学位論文要旨



No 215157
著者(漢字) 小西,義則
著者(英字)
著者(カナ) コニシ,ヨシノリ
標題(和) エピタキシャル応力によるペロブスカイト型マンガン酸化物の電子相制御
標題(洋)
報告番号 215157
報告番号 乙15157
学位授与日 2001.09.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15157号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 内野倉,國光
 東京大学 教授 白木,靖寛
 東京大学 教授 宮野,健次郎
 東京大学 教授 川崎,雅司
内容要旨 要旨を表示する

 強い電子間相互作用を示す3d電子系遷移金属酸化物は古くより基礎物理学的な研究がなされており、様々な機能を示す材料であることから近年工学的な応用研究も精力的になされている。特に、ペロブスカイト型Mn酸化物は「スピン−電荷−軌道−格子」が相互に絡み合う多彩な電子相状態を有し、超巨大磁気抵抗(CMR)効果を示す。例えば、キャリア量がcommensurateな場合は電子がお互いを避けあうように電荷および軌道が整列し、また電子系のエネルギーを下げるように自発的に格子に歪み(Jahn-Teller歪み)が生じる。この結果、多彩な磁気構造や、金属絶−縁体転移や強磁性−反強磁性転移などの現象を示す。それでは、人工的に格子を歪ませて、電子軌道を整列させた場合、結果としてキャリア濃度を変化させたのと同じ物性の変化を引き起こすことが可能なのではないか。このような問題意識を持ち、本研究ではMn酸化物薄膜を対象に基板によるエピタキシャル応力を利用して、電気磁気輸送特性を相制御することを目的とした。実際に、同一の化学的組成でありながら、人工的に格子に歪みを与えることにより、軌道秩序(無秩序)と連動した電子相転移を引き起こすことが可能であることが示された。

 本研究では格子歪み効果を議論するために基板によるエピタキシャル応力を用いる。それには、基板にコヒーレントにエピタキシャル成長したpseudomorphic成長薄膜を形成する成膜条件を見出すことが第一である。これまでの基板依存性の議論において、研究者によりしばしば結果が一致しないのは、それぞれの薄膜がまちまちの格子欠陥を有するためと思われる。この強相関電子系においては格子歪みが物理的な性質に強く結びついているため、格子欠陥の入り方や格子緩和の仕方により物性が左右されてしまう。薄膜の"でき、不でき"による不確実性を排除して普遍的な結論を導くには、格子欠陥の少ない完全なエピタキシャル薄膜を形成した上で、エピタキシャル応力による格子歪みが薄膜の物性に及ぼす効果を議論せねばならない。

 そこで、本研究では具体的な課題として以下の2点につき明らかにすることを試みた。

 1)ペロブスカイト型Mn酸化物薄膜形成において、酸素圧力、膜厚、基板温度、基板との整合性が薄膜成長に及ぼす影響を理解し、pseudomorphic成長薄膜を得る成膜条件を見出す。

 2)薄膜に基板による応力(エピタキシャル応力)を印加し、格子を歪ませた場合の物性変化を電子構造の変化の観点から理解する。

 本論文は5章からなる。第1章では、ペロブスカイト型Mn酸化物の基礎物性を述べた。Mn酸化物はフィリング制御とバンド幅制御により絶縁体−金属転移、反強磁性−強磁性転移、構造相転移を起こし、相転移の境界で外部磁場を印加すると超巨大磁気抵抗効果を示すことを述べた。次にペロブスカイト型Mn酸化物の電子状態を述べた。Mn酸化物の物性を決めているのは格子と酸素2p軌道と混成した3d電子であり、その有効ハミルトニアンを示した。次にMn酸化物薄膜における歪み効果の研究の歴史を振り返り、本研究の目的を位置付けた。

 第2章ではペロブスカイト型Mn酸化物薄膜の作成と評価の方法について述べた。本研究の成膜手段であるレーザーアブレーション法は高品質な酸化物薄膜の形成手段として1980年代後半から急速に発展してきた成膜方法である。本章では実験に用いた成膜装置、試料準備、成膜方法について述べた。次に薄膜の表面構造や結晶構造の評価方法と、磁気・電気伝導特性の評価方法を述べた。本研究の特長として、あいまいさのない議論を展開するために、結晶構造評価に重点をおいた。

 第3章ではペロブスカイト型Mn酸化物薄膜形成におけるエピタキシャル成長の成膜条件について述べ、課題の1)について論じる。

 3.1章では薄膜の成長様式や相平衡に関する考え方を述べ、Mn酸化物エピタキシャル薄膜の成膜指針を示す。物理的に考察された作業仮説に基づき成膜条件を最適化していく。

 3.2章では酸素圧力依存性を示す。酸素圧力が比較的高いと薄膜は島状成長し多結晶となるが、100mTorr以下の酸素圧力で成膜すると薄膜は単層成長型になり原子レベルで平坦なpseudomorphic成長をした膜が得られた。

