学位論文要旨



No 215123
著者(漢字) 張,漢秀
著者(英字) Chang,HanSoo
著者(カナ) チョウ,カンシュウ
標題(和) くも膜下出血患者の予後に及ぼす低血圧麻酔の影響
標題(洋) Adverse effects of limited hypotensive anesthesia on the outcome of patients with subarachnoid hemorrhage
報告番号 215123
報告番号 乙15123
学位授与日 2001.07.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第15123号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 花岡,一雄
副主査: 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 助教授 郭,伸
 東京大学 助教授 岩波,明
 東京大学 助教授 坂本,哲也
内容要旨 要旨を表示する

【目的】くも膜下出血の治療においては、現在、急性期のクリッピング術がスタンダードな治療法となっており、この際に、動脈瘤の再出血を防止する目的で、低血圧麻酔が従来から用いられてきた。この方法では、再出血の防止が期待できる半面、脳循環に悪影響を及ぼすことが懸念されるが、この点に関する臨床的な研究は行われておらず、治療指針の参考となるエビデンスは得られていない。本研究では、過去の症例のデータを、多変量解析を用いて統計的に分析することにより、くも膜下出血患者の予後に対する低血圧麻酔の影響を調べた。

【方法】過去3年間に行われた急性期脳動脈瘤クリッピング術106例の病歴を分析した。術後6ヶ月時点でのGlasgow Outcome Scoreを従属変数とし、術中低血圧麻酔の有無を含む多くの項目を説明変数として、1変数及び、多変数の解析を行った。1変数の解析には、通常のカイ2乗検定を、多変数の解析には、multiple logistic regressionを用いた。さらに、術中低血圧麻酔と、術後の血管攣縮との関係を調べるため、症候性血管攣縮の発生及び重症度と、上記説明変数との間で、同様に、1変量及び多変量の解析を行った。また、実際の術中の動脈瘤再破裂の頻度に関しても、低血圧麻酔を使った群とそうでない群とで比較を行った。

【結果】術中の低血圧麻酔は、くも膜下出血患者の予後を有意に悪化させた。低血圧麻酔は、術後の血管攣縮の発生頻度と重症度にも相関関係があり、予後の悪化は、血管攣縮の重症化を介して生じていると思われた。低血圧麻酔を使った群では術中の動脈瘤再破裂率が低い傾向が見られたが、優位なものではなかった。

【考察】くも膜下出血急性期には、脳循環のautoregulationが傷害されることが知られており、脳血流は脳還流圧に大きく左右される状態になる。この時期の手術時に血圧を低下させることは、特に脳べらで圧迫された部分の脳血流を低下させる危険性が高い。低血圧麻酔の予後に対する影響は、術中の脳血流低下に起因すると考えられるが、直接的に脳梗塞などを引き起こすことによって起こるのではなく、術後の脳血管攣縮の重症化を介して起こっていることが、我々のデータから示唆される。

【結論】脳動脈瘤急性期手術での低血圧麻酔は、患者の予後を有意に増悪させる因子であり、用いられるべきではない。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、くも膜下出血患者の予後に影響する因子を、統計的手法を用いて分析した臨床的研究である。本研究はretrospective studyではあるが、100例以上の症例を分析し、多変量解析のテクニックを用いて、その結果に説得力をもたせている。急性期くも膜下出血に対するクリッピング術中の血圧管理については、従来主流であった低血圧麻酔から、正常血圧を保つ方向に方針が変化してきている。しかしながら、その治療方針の根拠となる臨床的なエビデンスは乏しく、そのために、特に日本では、いまでも低血圧麻酔が行われる例が多い。本研究は、この点に関して考察を行った臨床研究としては初めてのものであり、retrospective studyとはいえ、この点に関するエビデンスを提出する意義は大きい。本研究で得られた結果は以下のとおりである。

1.くも膜下出血にて入院した126人の一連の患者のうち、発症4日以内に開頭クリッピング術の施行された106人の患者を分析した。

2.これらの患者の年齢、動脈瘤の重症度、動脈瘤の部位には、一般的に報告されているくも膜下出血のseriesと比較して、特に異なるものはなかった。

3.これらの患者のうち、手術中に低血圧のあった患者は40人、そうでない患者は66人であった。本研究では、顕微鏡的手術操作中に、収縮期血圧が90mmHg以下になった場合低血圧ありと定義した。

4.手術中低血圧のあった群となかった群との間には、年齢、性別、体重、くも膜下出血の重症度、動脈瘤の部位に関して、有意な差はなかった。

5.入院6ヶ月後のdichotomous Glasgow Outcome Scaleをoutcome variableとして、年齢、性別、くも膜下出血の重症度の諸指標、術中低血圧の有無、等の因子を説明変数として、多変量解析を行った。

6.多変量解析の結果、術中低血圧は、有意に、患者の予後の悪化に相関していた。その他の有意な因子としては、入院時のGlasgow Coma Scale、入院時CTのFisherの重症度scaleが、有意な相関を示した。

7.患者の予後を悪化させる要因として、くも膜下出血後に起きる血管攣縮による遅発性脳虚血の悪化が考えられたため、この点に関しても分析を行った。症候性血管攣縮の発生頻度、血管攣縮による脳梗塞の発生頻度、血管攣縮による運動麻痺の発生頻度の3つの因子をoutcome variableとして、あらたに多変量解析を行ったところ、そのいずれにも、術中低血圧が有意に関与していた。その他の因子としては、やはり、入院時のGlasgow Comas Scale等のくも膜下出血の重症度をあらわす因子が相関を示した。

以上の結果から、この論文は、くも膜下出血の急性期に開頭クリッピング術を行う場合、従来行われていたような、低血圧麻酔を行うことは、患者の予後に有意に悪影響を及ぼすことを示している。この点に関する、臨床的なエビデンスは、今までに得られておらず、この研究は、non-randomized studyではあるが、level IIIのエビデンスを提出するものであり、重要な貢献であるといえる。特に、本邦に置いては、いまだに低血圧麻酔を使用する場合が多く見られ、本研究は大きなインパクトを持つであろう。以上の理由から、本研究は学位授与に値するものと考えられる。

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