学位論文要旨



No 215134
著者(漢字) 深町,加津枝
著者(英字)
著者(カナ) フカマチ,カツエ
標題(和) 地域性をふまえた里山ブナ林の保全に関する研究
標題(洋)
報告番号 215134
報告番号 乙15134
学位授与日 2001.09.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15134号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 熊谷,洋一
 東京大学 教授 八木,久義
 東京大学 教授 梶,幹男
 東京大学 教授 下村,彰男
 東京大学 助教授 斎藤,馨
内容要旨 要旨を表示する

 人為的な影響を受け,主に二次林によって構成される里山ブナ林は,原生的なブナ林に比べ保全上の位置づけが明らかでなく,生態的に価値が低い森林として保全対象とされてこなかった。里山ブナ林に対する従来の関心は資源生産や多面的機能のあり方が中心であり,生態系としての健全性や地域文化の保全,住民参加の視点が不十分であった。そして,里山ブナ林の面積の急激な減少や質的な変化が危惧されている。

 そのため,里山ブナ林をとりまく自然,社会についての科学的,包括的な解析を早急に行うとともに,地域性をふまえ実社会で機能しうる,具体的な保全計画を提案することが急務である。また,合理的な里山ブナ林の管理を行うためには,一歩踏み込んで視覚的パターンを生み出す基盤であり,人と環境との相互作用によって形成される里山ランドスケープを維持してきたシステムの解明が重要である。そして,里山ブナ林が直面する自然環境や社会的な課題を全国レベルで検討し,地域独自の多様な自然,文化を育んできた里山ブナ林を継承するための具体的な計画へとつなげる必要がある。

 本研究では,特定の集落と結びついて,地域住民により利用,管理されてきた里山ブナ林の保全にむけて,

(1)全国のブナ林の分布状況および利用形態の特徴

(2)地域,地区レベルで里山ブナ林をとりまくランドスケープの構造とその変化

(3)里山ブナ林をとりまくランドスケープと生態的特性との関係を明らかにし,地域性をふまえた里山ブナ林の保全計画を提言することを目的とした。

 まず,第2章の全国のブナ林を対象とした分析からは,それぞれの地域ごとに特徴的な土地所有,土地利用の形態をもち,様々な面積,立地や林分をとりまく環境の下でブナ林が分布していることが明らかになった。保全状況をみると,国レベルの法令に基づく保全対象地の部分的な指定と行為規制が中心であり,植生調査結果などが記載されるにとどまるブナ林も多くみられた。自然環境保全法に基づく地域指定はブナ自然林に限定され,また,自然公園法を中心とする保全体系がとられていた。

 ブナ林の保全の進展状況には地域差があり,全体として里山ブナ林を対象とする保全施策は限られていた。そして,保全上の位置づけが弱いブナ林が多く,伐採や土地利用の転換などにより,今後さらに面積が減少したり,現状が変化する可能性を指摘されるブナ林が,全国の半数以上を占めていた。特に,里山ブナ林においては,過疎化や生活様式の変化,林地開発などにより,戦後以降,面積の減少や断片化が急速に進んでいた。土地利用などを通した地域住民との結びつきが変化し,その存在意義が薄れ,生態系を維持してきた地域社会からの人為撹乱が停止するなど,里山ブナ林の様相は大きく変化していることが示唆された。里山ブナ林の大部分は保全計画,あるいは保全規制がない未規制里山ブナ林であり,今後の急速な面積の減少,質的な変化が予想された。

 第3章においては,丹後半島を対象に,ブナ林をとりまく里山ランドスケープの変容を1/50,000縮尺の地図データを基本とする地域レベル,そして1/25,000〜1/5,000縮尺の地図データによる地区レベルで明らかにした。地域レベルで里山ランドスケープの変容をみることにより,明治後期から最近までの約100年間で里山ランドスケープが大きく変容し,特に1960年以降になって,マツ枯れ跡地の広葉樹林化,広葉樹林の人工林化,あるいは農耕地等の樹林地化が急速に進んだことが明らかになった。

