学位論文要旨



No 215131
著者(漢字) 元永,圭
著者(英字)
著者(カナ) モトナガ,ケイ
標題(和) 土壌環境中における農薬のcometabolismに関する研究
標題(洋)
報告番号 215131
報告番号 乙15131
学位授与日 2001.09.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15131号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 西山,雅也
 東京大学 教授 大森,俊雄
 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 助教授 大久保,明
 東京大学 助教授 林,浩昭
内容要旨 要旨を表示する

 自然環境中に放出された農薬の多くは、単一の微生物によって無機化されることは少なく、むしろcometabolismによって分解されることが多いと考えられる。しかしながら、従来のcometabolism研究は単離菌によって純粋培養系で行われたものが殆どであり、一般的に貧栄養と考えられる土壌環境中でのcometabolism分解がどのような因子によって規定されているかについての研究は見出すことができない。そこで、モデル物質としてcometabolismによって分解されることが示唆されている殺菌剤TPN(Tetrachloroisophthalonitrile)を選び、その土壌中での分解速度に影響する要因を明らかにすることを目的として研究を行った。一連の研究には,1974年に東京大学構内に設置された農薬長期連用圃場のTPN連用区、堆肥連用区、対照区(無処理)の土壌を使用した。

1.TPNのcometabolism速度に対する土壌溶液中の有機物濃度の影響

 まず、TPNが土壌中でどのように分解されているかを確認するために、対照区、堆肥区土壌にTPN 40 ppmを処理後、TPN残留量、Cl-生成量、土壌呼吸量を測定した。次に、対照区土壌においては、TPNを連用した場合の分解速度の変化を調べるため、初回処理したTPNがほぼ分解された時点で再度TPNを処理し、同様の測定を行った。

 これらの実験により、全体としてTPN1分子から1個の塩素原子がCl-として脱離するまで急速に分解が進むが、その後Cl-の放出は緩やかになり、塩素原子が1個はずれた代謝物が土壌中に残留していることが示唆された。これにより、TPNは土壌中で無機化されていないことが明らかとなり、cometabolismによる分解であることが確認された。

 また、初回処理されたTPNがほぼ消失した後(処理51日以降)であっても土壌呼吸量が抑制されており、かつ再処理したTPNの分解も抑制されることが明らかとなった。そこで、土壌中におけるTPNの主要代謝物と考えられているTPN-OH(4-hydroxy-2,3,5-trichloroisophthalonitrile)を合成し(図1)、HPLCによる検出・定量法を確立した。TPN処理後の土壌中のTPN-OH濃度は経時に増加し、TPNの連続投与によってさらに蓄積していく傾向にあった。さらに、TPN-OH単独の前処理によって対照区土壌中での土壌呼吸量が抑制され、かつTPNの分解速度も抑制されることが明らかとなった。代謝物による親化合物の分解速度のフィードバック的な阻害は過去に報告がなく興味深い。なお、TPN-OHの毒性はTPNよりは低いが、本研究の結果によりTPN-OHの土壌残留性がTPNと比較して高く、土壌吸着力が低いことが明らかとなり、TPN-OHの土壌溶液中での濃度が長期に渡って高く維持されるため、結果として土壌微生物に与える影響が大きくなるものと推察された。

 さて、以上の実験(対照区土壌及び堆肥区土壌)における土壌呼吸量とTPN分解速度の比較を行った結果、これらの間に相関関係が認められた(n=7、P<0.05)。堆肥連用区の土壌においては、土壌呼吸が対照区土壌よりも大きく、かつTPN分解速度も速かった。土壌呼吸量と土壌溶液中の有機物濃度との間には高い相関関係があることが知られており、土壌溶液中の利用可能な有機物の量が、TPNのcometabolism速度を規定する大きな要因の一つであることが明らかとなった。Cometabolism分解には、被分解物の他に生育基質となる物質が必要であるが、貧栄養である土壌環境中では、土壌溶液中の利用可能な有機物量がcometabolism速度の大きな規制要因となっていると考えられる。

