学位論文要旨



No 215144
著者(漢字) 白川,直樹
著者(英字)
著者(カナ) シラカワ,ナオキ
標題(和) 環境用水の意義とその定量化に関する研究
標題(洋)
報告番号 215144
報告番号 乙15144
学位授与日 2001.09.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15144号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 玉井,信行
 東京大学 教授 虫明,功臣
 東京大学 教授 小池,俊雄
 東京大学 助教授 綿貫,佐和子
 東京大学 助教授 沖,大幹
内容要旨 要旨を表示する

 環境用水とは,河川環境を保全ないし改善するための水利用である.河川の流水は人間活動に必要不可欠な資源として利用され,水量の配分が定められてきた.しかし今,環境用水の参入によって既存の利水秩序が修正を迫られている.本論文では,環境用水の意義を明確にし,河川計画の意思決定の中で環境用水が正しく位置づけられるような意思決定プロセスを提案した.

 第1章では,研究の背景と立場を明らかにした.減水区間問題に代表されるような水量をめぐる利水と環境の相克は,広義の水資源配分問題と捉えることができる.環境用水とトレードオフ関係にある他利水はそれぞれ独自の価値基準をもち,権利関係や経済価値に基づいて水量を分け合ってきた.しかし環境用水の価値基準はいまだ曖昧であるし,環境用水を加えた水量配分における意思決定の判断基準は明確でない.このような状況は諸外国でもみられ,環境用水が水資源問題の一つの焦点になっている.気象,地形,人口密度,土地利用,社会システム,歴史といったその土地固有の条件の重要性を認識した上で,経済活動と自然環境のバランスをとった水資源配分を実現する必要がある.本研究は,環境用水の価値基準と意思決定の判断基準について論じ,環境用水の決定に定量的な基礎を与えることを意図している.

 第2章では,環境用水の意義について論じた.2-1では環境用水の事例を紹介した.環境用水が現実のものとなっている事例には,ダムや滝での観光放流,水力発電所での維持流量放流,人工水路での放流などがある.2-2では正常流量概念の弱点とそれを乗り越えた環境用水概念について述べた.新河川法の下で用いられた正常流量の制度が減水区間の発生を防げなかったのは,利水の論理をそのまま環境に適用しようとしたことが原因である.環境用水概念は環境の論理に基づかねばならない.2-3では河川計画における環境用水の位置づけを考えた.現在の河川計画では,正常流量を確保したのちに他用水の量を定めることとなっている.これは環境を最優先しているようにみえるが,現実は必ずしもそうなっていない.環境用水も他用水と同レベルで水量を争うようにすべきである.河川砂防技術基準(案)や治水経済調査要綱の修正案を提示した.

 第3章では,環境用水を量の面から検討した.

 3-1では河川流量の規定要因を整理した.気象条件と地理条件で決まる流量(潜在的自然流量)が人為条件によって変形されて現実の流量となっている.人為条件による変形を緩和するのが環境用水の目的であるので,潜在的自然流量を100点満点とし,流量ゼロを0点として,できるだけ点数を上げるような流況改善をしなくてはならない.その際,絶対量の減少と変動の平滑化に注目すべきである.

 3-2では減水区間の歴史を主として水力発電との関係において振り返った.大正末期から昭和初期にかけての時期が重要なポイントであることが浮かび上がった.それは,使用水量(平水量の採用),他水利との摩擦の頻発,政府通達などから裏付けられる.

 3-3では利根川上流域を例にとって人為条件による流況変化の特徴を調べた.まず絶対量の減少についてみると,現実の流量は支川合流前後などで合っていないが,発電所のバイパス流量を戻して計算すると合致する.量を改善するには,発電取水を放流する以外の手だてはないことがわかる.変動についてみると,発電所は一定流量取水の傾向が強くて変動の形をあまり変えないが,ダム操作は明らかに平滑化をもたらしている.ただし,ダム放流量の影響は数十km下流までしか及ばない.平滑化の程度を表す指標としては,30番目流量と120番目流量の比(豊水平滑度),および330番目流量と120番目流量の比(渇水平滑度)が有力である.前日差の分布も有効な尺度である.発電減水区間の平滑化をみるには,最大使用水量取水日数がよい尺度になる.

 3-4では減水区間を費用効果分析にのせるための指標を提案した.流量だけでなく減水区間長も合わせて考慮した量である環境流量ポテンシャルの消費量を通して奥利根流域の減水区間の程度を表現することができた.多摩川でも試算し,利根川と比較した.

