学位論文要旨



No 215163
著者(漢字) 出羽,光明
著者(英字)
著者(カナ) イズハ,ミツアキ
標題(和) レーザー分光学によるC3の電子励起状態の複雑な振動構造の解明
標題(洋) Complex Vibrational Structure of Electronically Excited C3 by Laser Spectroscopy
報告番号 215163
報告番号 乙15163
学位授与日 2001.09.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第15163号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 遠藤,泰樹
 東京大学 教授 高塚,和夫
 東京大学 教授 永田,敬
 東京大学 助教授 増田,茂
 東京大学 教授 山内,薫
内容要旨 要旨を表示する

1.C3の電子励起状態

 1882年に彗星中からの発光スペクトルが観測されて以来、C3の電子遷移に関して数多くの研究がなされている。紫外の広い領域(340-410nm)に強いA1Πu-X1Σg+遷移、またこれよりやや短波長の領域(270-310nm)には別の弱い遷移の存在が報告されている。A-X遷移は、電子配置が1σg21σu22σg23σg22σu24σg23σu21πu4であるX状態から3σu→1πgの電子遷移である。一方、より短波長の遷移の電子帰属はまだ不確かだが、ab-initio計算の結果をもとに1Δu(1πu→1πg)または1Πg(4σg→1πg,3σu1πu→1πg2)への振電許容遷移の可能性が考えられていた。

 C3のような直線3原子分子の縮重電子状態においては、縮重変角振動(v2)モードについての分子内ポテンシャルが、電子軌道角運動量とv2モード振動角運動量の相互作用に由来するRenner-Teller効果によって2つに分裂する。その分裂の程度は分子によって異なり、場合によっては曲がった分子構造を安定とするポテンシャルが形成されることがある(例、HO2+,NH2)。また、反対称伸縮(v3)振動モードについては、そのポテンシャルが他の電子状態の影響を受けて非調和になる場合がある(例、BO2,CO2+)。すなわち、電子状態における振動は、そのポテンシャル自身への影響、他の電子状態から影響の重要な情報を含んでいることがわかる。

 実際の実験データからこのような振動の情報を引き出す際、観測したスペクトルが複雑となって、それぞれの振電バンドの帰属をつけることがしばしば困難となる。複雑なスペクトルを解釈するためのアプローチとしては、実験的にはi)超音速ジェットに波長可変レーザーを組み合わせる、ii)光一光二重共鳴法といった2つ以上のレーザーを組み合わせ遷移選択則により分離するといった方法が知られている。一方、解析的手法としては統計フーリエ変換法や拡張相関関数法といった統計解析が報告されているが、実際振電バンドの帰属がこれらにより行われた例はなかった。

 本博士論文では、一貫して分光学的情報が限られていたC3の電子励起状態に着目し、A-X遷移と深紫外領域における遷移の詳細な測定および解析から、それらの未知の振動を明らかにすることを試みた。私のとった方法は、a)個々の振電バンドの回転構造の対称性に着目し分光学的な解析を確実に行う、b)より複雑な構造についてはa)に加えて統計的手法を適用するということである。その結果として、以下に述べるようにC3の電子励起状態において未知の振動に関する情報を引き出すことが可能であることを示した。

2.A1Πu状態

 C3のA-X遷移のレーザー誘起蛍光スペクトル(LIF)は、超音速ジェットで冷却しているにもかかわらず複雑で、それぞれの振電バンドを帰属することは特に短波長側の領域で困難であった。この理由のひとつは、A状態におけるv3振動数が未知であったためである。この状況で、私は遷移の短波長領域にこれまで未報告の8つのΣ−Σ型バンドが存在することに気がつき、これらをv3振動の関係した振電許容遷移ではないかと考えた。そう仮定すると、8つのうち最もエネルギーの低いバンド(図1)は振動の対称性からA(0,1+,1)-X(0,0,0)遷移との帰属が予想された。この帰属をもとに、振動非調和性を無視してv3振動数を予測すると539cm-1と非常に低い値となった。これまで、v3振動数はA(0,0,2)の振動エネルギーが約1672.7cm-1であることから、およそ890cm-1程度ではないかと考えられていた。

 そこで、この539cm-1という値を実証するために、1Πg-1Σg+型のA(0,0,1)-X(0,0,1)ホットバンドを高分解能で検出できないかと考えた。その結果、23 177.174cm-1にこの型のバンドを見出し(図2)、v3=541.7(1)cm-1という非常に低い値を初めて導き出すことができた。この帰属は、A(0,2-,1),A(0,2+,1),A(1,0,1)-X(0,0,1)の3つのバンドをさらに検出することにより確かであるとした。

