学位論文要旨



No 215125
著者(漢字) 中島(谷口),富美子
著者(英字)
著者(カナ) ナカジマ(タニグチ),フミコ
標題(和) 原発開放隅角緑内障遺伝子MYOCに関する臨床的・基礎的研究
標題(洋)
報告番号 215125
報告番号 乙15125
学位授与日 2001.09.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第15125号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 助教授 久保田,俊一郎
 東京大学 助教授 岩田,力
 東京大学 講師 北山,丈二
 東京大学 講師 川島,秀俊
内容要旨 要旨を表示する

 近年、原発開放隅角緑内障(primary open angle glaucoma、以下POAG)の原因遺伝子として同定されたmyocilin gene(MYOC)は、欧米においては、その点突然変異が、主に常染色体優性遺伝形式で家族性のPOAGを発症させることが報告されている。その遺伝子産物myocilin蛋白の機能は未だ不明であるが、正常眼に比べ緑内障眼の線維柱帯において発現が増加していることから、房水の流出抵抗を左右して緑内障の発症に関与する可能性が示唆されている。

 本研究では、多数の緑内障患者及び正常人のMYOC変異を調査して、我が国におけるMYOC変異の頻度を調べるとともに、その表現型の特徴を明らかにした。更に、myocilinの機能解析に供する実験系の確立を目的として、牛眼を用いて房水流出の主経路である隅角線維柱帯細胞の培養を行い、また牛MYOCをクローニングしてその全塩基配列を明らかにして、その眼内における発現分布や誘導について研究した。

I.日本人緑内障患者におけるMYOC変異

 277人の遺伝子解析の結果、POAG患者の多発している3家系から2種類の遺伝子変異(Pro370Leu及びGly367Arg)が発見された。家族歴のないPOAG患者、他の病型の緑内障患者、及び正常人からは遺伝子変異は検出されなかった。この遺伝子変異の出現頻度は、家族歴のあるPOAG患者の5.2%、POAG患者全体の1.9%であり、我が国には約4500人のMYOC遺伝子変異を伴うPOAG患者が存在すると推計された。

II.遺伝子変異を有する緑内障患者の家系調査及び表現型の特徴

 遺伝子変異の見られた患者の血縁者で同意の得られた者について眼科的検査を施行し,その表現型の特徴を明らかにした。いずれの家系においても、緑内障発症時の眼圧が非常に高い(40〜50mmHg)こと、また保存的治療が無効で観血的治療を必要としたことが特徴的であった。MYOCは元来10〜20代で発症する若年発症原発開放隅角緑内障の連鎖解析から発見されたものであり、欧米においては若年発症の家系がしばしば報告されてきたが、自験例のPro370Leuの2家系では平均発症年齢が13才、21才と若年発症型であったのに対し、Gly367Argの家系の平均発症年齢は36.7歳で、従来の報告より発症がやや遅い傾向にあった。

III.牛眼を用いたMYOC遺伝子機能解析のための実験系の構築

III-1.牛MYOC遺伝子の配列決定

 牛MYOCのクローニングを行い、全塩基配列を決定した。その特徴は、

 (1) 牛MYOCは490個のアミノ酸で構成されており、これはヒトMYOCよりN末端側が14アミノ酸残基短く、またマウスと同じ大きさであった。

 (2) 牛とヒト、ラット、マウスの相同性は、アミノ酸でそれぞれ81.6、78.8、78.2%で、また核酸では83.1、80.2、80.6%であった。

 (3) 牛とヒトのexon1、2、3の相同性はそれぞれ75.9、71.4、87.4%であり、exon3の相同性が高かった。

 (4) 牛MYOCにはヒトと同様にleucin zipper motif(103-152aa)がみられた。

 (5) 1-18aa、412-426aaに疎水基があり、他は親水性のアミノ酸で構成されていた。

 牛とヒトのアミノ酸配列はexon3で最も相同性が高かったこと、また緑内障患者で報告されている点突然変異はexon3に集中していることから、exon3がMYOCの機能発現に重要な役割を果たしている可能性が高いと推測される。現在までにMYOCの全配列が明らかになっているのはヒト、マウス、ラットであるが、これらのすべての種でleucine zipperが保存されていたこと、またMYOC遺伝子のヘテロ接合変異では緑内障を発症するがホモ接合変異は発症しないことから、myocilin蛋白は2量体あるいは多量体を形成しており、遺伝子変異がこの複合体の形成を阻害することによって蛋白の本来の機能を妨げ、緑内障を発症させる可能性がある。

III-2.in situ RNA hybridizationによる牛MYOCの眼内組織分布の検討

 牛眼球におけるmyocilinの発現分布をin situ hybridization法で検討した。線維柱帯、虹彩、網膜(神経節細胞層、内顆粒層)、強膜に発現が見られた。やや弱い発現が毛様体に認められた。角膜と視神経乳頭には発現が認められなかった。

 眼球におけるMYOCの分布について、ヒトでは線維柱帯、毛様体、虹彩、強膜、網膜、脈絡膜で、マウスにおいては線維柱帯、毛様体、虹彩、網膜、強膜における発現が報告されている。牛MYOCが線維柱帯、網膜、虹彩、強膜に発現していることはヒト、マウスと同様であったが、ヒトでは網膜の視細胞外節に存在すると報告されており、神経節細胞層や内顆粒層に発現を認めた我々の知見とは異なっていた。