2.TPNのcometabolismに及ぼす分解菌相の影響

 Cometabolism分解速度に影響する要因としては、利用可能な有機物量の他に、実際に分解に関わる微生物の特性も考えられる。そこで次に、TPNを分解する微生物について検討した。過去の圃場における連用試験結果から、TPNは連用初期には比較的速く分解されるが、徐々に分解速度が低下し、連用12〜14年目には分解能が完全に失われることが明らかにされている。ところが、本研究においては、さらにTPN連用を続けると再びTPNが分解されていることが明らかとなった(連用17年目)。TPN分解が回復した土壌を用いた容器内試験でも同様に分解が再現され、TPN1分子に対して1個のCl-の放出が確認された。この結果より、TPN分解の回復は、TPN無機化によるものではなく、cometabolismによることが明らかとなった。この土壌におけるTPN分解菌は,TPN結晶を懸濁させた各種の平板培地(微生物の一般的な生育基質を含む)において、TPN結晶を溶解しクリアゾーンを形成するコロニーから単離することができた。1/10 L-brothで前培養したこの分解菌は、他の生育基質なしで、ラグタイムなしにTPNを分解しTPN-OH及びCl-へと変換したが、明らかな増殖は認められなかった。よって、この分解菌は、構成的に発現している酵素により、cometabolicにTPNを分解することが判明した。対照区、TPN連用区に存在する分解菌を比較したところ、対照区では分解能力が低い多種類の微生物が存在するが、TPN連用区では今回単離した、より分解能力の高い微生物のみが認められた。また、分解菌数はTPN連用区の方が対照区よりも4倍程度多かった。以上の結果より、一つの例として、cometabolism分解に関与する微生物相が、「多種類の分解能の低い微生物」から、「1種類の分解能の高い微生物」へと変化することで、土壌中におけるcometabolism速度が変化することが明らかとなった。従来、土壌中での農薬の分解速度が連用によって速くなるのは、その農薬を生育基質として利用する微生物、もしくは微生物群が土壌中に集積するためだとされているが、本研究においてはcometabolismに関与する微生物相の変化によっても分解速度が速くなる例を初めて明らかにした。

3.まとめ

 本研究においては土壌中におけるcometabolismを制御する因子として次の2点を明らかにした。

(1) 土壌中でのTPNのcometabolism分解の重要な因子として、土壌呼吸量、言い換えると土壌溶液中の有機物濃度があげられる。これが大きいほどcometabolism分解は促進される。土壌呼吸量を高く維持させる方法のひとつとしては堆肥の連用が考えられる。なお、本研究においては、TPNの代謝物TPN-OHがフィードバック的にTPNの土壌中での分解を抑制することを見出した。土壌呼吸量を抑制する因子としては親化合物の毒性だけでなく、代謝物の毒性についても、1)土壌微生物への毒性の強さ、2)土壌への吸着性、3)土壌残留性から総合的に判断する必要がある。

(2) 従来、農薬連用に伴う分解速度の加速現象(Enhanced biocegradation)の原因は、その農薬を生育基質として利用する微生物の集積にある、とされてきた。本研究においては、それに加えて土壌中のcometabolism分解菌の微生物相が変化し、より分解能の高い微生物が集積することでcometabolismが促進される例を示した。

図1 土壌中におけるTPN-OHの生成機構

審査要旨 要旨を表示する

 自然環境に放出された農薬の多くは、単一微生物の生育基質として完全に無機化されることは少なく、cometabolismにより分解される場合が多いと考えられる。しかし、従来のcometabolismに関する研究は、単離菌を用いた純粋培養系のものがほとんどであり、貧栄養な土壌環境におけるcometabolism分解の規制因子に関する研究は見出すことができない。本論文は、cometabolismによる分解が示唆されている殺菌剤TPN(tetrachloroisophthalonitrile)を対象物質とし、土壌中でのcometabolism分解に影響する因子の解明を目的として行われた研究である。