 以上の結果から、E(0)=541.7,E(1)=1130.8cm-1(E(v)=G(0,0,v+1)−G(0,0,v))という非調和な準位間隔が求まり、v3ポテンシャルが一体どういう形状となっているのか興味を持った。そこで、8つのΣ−Σ型バンドの帰属において4つがv3=3の量子数を持つことから、これらを用いてA(0,0,3)の振動エネルギーを推定したところ、E(2)=1092.8cm-1という値が得られた。これら3つの振動準位エネルギーをV=aq2+bq4形のポテンシャルにフィッティングしたところ、図3に示すような2極小形状が得られ、障壁の高さが283.8cm-1であることがわかった。また、この非調和性は他の電子状態(1Πg)とのv3振動を通じた振電相互作用によるものと解釈した。

3.深紫外領域

 比較的波長の短い紫外領域(266-310nm)において、非常に複雑なスペクトルが現れることがこれまで報告されていた。しかしながら、その複雑さのために計12本の振電バンドが回転解析されているだけであった。すなわち、この深紫外領域のスペクトルがどの電子励起状態への遷移であるかの帰属さえ明確にされておらず、かつ振動の情報は全くわかっていなかった。これは、主にこの領域に現れるバンドが非常に数多く複雑であり、解析が困難であったことによる。

 そこで、この波長領域に現れるスペクトルの電子励起状態の帰属及びその振動の解明を目的として、まずこの領域に現れる振電バンドそれぞれの回転構造が分離できるだけの高分解能測定(LIF)を行った。その結果、スペクトル全体として173本の振電バンドからなることがわかった。測定したバンドのエネルギー値のみを用いて、その振動構造を導くことは複雑さのためやはり困難であった。そこで、次にそれらの振電バンド1本1本の回転解析を詳細に行った。その結果、77本がΣ−Σ型、68本がΠ−Σ型であることがわかり(残り28本は不明)、それぞれ回転パラメータを決定した。得られた上の電子状態の回転定数の平均値は、Σ、Πの振電準位についてそれぞれ0.395(14)、0.398(17)cm-1と近い値になった。このことは、ΣとΠの振電準位の両方の電子励起状態が同じであるためと考えた。また、この平均の回転定数から見積もった平均C-C結合距離は、1.331(25)Aとなり、X1Σg+基底状態のそれより0.054(25)Aだけ長くなった。このエネルギー領域に存在が予想されている電子励起状態は1Δuと1Πgである。このうち、1Δu状態はX状態における1πuの強い結合性電子軌道から1πgの非結合性電子軌道への電子遷移であることから、平衡C-C結合距離はX状態より長くなることが予想される。一方、1Πg状態はX状態における4σgの非結合性電子軌道から1πgの非結合性電子軌道への電子遷移であり、平衡C-C結合距離はX状態とあまり変化しないと予想される。よって、上の電子状態としては、1Πg状態よりも1Δu状態の可能性を考えた。しかしながら、1Πg状態であっても、高振動励起準位であれば振動の非調和性によりC-C結合距離が伸びる可能性があった。

 次に、振動の情報を引き出すために、Σ−Σ型とΠ−Σ型に分離したスペクトルに対して、それぞれコンボルーション及びフーリエ変換の二つの統計的手法の適用を行った。それぞれ型のスペクトルに対して、コンボルーションを行った結果を図4に示す。それぞれの型のスペクトルについて、ほぼ等間隔のプログレッションが現れていることがわかる。さらに、このプログレッションの周期、及びさらに他の振動周期が存在しないかを見出すために、100cm-1の幅でコンボルーションを行ったスペクトルに対し、それぞれフーリエ変換を行った結果が図5である。結果として、二つの型とも前に述べたほぼ等間隔のプログレッション由来の約940(60)cm-1の振動周期を見出し、それをv1振動によるものと帰属した。この約940(60)cm-1という値は、X状態の1224.5cm-1よりかなり低い値である。また、このv1プログレッションがほぼ等間隔であることから、上の電子状態の低い振動準位への遷移であると考えた。よって、先に述べた電子軌道の遷移を考えると、可能性のある二つの電子励起状態のうち1Δu状態の低い振動準位への遷移が明るく見えていると考えた。というのは、X状態よりC-C結合が弱くなった結果としてv1振動数も低くなったと説明できるからである。さらに、フーリエ変換の解析から、Σ−Σ型については2v2+=336cm-1、Π−Σ型については2v2(+)=401cm-1と2v2(-)=275cm-1という値を導き出した。

