学位論文要旨



No 215129
著者(漢字) 土方,洋一
著者(英字)
著者(カナ) ヒジカタ,ヨウイチ
標題(和) 源氏物語のテクスト生成論
標題(洋)
報告番号 215129
報告番号 乙15129
学位授与日 2001.09.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第15129号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 教授 小島,孝之
 東京大学 助教授 藤原,克己
 東京大学 教授 月村,辰雄
 東京大学 教授 ツベタナ・クリステワ
内容要旨 要旨を表示する

 仮名表記は九世紀の後半から普及し始めたが、仮名文字は表音的な文字であるために、日本語の表記としては漢字よりもはるかに多義的な要素を抱え込むことのできる媒体となった。その際に、和歌(やまとうた)においては、和歌が仮名文字で発想されるようになったことによって、掛詞や縁語などといった技法が発達し、意味の流れが複線化されるという現象が起こったが、仮名物語においても同様に、出来事のもつ意味が多義化され、ストーリーの流れが、複線化されることで、物語の構造が複雑化していったことが考えられる。

 その際に参考になるのは、ソシュールの規定したところの連辞(シンタグム)と範列(パラディグム)という考え方である。ソシュールによれば、言語記号は、同一範疇に属しつつ互いに排除しあう共時的単位群(範列)と、言表において前後につながりあう通時的単位群(連辞)とに貫かれており、両者の交錯する地点に意味は生成する。たとえば「犬が走る」という文は、「犬」「走る」という二項の結びつきからなっているが、「犬」という語は「猫・狼・牛・馬・……」といった語との間の差異の関係として意味の輪郭を持ち、「走る」も同様に「歩く・佇む・寝る・吠える・……」といった語との間の差異の関係として意味の輪郭を与えられている。つまり「犬が走る」という文は、こうした多様な単位の結びつき方それ自体の差異の体系の中で文としての意味を生成していることになる。

 このような考え方を言説(ディスコース)のレベルに拡大してみた場合、物語が仮名で書かれるようになったことで、物語のストーリー全体が出来事の単位を構成する連辞と範列の関係によって複線化され、差異化されたストーリー・ラインが相互に影響を与えあうことによって全体的な構造に至りつこうとするような、新しい創作の方法が切り開かれていった可能性が考えられる。

 仮名という表現媒体の持つ多義性が、物語の構造に重要な影響を及ぼしていることは、『竹取物語』のような初期の物語においてすでに確認することができるが、仮名という媒体のもつ表現の可能性を極限まで拡張し、物語創作の方法として全面的に展開したのが『源氏物語』であるという仮説を立て、以下のような手続きでそのことを立証する。

 I「生成するテクスト」では、准拠を中心とする<作品外コンテクスト>がコード的に作用することによって、範列的なストーリー・ラインの網状組織を生成し、そのせめぎ合いの中から新しい物語の展開の方向性を選びとってゆく様相を追尋する。具体的には、醍醐天皇の皇子たちの事跡と、菅公怨霊伝説に関わる出来事とをコード的に織り込むことによって、いわゆる第一部から第二部にかけての物語展開の持つ必然性について明らかにする。さらに、同様のコード圏に属するインターテクストの導入によって、物語の舞台も作中人物もまったく一新されたように見える第三部のストーリーが、第二部までに書き記された物語言語の只中から紡ぎだされてくる様相を確認する。

 II「読みのコード」では、出来事や場面の中に隠されたコード的意味の読みとりを通して、出来事や場面の中に秘められた、それから先の物語展開の可能性を検討し、その複数の展開の可能性の中からひとつの方向性を選択するメカニズムについて考察を加える。ことに『源氏物語』のテクストの中では、准拠・史実・モデル・神話的発想・和漢の先行文学作品などといった、多様なコードが導入され、相互に重ねあわせられることによって、既成のコード的意味とはずれを持った、新たな出来事のコノテーションとでもいうべきものが生成している。そうしたコードそのものの意味的更新のメカニズムについても考察を加える。

