学位論文要旨



No 215160
著者(漢字) 小山,克己
著者(英字)
著者(カナ) コヤマ,カツミ
標題(和) アルミニウム材料中の不純物水素の挙動
標題(洋)
報告番号 215160
報告番号 乙15160
学位授与日 2001.09.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15160号
研究科 工学系研究科
専攻 材料学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅野,幹宏
 東京大学 教授 柴田,浩司
 東京大学 教授 山本,良一
 東京大学 教授 栗林,一彦
 東京大学 助教授 榎,学
内容要旨 要旨を表示する

 本研究では次世代の高延性材料開発の基礎として、アルミニウム材料中の不純物水素(内在水素)の挙動について検討するとともに、新たな水素の可視化手法の開発を行った。以下にその要旨を記す。

 第1章では、古くから研究されている金属材料と水素との関係についての知見をまとめ、本研究の意義とその必要性を明らかにした。すなわち金属間化合物を含む多くの金属材料では、水素脆化現象が報告されており、鉄鋼材料では遅れ破壊との関連において詳しく検討されている。ここに見られる多くの研究では外部から過剰の水素を強制的に導入する方法を用いて、金属材料の特性に及ぼす水素の影響について調査されてきた。そして、通常金属材料中に存在する極微量の不純物水素については、過剰の水素の挙動から推測するに過ぎなかった。これは、相互作用の弱い水素の検出が非常に難しいこと、一般的に金属材料中の水素の固溶量が低いことなどに起因するものと思われる。また、特に延性に優れたアルミニウム材料では、腐食環境下での使用などのような特殊な場合を除けば、不純物水素が材料特性にほとんど影響しないものと思われてきたことも不純物水素の検討が遅れた理由の一つと思われる。しかし、その後の研究により、これまでAl-Mg合金の本質的な現象と考えられていた高温脆化現象も、不純物水素が関与していることが示された。そこで、アルミニウム材料の室温特性に及ぼす不純物水素の影響について見直すとともに、内在する水素の挙動について検討することとした。

 まず、第2章では、純アルミニウムの室温延性に及ぼす不純物水素の影響を調べた。2水準の純度の純アルミニウムを大気中と真空中において溶解鋳造を行い、水素含有量の違う引張試験片を作製した。これら試験片を用いて超高真空中で引張試験を行い、破断時の断面減少率測定と放出されるガス成分の分析を行った。その結果、高純度アルミニウムの場合、水素含有量の多い大気溶解材において断面減少率の低下が認められたが、低純度材ではその差が見られなかった。しかし、真空溶解を行うことにより水素含有量を極力下げたアルミニウムの試験片からも引張変形中および破断時に水素が放出すること、また破断面を構成するディンプルは、水素含有量の多い大気溶解材の方が明らかに小さく、数密度が高いことが分かった。

 引き続き第3章では、水素に起因した高温脆化が報告されるAl-Mg合金について、第2章同様にその室温延性に及ぼす水素の影響を調べた。その結果、本系合金においても引張変形時あるいは破断時に多量の水素の放出が見られること、また水素が特に最大荷重点から破断に至るまでの局部伸びを低下させることが分かった。最大荷重点近傍の試験片断面観察から、水素が引張試験後期に生じるボイドの形成を促進することが示された。本系合金は、固溶したMgの雰囲気による転位の固着と解放により生じる荷重変動(セレーション)が認められる。水素の放出は、転位の活動が盛んな荷重低下時に対応していることから、アルミニウム材料中の水素は変形時に運動転位とともに高速度で移動し、試料表面から放出するものと判断した。また、転位により運ばれた一部の水素は、変形の集中するくびれ部でボイド形成を促進するものと考えられた。

 そこで第4章では、このような水素の移動現象をトリチウムオートラジオグラフィを用いて検証することとした。これまで、トリチウムオートラジオグラフィでは静的な水素のトラップサイトのみが主に調べられてきた。これに対し、トリチウムオートラジオグラフィの露光処理前に、今回初めて約5%の引張変形を高純度アルミニウム試験片に与えることにより、変形時の水素の挙動を表す興味深い結果が得られた。すなわち、変形を与えることにより、試料表面にすべり線が生じるが、そのすべり線に沿って金属銀粒子の列が観察された。金属銀は、トリチウムの崩壊により放出されるβ線による写真用乳剤の感光の結果として生じることから、すべり線に沿って水素(トリチウム)が濃化したことを表している。ここでは約1sの短時間にて変形を与えたこと、また変形を与えた後に試料に写真用乳剤を被覆しても、もはや銀粒子は観察されないことなどから、運動転位による水素の輸送が実際に生じたことを示す直接的な証拠と判断した。

