学位論文要旨



No 215164
著者(漢字) 松村,文人
著者(英字)
著者(カナ) マツムラ,フミト
標題(和) 現代フランスの労使関係 : 雇用・賃金と企業交渉
標題(洋)
報告番号 215164
報告番号 乙15164
学位授与日 2001.09.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 第15164号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 仁田,道夫
 東京大学 教授 佐口,和郎
 東京大学 教授 中村,圭介
 東京大学 教授 森,健資
 東京大学 教授 田端,博邦
内容要旨 要旨を表示する

 本論文(『現代フランスの労使関係−雇用・賃金と企業交渉−』ミネルヴァ書房2000年)は、これまで日本では不十分であったフランス労使関係の本格的な考察である。本書の課題は、1980〜90年代仏大企業の雇用・労使関係の変化とその意味を明らかにすることであり、92年から96年に実施した代表的な自動車企業(ルノーRenault、プジョーPeugeot)と労働組合(フランス労働総同盟金属労連FTM-CGT)の実態調査・分析を通して、比較労使関係の視点から、フランスの雇用・労使関係を他の先進諸国と比較考察する。同時に、雇用調整、ワーク・シェアリングなどに関わって、日本への含意にもふれる。

 上記のような意図に関わって、本書が取り上げる課題は、次の3つである。

 第一に、近年のフランスにおける企業内労使関係の安定化をどう見るのか、この安定化が企業内労使関係の構造変化によるものなのかどうかを検討することである。

 90年代のフランスでは、突発的争議の減少やその規模の縮小、最大労組CGT(フランス労働総同盟)に代表される「異議申し立て」(constetation)型の労働運動の後退が見られ、同時にまた、これまで発展が不十分であった企業内の協議や交渉がしだいに広がり、協議・交渉を通じた雇用・賃金管理の柔軟化や個別化が進んだ。本書の考察の対象である自動車産業でも、91年ルノー争議以降はさしたる紛争も見られず、雇用関係に関する協議・交渉が日常化し、国際競争力のいっそうの向上を目的とする雇用削減の継続にもかかわらず、企業内労使関係が動揺するようなきざしは見られない。雇用・労使関係の問題を、争議ではなく協議や交渉によって解決することが、労使関係の安定につながっているという印象がある。こうした「契約化」(contractualisation)の傾向は、はたして伝統的労使関係の変容を示すものといえるのであろうか。

 仏労使関係は、伝統的に、団体交渉の未成熟、闘争的・政治主義的組合行動、突発的争議の際の交渉・協約、労使関係に対する法や国家の介入の頻度の高さ、などの特徴を有してきた。また、低組織率・複数分立による組合の弱体、経営者の専制主義や組合との対話の否定なども、団体交渉の未成熟に関わる伝統的な特徴として指摘しておく必要がある。

 1980年代初めにミッテラン左翼政権が断行した労働法改革は、こうした労使関係構造を、労働者(労働組合)の権利強化や団体交渉の促進によって変革することを意図したものであった。この改革(労働大臣の名前をとって、オールー改革と呼ばれる)のなかでとくに注目されるのは、企業レベルでの年次交渉の義務づけと、労使協議を行う企業内従業員代表制度の強化である。労働改革は、労使関係構造全体の変革を、とりわけ企業内における協議や交渉の促進を通じて、達成しようとするものであったといえる。

 オールー労働改革が意図した、とくに企業内の労使関係構造の変革は、90年代後半において、いったいどこまで達成されたといえるのか。フランス自動車メーカーの雇用・労使関係に関する調査を通じて、この点を検証する。

 第二の課題は、フランス自動車産業の雇用・賃金管理が、企業内労使関係の制度化と同時に進んだ経営の再建、生産システムの変化(1980〜90年代)のなかで、いかなる転換を遂げたのか、また、その過程で労働組合がいかなる対応をとったのかを明らかにすることである。