 III「語りの複層」では、物語の表層の言説構造に分析を加える。『源氏物語』のテクストにおいては、複数の<語りの場>、複数の語り手の言説が混在しており、出来事に対して時間的にも距離的にも多様な角度から照明があてられることによって、出来事の持つ意味が不断に相対化される機構が内包されている。このような様々なレベルでの異質な<語り>の要素が組み合わされているという現象は、表層の言説のレベルでのことばのテクスト(織物)性の問題として押さえられる。その表層の言説のレベルでのテクスト性にどのような特徴が見られるのかを、様々な角度から分析する。さらに、地の文と和歌の関係、引歌表現といった、仮名物語に固有の問題についても言及し、和歌的な要素を含み込むことによってはじめて達成しうる仮名散文独自の表現領域のあり方についても、テクスト言語という観点から分析を加える。

 Iで扱われる、範列的な物語のレベルでのテクスト性、IIで扱われる、出来事や場面に内包されるコード的意味の持つ複数性、IIIで扱われる、表層の語りのレベルでのテクスト性、という三つの方向からの解読を統合することで、『源氏物語』のテクスチュアルな物語構成の全体像を浮かび上がらせようというのが、本論文が最終的に意図するところである。

一千年にわたり読み継がれてきた『源氏物語』のようなすぐれた物語は、作者の意図するところを超えて、テクストを構成する言語的布置そのものが、抜き差しならない必然性と緊密性とを併せ持っていると予想される。そのようなテクストがどのようにして生成することが可能であったのかを考察することは、それ自体として意味のあることと考えられるが、現代において『源氏物語』を読むことは、そこに新たなコード的意味を付加しつつ新しい読みの枠組みを構成し続けることでもあり、現代の読者にとっての『源氏物語』を生成し続けることでもある。そのような意味で、テクスト生成論が言語情報の発信者と受信者とが出会う場所であり、今後の文学研究の足場を再構築する上での戦略的拠点でありうるという研究史的な見通しについても、各章における具体的な考察を通して示唆的に言及している。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、『源氏物語』における物語生成のダイナミズムを、テクスト論の方法によって解明することを試みたものである。

 テクスト論は、1980年代以降、国文学研究においても盛行した方法論であり、とりわけ源氏研究においては、それが活況を呈したといえる。しかしながら、テクスト論は、外来の新奇な理論の一時的な流行としてあったわけではない。当時、戦後の源氏研究の精緻な作品分析の集積がある飽和状態に達しており、作家がいわば全知全能の神のごとく作品世界に君臨し、読者はあたかも神意をうかがうかのように作者の意図を解読すべきものだとするそれまでの文学研究のありかたでは、なお掬いきれない豊かさ・複雑さをこの物語が孕んでいることを、多くの研究者が感じていたのであり、『源氏物語』という作品自体が、テクスト論的な読みを要請していたのだといえよう。

 源氏研究にテクスト論を応用した多くの研究のなかで、土方氏の本論文は、その理論の明晰さと、禁欲的・自己限定的なその理論の適用の清潔さにおいて、とりわけ新鮮な感銘を与えるものといえる。その理論は、本論文の冒頭に明確に示されるように、基本的には、フェルディナン・ド・ソシュールの言語理論を物語に適用したもので、物語の出来事の連辞構造の中には、物語に顕在化された要素の深層に、それとは相異なる要素が範列的に重層して潜在しており、その範列的な要素の緊張的なせめぎ合いによってテクストが生成されるとする見方を基軸とする。

 全体は、第I部「生成するテクスト」、第II部「読みのコード」、第III部「語りの複層」の三部に構成された15章より成るが、本論文を通して、いわゆる<准拠>として扱われてきたこの物語における史実の引用の問題、貴種流離譚といった話型の問題、あるいは神話的原型の問題など、従来個別的に論じられてきたさまざまな問題が、範列的な織物性(テクスチュアリテ)として統合的に捉えなおされており、この物語テクストの多義性が構造的に明らかにされたといえる。これは、土方氏のテクスト理論の最も豊かな成果として高く評価される点である。

 一方、土方氏の物語生成のダイナミズム分析には、作家の主体的・創造的関与という側面が徹底的に排除されており、これはその理論的前提からして当然のこととはいえ、やはり不満は残る。一部の術語の使用法に疑義を感じさせる点もないではない。しかしながら、本論文は、『源氏物語』が一種近代的とも言えるような驚くべき高度な達成を遂げていながら、しかもなお近代の写実的な小説に向き合うような対し方ではけっして汲み尽くすことのできない作品であることを、随所で的確に浮かび上がらせており、最も良質なテクスト論として、今後の源氏研究にとって、大きな位置を占めるものと考える。よって審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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