 Σ−Σ型とΠ−Σ型バンドが現れたことは、Herzberg-Teller effectによりエネルギー的に近いそれぞれ1Σu+-X1Σg+とA1Πu-X1Σg+遷移の遷移強度を受けた振電許容遷移であると説明することができる。また、この波長領域に現れるスペクトルは、1Δu状態への遷移が明るく見えているだけであれば単純になるはずである。しかしながら、スペクトルが複雑であることの原因は、本来暗い1Πg状態への遷移が高振動励起準位において1Δu状態と振電相互作用し、波動関数が混合した結果遷移強度を受けて現れているためと結論づけた。

図1、1Σu+-1Σg+型回転構造の(0,1+,1)-(0,0,0)遷移

図2、1Πg-1Σg+型回転構造の(0,0,1)-(0,0,1)遷移

図3、決定したA1Πu状態のv3ポテンシャル

図4、Σ−Σ型とΠ−Σ型バンドに対するコンボルーションスペクトル(Γ=100,500cm-1)

図5、Σ−Σ型とΠ−Σ型バンドのコンボルーションスペクトル(Γ=100cm-1)に対するフーリエ変換

審査要旨 要旨を表示する

 1882年に彗星からの発光スペクトルが観測されて以来、C3の電子遷移に関しては多くの研究がなされてきている。にもかかわらず、その電子遷移は多くの未解決の問題を抱えている。本論文は、レーザー励起蛍光分光法によりこれらの問題の解明を目指したものである。本論文は全体で4章からなり、第1章は先行する研究結果のレビュー、研究の動機付けなどの導入の説明にあてられ、第2章はC3分子の第一電子励起状態の禁制遷移の観測により、反対称伸縮振動モードの振動数を初めて決定したことをまとめている。第3章ではこのような禁制遷移のバンドの系統的な観測と、その解析に当てられており、第4章では、より短波長の波長領域のスペクトルの観測と、その解析が示されている。

 本論文では、炭素棒のレーザー蒸発法により超音速ビーム中に生成したC3分子の電子スペクトルを、レーザー励起蛍光分光法により詳細に研究したものである。C3は、可視領域のスペクトルが古く1882年に観測されていたが、それがC3分子によるものであることが確認されたのは1951年のことである。それ以来数多くの研究がなされてきているが、もっともよく調べられている第一電子励起状態が縮重した電子状態を持つ直線分子であることもあり、そのスペクトルが非常に複雑な構造をしており、いくつかの未解決の問題を持っていた。本研究では、超音速ビーム中で効率的にC3分子を生成することにより、複雑なスペクトルの単純化に成功するとともに、この可視のバンドの詳細な解析を行った。

 特筆すべき成果は、第2,3章に記述されているように、このバンドでは通常は禁制である、反対称伸縮振動モードの励起状態への電子遷移を帰属することができたことである。単にこの振動モードの振動数を詳細に決定したことにとどまらず、その振動の間隔が極めて異常であることを広い範囲のスペクトルの詳しい観測で見いだした。この実験結果に基づく解析の結果、この分子の第一電子励起状態は、直線構造をとっているが、非等価なCC結合長を持つことを初めて明らかにた。更に、これをより高い電子励起状態からの振電相互作用によるものと結論づけた。対称な分子の電子励起状態がこのように非等価な結合を持つ例はいくつか知られているが、C3のような基本的な分子でこのような結果が得られたことは、分子構造論の立場からも興味深い重要な結果である。

 第4章は、可視から近紫外に広がる第一電子励起状態のスペクトルより更に短波長な領域に広がるスペクトルに対する、詳細な研究の説明に当てられている。この領域のスペクトルの観測の報告はいくつかなされていたが、その構造が第一電子励起状態に比べ更に複雑なため、ほとんど系統的な解析がなされていなかった。本研究では、266-310nmの広い領域にわたって網羅的な実験を行い、173本の振電バンドを観測した。更にそれらの振電バンドの詳細な回転解析を行うことにより、これらのうち77本がΣ−Σ型、68本がΠ−Σ型のバンドであることを確認した。

 そのスペクトルの構造は、極めて複雑で通常の手法による電子遷移の帰属、解析は不可能であると判断し、統計的手法による解析を行った。その結果、Σ−Σ型、68本がΠ−Σ型のバンドそれぞれに対していくつかの振動数を帰属することができた。この結果に基づき電子励起状態の極めて複雑な振電構造は、互いに近接した3つの電子状態が複雑な相互作用を行っていることに起因していることを明らかにした。

 このように、本研究はC3分子という極めて基本的な分子を取り上げ、その電子励起状態の詳細を明らかにしたもので、その学術的な価値は極めて高いと評価できる。なお、これらの研究結果は、すでに3報の論文として印刷公表されており、いずれも論文の提出者が主体となり実験、解析、考察を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断した。

 よって本審査委員会は、博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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