grade 12 Tiを含むNi・Mo添加低合金Tiついて,臨界条件が報告されている.しかしながら,これらの測定は常圧下・100℃以下のため,これ以上の高温水中の臨界条件は,低温度域のそれの外挿と下郡らの発生試験の結果とに基づいて推定するにとどまった.そこで,Ti合金の高温水中すきま腐食臨界条件の再不動態化法による決定,さらに腐食すきま再不動態化条件のオートクレーブを用いた測定方法の確立,を念頭において取り組んだ.まず,250℃までの1%NaCl水溶液中で測定を試み,高温塩化物水溶液中の腐食すきま再不動態化条件をオートクレーブを用いて測定する一般的方法を確立した.さらに,同方法を用いて250℃までの1%NaCl水溶液中で,すきま腐食が成長を継続しうる電極電位および温度に関する上・下限界条件,再不動態化電位ELR,CREV・EUR,CREVおよび温度TLR,CREV・TUR,CREV,を測定した.操作方法において,短時間内に高確率ですきま腐食を発生させるには,試片装着直後に-240mV vs.ext.Ag/AgCl/0.1M-KClに保持し,速やかに175℃以上まで昇温し,昇温中は保持電位を各温度のELR,CREVの数百mV貴側を保つように調節する必要がある.また,ELR,CREV直上のすきま腐食成長維持の下限界電流密度は,100および250℃でそれぞれ6および430μA/cm2と温度依存性が大きく,成長段階ですきま腐食が安定して成長するためには,その段階のすきま腐食電流IHを下限界電流の5〜10倍にする必要がある.測定結果にもとづいて,温度とNaCl濃度に関するすきま腐食マップでは,低NaCl濃度のすきま腐食域の高温側には可使用域が存在する.この領域は,発生試験では示すことはできず,再不動態化法により初めて示されうる.上述の1%の他に,0.3,3,10および25% NaCl水溶液中で,250℃までの再不動態化条件を測定し,これらに基づいて温度−NaCl濃度−電極電位に関する臨界条件を決定し,NaCl濃度−温度,NaCl濃度−電極電位,および温度−電極電位の各すきま腐食条件図(マップ)にまとめた.これらのマップは,環境の温度・Cl-濃度,および環境中不動態化C.P.Tiの局部腐食を起こしていないときの自然電位ESPをこれに照合することで,中性塩化物水溶液環境におけるC.P.Ti使用可/否の判定に資することができる.

 ぶどう酒がAlと数日間以上接すると,濁り・異臭を生じ風味の悪くなることがあり,この傾向は亜硫酸を多く含むぶどう酒に大きいことが知られている.このため,Alはぶどう酒の貯蔵容器,醸造プラントの材料として用いられることは少なく,缶詰ぶどう酒も他の飲料と比べて普及していない.一方,Alのぶどう酒中における腐食については,軽く腐食する,激しく孔食をおこすなどとある.わが国では森永らが,Alをぶどう酒中に自然浸漬して腐食減量および腐食形態を調査し,pHとアルコール濃度とをぶどう酒と同程度に調整した模擬水溶液中におけるそれらと比較した.両者の腐食減量に大きな差はないが,実ぶどう酒中での侵食はより不均一になることを報告している.本章では,工業用純Alの白ぶどう酒環境における均一腐食,孔食およびすきま腐食の可能性を調べた.市販のぶどう酒にはK2S2O5が添加されており,これによりぶどう酒には遊離SO2が生じ,これが溶存酸素の還元剤および殺菌剤として働く.1ppm以下の遊離SO2を含む25℃の脱気ぶどう酒中におけるAlの自然電位ESP,は約-600mV vs.SCEであった.K2S2O5はAlには酸化剤として働くため,K2S2O5添加によりESPは貴化し,1000ppmの添加で-520mVに達した.25℃における均一腐食速度は13mm/yで,この速度は活性化エネルギーが42kJ/molの温度依存性をもつ.しかしながら,この速度はESPのとりうる範囲では電極電位に依存しない.用いたぶどう酒には,不動態化金属に局部腐食を起こしうる塩化物イオンCl-が25ppm含まれていた.VC,PITは-370mVで,これはESPより貴であり,孔食は起こり得ない.ER,CREV'は-530mVであった.また,この電位は温度およびK2S2O5濃度に依存しなかった.25℃において,800ppmのK2S2O5を添加するとESPはER,CREVより貴化する.しかし,低温域では,より少ないK2S2O5添加でESPはER,CREVより貴化する.均一腐食速度を抑制するためには低温での保持が望ましいが,この低温域においてすきま腐食を防止するためにはK2S2O5添加濃度を100ppm以下に保たなければならない.

審査要旨 要旨を表示する

 不動態化(passivity)金属に懸念される孔食やすきま腐食などの局部腐食については,これまで主に中性塩化物水溶液中ステンレス鋼に関して検討され,その耐食性評価法が構築されてきた.本論文は,ステンレス鋼に次いで実用されている代表的不動態化金属であるアルミニウム,鉄(炭素鋼),チタンに関して,これらが酸化剤の存在する各種実環境中にある場合の局部腐食挙動について,先の耐食性評価法の適用を検討し,さらにその発展を図ったもので,8章から成る.

