学位論文要旨



No 215130
著者(漢字) 勝浦,令子
著者(英字)
著者(カナ) カツウラ,ノリコ
標題(和) 日本古代の僧尼と社会
標題(洋)
報告番号 215130
報告番号 乙15130
学位授与日 2001.09.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第15130号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,信
 東京大学 助教授 大津,透
 東京大学 教授 五味,文彦
 東京大学 教授 末木,文美士
 東京大学 教授 多田,一臣
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は,日本古代の社会における僧尼の存在形態や,仏教受容に関する特質を考察したものである。国家と仏教・宮廷と仏教・民衆と仏教など,従来の仏教史や政治史の課題を再検討する基礎作業として,I「日本古代の僧と尼」・II「『家』と僧尼」・III「東アジアにおける尼の比較研究」・IV「尼天皇と仏教」・V「民間の知識活動と僧尼」の5つの課題を設定して論じた。特に僧尼の存在形態については,東アジア諸国と比較し,またジェンダーの視点から分析し,これを実態に則して捉え直すことを意図した。そして従来見落とされてきた,「家」や「宮」と僧尼の関係,また尼や女性の役割に着目して追究した。また天皇や皇后の仏教理解を具体的に分析し,王権による仏教受容の特質と政治との関係を検討した。さらに民間布教僧たちの指導による民衆の仏教受容や,民間における知識結形成の特質を考察した。関連史料の極めて乏しい分野ではあるが,木簡,正倉院文書,経典題跋,碑文などの実態史料を,近年の研究成果や分析方法に学びつつ,再吟味して検討した。

 I「日本古代の僧と尼」は僧と尼を比較し,尼の位置付けと役割を検討し,律令制の官人と宮人の男女差と類似する点と僧尼の平等性の現実的限界を指摘することを課題とした。第1章では,尼の研究史を概観し,8世紀の僧尼の公的把握の構造的差異を僧位と尼位,僧綱と大尼のあり方から検討した。僧と尼の差は,律令制全体の男性・女性の序列化の構造な差に由来した。俗位と同様に男性への賜与を前提としていた僧位は,初期のものは性差語彙を含まず尼にも賜与可能であったが,天平宝字4年制以降男性を前提とした「大法師位」が加えられた。このため独自の尼位と,僧綱に対して尼のトップ集団に与えた称号「大尼」が称徳期前後に創出された。しかし称徳没後に僧位に比して,尼位のみが衰退し,僧の年分度者制度が強化された。その後も国家的法会から尼が完全に排除されたわけではないが,尼の僧官・戒律制度の不備により尼の地位が低下したこと指摘した。第2章では,僧尼に俗世間の特権を付与する場合の男女の差を考察した。8〜12世紀までの法名・俗名把握と俗位授与との関係を分析し,男女の差なく本来出家後は法名で把握され俗位を失うこと,しかし特例の俗位授与には俗名保留が原則であったことを指摘した。また官人出家に比して,宮人出家は出家後も俗名を失わずに把握される例が多かったこと,また尼位の衰退により,本来僧尼としては特殊である,俗位を授与された尼が増加したことを指摘した。

 II「『家』と僧尼」は「寺」と有機的に結びつきながらも,その活動の場が「宮」や「家」にあった僧尼の存在形態を分析することを課題とした。第3章では,「家」と密接な関係をもった僧尼を,「家」が「寺」所属の僧尼を「家僧」として招請した僧尼と,「家」の一族出身者や「家」の出仕者中による「家」が生み出す僧尼の2つに分類して検討した。前者は中国の「家僧」の影響があり,また後者を生み出す背景に,「家」本主が僧尼を独自に選別申請できる「賜度者」の存在に注目した。この「家」と「寺」の関係,「家」独自の仏事や役割に着目しつつ,時代的な変化を見通した。これは王権の「宮」にも共通し,第4章では,内裏仏事と僧尼の存在形態を考察した。特に通説では9世紀創始とされていた仏名会には,内裏の尼が関与した前身仏事が8世紀に既に存在しており,これが唐の内道場や内裏仏事の影響を受けた7世紀以来の「内道場」の伝統の延長にあったことを指摘した。また8世紀の内裏仏事では尼・宮人の役割や能力が重視されていたことに注目した。しかし称徳没後,尼を排除した形で内裏仏事が再編成されたことを指摘した。第5章では,宮廷組織における官人・神職・僧と宮人・巫女・尼,それぞれの男女間の相互関係や女性組織間の相互関係を比較し,その共通性と差異を検討した。唐制と比較し,日本では男性と女性の共同監督・共同労働が存在したことが特質であることを指摘した。また空間的な性別分業に着目し,本来は神聖視された空間の管理は女性の分担とされていたが,この空間に男性の進入が日常化する中で、女人禁制を含めた女性の排除が進行していったことを指摘した。