 3-5では環境用水の量と効果の関係を考察した.量と効果は単純に対応するものではなく,しきい値で表される最低条件と,連続量で表される条件の部分に分割されよう.最低条件は種(あるいは生態系)が存続できるぎりぎりのラインであって,生物学の裏付けが不可欠である.それ以上の条件は,水理学的な考察から流量の1/2乗にほぼ比例すると推定した.潜在的自然流量を100点,流量ゼロを0点としてその間を流量の1/2乗で結んだものが流量−効果曲線となる.

 第4章では,環境用水の価値について論じた.

 4-1では自然環境の価値の分類法を提案し,評価方法を考えた.自然環境が人間の効用を変化させるには,身体に作用する経路,心情に作用する経路,金銭的利害に作用する経路の三つがある.自然環境の価値を評価方法との関連で分類すると,消費資源価値(モノとしての価値),空間場価値(場としての価値),基盤価値(機能としての価値),心情価値(存在としての価値)の4つに分けられ,将来まで視野にいれれば可能性価値と遺贈価値(将来世代へ残す価値)もある.環境経済学で使われている手法では,これら全ての価値を測れない.代替法は心情価値を測れない.顕示選好法も心情価値を測れない.表明選好法は基盤価値を測れない.可能性価値はどの方法を用いても確定できない.環境評価にはいろいろな種類があるが,環境用水の定量化という意思決定に必要なのは社会科学的な評価である.そこでは自然科学的な評価と異なり,測れるものと測れないものが共存し,評価値が一つに定まらない(前提となる価値観によって違う値が弾き出される).消費資源価値は代替法,空間場価値は顕示選好法,心情価値は表明選好法によって測り,基盤価値は自然科学的データ,可能性価値は(意思決定者による)社会情勢の認識,遺贈価値は(意思決定者の)環境倫理にそれぞれ基づいて判断し,それらを総合して意思決定ができればよい.

 4-2では環境用水の費用負担について論じた.出発点となる権利の所在を定めるには自然科学や歴史や政治や法律からのアプローチが必要であるが,それが定まれば環境税や補助金等の手段によって最適な環境用水量を実現することができる.発電減水区間は発電者の負担で解消すべきであり,電力料金を通して消費者が負担することになる.上水道も同様で,水道料金を通して消費者の負担になる.

 4-3では環境用水の価値を試算した.水力発電所からの放流によって失われる電力量を推算すると,電力会社の売上高の0.1%ほどになった.また表明選好法によって環境用水の価値(心情価値に相当する)を推計すると,1世帯あたり年間約10,000円という結果が得られた.

 第5章では,環境用水が社会経済に与える影響を論じた.5-1では環境用水放流にともなう電力料金の上昇がどれだけの波及効果をもつか,産業連関分析を用いて考察した.5-2では多目的ダムのコストアロケーション再計算を通して他水利への影響を考えた.環境用水をどう扱うかによって他水利が受ける影響は異なる.発電者が採算割れに追いこまれる場合が生ずる.5-3では水利秩序に環境用水が及ぼす影響を論じた.ここまでの議論を踏まえ,環境用水を他の水利と同格に扱うべきであることの根拠を述べた.5-4では環境経済統合勘定の河川応用版を構成した.利水と環境のバランスや環境項目相互のバランスなど河川政策を考えるには河川環境を包括的に評価するフレームワークが必須である.環境用水の確保は経済活動や他環境要素(例えば水質)と整合しない場合があるので,こういった総合的なフレームワークは意思決定の助けになるだろう.

 最後に第6章において,環境用水を取り入れた河川計画意思決定支援システムへの提言を行った.環境用水を正しく評価して計画に組み入れるのに踏むべき手順を示し,環境用水の量を決定する意思決定プロセスのモデルを構築した.

 本論文により,河川環境の水量面での保全・改善策に関して,水資源政策との関係や定量化手法など河川計画上の基礎を与えることができたものと考えている.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「環境用水の意義とその定量化に関する研究」と題し、河川環境を保全ないし改善するための流量という要素を、その量、河川生息域に与える影響、人為的な影響の評価法、環境用水の価値、費用負担など幅広い観点から捉え、定量化を行った。その上で、環境用水を組み込んだ河川計画意思決定体系を提案している。今後の河川整備計画は河川環境の保全と整備を含んだものとすることが1997年の河川法改正で定められており、本研究の成果は河川計画策定技術のうえで大きな意義を持っている。