 80年代より雇用・労使関係の新たな要素として、国際的に、実践レベルでも研究調査のレベルでも重視されるようになったのは、「フレキシビリティ」(flexibility)と「コミットメント」(comittment)の2つである。フレキシビリティとは、「労働態様、職務編成、雇用量、賃金の額や支払い方法など雇用関係に関わる諸要素に、環境の多様性や変化に適応しうる柔軟性を与えること」であり、コミットメントとは、「労働者やその代表組織(通常は労働組合)が、単に雇用関係に関わる自己の主張にとどまらず、職場、企業、産業、場合によっては一国の経済の運営に積極的に関与し、責任を分有すること」を意味している。以上のような観点から、80年代以降、国際的に最も注目されて調査研究の対象とされた産業部門は自動車であった。

 (1)フランス自動車産業の新たな雇用・労使関係として注目されるのは、第一に、雇用調整の恒常化、雇用形態の多様化である。80年代には、自動車メーカーの経営危機の大きな要因として、過剰人員が指摘され、これ以降徹底した雇用削減が行われた。雇用削減が始まる直前の80年代初めと雇用削減が一段落した90年代半ばを比べると、2大自動車グループの従業員数はほぼ半分に減少している。恒常的ともいえる雇用削減がどのように展開されたのか、また雇用のフレキシビリティのために、新たにどのような雇用調整手法が広がったのか、などを明らかにする必要がある。

 (2)第二の新たな動きは、職務統合と多能工化である。労働者について、70年代まで工場の中心的な労働力であった「単能工」(半熟練工)が、自動化投資やME化を通じて、単能工をモデルとし周辺業務も行う「専門工」へと急速に転換した。

 (3)第三の変化は、チームワークなど、現場での参加・責任・自立性を拡大させるための新たな作業形態の導入や、職制の簡素化である。80年代からは、労働者の専門工への転換と同時に、現場の作業組織が、一人一人の能力を評価し、参加を促し、責任を広げる、機動的なチーム組織へと切り替えられた。これにより、従来の階層組織は非常に簡素化され、職務の割り当てや配置の柔軟化が進んだ。

 (4)第四の変化は、労働者の多能力化を促進する技能訓練とキャリア管理の登場である。多能力化は、より多くの労働者が職務専門性を伸ばすことを必要とするため、これまで一般的ではなかった現場労働者への技能訓練が制度化され、労働者もキャリア管理の対象とされるにいたった。

 (5)第五の変化は、査定による報酬の個別化と、これに伴う企業レベル賃金改定方式の変化である。これまで、労働者給与は、労働組合の規制力を背景に職務等級格付けと勤続年数によって集団的に決定されてきたが、70年代以降、組合の後退も影響して、労働者にも給与査定が導入され、個別管理が進んだ。また、これに伴って企業の賃金改定方式も、全従業員を対象に一律に改定を行う「全般的賃上げ」が後退し、かわって、個々人で改定率が異なる「個別的賃上げ」が重視されるようになった。いいかえれば、企業の賃金管理が、個々人の貢献度や企業の業績によって柔軟に変化しうるものとなった。

 以上のような新たな雇用・賃金管理の導入に対して、労働者や、組織後退が進む労働組合がいかなる行動をとったのか、その対応も見ておく必要がある。

 第三の課題は、ここ20年間のフランス労働組合の著しい後退、組合組織率の急激な低下の原因をどう見るのか、そして、将来的な組織の再生を展望するのは可能なのか否かを検討することである。

 フランスの労働組合は、低組織率でしかも複数に分裂しているため、伝統的に組織は弱体であったが、国際的に見た場合に、ここ20年間ほどの組織の後退は際立っている。戦後の組織率のピークは、解放後47年の52.1%であるが、その後急速に低下し、60年には20.3%となった。再び上昇するのは、60年代後半から70年代半ばまでの労働運動の「黄金時代」であり、この高揚期に20%台の前半のレベルにまで回復している。だが、多くの先進国と同様にその後は低下を続け、95年の水準が9.1%と、先進国で最低の水準にある。70年代半ばから90年代半ばまでの20年間に、組織率は20%台前半から9%へと半分以下に低下し、組合員も400万から210万へほぼ半減している。