 III「東アジアにおける尼の比較研究」は尼の存在形態とその特質を,中国,朝鮮半島諸国の尼と比較検討することを課題とした。第6章では,尼の成立事情,戒律受容,教学的活動の実態を比較した。中国では5, 6世紀には受戒制度も整備され,尼の教学的評価も高かった。また朝鮮半島諸国,特に新羅では最初の出家者を女性とする伝承をもち,6世紀には王妃が出家し尼寺を建立し,尼の地位も高かった。南朝百済経由で仏教受容した倭では、渡来系女性が高句麗系僧尼の指導で最初に出家し,受戒のため百済留学した。日本の尼の評価も8世紀まで低くはなかったが,九世紀以降尼の地位が低下し,教学的活動が尼の受戒制度の不備,幼年出家の未発達,また国際的な尼の交流の減少を背景に停滞していったことを指摘した。第7章では,尼の地位と称号・僧官制度・内道場と尼のあり方を比較検討した。中国では尼にも与えられた大徳・法師・律師などが日本では与えられなかったが,称徳期前後だけ独自の尼位が創設されたこと,また中国や新羅に存在した尼の僧官は日本にはなかったが,称徳期前後だけ宮人出家や宮廷の尼を優遇する「大尼」が置かれたことの意義を考察した。唐の内道場と内尼などが日本の内裏の尼と類似することを指摘し,その他,東アジアの女性と仏教の比較課題を展望した。第8章では,日唐の比較研究の一つとして,法華滅罪之寺と洛陽安国寺法華道場の関係を論じた。法華滅罪之寺の寺名の由来は,女の罪ではなく「生死罪」を滅する意味で,天台法華滅罪法の法華三昧の影響による。唐の開元年間に慧持・慧忍の姉妹の尼が洛陽安国寺勅置法華道場で法華三昧を行っていた情報が,道〓により伝えられ、光明子に影響を与えたことを指摘した。

 IV「尼天皇と仏教」は孝謙・称徳天皇の仏教と王権,仏教と天皇の問題への理解と,政治や宗教政策への反映のあり方を考察することを課題とした。第9章では,称徳の仏教政治思想と信仰を分析し,尼天皇として「出家者による統治」さらに「出家者による王権の継承」を構想した背景を探った。称徳が道鏡に与えた「法王」は,座右経典中で最も重視した「最勝王経」の「正法をもって統治する王」に由来し,また「法王」像は聖徳太子信仰の「三宝之法永伝」を課題とする皇位継承者像と結びついていた。さらに称徳は皇位「諸聖天神地祗御霊」授説と,8世紀に流布した聖徳太子慧思転生説などの影響を受け,非皇統僧による皇位継承を正当化する独自の「王権と仏教」を構想した可能性を指摘した。第10章では,天皇と母の光明子の仏教理解の一端を,「宝星陀羅尼経」の三度の間写状況などから分析した。この経典が「最勝王経」とセットで書写され王権の安定と病気平癒を祈願するものであると同時に,「方便の女身」と「変成男子」を説く点に注目し,女身男装天皇の正当性を支える陀羅尼として,孝謙・称徳が肯定的な意味で受容理解した可能性を指摘した。