 以上のことからアルミニウム材料中の不純物水素の挙動は、特に運動転位との相互作用によって特徴付けられることが示された。このような現象は、運動転位によるすべり変形が支配的な金属材料では共通した現象と考えられる。今後この分野でさらに幅広く水素の挙動を検討する場合、取扱に種々の制約のある放射性同位元素(トリチウム)を必要としない簡便な水素の可視化法の開発が望まれる。そこで、第5章および第6章において、水素の新たな可視化法について検討した。ここでは銀デコレーション法および水素マイクロプリント法を用いて変形時にアルミニウムから放出する水素の可視化を試みた。結果的にはいずれの手法を用いても、アルミニウム材料に変形を付与することにより放出される水素の位置をトリチウムオートラジオグラフィとほぼ同程度の空間分解能にて捉えることができることを見出した。

 第5章において検討した銀デコレーション法は、金属材料から放出する原子状水素がジシアン化銀カリウム溶液中の銀イオンを還元し、試料表面に金属銀を析出させることにより、水素の放出位置を特定する手法とされていた。しかし今回、ジシアン化銀カリウム水溶液中で純アルミニウム試料に変形を与えた場合に、試料表面に生成された析出物は、AESにて詳細に分析した結果、金属銀ではなく、針状のシアン化銀であることが新たに分かった。ここで得られたシアン化銀は第4章のトリチウムオートラジオグラフィの結果と同様に試料表面のすべり線に沿って生じる。一方、65℃の高温域において変形を与えるとすべり線よりはむしろ粒界に沿って析出が見られ、水素の優先的な粒界拡散が示唆された。また水素放出位置の空間分解能は銀デコレーション溶液の濃度やPHに大きく依存することを示した。

 第6章では、水素マイクロプリント法による水素の可視化を検討した。従来の手法では、放出された原子状の水素が試料表面に被覆した写真用乳剤のハロゲン化銀を還元し、金属銀として固定することを利用して、水素の放出位置を特定する。したがって、観察可能な大きさの金属銀粒子を得るためにはほぼ同じ位置において多くの原子状水素が放出する必要がある。本章では極微量の不純物水素の放出を検出するために、偽写真効果を利用することとした。このため、一連の作業を暗室内にて行い、かつ現像処理を施した。この結果、真空溶解により水素含有量を0.01ppmまで下げた純アルミニウムからも変形時のすべり線に沿った水素の放出を捉えることができた。本手法を用いて、-180〜82℃の広範な温度域における変形時の水素の放出位置を調べた。その結果、前章の銀デコレーション法における検討結果と同様に、運動転位による水素の移動は室温近傍において最も活発になり、高温側では、粒界拡散が支配的になること、また極低温域では運動転位による水素の移動が生じ難くなることが分かった。さらに分散相が多く生じる低純度アルミニウムの場合、母相内のすべり線から水素が放出するとともに、転位の堆積が生じる分散相界面や大傾角粒界において多くの水素の放出を確認した。このことは、水素が引張破断時のボイド形成を促進する機構を考える上で重要な知見となった。

 さらに、水素の高速移動現象がすべり変形以外の変形様式においても生じるかを確認するため、双晶変形とすべり変形が生じるα、β、α+β型の3種のチタン合金について本手法を適用した。同量の引張変形を与えた場合、双晶変形が生じるα型チタン合金(Ti-5Al-2.5Sn合金)では、水素の放出が少なく、すべり変形が支配的なβ型チタン合金(Ti-15V-3Cr-3Sn-3Al合金)、あるいはα+β型チタン合金(Ti-6Al-4V合金)のβ型の領域に水素の放出が多いことが分かった。このことから、すべり変形における転位の移動が主に水素の高速移動に寄与するものと判断した。

 本研究により得られた水素の可視化手法は、すべり変形が支配的な多くの金属材料において変形時の水素の挙動の検討に有効な手法であるだけでなく、鋼の遅れ破壊の研究を初めとして金属材料中の水素の挙動解明に、大いに貢献するものと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、次世代の高延性材料開発の基礎としてアルミニウム材料の延性に及ぼす不純物水素(内在水素)の影響を検討した結果と、水素の挙動解明に放射性同位元素のトリチウムを用いない可視化法を応用した成果などをまとめたものである。

