学位論文要旨



No 215140
著者(漢字) 塚本,友子
著者(英字)
著者(カナ) ツカモト,ユウコ
標題(和) 経口抗癌剤カペシタビンの体内動態 : トリプルプロドラッグの動態解析における生理学的薬物速度論モデルの重要性
標題(洋)
報告番号 215140
報告番号 乙15140
学位授与日 2001.09.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15140号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
 東京大学 助教授 夏苅,英昭
 東京大学 助教授 鈴木,洋史
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

 経口抗癌剤カペシタビンは腸管及び骨髄で生ずる5-FUの副作用を軽減する事を目的として開発された5-FUのトリプルプロドラッグである。カペシタビンは3種類の酵素(carboxylesterase、cyd deaminase、dThdPase)によって中間代謝物5'-DFCR、5'-DFURを経て段階的に5-FUへ活性化され、癌組織においてより多くの5-FUを生成する。生成した5-FUは主にDPDによって体内から代謝消失する。カペシタビンの5-FUへの代謝活性化及び5-FUの消失に関与する酵素の発現量は臓器によって大きく異なっている。そのため、カペシタビン及び5-FUを含む代謝物の体内動態は複雑で、薬理効果の指標である癌組織中の5-FU濃度推移をその血中濃度推移だけから予測する事は困難である。また、これらの酵素の発現には大きな種差が報告されており、ヒト癌xenograftモデル(担癌マウス)からヒトにおける5-FUの薬物動態−薬理効果の関係を単純に予測する事はできない。

 そこで、本研究ではin vitroで測定した代謝パラメータやタンパク結合率、文献に基づく血流速度や臓器重量を組み込んだ生理学的モデルを構築し、血中ならびに組織におけるカペシタビンとその代謝物の体内動態を記述すること、及び癌組織選択的な5-FUの滞留に影響を及ぼす重要な因子を明らかにすることを目的とした。また、ヒト癌xenograftモデルにおける体内動態を生理学的モデルにより解析し、ヒトとの種差を明らかにするとともにトリプルプロドラッグである本薬の体内動態研究におけるxenograftモデルの有用性について考察した。

【本論】

1.カペシタビン及び代謝物のヒトにおける体内動態の定量的解析

1-1.癌組織への5-FUのターゲティングを決定する因子

 カペシタビン及びその代謝物の体内動態を記述する為の生理学的モデルを構築した。代謝部位として消化管、肝臓、副作用部位として消化管、薬効部位として癌組織をモデルに組み込んだ。モデルに組み込んだ生理学的パラメータは文献値を使用し、生化学的パラメータはin vitro実験により測定した。すなわち、ヒト組織を用いて消化管、肝臓、癌組織中における4種の代謝酵素の反応速度論パラメータ(Km、Vmax)を測定した。さらに、in vitroで測定した血中非結合型分率、組織ホモジェネートヘの分布、in vivo実験から求めた尿中排泄クリアランス等の生化学的パラメータとヒトの生理学的パラメータをモデルに組み込み、モデルに基づく21元連立微分方程式をルンゲークッタージル法により数値解析し、ヒトに経口投与した時のカペシタビン、5'-DFCR、5'-DFUR及び5-FUの血中濃度推移に合うように非線形最小二乗法により計算を行った。構築した生理学的モデルによって4つの分子の血中濃度推移を記述する事が可能であった。計算の結果得られた4種の酵素に対するin vitro-in vivo scaling factorはそれぞれ80.6、14.6、1.30、3.25であった。また、カペシタビンの投与量と血中5'-DFURあるいは5-FUのAUCとの関係を予測計算した結果、カペシタビン投与量に対する5'-DFUR AUCの増加は線形であったのに対して、5-FU AUCの増加は非線形性を示した。この予測計算結果は臨床試験で実測された結果をよく再現していた。DPDは5-FUに対して高親和性(Km値:μMレンジ)を示すため、5-FUの消失過程は飽和しやすいと考えられる。その結果、高投与量で投与した場合、5-FUの体内動態に非線形性が生じたものと考えられた。5-FU AUCへ影響を及ぼす因子を検討する目的で消化管及び肝臓の酵素活性を変動させたsensitivity analysisを行った。循環血中5-FU AUCへ大きく影響を与える因子は肝臓中DPD活性であり、消化管中5-FU AUCへ影響を与える因子は肝臓中DPDと消化管中の4種の酵素活性であった。癌組織中5-FU AUCに対しては、癌組織中のdThdPaseおよびDPD活性と血流速度が重要な影響因子であること、特にDPD活性の変動は5-FU AUCの非線形な増減の原因となる事が判明した。血流速度は5-FUの前駆体、前々駆体である5'-DFURと5'-DFCRの癌組織への供給量に影響することによって5-FU AUCの変動要因となっていると考えられた。