 地区レベルにおいても,地域レベルと同様の方向に里山ランドスケープが変容してきた。特に1970年前後には,上世屋・五十河地区における土地利用形態が大きく変化するとともに,個人の生活誌レベルの資源利用が変化し,利用目的とその量,利用すべき空間の関係も大きな影響を受けた。採草地や茅場,薪炭林などが消失する一方,放棄された耕作地や人工林が増加し,これらの要素が混在化する里山ランドスケープへと変化した。

 里山ブナ林は,以上のような変容をしてきた里山ランドスケープの主要な構成要素として,地域住民の生活や生産活動を物質的に支え,特徴的なパターンをもって地域の領域を視覚的に形づくる役割を果たしてきた。里山ブナ林には,薪採集,炭焼き,自家用用材の択伐,集落の備蓄など多様な利用形態があり,所有形態や集落からの時間距離などの利便性,傾斜などの地形条件に対応した分布をしていた。里山ブナ林は,地域独自の自然環境のもと,里山ランドスケープと深い関わりのあった伝統的な土地利用形態に組み込まれ,環境要因に規定されながら必然的な合理性をもって分布してきたと考えられた。

 明治後期以降の歴史の中で里山ブナ林のあり方に最も大きな影響を与えたのは,1960年代以降の薪炭需要の低下であった。廃村や地域住民の生活形態,所有形態の変化などの社会環境が変化する中で,里山ブナ林の利用形態そして空間分布は大きく変化した。地域資源としての里山ブナ林の利用や管理が行われなくなり,大部分は放置されたのである。そして林道建設,集落からの到達時間の短縮など利便性の増加により,高齢で比較的まとまった面積で分布していた里山ブナ林に対する外部からの伐採圧をさらに高めた。里山林全体としては面積が増加した一方で,パルプチップ材としての伐採や人工林化により,共有林や国有林を中心に里山ブナ林の面積が減少したのである。また,廃村化などにともなって集落の森林が国有化されることにより,地域資源としての共有財産から,国有林における経済林へと里山ブナ林の位置づけが変化し,その大部分はスギ・ヒノキの人工林へと変化した。

 今日,地域住民が所有し管理してきた里山ブナ林に対する,従来のような地域資源としての関心は低下し,その位置や現況,そして存在自体も住民の認識から喪失しつつあった。一方,1980年代以降には里山ブナ林の利用,保全に向けた様々な動向がみられ,周辺地域の住民や行政など,地域住民を越えた立場にある人々の中で,里山ブナ林に対する地域環境の形成,環境教育や社会参加の場としての期待が高まっていた。

 第4章では,1980年代までの広葉樹を主体とした里山林の利用形態と,生態的な特性について明らかにした。上世屋・五十河地区の里山林は,天然林,非日常炭焼林,日常炭焼林,薪採取林,陰伐地の5つに区分された。そして,里山林の利用区分ごとの植物の分布と生息環境との関係から,出現した植物種が,(1)ブナが優占する林分構造に依存し高齢林など撹乱頻度が少ない環境に特徴的な種,(2)ブナが優占する林分構造に依存し伐採頻度の高い里山林にも特徴的な種,(3)ブナが優占する林分構造に依存せず撹乱頻度が低い環境に特徴的な種,(4)ブナが優占する林分構造に依存せず頻繁な撹乱のある(あった)環境に特徴的な種,(5)すべての利用区分に共通して分布する種,に区分された。

 里山林の生態的な特性をみると,優占する種の構成はほぼ同様であるものの,出現頻度の低い種の種組成や種全体の量的な分布は利用区分ごとに異なり,それぞれに特徴的なBA合計や個体数,出現頻度があった。また,地表高2m以上の上層植物と2m未満の下層植物では利用形態や管理方法に対する反応が違い,木本種の分布や林分構造は利用形態の影響を直接受ける一方,草本種は利用形態だけでなく,標高や微地形,周辺の植生の違いによる影響を受けやすいことなどが示唆された。

