No | 215155 | |
著者(漢字) | 草原,真知子 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | クサハラ,マチコ | |
標題(和) | アート、エンターテイメントとメディア技術の相関がディジタル文化の多様性に果たす役割 | |
標題(洋) | Toward Digital Biodiversity : A View on Correlation of Digital Technology and Culture through Analysis of Media Art and Entertainment | |
報告番号 | 215155 | |
報告番号 | 乙15155 | |
学位授与日 | 2001.09.20 | |
学位種別 | 論文博士 | |
学位種類 | 博士(工学) | |
学位記番号 | 第15155号 | |
研究科 | 工学系研究科 | |
専攻 | 電子工学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 今日、ディジタル技術の発展は生活のあらゆる部分に浸透し、文化の重要な要素を形成しつつある。例えばインターネットはわずか5年ほどの間に広く一般に普及してコミュニケーションのあり方を変え、ゲームやペットロボットはエンターテイメントや家族の団欒の形態を変化させた。またディジタル技術の発展により、それまでは独立であった多様なジャンルの結合や、新たなジャンルの創出、メディアの統合・転換が進行している。これらの現象はディジタルメディア技術の長年にわたる研究開発の成果であるが、一般市民が生活のあらゆる側面でディジタルメディアに日常的に触れ、またそれを意識するようになったのは、まだこの数年にすぎないといっても過言ではない。ディジタル技術による文化の変容はまだその緒についたばかりであるが、既にその影響の大きさは広く理解されている。 ここで注目すべきは、ディジタル技術によって可能になったコンピュータグラフィックス、遠隔通信、バーチャルリアリティ、人工生命、ロボット工学などの技術とその応用は、単にわれわれの生活を便利にしたり新しい分野のコンテンツを可能にしたという意味で文化にかかわっているのではなく、人間の空間感覚、リアリティの概念、身体感覚、生命観などといった知覚の根本的な要素に関与するものであり、人間が周囲を認知し、それと関係性を保つための機構に本質的な変容をもたらす可能性を持っているということである。すなわち、これらの技術は人間のものの見方や世界観を根本的に変え、文化に総合的な変容をもたらす性質のものである。本論文の背景には上記のような認識がある。 科学・技術と社会との関係性において一般に、科学上の発見や新しい技術が社会に受容される過程は既存の文化の影響を受ける。長い歴史の中で培われてきた価値観や世界観、生活様式、表現、コミュニケーションの方法など、すなわちそれぞれの社会に固有の文化が科学・技術の発展の道筋や方向性に重大な影響を与えることは、例えば西欧と日本の科学史、技術史を比較すれば現象的に明らかである。 しかしある社会においてそのシステムや文化の枠組みが変化するには、相当の時間を必要とする。なぜなら、文化の表層的な部分は変化したように見えても、それらの表層的要素の根っこの部分を支える世界観やものの見方は長期にわたって残り、表層部分に影響を与えたり折に触れて浸みだしてくるからである。そのため、今日のように科学・技術が急激に発展する社会では、科学・技術によって実現された世界観や社会システムと既存の世界観との間にずれが生じ、個人間・世代間にも適応の違いなどが起こる。これらは社会的な軋轢の原因にもなり得る。映像メディア技術やディジタル技術がわれわれのものの見方に引き起こしつつある変化と、長年培われた文化の間に生じるずれは、すでに顕在化しつつある。このような文化の成立及び社会の変化の過程と科学技術の発達との差異と相互作用によるずれは、さらに大きな変化に至るプロセスヘと発展する可能性がある。メディア技術が社会に与えた影響として、歴史上では例えば印刷術の発明が宗教改革を含めた大規模な社会変革を引き起こすに至った過程などが知られている。 以上のように、科学・技術と文化・社会とは相互に影響し合う双方向的な関係にある。このような関係性の中で、急速に発展するディジタル技術が社会に文化的な豊かさをもたらすべく順調に発展するように、そして文化的枠組みの変容がスムースに進み、社会的なひずみに至らないようにするためには、科学技術と文化との関係性に関する分析と評価、それらに基づいたディジタル技術応用の指針が必要であり、そのためには、人間の感性や感覚やものの見方に立脚して技術を捉え直す視点が不可欠であると考える。 アートやエンターテイメントには、その時々の社会・文化を基盤とした人間の感性・感覚、ものの見方や世界観が集約された形で現れる一方で、新しいものの見方や新技術の先取りや批判精神の表現などが先鋭的な形で含まれる。科学や技術が解釈され、受容される過程が文化の影響を受けるとさきに述べたが、アートやエンターテイメントはまさに、科学や技術によって常に影響されつつ、人間の感性やものの見方に基づいて科学や技術を解釈し、意味づけることによって、社会が科学や技術の発展とそれによる世界観の変化を受容するプロセスの中で大きな役割を果たしてきた。