 房水流出路にmyocilinの発現が多く認められることは、いずれの種においても同様であった。また抗myocilin抗体を用いた免疫組織染色において、myocilin蛋白が線維柱帯やシュレム氏管に発現していること、緑内障患者ではさらに強い発現が認められることが報告されており、myocilin蛋白が房水流出抵抗の増大に関与している可能性が高いと考えられる。しかしながら、myocilin蛋白の蓄積そのものが房水流出抵抗を増大させているのか、あるいは細胞外マトリックスなど他の蛋白の発現を左右することにより緑内障発症に関与しているのかは不明であり、今後の更なる解析が必要である。また、牛眼球において神経節細胞層、内顆粒層にMYOCの発現がみられたことから、myocilinが網膜内において情報伝達や視神経の栄養・代謝等、視神経の生理的機能に関与している可能性も考えられる。

III-3.ステロイド負荷による牛MYOC発現の誘導

 牛線維柱帯細胞にデキサメサゾン50-500nMを負荷した後のMYOC mRNAの変化を定量的RT-PCR法を用いて測定した。MYOCの発現量は、デキサメサゾンの50nM負荷で約7倍(7.1±2.5倍,mean±SEM)、500nM負荷で約14倍(14.1±5.1倍)増幅した。牛MYOCはヒトと同様にステロイドにより誘導される性質を有していた。

 IV.総括

 緑内障は先進諸国の中途失明原因の上位を占める疾患であるにもかかわらず、その根本的な原因は不明で、決定的な治療手段は確立されていない。MYOCの発見は、緑内障の病因解明に新たな手がかりを与える貴重な報告であり、その機能の解析は遺伝子変異により発症する緑内障のみならず、緑内障全般の病態の理解に寄与する可能性もあると期待される。我々が樹立した牛眼球を用いた実験系はmyocilinの機能解析のための有用な動物実験モデルとなりうると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は原発開放隅角緑内障(primary open angle glaucoma、以下POAG)の原因遺伝子として初めて同定された遺伝子myocilin(MYOC)の特徴を明らかにするため、多数の患者の調査により本邦における遺伝子変異発現頻度とその表現型の特徴を調べ、また牛線維柱帯細胞を用いてmyocilinの機能解析に供する実験系の構築を試みたものであり、下記の結果を得ている。

I.本邦の緑内障患者及び正常人計277人の遺伝子解析の結果、原発開放隅角緑内障患者の多発している3家系から2種類の遺伝子変異Pro370Leu及びGly367Argを発見した。この遺伝子変異の出現頻度は、家族歴のあるPOAG患者の5.2%、POAG患者全体の1.9%であった。

II.遺伝子変異を認める3家系の患者の表現型を調査したところ、非常に高い眼圧(40〜50mmHg)で発症すること、保存的治療が無効で観血的治療を必要としたことが特徴的であった。また、従来MYOCの突然変異は10〜20代で発症する若年発症原発開放隅角緑内障の家系に出現すると考えられていたが、Pro370Leuの2家系では平均発症年齢が13才、21才と従来の報告どおり若年発症型であったのに対し、Gly367Argの家系では、平均発症年齢は36.7歳で、成人発症型であることが示された。

III.牛眼より線維柱帯細胞を採取して培養細胞系を作成し、牛MYOCのクローニングを行ったところ、牛MYOCはヒトMYOCよりN末端側が14アミノ酸残基短い490のアミノ酸で構成されること、牛とヒトの相同性は81.6%であること、exon3の相同性が高いこと、ヒトと同様にleucin zipper motifを有することなどが示された。牛とヒトのアミノ酸配列はexon3で最も相同性が高く、また緑内障患者で報告されている点突然変異はexon3に集中していることから、exon3がMYOCの機能発現に重要な役割を果たしている可能性が高いと推測された。

IV.in situ hybridization法を用いた検討で、牛眼球においては線維柱帯、虹彩、網膜(神経節細胞層、内顆粒層)、強膜、毛様体にMYOCの発現を認めた。房水流出路にmyocilinの発現が多く認められ、また抗myocilin抗体を用いた免疫組織染色においても、myocilin蛋白が線維柱帯やシュレム氏管に発現していることから、myocilin蛋白が房水流出抵抗の増大に関与している可能性は非常に高いと推測された。また網膜においては網膜内の第2ニューロンである神経節細胞や、網膜内の第1ニューロンである双極細胞や水平細胞、Muller細胞が存在する内顆粒層に牛MYOCの発現がみられたことからmyocilinが網膜内において情報伝達あるいは神経の栄養に関与している可能性も示唆された。

V.牛線維柱帯細胞にステロイドを負荷してMYOCの発現誘導を行った。定量的RT-PCR法により、MYOCのmRNA量は、デキサメサゾンの50nM負荷で約7倍(7.1±2.5倍,mean±SEM)、500nM負荷で約14倍(14.1±5.1倍)増幅した。この定量的RT-PCRの系を用いることにより、MYOCの発現量に影響する様々な物理的、化学的条件について検討することが可能であると考えられた。

 以上、本論文はMYOC遺伝子変異に関する臨床的特長を明らかにするとともに、その機能解析に供する実験系の構築を試みたものであり、主要先進国の失明原因の上位を占める緑内障の発症原因の解明に貢献すると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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