 先進国でまれに見る組織率の急落の原因とそのプロセスをどのように説明するのかは、フランス組合研究にとって非常に重要な課題であった。OECD諸国に共通する要因、たとえば、産業構造や職種構成の変化、個別管理や企業別交渉の進展による産業別労組の意義の低下、新たな労働力の組織化戦略の限界、などの要因が、程度の差こそあれフランスにもあてはまるのはたしかであるが、急落の解明には、これに加えてフランス固有の要因、とくにこの国の労働組合や労使関係の構造に内在する要因を考慮する必要があると思われる。つまり、リーダー層(活動家層)を主体とした、政治主義的なフランス労組の構造が急速な組織後退に深く関連しているのではないかと考えられる。組合の危機に関わって、これまでの研究は、必ずしも内在的要因に十分な注意を払ってきたとはいえない。

 本書の構成は、以下のようである。第I部「フランスにおける雇用・労使関係の変貌」は、本書の中核をなし、第1章「自動車企業の雇用管理」、第2章「賃金管理の個別化」、第3章「企業内労使関係の転換」を通じて、現地調査の成果に基づいて、フランス自動車産業の企業レベルの雇用・労使関係の転換を分析する。第II部「フランスにおける労使関係・労働組合研究の動向」の第4章「労使関係の変化と労働組合の危機」、第5章「急激な組織後退と労働争議の再燃」では、80年代以降の研究動向のサーベイを通じて、フランス労使関係研究の主要な傾向を明らかにする。第III部「雇用問題と労使関係」の第6章「雇用調整と労使関係」、第7章「時短によるワーク・シェアリング」では、労使関係の視点から雇用・失業問題を考察し、日本への含意にもふれる。

審査要旨 要旨を表示する

 松村文人氏の提出論文「現代フランスの労使関係」は、フランスの労使関係を1980年代以後の変化に焦点をあてて実証的に解明した作品であり、2000年に単行本(本文232ページ)として刊行された。

 本論文の特徴は、第一に、フランスの労使関係全体の構造のなかで、企業・事業所レベルにおける労使関係に着目し、その実態を解明しようとしていることであり、第二に、その際、文献・資料に依存するだけでなく、自ら現地を訪問し、当事者に対するインタビュー調査や資料収集を行い、実証の精度を高めるていることである。その際、主たる調査対象となっているのは、金属機械産業、そのなかでもとくに国際比較研究の焦点となってきた自動車産業である。もともと、わが国において、フランス労使関係の実証的研究業績は少なく、とくに、本論文のように企業・事業所レベルにまで降り立った研究は少なかった。このような調査研究の結果、本論文は、フランスの労使関係について従来通説的に考えられてきた理解をこえて、貴重な事実発見にもとづく新しい像を描きだしている。以下簡潔に本論文の概要を紹介する。

 フランスの労使関係は、伝統的に、企業外の労働組合、使用者団体、政府の果たす役割が大きかった。しかも、労使関係の構造や当事者の行動様式は、国際比較的にみると、団体交渉の未成熟、闘争的・政治主義的労働組合運動、突発的争議とそれに対応するアドホックな交渉、労使関係に対する国家介入の頻度や程度の高さなどによって特徴づけられてきた。だが、このような通説的なフランス労使関係像は、1980年代以降、大きく変容している。その内容は多岐にわたるが、主要な動向をあげれば、下記の通りである。

 第一に、突発的な争議の数や規模が減少し、最大労組CGT(フランス労働総同盟・共産党と密接な関係)に代表される「異議申し立て」型の労働運動が後退している。「異議申し立て」路線とは、労使関係において譲歩することを嫌い、協定にサインせず、経営への統合や責任の分有を回避しようとする路線である。従来の複数組合主義(協約法制上、主要5労組に平等な交渉権を認める)と産業別協約優先の労使関係のもとでは、このような運動スタイルが可能であり、有力であった。経営側は、協力的な組合との早期妥結により大幅な譲歩を回避できるし、異議申し立て路線の労働組合も、主張を貫いて協約にサインせず、責任分担を回避できたからである。だが、近年、これまで発展が不十分であった企業内の協議や交渉が広がり、雇用・労使関係上の問題を争議ではなく協議や交渉を通じて解決する傾向が深まり、労使関係が安定化してきている。