 第1章では、金属材料と水素の関係についての従来の関係研究を纏めるとともに、本論文の研究目的について述べている。

 第2章では、純アルミニウムの室温変形時の延性に及ぼす不純物水素の影響について検討している。不純物Fe,Si濃度の異なる工業用純アルミニウムを大気中及び真空中で溶解・鋳造し、水素含有量の異なる引張試験片を作製している。そしてこれら試験片についてガス分析が高速で可能な超高真空材料試験機を用いて、変形中や破断時に放出されるガス分析を行うと共に、SEMを用いた破面観察を行っている。水素量が0.15massppmと比較的多い大気溶解材はもとより、0.1massppmと少ない真空溶解材でも量は少ないものの変形・破壊時に水素の放出が認められることを示している。またFe、Si不純物量の多い試料は水素量によらずほぼ同様のディンプル破面を呈すること、水素量の多い高純度材では低純度材に比べてディンプル数減少・ディンプル径増大が見られること、高純度材で水素量が著しく低くなるとチーゼルポイント破壊となることなど明らかにしている。そしてこれらから不純物水素がボイド形成に寄与するという考えを提唱している。

 第3章では、Al-5mass%Mg合金の室温における変形・破壊に及ぼす不純物水素の影響について検討し、大気溶解材において不純物水素が局部伸びを低下させることを明らかにしている。そして破面観察結果などもあわせ、この場合も不純物水素が局部変形開始後のボイド形成を促進するとしている。さらに本系合金の応力−歪み曲線に生じるセレーションにおける荷重低下に合わせて水素放出が顕著に生じることを見出している。このことからアルミニウム材料中の不純物水素は変形時に運動転位と共に高速度で移動し、試料表面から放出されるものと考察している。また不純物水素の一部は、変形の集中する領域でボイド形成を促進してボイド中に含有されるために、ディンプル破面から水素が放出されるとしている。

 第4章では、前章で示唆された運動転位による水素の輸送を、可視化実験を通して証明する事を試みている。まず高純度アルミニウムの溶解・鋳造時にトリチウムを不純物水素として材料中に導入し、鋳塊を鍛造・焼鈍して試験片を作製後に電解研磨を施して試料としている。そして試験片表面に写真用乳剤を暗室で塗布し、5%の塑性変形後に暗箱中に低温で長時間保存して現像・定着処理・乾燥後SEMで観察を行い、すべり線に沿って多数の銀粒子が観察される事を初めて明らかにしている。この銀粒子は、トリチウムの崩壊によって放出されるβ線により乳剤が感光された結果生じたものであるとして、本結果は変形時に運動転位が不純物水素を輸送したことを示す直接的な証拠となると述べている。

 第5章では、放射性元素のトリチウムの取扱には厳しい制限があることに配慮し、銀デコレーション法を用いて変形時に放出される軽水素の可視化について検討している。大気溶解した高純度アルミニウムを大気中で溶解・鋳造・圧延・焼鈍を行った後に引張試験片を作製し、ジシアン化銀カリウム水溶液中で試験片を変形・破断させて水洗・乾燥後にSEMで観察した。その結果この場合もすべり線に沿って銀を含む粒子が観察される事、その粒子数は溶液のpH、温度、水素含有量、変形量によって変化する事などを示している。この手法で生成される粒子は従来銀粒子とされていたが、オージェ電子分光によりシアン化銀であることを示している。

 さらに第6章では、写真用乳剤を試料に塗布して放出水素により臭化銀を還元させて銀粒子として可視化しようとする水素マイクロプリント法(HMT)を用いた検討を行っている。すなわち大気中で溶解した純アルミニウムにHMTを適用し、塑性変形後定着処理して観察した結果この場合もすべり線上に銀粒子が認められることを示している。これより、運動転位によって輸送される水素をHMTで可視化できる事を示している。また現像処理を挿入すると擬似写真効果により、水素の検出感度が上昇することも見出している。本手法を用いて変形温度を-180〜80℃と変化させて水素の放出挙動を検討した結果、すべり線に沿った水素の放出は室温近傍で最も顕著に見られる事を明らかにしている。この原因として、低温変形では水素の格子拡散が遅くて転位まで到達できないこと、高温では粒界拡散が顕著になる事をあげている。

 第7章は総括である。

 以上の様に、アルミニウム材料中の不純物水素の変形・破壊に及ぼす影響を解明すると共に、水素挙動の検討に有効で簡便な可視化法を応用した結果を含む本研究の成果は、金属材料学に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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