 里山ブナ林の利用区分は,天然林および非日常炭焼林となり,さらに管理手法を考慮することにより,天然生里山ブナ林,選択的管理里山ブナ林,長伐期管理里山ブナ林という3つの管理類型に区分された。それぞれの里山ブナ林は,優占する植物種の構成はほぼ同様であるものの,出現頻度の低い種の種組成や種全体の量的な分布は管理類型ごとに異なり,それぞれに特徴的な出現パターンをもっていた。地域独自の自然環境や利用形態,管理手法の影響を受けた多様な生態的な特性があり,相観として一体に見える里山ブナ林は,地形や集落からの距離などによって規定されて様々に利用され,利用区分や管理類型によって異なる生態的な特性をもった林分の集合体ととらえることができた。

 そして,天然生里山ブナ林では,種組成や種の分布パターンなどブナ自然林にも共通してみられる生態的な特性が維持されており,面積のまとまったブナ自然林を復元していく過程でのコアとなる森林などとして,重要な役割を果たすものと考えられた。選択的管理里山ブナ林は,天然ブナ林に近い種組成,林分構造をある程度保ちながらも,地域において高い植物種の多様性を保っていく上で,また長伐期管理里山ブナ林では,定期的な地域資源の利用に基づく林分構造をもちながらブナが更新する環境が維持されてきており,持続的な里山ブナ林の利用,管理形態を示す上での多くの示唆を与えるものと考えられた。里山ブナ林を保全する生態的な意義は,単にブナが優占する自然環境を保全するということにとどまらず,地域特有の土地利用,管理手法など地域の文化の中で息づいてきた多様な生息環境,生物相を包含するという,里山ブナ林の生態的なグラデーションを保全することにあることが示された。

 第5章では,2〜4章の結果をふまえ,里山ブナ林の保全のあり方についての提言を行った。里山ブナ林の保全においては,地域の文化・社会,自然立地,植生,土地利用そして具体的な管理手法の間でみられる相互の関連性,つまり,それぞれの地域社会と里山ランドスケープとの相互関係の理解が不可欠であることが示された。そして,里山ブナ林の文化的,生態的な意義に基づく今後の保全の方向として,里山ブナ林の地域性,里山ブナ林を保全する仕組み,そして里山ブナ林の生態的な管理のあり方,という3つの観点が重要であった。

 里山ブナ林の地域性は,里山ブナ林が,地域住民の生活や土地利用などを基底とした地域の文化に深く根ざしており,里山ブナ林を保全することにより,地域住民との結びつきによって培われてきた,自然・文化複合系としてのブナ林の地域性を保全することの重要性が明らかになった。里山ブナ林をとりまく里山ランドスケープでは,地域独自の生活や土地利用形態を通した人の様々な働きかけの結果が表徴されてきており,今日では地域の中で培われてきた里山ブナ林と人との関係が大きな転換期をむかえていた。利用目的のないまま放置され,他の土地利用への転換や人工林化などによる面積の減少が予想される里山ブナ林を,文化,生態の双方の観点から見直すとともに,地域環境の形成,環境教育や社会参加の場としての新たな役割をふまえながら利用し,そして保全するための仕組みと,具体的な管理手法の必要性が示された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、人為的な影響を受け、主に二次林によって構成される里山ブナ林の保全のあり方について考察することが最終的な目的である。里山ブナ林は、原生的なブナ林に比べ生態的に価値が低い森林として保全上の位置づけが明らかでなく、これまで保全対象とされてこなかった。しかしながら、現在、里山ブナ林の面積の急激な減少や質的な変化が危惧されており、里山ブナ林をとりまく自然、社会についての包括的な調査を行うとともに、地域性をふまえた保全計画を検討、立案することが急務である。