アートの場合には特に実験的・先鋭的な解釈や表現が新たな見方を切り開き、エンターテイメントの場合には一般大衆に受け入れられやすい形で解釈・表現し、広く普及することによって、それぞれ影響を与えてきたと言えよう。 本研究は上記のような現状認識と問題意識に基づき、今日のメディアアートとディジタル技術との関係性及び、社会の文化的背景の中において芸術、科学、工学と文化が相互に連関しながら変化する過程を分析し、それによって、アートとテクノロジーの相互的な作用の過程を明らかにしようとするものである。 アートとエンターテイメントという視点を通じてディジタル技術やその背景となっている科学的な知見の発展が人間にもたらしつつある外界認識の変化を考察する上で、本論文で扱っている主要なテーマは、アートの概念の変化、生命観、空間認識の枠組み、の3つである。いずれもあくまでもアート、エンターテイメントと科学・技術・文化との関係性において具体的な事例に基づいて分析することによって、今までに述べたような相互の連関のあり方を明らかにし、また、日本のディジタルメディア文化について、アート及びエンターテイメントの分野で社会の持つ文化的特質とテクノロジーとの相互作用がどのように生じ、いかなる方向性をもたらしているかについて明らかにしようとするものである。本研究の最終的な目的は、以上の分析及び考察により、これからのディジタル技術の応用のあり方と社会におけるアートの役割について有用な知見を得ることにある。 ディジタル技術が社会に与えた、あるいは与えつつあるインパクトに関しては社会、文化、工学等それぞれの視点に基づく多くの研究及び著作があり、本論文もそれらを参照している。この分野全体に対して本論文が寄与できる部分はごく僅かなものに過ぎない。しかし、メディアアートと工学というテーマについて歴史的視点と現在の展望を総合した分析は少なく、また、本論文の中でも述べている理由によりアートと大衆文化を切り離して論じているために、社会の文化的背景の中におけるアートとテクノロジーの相互作用という視点に立つ研究成果は少ない。さらに従来の研究は西欧中心のものが多く、日本の視覚文化と現在のディジタルメディア文化との関係性を扱った研究は稀である。以上の理由により、本論文のテーマと分析方法はいくばくかの新規性と固有の成果をもたらしたと考えている。 以上のような問題意識に基づき、本論文では、アートと社会、アートとテクノロジー、アートと文化、テクノロジーと文化、という4つの視点から、アート、エンターテイメント、テクノロジー、サイエンス、文化の相互的関わりについて考察する。 第一章では、アートの歴史におけるテクノロジー応用の発展と現代のメディアアートに至るアートの流れを「システム化」という概念から分析し、その先端的な現れとして人工生命概念のアートへの応用について考察を行う。これによって、アルゴリズムを応用するアートの形態やインタラクティブ・アートの位置づけについて「システム化」という概念から捉え直し、メディアアートの新しい統合的な解釈を提示しようとするものである。 第二章では、この人工生命という概念に至る生命概念の変遷の歴史の中で、文化、科学、工学がどのような相互作用に基づいて発展し、その中でアートがどのような役割を果たしたのか、また異分野間での影響の枠組みや、技術が思想に及ぼした影響についての総合的な関係性の解読を行う。 第三章では、遠隔ロボット技術とそのメディアアートへの応用及び、身体をインタフェースとしたシステムの分析を行い、通信技術が人間に与える認知・世界観・身体観の変容についての分析と考察をアートの視点より行う。ここでは現代美術の主要概念が遠隔ロボット技術や身体に関わるディジタル技術の応用によってどのように拡張されたかを示す。また、技術による身体概念の拡張に関する問題提起を示す。 第四章では、以上の分析によって得られた知見と方法論に基づいて、日本文化とディジタルメディア技術との関係性についての考察を行う。現代の日本のメディアアート及びエンターテイメントの特質について分析し、さらに日本の伝統的視覚言語及び生命観について具体的事例に基づいて分析する。これにより、日本の美術的伝統における三次元的空間認識の不在と主観尊重型の空間構成が、並列的な価値観や人間至上主義ではない生命観と共に、直線透視法の逆とも言える世界観を総合して形成していること、このような文化においてテクノロジーの受容過程と既存のパラダイムとの相互作用がどのように生じるかについて明らかにしようとするものである。以上の考察に基づき、現代日本のメディアアート・エンターテイメントの特質がテクノロジーの発展と文化的背景との相互作用から独自の成果を生み出すに至ったことを示す。 | |