 3.3章では膜厚依存性について述べた。格子定数の整合性の良い基板を用い薄膜を形成した場合、膜厚20nm程度以上の薄膜は単結晶的な特性を示すが、それ以下では表面や基板界面の効果の影響が大きくなる。膜厚6nm以下の極薄膜は低温において大きなMR効果を示し、それが表面や基板界面の効果であることを述べた。

 3.4章では基板依存性について述べた。種々の酸化物単結晶基板を用い成膜した結果、3.2章に述べた薄膜成長条件におて膜厚40nm成膜すると、格子定数の不整合がおよそ2%までの基板ではpseudomorphic成長をするが、それ以上の不整合基板では格子緩和を起こした。この章で述べた格子緩和は基板界面ではなく薄膜の途中に転位が入り2層構造の膜となる興味深い特異なものである。

 3.5章では成膜温度依存性を述べた。格子定数の整合性の良い基板では容易にpseudomorphic成長をし、成膜温度の薄膜結晶性および磁気的電気的特性に及ぼす影響は少ないが、格子定数の不整合が大きい基板ではpseudomorphic成長をする最適温度範囲があり、それ以上の温度領域では格子緩和を起こし、それ以下では結晶性が悪くなる。薄膜は格子緩和を起こした度合いに応じた物性を示し、大きく歪んだ薄膜は単結晶とは全く違う物性を示した。

 3.6章では3.5章で形成した格子緩和膜は膜全体で格子緩和する様式であり3.4章の場合と違うことを示す。そこで半導体の臨界膜厚と格子緩和の理論を参照にして、非平衡状態(PLD法)で成膜された酸化物薄膜の格子緩和について考察した。

 3.7章は第3章のまとめである。

 第4章では本論文の主題であるエピタキシャル応力によるペロブスカイト型Mn酸化物の相制御、すなわち課題の2)について論じる。第3章で述べたpseudomorphic成長条件を用い成膜し、格子定数の不整合基板を使用し結晶薄膜に拡張及び圧縮応力を印加する。正方晶に歪んだ結晶においては2重縮退していたeg軌道は分裂し、エネルギーの低い準位を電子が占め、軌道整列を起こす結果、結晶の磁気構造に相転移が起きる様子を述べた。

 4.1章ではcommensurateなフィリング数のd電子を有したMn酸化物の単結晶がJahn-Teller歪みを自発的に起こし軌道整列状態となり、d軌道の波動関数の異方性により電気的磁気的な特性が相転移を起こすことを述べた。

 4.2章では(La,Sr)MnO3薄膜について、その物性を、電気的磁気的構造の解析がなされている(Nd,Sr)MnO3単結晶の物性と対比させることにより考察した。そして、Mn酸化物のとる基底状態を格子歪みパラメータ(c/a比)とキャリアドープ量(x)の張る平面で相図にして表した。

 4.3章では(Nd,Sr)MnO3薄膜について述べ、c/a-x平面における基底状態の相図を補正した。また、磁場による電荷整列相の融解に格子歪み依存性が見られたことを述べた。

 4.4章では(Sm,Sr)MnO3薄膜について述べた。磁場により電荷整列相が融解する(Sm,Sr)MnO3薄膜を電流誘起の相転移や光誘起の相転移をさせることに成功したことを述べた。

 4.5章では層状ペロブスカイト構造のMn酸化物(La,Sr)3Mn2O7におけるエピタキシャル応力の物性に及ぼす影響を述べた。層状ペロブスカイトMn酸化物薄膜はその2次元性を生かし低磁場でCMR効果が得られる可能性がある。そのためには薄膜がc軸配向することが必須であり、成膜条件を予想し装置改良を行った結果、世界で初めてc軸配向の形成に成功した。

 4.6章では本研究の結果であるエピタキシャル応力による電子相制御が可能であることを理論計算によって確かめられたことについて述べ、本実験結果との定量的比較を行い、第4章のまとめとした。

 第5章では、本研究で得られた成果をまとめた。また,本研究で作製した歪んだエピタキシャル薄膜を用いた光学測定や放射光測定が本研究以降に行われ、軌道整列のより直接的な証拠が得られたので、その結果も併せて紹介した。