 第1章は序論であり、ステンレス鋼の局部腐食に関する既往の研究、臨界電位(孔食電位:V(c,pit),再不動態化電位:E(R))−局部腐食は、自然電位(E(sp))がその臨界電位より貴である場合に発生する−あるいは再不動態化法−予め厳しい環境で局部腐食を発生・成長させた後に環境を温和化させてこの腐食が再不動態化する条件を求める(E(R)、再不動態化温度:T(R)、再不動態化NaCl濃度:C(R))−などの概念、および本論文で検討した各種不動態化金属/環境について解説するとともに,本論文の構成について述べた.

 第2章では,白ぶどう酒中におけるアルミニウムについて,自然電位,局部腐食臨界電位,および均一腐食速度を緻密に測定し、各腐食形態の発生環境条件を明確化させた.一般に,ぶどう酒中の溶存酸素はK2S2O5添加により還元されているが,この系においてはK2S2O5自身がアルミニウムには酸化剤として働く.均一腐食速度は温度依存性が大きく、これが抑制される低温域では,K2S2O5によるE(sp)貴化が著しくなる.ここでV(c,pit)はE(sp)の最貴値より極めて貴であって、実際にはすきま腐食が問題となる.ぶどう酒の風味保持にとっても望ましい低温域を含め,すきま腐食を完全に防止するためにはK2S2O5添加濃度を100ppm以下に抑えなければならない,としている.

 第3章では,吸収式冷温水機作動液として用いられる60% LiBr水溶液に0.2% LiOHおよび酸化剤としての0.2% Li2CrO4を添加したものの中での炭素鋼の孔食挙動を調べた.同システムにおいて一定の実績をあげてきた炭素鋼を高温であってもステンレス鋼と同様に不動態化材料として取り扱うべきことを主張し,臨界サイズ概念の適用によって炭素鋼の自己犠牲的耐食性機構を発見し,さらにこの機構に含まれる成長性食孔発生の危険性を示すことに成功した.すなわち,自然浸漬状態の炭素鋼には,皮膜破壊電位(E(z))より高い電位で臨界深さ(r*)より浅いマイクロピットが次々と生成するが,この溶解電流が腐食電位(E(corr))がV(c,pit)より貴化するのを防ぎ,結果的にこれらマイクロピット自身の成長性食孔への発展を防止している.しかしながら,皮膜破壊に対する抵抗および鋼表面でのカソード反応が大きい表面状態が達成されればこの機構が機能せず,この間にr*より深くなったピットは,ピット再不動態化電位E(R,pit)より貴なE(corr)でも成長を継続する,としている.

 第4章では酸化剤として0.2% LiNO3を添加した作動液について第3章と同様の検討を行った.LiNO3添加液中のほうが第3章で検討したLi2CrO4添加液中より,自己犠牲的耐食性機構が安定して作動するピット深さと電位とに関する領域が狭く,また皮膜破壊に対する抵抗および鋼表面でのカソード反応が大きい表面状態も達成されやすいため,成長性食孔が発生しやすいことを見い出した.

 第5章では,工業用純チタン(C.P.Ti)の金属/金属−すきまについて,高温塩化物水溶液中の腐食すきま再不動態化条件をオートクレーブを用いて測定する手法を確立した.この手法を用いて250℃までの1% NaCl水溶液中で再不動態化測定を行い,すきま腐食が成長を継続しうる電極電位および温度に関する限界条件は,従来より確認されてきた下限界条件E(LR,CREV)およびT(LR,CREV)のほかに上限界条件E(UR,CREV)およびT(UR,CREV)も存在すること,100℃以上ではE(UR,CREV)は温度とともに貴化すること,を見い出した.

 第6章では,工業用純チタン(C.P.Ti)のすきま腐食について,0.3から25%までの広い濃度範囲のNaCl水溶液中で,250℃までの再不動態化条件を測定して,温度、NaCl濃度および電極電位に関する臨界条件を決定し,NaCl濃度−温度,NaCl濃度−電極電位,および温度−電極電位の各すきま腐食条件図(マップ)を完成させた.同マップの作成過程では,従来の試験方法である発生試験では認識されていなかった,すきま腐食域の高温側に位置する再不動態化域の存在を、初めて確認している.

 第7章では,局部腐食評価に関する臨界電位あるいは再不動態化法などの概念に関して、前章までに得られた成果およびその意義をまとめた.吸収液中炭素鋼および白ぶどう酒中アルミニウムについては,当概念が局部腐食の発生から成長までの挙動を因果時系列的に把握できる唯一の手段であることを示している.またチタンについては,当概念をはじめて高温水環境に適用し,材料ユーザーが最も必要とする塩化物イオン濃度、温度あるいは電極電位に関するすきま腐食発生条件をすきま腐食条件図として示すことに成功した.

 第8章は総括である.

 以上要するに,本論文は,従来より中性塩化物水溶液中ステンレス鋼について構築されてきた局部腐食に関する概念を,アルミニウム,鉄(炭素鋼),チタン,について,これらが酸化剤の存在する各種実環境中にある場合の局部腐食挙動に適用すると同時に同概念の発展に成功したものである.これらは,金属表面工学への貢献が大きく,耐食材料とその使用環境の最適化への明確な指針を示した.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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