1-2.他の5-FU製剤とのターゲティング効率の比較

 5-FUの癌組織へのターゲティング効率をカペシタビン、5'-DFURおよび5-FUで比較するため、それぞれの薬剤を経口もしくは定速静脈内投与しだ時の血中、消化管中、癌組織中5-FUAUCを、同じモデルにより予測計算した。カペシタビン投与の場合のみ癌組織中5-FU AUCの非線形な増加を示した。治療係数(癌組織中5-FU AUCと血中もしくは消化管中5-FU AUCの比)は、他の5-FU製剤と比較してカペシタビン投与で癌組織選択性が最も高く18.6と計算された。これは、臨床試験成績をほぼ再現した結果であった。

 消化管初回通過および癌組織への移行性が5'-DFURと比較してどの程度改善されているかを検討する目的で、両薬剤の初回通過効果の肝および消化管における振り分け、ならびに癌組織における5-FUの生成量を計算した。消化管で生成する5-FUの量はカペシタビン投与時で投与量の2%、5'-DFUR投与時で投与量の35%と、カペシタビン投与時の消化管初回通過効果は5'-DFUR投与に比べ大きく改善されていることが示された。癌組織における5-FUの生成はカペシタビン投与時の方が多く、また血流から運ばれてくる5-FU量と比較して代謝生成してくる量の方が非常に大きい事が示された。この結果は、癌組織内dThdPase活性が癌における5-FU AUCの重要な決定因子であることと合致した。以上より、カペシタビン投与では、消化管での初回通過効果の回避により5-FUの生成が抑制され、その結果、癌組織での5-FUの消失が飽和し5-FUの暴露量が非線形に上昇するレベルにまで投与量を上げることができ、治療係数が増大したと考えられた。

2.カペシタビン及び代謝物のヒトとヒト癌xenograftモデルとの種差の解析

2-1.ヒト癌xenograftモデルにおける体内動態

 カペシタビンの活性化プロセスに関与する酵素には大きな種差があり、血中濃度推移はヒトとマウスで異なることが報告されている。ヒトと同様に求めたマウスにおける種々のパラメータを組み込んだ生理学的モデルにより、ヒト癌xenograftモデルにおけるカペシタビン及びその代謝物の血中ならびに癌組織中の濃度推移を概ね記述することができた。ヒト癌xenograftモデルにカペシタビン、5'-DFUR、5-FUを投与した時の各臓器中5-FU AUCを計算したところ、癌組織中5-FUはカペシタビン投与時で最も高く推移した。また、カペシタビン、5'-DFUR投与では、消化管の5-FUが最も顕著な非線形性の増加を示した。この現象はヒトでは認められていない。これは、ヒト癌xenograftモデルにおいてカペシタビンの消化管初回通過効果によって生ずる5-FUがヒトと比較して大きいため、消化管における5-FUの消失がヒトに比較して飽和しやすいためであろうと考えられた。3剤の治療係数を比較した結果、カペシタビン投与時の治療係数が他剤と比較して最も大きく、最も癌選択的に5-FUが集積されていることが示された。この結果はヒト癌xenograftモデルを用いた薬理試験で認められたカペシタビンの治療領域の広さを反映する結果であった。