 本研究では環境用水に関する概念がいまだ熟していない日本の現況を考え、先ず序論において環境用水を「河川環境を保全ないし改善するための流量」と定義した。次いで、河川法の関連規定を中心に環境用水の意義を捉え直している。減水区間の歴史的経緯およびその改善策として取り上げられて来た維持流量放流事例を考察し、河川法上の正常流量概念を河川特性からの維持流量という観点から見直した。我が国における従来の適用事例を見ると、正常流量や維持流量は諸外国でいう「minimum flow」に近く、必要最小量を定める「しきい値」となっていることが指摘された。「しきい値」であるとこれを超える流量の効果は無視されてしまうので、環境用水概念を他の利水項目と同様に比較可能な相対的概念と捉えるべきである、という基本理念に到達している。

 環境用水の量に関しては、自然流量、人為操作流量の両面から分析した。自然流量では、渇水流量と平水流量の変化に着目した。人為操作流量については水力発電所建設を通してその歴史的な経緯を全国的な視点で検証し、さらに利根川上流域における多目的ダム・流れ込み式発電所を網羅的に調査した。その結果、多目的ダムではダム操作によって下流の流況が平滑化していることを定量的に見出した。洪水を減らし、豊水量を殖やし、平水量以下を減少させる傾向にある。年間の30番目流量と120番目流量との比(豊水平滑度)の減少度合い、また、330番目と120番目流量の比(渇水平滑度)の減少がよい指標となることを見出した。片や、流れ込み式の水力発電所は流量の平滑化と減水の両方をもたらす。この場合に平滑化を定量的に知るためには、最大使用水量取水日数がよい指標となることを見出した。

 減水区間の影響を費用効果分析するために、流量に減水区間長を乗じた環境流量ポテンシャルを導入した。このポテンシャルの消費をもたらす水利用は、奥利根川流域では水力発電であり、多摩川では都市用水であることが明かとなり、市民生活と河川との関わりが河川ごとに大きく異なっていることを定量的に明かにした。環境流量ポテンシャルは使用した水の放流先を変更するとその値が増減するので、放水までを含む水利用系全体の改善策の効果を判定出来る。さらに環境用水の量と効果の関係を論じ、効果は流量の1/2乗に比例すると考えて良いことを提案した。

 環境用水の価値については、価値の分類法を提示し、環境用水の経済的価値の試算を行った上で、費用負担を具体的な施策に反映させる上で必要となる経済的検討を行っている。自然環境が人間の効用を変化させる経路は3種類あり、また価値を6種類に分けて論じた。環境経済学の手法では、これらの全てを測ることが出来ないことを明らかにした。また、意思決定に必要なものは、社会科学的な評価である。そのためには、消費資源価値は代替法、空間場価値は顕示選好法、心情価値は表明選好法によって測り、基盤価値は自然科学的資料、可能性価値は意思決定者による社会情勢の認識、遺贈価値は意思決定者の環境倫理にそれぞれ基づいて判断し、それらを総合して意思決定が為されるのが望ましいことを導いている。

 環境用水の経済的価値の試算については、放流によって失われる電力量を代替手段で発電する費用と見なすと、電力会社の売上高の0.1%程度であることが分かった。また、表明選好法を用いて調査した結果(心情価値に相当する)は、1世帯年間約10,000円であった。

 環境用水の費用負担については、用水の権利問題と経済的問題の二つがある。権利の所在を定めるには自然科学に止まらず、歴史や法律からの分析が必要である。権利問題の詳細は本研究の範囲外であり、ここでは権利の所在が定まった状態を出発点として分析を進めている。前半部で得られた流量−効果曲線を用いて補助金額を定め、逸失利益との関係から均衡点が得られることを示した。税金としての課金も同様な取り扱いが可能である。これにより経済的な観点から最適な環境用水量を定めることが出来る手法を構築したことは、環境用水の議論において大きな進展をもたらした。

 以上の検討を踏まえて、環境用水が社会経済的に与える影響を産業連関分析、多目的ダムのコストアロケーションの再計算、環境経済統合勘定などを通して考察している。環境用水の確保により、多目的ダムのある参加者が採算割れを起こすなど、大きな影響があることが確認された。環境経済統合勘定の河川応用版を構築し、これが経済活動や水質など時には相対立する項目を総合的に論ずることが出来る枠組みであり、意思決定に対して貢献出来ることを示した。論文の結論として、環境用水を取り入れた河川計画意思決定支援システムへの提言を行ない、手順およびモデルを示している。

 本論文においては環境用水の意義、環境用水の価値、費用効果分析手法などに基づいて、環境用水の社会経済的影響を定量的に分析するシステムが構築された。これにより環境用水を含めて河川計画を策定できる体系が構築されたといえる。以上要するに、本論文で得られた成果は環境を含めた包括的な河川整備を可能にするものであり、河川工学に寄与するところが大である。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42863