 第二に、企業・事業所の雇用関係のあり方を規定する雇用・賃金管理の実態が下記のように変わってきている。

1)大規模な雇用削減・雇用調整の実施と有期雇用の増大など雇用形態の多様化が進められた。80年代初めと90年代半ばを比べると、ルノー・プジョー二大自動車グループの従業員数は、どちらもほぼ半分に減少している。他方、期限付き採用の労働者(派遣形態が主)の割合が6%を超えるところまで増加した。

2)職場における職務の統合と多能工化が進んだ。自動車工場では、70年代まで中心的な労働力であった「単能工」(半熟練工)が姿を消し、多能工をモデルとし、周辺業務も行う「専門工」が現場の担い手となった。

3)現場労働者の参加・責任・自立性を拡大するためのチームワークの導入と、職制の簡素化が推進された。上記の専門工への転換と同時に、現場の作業組織が、一人一人の能力を引き上げ、参加を促し、責任を広げる機動的なチーム組織に切り替えられた。この結果、従来の階層組織は簡素化され、職務の割り当てや配置の柔軟化が進んだ。

4)現場労働者への技能訓練の制度化とキャリア管理の導入が図られた。労働者の多能力化のために、これまで一般的でなかった現場労働者への技能訓練が制度化され、労働者もキャリア管理の対象とされるようになった。

5)査定による報酬の個別化と賃金改訂時における個別的賃上げの拡大が進んだ。これまで、労働者の給与の大部分は、労働組合の規制力を背景に、職務等級格付けと勤続年数により集団的に決定されてきたが、労働者にも給与査定が導入され、個別管理が進んだ。また、これにともなって、企業の賃金改定方式も、全従業員を対象に一律の改訂を行う「全般的賃上げ」が後退し、かわって個々人で改定率が異なる「個別的賃上げ」が重視されるようになってきた。また、利益参加制など、企業や事業所の業績に連動する報酬の仕組みも広がった。この結果、企業に賃金管理が個々人の貢献度や企業業績に対応して変化する柔軟性を備えることになった。

 第三に、1970年代半ばに20%台の前半であった労働組合組織率が90年代半ばまでに9%程度へと急激に低下した。もともと、フランスの労働組合は、組織率が低くしかも複数に分裂しているために、伝統的に組織は弱体であったが、ここ20年間ほどの組織率の低下は、国際的に見ても際だっている。組織率が低下しただけでなく、組合員数そのものが400万人から210万人にほぼ半減している。もちろん、フランス労働運動の伝統では、活動家層を中心とする比較的少数の労働組合員が、未組織層を含めた一般従業員を動かして争議を激発させ、それをきっかけに経営者に譲歩を迫る運動スタイルが一般的であった。このような運動は、フランス全土の公共交通を1ヶ月に渡ってマヒさせた1995年の公共部門争議のように、なくなってしまったわけではない。組合組織率の低下が直ちに労働運動の無力化を意味するわけではない。しかし、民間を含む全体的傾向では、このような運動の後退は否定できない。

 以上のようなフランス労使関係の大きな変動の背景には、1980年代(とくにその前半)に経験した産業危機に対応し、産業の国際競争力を回復する必要に迫られていたことがある。80年代から90年代にかけてのフランス労使関係の転換を象徴する1989年12月のルノー労使協定は「生きるための協定」と名付けられている。技術革新と、それを遂行する管理組織の改革(企業の近代化)が必要とされたことも重要である。そして、1982年に広汎な労使関係制度改革を目指したオールー労働法改革の長期的な影響を考慮にいれなければならない。