2-1.腫瘍中への5-FUのターゲティングに関する種差

 ヒトとヒト癌xenograftモデルで同じ特徴(in vivoにおけるg組織当たりの酵素活性ならびに血流速度が両者で同じである)の癌を持っていると仮定し、5-FUの生成酵素および消失酵素と血流速度を変化させて、血中、消化管中、癌組織中5-FU AUCを予測計算した。検討したすべての投与量範囲でヒト癌xenograftモデルにおける5-FU AUCはヒトのそれらと比較すると低かった。また、癌組織中酵素活性ならびに血流速度を変化させた時、ヒトにおいては癌組織中の5-FU AUCのみが影響を受けたの対して、ヒト癌xenograftモデルでは血中5-FU AUCも影響を受けた。ヒトとヒト癌xenograftモデルにそれぞれの薬効有効投与量で投与した時の癌組織中5-FU AUCはほぼ一致した。また、この時の治療係数は両種間でほぼ1対1の対応が認められた。

 以上の結果より、体内動態に種差があっても、癌組織選択的に5-FUが集積されるという特徴を、ヒト癌xenograftモデルとヒトで共通して持っていること、体内動態が異なっていても、同じ特徴を有する癌であるならば、ヒト癌xenograftモデルにおける有効投与量からヒトにおける有効投与量を予測することが可能であることが示唆された。

3.結論及び今後の展望

 本研究の結果、(1)一つの投与量での薬物動態データからカペシタビン及びその代謝物の非線形薬物動態の予測が循環血中および組識中レベルで可能であること、(2)カペシタビン投与時の癌組織選択的な5-FUの暴露のメカニズムと癌組織における5-FUのAUCに影響を与える重要な因子が明らかとなった。また、(3)消化管及び肝臓における初回通過効果の寄与率の計算が可能であり、5'-DFUR投与時と比較してカペシタビン投与時の有用性が定量的に示され、(4)マウス及びヒト固有のパラメータを用いた計算により、体内動態の種差を検討し、癌組織における5-FUの暴露を比較検討することが可能であった。

 抗癌剤の第1相試験において血中の薬物濃度を基準に最大耐性用量を決定する為のdose-escalation methodとしてpharmacokinetically guided dose escalation methodという方法があり、迅速に臨床投与量を決定するために有用であると考えられている。本研究は、癌組織にターゲティングした薬物やカペシタビンのように複雑な動態を示すプロドラッグのように血中濃度から効果、副作用臓器の薬物濃度を予測し得ない場合や非線形動態を示すために血中濃度が投与量に比例しない場合においてもpharmacokinetically guided dose escalation methodの手法が使える実験的根拠を与えるものであると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 経口抗癌剤カペシタビンは5-FUのトリプルプロドラッグで、その活性化プロセスに組織分布の異なる数種類の酵素を利用して、先行開発された経口抗癌剤ドキシフルリジン(5-FUのプロドラッグ)の副作用(下痢)を改善し、かつ5-FUの癌組織選択的暴露が得られるように分子設計されている。本研究は、カペシタビン及びその代謝物の複雑な体内動態の解析に生理学的モデルを適用して、カペシタビン投与後の癌組織選択的5-FU暴露のメカニズムを解明し、5-FUの体内動態に影響を与える因子を明らかにする事を試みた。また、ヒト癌xenograftモデルにおけるカペシタビン及び代謝物の体内動態を同様に検討し、生理学的モデルを応用してヒト癌xenograftモデルのpharmacokinetics-pharmacodynamics(PK-PD)の関係からヒトにおけるPK-PDを予測する方法論が提唱された。

1.生理学的モデルを用いたカペシタビン及びその代謝物の非線形体内動態の記述

 文献情報を基にした生理学的パラメータとin vitro実験で測定した酵素反応速度パラメータ等を組み込んだ生理学的モデルによってカペシタビン、5-FUを含む代謝物の体内動態を記述する事が可能であった。また、カペシタビンの投与量を変化させた時の5'-DFURの線形な増加と5-FUの非線形な増加を再現する事が可能であった。5-FUに認められた非線形性は、5-FUの消失に関与するDPDが5-FUに対して高親和性を示す為、カペシタビンの投与量が増加するにつれて5-FUの消失過程が飽和する為であると考えられた。

