学位論文要旨



No 215135
著者(漢字) 佐藤,文治
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ブンジ
標題(和) 微生物の生産する新規微小管重合促進物質FR182877に関する研究
標題(洋)
報告番号 215135
報告番号 乙15135
学位授与日 2001.09.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15135号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 助教授 吉田,稔
 東京大学 助教授 作田,庄平
内容要旨 要旨を表示する

 癌は日本人の死亡原因の1位を占め、なおかつその数は年々増加している。癌の治療において、癌化学療法が重要な役割を果たしているのはいうまでもない。外科的切除によって取り除けない、あるいは取り残した癌や、浸潤・転移などによって全身に播種された癌細胞を根絶しうるのは、癌化学療法剤によってのみ可能である。しかしながら、白血病や一部の固形癌を除き、多くの固形癌に対して有効な癌化学療法剤はほとんど存在しない。従って、難治性の固形癌に対して有効で、患者のQuality of life (QOL)に配慮した、すなわち副作用の少ない作用機序を有する抗癌剤が医療ニーズとして強く望まれている。

 1980年代以降の分子生物学の急速な進歩により、癌細胞はその細胞周期が正常に調節できなくなったために無秩序な増殖を繰り返す細胞であることがわかってきた。それに伴い、分子標的という概念が導入されている。それは、細胞内の特定の分子を抗癌作用の標的として、それに対する薬剤を探索する手法である。近年臨床で使用されるようになったタキソールは、これまであまり効かなかった乳癌や卵巣癌に対して有効性を発揮する薬剤であり、その分子標的は微小管で、これまでの微小管作用物質とは異なり微小管重合促進という作用機作を持つ。しかし、タキソールは微小管重合促進以外にもマクロファージ活性化、アポトーシス誘導作用など、多くの作用をあわせ持つため、タキソールの強力な臨床の抗癌活性が微小管重合促進だけで全て説明できるかどうかいまだに明らかになっていない。それに加えて、タキソールには溶解性の悪さ、LPS様の炎症作用、原料供給などの問題点も存在する。そこで、タキソールとは異なる骨格を持つ微小管重合促進物質を探索し、その物質の抗癌効果を明らかにすることによりタキソールの臨床での抗癌効果の本質が微小管重合促進で説明できるかどうかを明らかにできると考えられる。また、それをきっかけにしてタキソールよりも優れた効果と少ない副作用をもつ癌化学療法剤を開発することが可能になる。そこで著者は微小管を分子標的として選択し、新規微小管作用物質、特にタキソール同様に微小管重合を促進する物質をスクリーニングすることを目的として本研究を行った。

 本論文では、新たに開発したスクリーニング法を用いた微生物産物からの微小管重合促進物質のスクリーニングにおいて新規微小管重合促進物質FR182877を見いだし、その生産菌の同定、培養、単離精製、構造解析、生物活性について研究を行った。結果を以下に要約する。

第一章

 微小管作用物質がBHK-21細胞に対して、きれいな丸い変形を示すこと及び多核化を起こすことはすでに知られていることであるが、この系では微小管重合阻害か重合促進かはわからない。今回著者は、BHK-21細胞における微小管重合促進物質タキソールを用いた実験から、微小管の重合阻害物質と重合促進物質を効率よく見分け、微小管重合促進物質のスクリーニングを行える系を構築した。約20000検体の微生物産物のスクリーニングを行った結果、徳島県の土壌より分離された放線菌No.9885株の培養液中に新規微小管作用物質FR182877を見いだした。

第二章

 新規微小管作用物質FR182877の生産菌の同定を行った。この生産菌である放線菌No.9885株は、形態学的観察、培養性状、生理試験などの特徴から、Streptomyces属に属すると考えられた。従って、この菌株をStreptomyces sp. No.9885株と同定した。しかしながら、本菌株にはグリセロール資化性がない。グリセロール資化性がないStreptomyces属は報告がなく、その点において珍しいといえる。