 そこで本研究では、特定の集落と結びついて、地域住民により利用・管理されてきた里山ブナ林の保全にむけて、(1)全国のブナ林の分布概況と保全状況、(2)地域、地区レベルで里山ブナ林をとりまくランドスケープの構造とその変化、(3)里山ブナ林の利用形態と生態的特性との関係、の3点について明らかにすることを目的としており、こうした研究の目的および意義が第1章にまとめられている。

 第2章では、全国のブナ林を概観し、分布状況および保全上の問題点を明らかにしている。保全状況をみると、国レベルの法令に基づく保全対象地の指定と行為規制が中心であり、自然公園法を中心とする保全体系がとられていること、自然環境保全法に基づく地域指定はブナ自然林に限定されていることを指摘している。またブナ林の保全の進展状況には地域差があり、全体として里山ブナ林を対象とする保全施策は限られていること、保全上の位置づけが弱いブナ林が多く、伐採や土地利用転換などにより、今後さらに面積が減少したり、現状が変化する可能性のあるブナ林が半数以上を占めることを指摘している。

 第3章においては、丹後半島を対象に、ブナ林をとりまく里山ランドスケープの変容を1/5万縮尺の地図データを基本とする地域レベル、そして1/2万5千および1/5千縮尺の地図データによる地区レベルで明らかにした。対象地では特に1960年以降、地域レベルにおいてマツ枯れ跡地の広葉樹林化、広葉樹林の人工林化、農耕地等の樹林地化が急速に進んだことを明らかにしている。地区レベルでは上世屋・五十河地区を対象とし、1970年前後に個人の生活誌レベルの資源利用が変化し、採草地や茅場、薪炭林などが消失する一方、放棄耕作地や人工林が増加し、これら要素が混在化してきたことを述べている。

 また里山ブナ林は、1960年代以降、薪炭需要など地域資源としての利用や管理が行われなくなり、道路環境の向上などにより木材資源として伐採が進み、共有林や国有林を中心に面積が減少して、その大部分はスギ・ヒノキの人工林へと変化した。そして1980年代以降には、里山ブナ林に対する保全や教育的利用に向けた動きがみられ、環境資源として注目されてきていることを指摘している。

 第4章では、上世屋・五十河地区の里山林を対象に、1980年代までの利用形態と生態的特性との関係について明らかにした。里山林の利用形態は、天然林、非日常炭焼林、日常炭焼林、薪採取林、陰伐地の5つに区分され、各区分の生態的特性をみると、優占する種の構成はほぼ同様であるものの、出現頻度の低い種の種組成や種全体の量的な分布は利用区分ごとに異なり、利用形態と生態的特性とに対応関係が見られたことを述べている。

 里山ブナ林の利用区分は天然林および非日常炭焼林であり、さらに管理手法を考慮することにより、天然生里山ブナ林、選択的管理里山ブナ林、長伐期管理里山ブナ林という3つの管理類型に区分された。それぞれの里山ブナ林は、優占する植物種の構成はほぼ同様であるものの、出現頻度の低い種の組成や種全体の量的な分布は管理類型ごとに異なり、それぞれに特徴的な出現パターンをもっていることを明らかにしている。

 第5章では、里山ブナ林の保全のあり方についての提言を行っている。今後の保全を検討するうえで、里山ブナ林の地域性、里山ブナ林を保全する仕組み、そして里山ブナ林の生態的な管理のあり方、の3つの観点が重要であることを述べている。

 以上、本研究は里山ブナ林を対象に、生態調査および社会調査を実施し、地域住民による利用・管理形態の差異によって、生態的特性が異なることを明らかにするとともに、里山をとりまく社会状況の変化に伴い、地域資源、木材資源、環境資源とその資源性が変化する中で、地域性を踏まえた里山ブナ林の保全計画の必要性が生じているものの、現時点での保全施策が手薄であることを論じたものである。本研究は、今後の里山および里山ブナ林に関する研究およびその保全に重要な知見を提供すると考えられ、学問上、応用上、寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として意義あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42861