 上記第二の変動、すなわち、企業レベルの賃金・雇用管理の変容は、多かれ少なかれ、この時期の西欧諸国に共通する現象であり、産業危機・経営危機を克服するために、生産システムの全面的な見直しが行われ、生産の自動化、下請け・外注の再編、新車開発体制の見直しなどと並んで、雇用・労使関係におけるフレキシビリティとコミットメントを促す仕組みの導入が行われた。この点では、とくに自動車産業に注目すれば、いわゆる「日本モデル」の影響も大きかったと考えられる。

 だが、雇用・労使関係の改革は、その国固有の文脈のもとで展開される。フランスの労使関係は、従来、一般的には、闘争的・政治主義的労働組合運動、突発的争議とそれに対応するアドホックな交渉などの特徴を有するものとされ、そうした生産・雇用システム改革になじまないと考えられがちであったが、実際には、相当大きな改革が実施に移された。そこで重要な意味をもったと考えられるのが、上記のオールー改革である。

 1982年にミッテラン左翼政権が実施した労働法の改革(労働大臣の名前をとってオールー改革と呼ばれた)は、フランスの労使関係を労働組合の権利強化・団体交渉の促進によって変革しようとするものであった。他の先進諸国では、石油危機の影響のもとで、労働組合の規制力を減殺する政策がとられる例がみられたが、フランスでは、むしろ、労働組合の強化を図る政策が打ち出されたわけである。これは、イギリスやアメリカの新自由主義的な改革の動向と相反するものであったが、他方、改革の重点を産業レベルではなく、企業レベルに置いていた点では、産業活性化の鍵を握るのは企業であるととらえる新自由主義とも相通ずる面を持っていた。

 この改革は、企業内での定期的な労使対話を広げ、これを労使関係の安定につなげるために、企業経営者に対して年次交渉を義務づけた(違反には刑事罰)。その結果、企業協定の数は、1996年には改革直前の6.3倍にあたる9274件に増え、企業協定適用従業員数も310万人(雇用者の16.2%)に増大した。このような企業内交渉・企業協定の拡大という文脈のもとで、労働運動の主導権が転換し、従来のフランス労働運動を特徴づけた「意義申し立て(contestation)」の路線をとるCGTが後退して、CFDTなどの「提案(proposition)」の路線が優位となった。こうした変化が進む中で、経営者の考え方も変化し、争議発生のいかんにかかわらず協議・交渉による時間をかけた労使合意形成の重要性が認識されるようになった。このようにして、企業内労使関係の制度化が進み、労使関係の安定化に貢献することとなった(上記第一の論点)。

 だが、他方、上記第三の論点にみるように、この間、労働組合組織率が急激に低落したことは、オールー改革の本来の目的であった労働組合の強化という目標が実現されたとは言い難いことを意味している。これは、従来のフランスの労働組合が、活動家主体の組織で、彼らが労働者の意見を代表し、組織化して動員する手法に依拠してきたのにたいして、労使関係の制度化によって活動家の影響力が弱まり、「組合離れ」が進んだとするラベ=クロワザの議論が紹介されている。このような状況のもとで、フランスでも労働組合の転換・再生が模索されている。従来の活動家中心の組合から、企業内委員会などでの投票者・支持者を基盤とする「投票者の組合」論などが生まれているが、その帰趨はいまだ明確ではない。

 本論文は、1980年代以降のフランス労使関係の変動を実に多面的に追究している反面、その意義の解明という点ではいま一歩踏み込みが不足している点が見受けられる。国際比較、とくに日本との違いの明確化などがより意識的に追求されていればという望蜀の念が残る。実証面でも、資料の制約があり、日本の企業・職場レベルでの実態と直接的な比較を行うには、なお、情報が不足している点も見受けられる。

 だが、冒頭でのべたように、本論文は、従来のわが国のフランス労使関係研究の水準を大きく超えて、事業所・職場レベルの実態に立ち入った実証分析を行っており、その貢献は大きい。以上の評価を踏まえ、本提出論文は博士(経済学)の学位授与に値するものと認められる。

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