第三章

 Streptomyces sp. No.9885株のジャーファーメンターを用いた培養を行い、ブロス100Lから培養液を溶媒抽出し、活性画分をシリカゲルカラムクロマトグラフィー及び逆相クロマトグラフィーにより精製し、酢酸エチルから粉末化してFR182877を238mg単離した。培養経過において、No.9885株の培養物のpHは、pHを調節するような緩衝液が入っていないにも関わらず、pH 6付近を推移した。FR182877の生産は、培養2日目より始まり、5日目でほぼピークに達し、その後減少した。

第四章

 第三章で単離したFR182877の構造解析を行った。各種機器分析のデータから、FR182877(1)の部分構造は解明できたが、1は不安定で徐々に分解したため、アセチル化により2つのアセチル化物182877-Ac-1(3)と182877-Ac-2(2)を得て、2の構造解析により平面構造の推定を、3の構造解析により相対立体配置の推定を行った。3の推定した相対立体配置が正しいことは、最終的にX線結晶解析により確認した。それを元に3と2、さらには2と1の関係を推論し、Fig. 1のように1のジアセチル体である2がエポキシ化して3が生じた、あるいは単離していないが1がエポキシ化してできた物質182877-epoxide(4)のジアセチル体が3であると推定した。1および2は高度にゆがんだβオキシ不飽和エステル構造を有していることから、酸化を受けやすく、4や3に変換しやすいものと考えられた。なお、エポキシ化と生物活性の関係であるが、3には細胞傷害性はほとんどなく、2は1よりも2〜5倍程度活性が低下していただけであった。このことから、歪んだ二重結合が強力な活性の発現に寄与していると考えられる。

第五章

 FR182877の生物活性をin vitroおよびin vivoの両面で検討した。FR182877は、invitroにおいてヒト固形癌を含む各種癌細胞に対して21-73 ng/mlのIC50値で抗癌活性を示し、正常細胞であるマウス骨髄細胞の細胞毒性600 ng/mlとの間には約10倍の選択性があった。次にFR182877の作用点の解析を行った。FR182877は、HT-29細胞の細胞周期遷移をG2/M期で停止させ、微小管作用物質である可能性が高くなった。そこで精製チューブリンタンパク質を用いてチューブリン重合に対する作用をみると、タキソールと同様にチューブリンの重合を促進した。しかし、チューブリンの重合促進の速度論において、FR182877による重合促進には5分程度のタイムラグが存在し、これまでに報告されている微小管重合促進物質と作用機作が若干異なっていた(Fig. 2)。なお、FR182877のチューブリン結合部位は、放射性ラベルしたタキソールを用いての結合競合実験をしていないので同定できていない。

 次に、FR182877のin vivoでの抗癌活性を調べた。癌化学療法剤の評価に一般的に用いられているマウス白血病細胞P388に対し、FR182877は1.6 mg/kgから6.3 mg/kgでT/C 130%と有意な延命効果を示した。また、マウス大腸癌細胞Colon 38及びマウス悪性黒色種細胞B16に対しても1用量だけではあるが有効性を示した。しかし、本物質はin vivoでの毒性が強いため、有効用量範囲が狭く、これ以上の開発は断念せざるを得なかった。

 以上、著者は新たに開発した微小管重合促進物質のスクリーニング系において、新規微小管重合促進物質FR182877の取得に成功した。FR182877は、新規骨格を有することおよび微小管重合促進において既知の薬剤とは異なる速度論を示したことから、今後はFR182877のチューブリン結合部位及び微小管重合促進のタイムラグの原因を解明し、さらには誘導体研究によりin vivo毒性の弱い誘導体を取得して微小管重合促進と抗癌活性の関係を明らかにして、最終的にはタキソールよりも優れた抗癌剤の開発につなげていきたいと考えている。