 本研究ではペロブスカイト型Mn酸化物において、フィリング制御、バンド幅制御、温度による制御、電界・磁界による制御、光照射による制御に加え、"格子歪みによる軌道整列を介した相制御"といった新しい相制御技術を示した。協力的Jhan-Teller歪みと結合した軌道整列(非整列)効果を用いて強磁性(F-type)、層状反強磁性(A-type)、鎖状反強磁性(C-type)といった様々なスピン構造を薄膜において実現し、各々の相に特徴的な電気磁気輸送特性の制御を可能とした。ペロブスカイト型Mn酸化物薄膜において電気的磁気的な相図を格子歪み(c/a比)とホールドーピング量(x)の平面で示し、強電子相関系の物理の理解を深めた。この結果は電気的磁気的状態の機械的または圧電的制御といった新たな物性制御の基礎となると思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文ではペロブスカイト型マンガン酸化物薄膜を対象に基板によるエピタキシャル応力が磁気電子物性に与える効果について考察し、応力によって強磁性−反強磁性、金属−絶縁体を含む種々の電子相を制御することを試みている。

 本論文は5章からなる。第1章では、ペロブスカイト型マンガン酸化物の基礎物性と電子状態を述べている。また、Mn酸化物薄膜における歪み効果の研究の経緯と現状を述べ、本研究の目的を位置付けている。

 第2章ではペロブスカイト型マンガン酸化物薄膜の作製と評価の方法について述べている。本研究の成膜手段であるレーザーアブレーション(PLD)法は高品質な酸化物薄膜の形成手段として1980年代後半から急速に発展してきた成膜方法である。本章では実験に用いた成膜装置、ターゲット試料準備法、成膜方法について述べている。次に薄膜の表面構造や結晶構造の評価方法と、磁気・電気伝導特性の評価方法を述べている。特に、本研究では4軸X線回折や断面透過電子顕微鏡観察など構造評価について重点をおいており、このために、薄膜試料においてもあいまいさのない磁気電子物性の議論(第4章)が可能となっている。

 第3章ではペロブスカイト型Mn酸化物薄膜形成におけるエピタキシャル成長の成膜条件について述べ、酸素圧力、膜厚、基板温度、基板との格子定数の整合性が薄膜成長に及ぼす影響を理解し、コヒーレントにエピタキシャル成長した薄膜を得る手法が述べられている。まず、薄膜の成長様式や相平衡に関する考察から、マンガン酸化物エピタキシャル薄膜の成膜指針を示した。このような作業仮説に基づき成膜条件を最適化している。実際に酸素圧力依存性、膜厚依存性、基板材料依存性、成膜温度依存性を調べた結果、格子定数の不整合がおよそ2%までの基板では膜厚40nmのコヒーレントにエピタキシャル成長した薄膜を得ることに成功している。また、半導体の臨界膜厚と格子緩和の理論を参照して、PLD法により非平衡状態で成膜された酸化物薄膜の格子緩和について考察している。

 第4章では本論文の主題であるエピタキシャル応力によるペロブスカイト型マンガン酸化物の相制御について論じている。第3章で述べたコヒーレントなエピタキシャル成長の条件を用い、(La,Sr)MnO3薄膜、(Nd,Sr)MnO3薄膜、(Sm,Sr)MnO3薄膜を、格子定数不整合基板を使用して作製した。このようにして、意図的に印加された拡張応力及び圧縮応力下での薄膜の磁性および磁気伝導物性を測定し、すでに磁気的構造の解析がなされている(Nd,Sr)MnO3単結晶の物性や第一原理電子状態計算結果と対比させることにより、その電子状態と磁性状態について詳細な考察を加えている。その結果、正方晶に歪んだ結晶においては2重縮退していたeg軌道は分裂し、エネルギーの低い軌道準位を電子が占めて軌道整列を起こし、結晶の磁気構造に相転移が起きることが示された。この結果に基づき、マンガン酸化物のとる基底電子状態を格子歪みパラメータ(c/a比)とホールドーピング量(x)の張る平面で相図に表し、格子歪みによる電子相制御が可能であることを示している。

 また、層状ペロブスカイト構造をもつマンガン酸化物(La,Sr)3Mn2O7においても同様にエピタキシャル応力により物性を制御できることを述べている。層状ペロブスカイトマンガン酸化物薄膜はその2次元性を生かし低磁場で巨大磁気抵抗効果が得られる可能性がある。そのためには薄膜がc軸配向することが必須であり、成膜条件を予想し装置改良を行った結果、初めてc軸配向のエピタキシャル薄膜の形成に成功している。

 第5章では、本研究で得られた成果をまとめて、総合的に議論している。また,本研究で作製した歪んだエピタキシャル薄膜を用いた光学測定や共鳴X線散乱測定の結果についても紹介し、本研究で示した軌道整列のより直接的な証拠が得られ始めたことを述べて、今後の電子軌道による物性制御の可能性を展望している。

 以上を要するに、本論文ではペロブスカイト型マンガン酸化物において、従来からのフィリング制御、バンド幅制御、温度・電磁場による制御、に加え、「格子歪みによる軌道整列を介した相制御」といった新しい相制御技術を示した。強電子相関系に関する電子物性・機能の臨界制御と言う観点から、物性工学の進展に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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