 V「民間の知識活動と僧尼」は8世紀の都市平城京や畿内を中心に,民間で活動した僧尼と,これに帰依した人々の存在形態を考察し,また東国の知識形成のあり方を分析し,各々の特質を探ることを課題とした。第11章では,行基が平城京を中心とする前期の活動から,畿内各地の土木事業活動により次第に国家から公認されていく上での画期となった養老末年を中心に,行基集団における民衆の構成要素の変化とその特質について考察した。菅原寺付近の住民構成を分析し,寺地を施入した寺史氏など下級官人層を含む都市住民の参加が,活動が畿内各地に拡大し,三世一身法や恭仁京遷都などの政策にすばやく対応するうえで重要な役割を果たしたこと,また後期に尼院が併設されていく過程を分析し,女性参加の社会的背景を論じた。第12章では,知識寺を中心としたグループなど,畿内の他の民間仏教集団と行基集団の関係を検討した。行基は都市で形成した人間関係を媒介に各地に拠点を広げる広域的な勧進事業を推進する力があり,地縁を媒介に活動範囲を拡大していく指導者とは異なる性格をもっていたこと,そして各集団の協力関係や競合関係など多様な動きの中で、大仏勧進事業が推進された可能性を論じた。第13章では,光覚による一切経書写勧進を,現存経典題跋の釈文の再検討を通じて分析し,畿内の大規模な知識形成の特質を検討した。光覚との個人的結合,氏族や地域に根ざした「頭」を通じて組織したものなど多様であり,また当初は光明皇太后一周忌のために企画されたが,次第にこの性格が薄くなり,灌仏行事や祖先供養など民間の宗教的要請に結びつきながら継続されたことを指摘した。第14章では,東国の金井沢碑を分析した。通説の「三家子孫」の「孫」は,江戸期以来の研究と拓本を再検討した結果,当初から判読不可能であり根拠がないことを指摘した。また当時の金石文や写経題跋における請願文の書式,戸籍などの親族関係用語法,知識総数と歴名の計算法と比較再検討して,「三家子口」は願主グループ筆頭者の男性名とみるべきこと,「家刀自」は妻の意味で個人名ではないことを論証した。同時期の畿内の知識形成のあり方と類似していたことを指摘した。

審査要旨 要旨を表示する

 勝浦令子氏の論文『日本古代の僧尼と社会』は、七世紀から十二世紀にかけての日本古代の社会における僧尼の存在形態を通して、国家・宮廷・民衆などによる仏教受容の構造的特質、そしてその歴史的展開を明らかにした研究成果である。

 研究の特徴としては、僧尼のあり方をめぐって、東アジア諸国との比較やジェンダーの視点からの実態分析を行なった点、寺ではなく「家」「宮」などで僧尼の果たした機能、称徳女帝の王権と仏教との関係の特質、そして平城京内外の民衆による仏教受容の特質などについて深く掘り下げた点にあり、新しい出土文字資料や従来あまり注目されなかった史料を掘り起こしたことも評価できる。

 I「日本古代の僧と尼」では、国家による僧・尼の位置づけの差を比較検討し、はじめは尼にも与えられ得た僧位が、男性用の僧位(「大法師位」)の成立を受けて称徳天皇時代に尼用の称号(「大尼」)ができるものの、称徳没後に尼位が衰退する歴史的展開などを明らかにする。II「『家』と僧尼」では、寺ではなく宮や家において僧・尼が果たした機能や存在形態を明らかにするとともに、8世紀の内裏仏事では重視されていた尼が、称徳没後に排除されていった過程などを明快に指摘する。III「東アジアにおける尼の比較研究」では、中国・朝鮮半島諸国との比較から、8世紀まで低くなかった日本の尼の地位が9世紀以降低下していく過程と、その背景などを明らかにする。IV「尼天皇と仏教」では、尼天皇として「出家者による統治」を構想した称徳(孝謙)天皇における王権と仏教の結びつきの特質を、座右経典の内容に立ち入って分析し浮き彫りにする。V「民間の知識活動と僧尼」では、行基集団における民衆の構成の変容とその特質などを明らかにする。

 従来深く検討されなかった尼の存在形態の実像を明らかにする個々の論点は新鮮であり、堅実な実証的手法や、女性の立場に執着し過ぎない客観的立場とともに、説得力ある論旨展開になっているといえよう。さらに、幅広い角度から尼の存在形態の歴史的展開についての全体的な見通しを提示していることは、意欲的で有益な研究成果と評価し得る。

 以上、本論文は、日本古代の社会における僧尼とくに尼の存在形態、王権、家・宮や民衆の仏教受容などについて、その特質を指摘するとともに歴史的展望を提示している。とくに、日本古代の尼の存在形態を東アジア諸国との比較やジェンダーの視点から浮き彫りにしたこと、寺以外の家・宮における僧尼の存在形態を解明したことや、称徳天皇時代の王権による仏教受容の特質と政治との関係などについて明快な論旨を展開したことは、研究史上意義のあることといえよう。対象が広範囲に及ぶことから、なお光明皇后の仏教への論及、称徳天皇など女帝時代の仏教の特殊性への配慮など、さらに論理的な深化・展開が望まれる部分もあるものの、日本古代の僧尼のあり方の実像とその歴史的展開に迫る上で独自の達成を果たした点で、本論文は今後の日本古代史研究に有益な基礎をもたらしたものと評価できる。

 したがって審査委員会は、本論文が博士(文学)にふさわしい研究であると判断する。

UTokyo Repositoryリンク