 Fig. 1 FR182877の構造とその誘導体の生成過程

 Fig. 2 FR182877のチューブリン重合促進の速度論

審査要旨 要旨を表示する

 癌は日本人の死亡原因の1位を占め,その治療法も発達してきたが,白血病や一部の固形癌を除いて有効な癌化学療法剤はほとんど存在しないのが現状である。分子生物学の急速な進歩にともない,癌細胞の性質が明らかになることによって,特定分子を抗癌作用の標的とする「分子標的」の考え方が導入されるようになった。近年,臨床で使用されるようになったタキソールは微小管の重合を促進する作用を有し,乳癌や卵巣癌に対して有効である。本研究は,タキソールと類似の作用を有する化合物を微生物起源から探索することを目的として行ったもので序論およびそれに続く5章から成る。

 まず,序論では,これまでの癌化学療法剤の歴史と現状について外観し,微小管作用物質について詳しく述べている。なかでも,タキソールの重合促進作用に注目し,類似の作用を有する化合物を探索することの意義を述べている。

 第一章では,BHK-21細胞における微小管重合促進物質と重合阻害物質の作用の違いを詳細に検討し,重合促進物質の作用の特徴を明らかにしてそれをスクリーニングする系を確立したことを述べている。この系を用いてスクリーニングした結果,徳島県の土壌から分離した一放線菌が新規化合物FR182877を生産していることを見い出した。

 第二章では,FR182877生産菌の形態学的観察,培養性状,生理試験などの結果から,本菌がStreptomyces属に属することをつきとめ,この菌株をStreptomyces sp. No.9885株と同定したことを述べている。本菌株は通常のStreptomyces属の放線菌とは異なり,グリセロール資化性がないという特徴を有していた。

 第三章では,培養と活性物質の精製について述べている。FR182877の生産は培養2日目から始まり,5日目でピークに達し,その後減少することがわかった。本生産菌100Lの培養上清から,溶媒抽出,シリカゲルクロマトグラフィーおよび逆相クロマトグラフィーにより精製し,238mgのFR182877が得られた。

 第四章では,FR182877の構造解析について述べている。各種機器分析データからFR182877(1)の部分構造は解明できたが,1は不安定で徐々に分解したため,1をアセチル化し,2種類のアセチル化物182877-Ac-1(3)および182877-Ac-2(2)を得,2の構造解析から平面構造を,3の構造解析およびX線結晶構造解析から相対立体配置を決定した。以上の結果を基に,1の構造を推定した。1のβオキシ不飽和エステル部分の構造が不安定なため,酸化(エポキシ化)分解物に変換されると推定した。エポキシ化すると,細胞傷害活性はほとんど消失することから,この歪んだ二重結合が活性発現に重要と考えられた。

 第五章では,FR182877の生物活性をin vitroおよびin vivoの両面から検討している。FR182877は,in vitroでヒト固形癌を含む各種の癌細胞に対して,21-73ng/mlのIC50値で抗癌活性を示し,正常細胞との間に選択性が認められた。FR182877はHT-29細胞の細胞周期遷移をG2/M期で停止させたことから,期待したとおり微小管作用物質であると推定された。そこで,精製微小管タンパク質を用いて重合に対する効果を調べたところ,タキソールと同様に重合を促進することがわかったが,その速度論はタキソールが投与直後から効果を表わすのに対してFR182877は濃度に応じて重合促進活性を示すまでにラグタイムが存在し,作用機作が異なっていることがわかった。また,FR182877のマウス白血病細胞P388に対して1.6-6.3mg/kgで延命効果を示し,マウス大腸癌細胞Colon 38およびマウス悪性黒色腫細胞B16に対しても有効性を示した。しかし,本物質は毒性が強いため有効用量範囲が狭く,残念ながら実用への開発は困難と判断された。

 以上,本論文は微小管重合促進活性のスクリーニング法を開発し,これを用いて微生物起源から活性物質を探索した結果,Streptomyces属の放線菌が生産する新規化合物FR182877を取得し,in vitroおよびin vivoで抗癌作用を示し,タキソールとは異なる微小管重合促進の速度論を示すことを突き止めたもので,学術上,応用上貢献するところが少なくない。よって,審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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