 第1章および第2章には、緒言および実験方法の概要が記されている。

 第3章では、まず、土壌中でのTPN分解様式について明らかにしている。すなわち、TPN1分子から1塩素イオンが脱離するまで分解が急速に進行した後、塩素イオンの放出が緩やかになり、脱塩素化された代謝物が残留したことから、TPNは土壌中では完全には無機化されないことを示した。

 次に、反復投与した際の分解について検討し、初回処理TPNがほぼ消失した後に再投与した場合も、再投与されたTPNの分解が抑制される結果を得た。反復投与により土壌中での分解が抑制される農薬の例は今回のTPNが初めてである。再投与後は土壌呼吸量も抑制されたことから、土壌呼吸量とTPN分解の関係を検討したところ、両者に正の相関を認めた。土壌呼吸量は土壌溶液中の有機物量と正の関係があることが知られている。従って、先の相関から、土壌溶液中の有機物量がTPN cometabolism分解の規制要因の一つであると推定した。一般にcometabolism分解が進むためには、被分解物の他に生育基質が必要であることから、貧栄養な土壌中では、土壌溶液中の有機物量が生育基質量を反映していると推定された。

 続いて、TPN再投与により土壌呼吸量が抑制される原因について検討した。まず、TPNの主要代謝物であるTPN-OH(4-hydroxy-2,3,5-trichloroisophthalonitrile)を合成し、検出・定量法を確立した。TPN処理後の土壌ではTPN-OH量が経時的に増加し、TPN再投与により蓄積する結果を得た。また、TPN-OHの前処理により土壌呼吸量は抑制され、かつTPN分解も抑制された。さらに、TPN-OHは、毒性はTPNより低いが土壌残留性は高く土壌吸着力が低いことを示した。以上より、TPN反復投与により土壌呼吸量が抑制された原因は、TPNの主要代謝物であるTPN-OHが土壌に蓄積し土壌溶液中での濃度が高く維持される結果、土壌微生物の活動が阻害されたためと推察した。さらにこの阻害が、溶存有機物量の低下、ひいてはcometabolism分解の低下を招いたことを推察している。また、圃場環境下では、水溶性の高いTPN-OHが下方浸透することも示した。

 圃場における既往の研究から、TPNは連用にともない分解速度が低下し連用14年目には分解能が完全に失われるものの、連用17年目には再び分解されていたことが示されている。第4章では、分解能が回復した土壌とTPN投与歴のない対照土壌を比較し、TPN分解微生物について検討している。分解能回復土壌にTPNを投与したところ、TPN 1分子に対して1塩素イオンが生じたことから、回復した分解能も完全無機化ではないことが示された。この土壌から単離した分解菌にはTPN分解にともなう菌体増殖が認められなかったことから、本菌は構成的に発現している酵素によりTPNをcometabolism分解すると推定した。また、対照土壌では分解能力が低い多種類の分解微生物が存在するが、分解能が一旦消失後に回復した土壌では、今回単離した分解能力の高い微生物のみが認められ、分解菌数も約4倍であった。以上の結果から、連用に伴う土壌のTPN分解能の推移は、cometabolism分解に関与する土壌微生物相が「多種類の低分解能微生物集団」から「1種類の高分解能微生物集団」へ変化することで土壌中におけるcometabolism速度が変化したためと推定された。既往の研究例では、土壌中での農薬分解速度が連用により高まる理由として、農薬を生育基質として利用する微生物の集積が示されているが、本研究では、cometabolism分解微生物相の変化により分解速度が高まる例を初めて示した。

 第5章では総合考察を加えている。

 以上、本論文は、殺菌剤TPNを対象物質とし、土壌中における農薬のcometabolism分解に対して土壌中の溶存有機物量ならびにcometabolism分解微生物相が影響することを示すとともに、代謝産物による土壌系での物質代謝の撹乱がcometabolism分解に影響する可能性について論じたものであり、学術上、応用上、貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと判断した。

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