2.癌組織への5-FUターゲティングに影響を与える諸因子の解明

 個人間変動が大きいと考えられるパラメータを変動させたsensitivity analysisにより、そのパラメータがカペシタビン及びその代謝物の体内動態に及ぼす影響を検討した結果、副作用発現臓器である消化管中の5-FU AUCに影響を与えるのは、消化管中の4種の酵素活性であること、また、循環血中5-FU AUCに大きく影響を与えるのは肝臓中DPD活性である事が示唆された。癌組織中5-FU AUCに大き<影響するのは癌組織中のPyNPase(dThdPase)、DPD活性と癌組織血流速度である事、特にDPD活性の変動は5-FU AUCの非線形な増減の原因となる事が示唆された。血流速度は5-FUの前駆体、前々駆体である5'-DFURと5'-DFCRの癌組織への供給量に影響する事によって5-FU AUCの変動要因となっていると考えられた。

3.他の5-FU系抗癌剤とのターゲティング効率の比較

 生理学的モデルによる予測計算により、5-FUの癌組織へのターゲティング効率をカペシタビン、5'-DFURおよび5-FUで比較した。腫瘍中の5-FU AUC/血液中の5-FU AUCで定義される治療係数は、カペシタビン投与で最も高く18.6と計算され、臨床試験成績をほぼ再現した。消化管で生成する5-FUの量は5'-DFUR投与と比較してカペシタビン投与時の方が低く、消化管初回通過効果はカペシタビン投与時で大きく改善されていることが示され、また、癌組織における5-FUの生成はカペシタビン投与時の方がより多いことが計算により示された。以上より、カペシタビン投与では、消化管での初回通過効果の回避により5-FUの生成が抑制され、その結果、癌組織での5-FUの消失が飽和し5-FUの暴露量が非線形に上昇するレベルにまで投与量を上げることができ、治療係数が増大したと考えられた。

4.カペシタビン及び代謝物のヒトとヒト癌xenograftモデルとの種差の解析

 マウスにおける種々のパラメータを組み込んだ生理学的モデルにより、ヒト癌xenograftモデルにおけるカペシタビン及びその代謝物の血中ならびに癌組織中の濃度推移を記述することができた。消化管の5-FUが最も顕著な非線形性の増加を示した。治療係数を比較した結果、カペシタビン投与時の治療係数が他剤と比較して最も大きく、最も癌選択的に5-FUが集積されていることが示された。

 ヒトとヒト癌xenograftモデルで同じ特徴の癌を持っていると仮定し、5-FUの生成酵素および消失酵素と血流速度を変化させて、血中、消化管中、癌組織中5-FU AUCを予測計算した。ヒトとヒト癌xenograftモデルにそれぞれの薬効有効投与量で投与した時の癌組織中5-FU AUCはほぼ一致した。また、この時の治療係数は両種間でほぼ1対1の対応が認められた。

 以上の結果より、体内動態に種差があっても、癌組織選択的に5-FUが集積されるという特徴を、ヒト癌xenograftモデルとヒトで共通して持っていること、体内動態が異なっていても、同じ特徴を有する癌であるならば、ヒト癌xenograftモデルにおける有効投与量からヒトにおける有効投与量を予測することが可能であることが示唆された。

 以上、in vitro実験で測定した酵素活性の非線形性を組み込んだ生理学的モデルを用いる事によって、トリプルプロドラッグ投与後の癌組織選択的5-FUの暴露メカニズムが明らかになり、また、その暴露量に影響を与える因子が明らかとなった。また、体内動態に大きな種差があっても、動物モデルにおいて薬効発現投与量での癌組織中のAUCを基に、生理学的モデルを用いてヒトにおける有効投与量を推定できることが示唆された。本研究は、生理学的モデルを用いた解析が癌組織にターゲティングする薬物を開発していく上で、重要な情報を与え、かつ個別化治療に対しても応用性がある事を示し、また癌組織にターゲティングした薬物のように血中濃度から、効果副作用臓器の薬物濃度を予測し得ない場合や、非線形動態を示す為に血中濃度が投与量に比例し得ない場合においても、抗がん剤の臨床試験のデザインに使用できる根拠を与えるものであり、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと考えられた。

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