審査要旨 | 本論文は、"Toward Digital Biodiversity : A View on Correlation of Digital Technology and Culture through Analysis of Media Art and Entertainment"(アート、エンターテイメントとメディア技術の相関がディジタル文化の多様性に果たす役割)と題し、今日のメディアアートとディジタル技術との関係性及び社会の文化的背景の中において、芸術、科学、工学と文化が相互に連関しながら変化する過程を分析した結果をまとめたものである。研究にあたっては、西欧中心かつアートと工学の直接的相関関係において論じることの多かった従来の研究の問題点を解決するために、アートとエンターテイメントという視点を通じて、ディジタル技術が人間にもたらしつつある外界認識の変化を社会の文化的背景との連関において考察し、また日本の視覚文化の特質に着目した分析を行っている。それらの結果は以下のように序章、終章及び4つの章にまとめられている。 序章は「序論」であり、本研究の背景および研究課題と、本論文の構成とについて述べている。近年、ディジタル技術の発展は生活のあらゆる部分に浸透し、文化の重要な要素を形成しつつあるにもかかわらず、メディアアートと工学というテーマについて、歴史的視点と現在の展望を総合した分析は少なく、また、日本の視覚文化と現在のディジタルメディア文化との関係性を扱った研究が必要とされていることを述べ、そのためにはアートと社会、アートとテクノロジー、アートと文化、テクノロジーと文化、のそれぞれの関係性を綜合したアプローチが必要であること、それが今後のディジタル技術の応用のあり方と社会におけるアートの役割について、有用な知見をもたらすことを述べている。本研究では、通史的アプローチと異分野間の横断的アプローチを交差させる手法によって、これらの課題を解決しようと試みている。 第1章は、アートの歴史におけるテクノロジー応用の発展と現代のメディアアートに至るアートの流れを「システム化」という概念から分析し、その先端的な現れとして人工生命概念のアートへの応用について考察している。アートの概念が、社会的背景と技術開発との相関関係によって変化してきた過程が、情報科学の発展による社会的な世界観の変化と連動していることを示し、インタラクティブ性や自律性等の技術的実現の過程とアートの概念の変化について分析して、「システムとしてのアート」という概念を提唱している。 第2章は、この人工生命という概念に至る生命概念の変遷の歴史の中で、文化、科学、工学がどのような相互作用に基づいて発展し、その中でアートがどのような役割を果たしたのかについて分析し、生気論や人間機械論などの思想と科学技術と大衆文化の関連性、進化論からDNAの発見、遺伝子工学に至る科学技術の発展が社会思想としてアートにどのような影響を与えているかについて論じている。文化的遺伝子や自己同一性など、生物学上の概念が文化に応用されてインパクトを与え、またネットワーク上のアートなどに新たなコンセプトを開いている例を分析することで、文化や社会思想を通じた科学技術とアートの相関関係という研究課題を具体的な例によって実証している。 第3章は、遠隔ロボット技術とそのメディアアートへの応用及び、身体をインタフェースとしたシステムの分析を行い、通信技術が人間に与える認知・世界観・身体観の変容について分析、考察している。遠隔通信を応用したアートの成立過程における空間と身体の関係性に関する分析を行い、さらに物理的な力の作用を含む遠隔ロボット操作によって、視覚的空間感覚、観念的空間感覚、身体的空間感覚の間に齟齬が生じることを用いて、アーティストが身体や空間への意識そのものの変化を可視化していることを指摘する。サイバースペースにおける身体喪失感の問題について、メディアテクノロジーと身体の延長とする考え方と、サイバネティクスに始まる情報理論の影響によって意識が身体より上位に置かれるようになった社会的背景との関係性から分析し、テレロボティックスに対応するテレボディという概念を提案している。 第4章は、日本文化とディジタル文化との関係性について分析している。3章までに提示された方法論と考察を踏まえて現代の日本のメディアアート及びエンターテイメントの特質について分析し、そこに見られる日本文化の影響を示している。さらに、空間表現や陰影表現などの日本の伝統的視覚言語及び生命観について具体的事例に基づいた分析を行い、日本の美術的伝統における三次元的空間認識の不在と西欧とは異なる生命観のあり方を示している。このうような主観尊重型の空間構成、並列的な価値観、人間至上主義ではない生命観が、全体として独自の世界観を総合して形成しており、このような文化において、テクノロジーの受容過程と既存のパラダイムとの相互作用がどのように生じるかについて論証している。これらの考察に基づき、現代日本のメディアアート・エンターテイメントの特質について、テクノロジーの発展と文化的背景との相互作用から、独自の成果を生み出すに至ったことを示している。 最終章は「結論」であり、本研究の成果・到達点を要約して述べている。 以上を要するに、本論文は、アートとテクノロジーの関係性について総合的な視点からの分析の必要性とその方法を提案しており、その具体的実践として、日本文化とディジタル文化との関係性についての分析によってその有効性を示したものであり、メディア工学分野に寄与するところが少なくない。 よって本論文は東京大学大学院工学系研究科における博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 | |
UTokyo Repositoryリンク | http://hdl.handle.net/2261/51235 |