学位論文要旨



No 215168
著者(漢字) 小野,俊介
著者(英字)
著者(カナ) オノ,シュンスケ
標題(和) 本邦における医薬品開発を目的とする臨床試験に関する研究
標題(洋)
報告番号 215168
報告番号 乙15168
学位授与日 2001.10.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15168号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 津谷,喜一郎
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 伊賀,立二
 東京大学 助教授 夏苅,英昭
 東京大学 助教授 福田,敬
内容要旨 要旨を表示する

 本邦での臨床試験、特に薬事法で規定される治験(承認取得が目的の試験)においては、実施医師、企業、被験者を取り巻く社会・医療環境の特殊性を反映してか、欧米とは異なる方法論が採用され、また、特定の試験形態が好まれることも多い。臨床試験は、私的企業の利潤追求のための新薬開発の一段階であるが、薬事法等の強い公的規制下で実施される。臨床試験が如何に実施されているかを論じるには、関係者が公的規制や歴史的背景の中でどのようなインセンティブに従い行動しているかという観点が不可欠である。

 平成9年(1997年)に臨床試験の基準(新GCP)が施行されて以来、試験の仕組み・倫理の考え方が大きく変化しつつある。変化に対応して、関係者は各々選択を行い、効用を最大にしているはずだが、現実には、選択により関係者間での利害の衝突が起きている。この背景を理解するためには医療経済学的な観点からの考察が有用である。かかる考察は今後の医薬品政策に関する議論の前提としても重要である。

 本研究の目的は大きく二つある。第一に、公表データに独自の解析を加えて、本邦の臨床試験及び試験実施医療機関の特性を明らかにすることである。第二に、医薬品施策の評価を行うための医療経済学的な枠組み・考え方を提示することである。第二の目的を達成するため、本研究では特に新GCPの施行を例にとり、詳細な検討を行った。

1.医療機関の特性と臨床試験の実施状況

 一般に、臨床試験の実施状況は企業にとって秘匿性の高い情報であり、公開情報としては得られない。そこで、公表文献に基づき本邦での試験実施状況の構造を推測し、異なるタイプの医療機関がどのような試験を実施しているのか検討した。医療機関はその設置者や目的により分類できるが、本分析では、公的な病院か否か、大学病院か否かという二つの二分法を採用した。

 文献4誌に1991年から1999年の間に報告された試験のうち、第2相、第3相にあたる多施設試験217試験を選択した。各試験のデザイン、試験分野を示す変数を収集し、各試験の公的病院数及び大学病院数を被説明変数として回帰分析を行った。

 選択された試験は、概ね、過去に報告されている90年代の試験の特徴を示した。これらの試験は、国立・私立大学病院において多く実施されていたが(それぞれ28%、22%)、大きな区分でみると、大学病院とそれ以外の病院の間で著しい偏りはなく(大学55%、非大学45%)、また同様に、国公立病院と私立病院の間でも大きな偏りはなかった(国公立52%、私立48%)。

 さらに、実際の治験薬の数を考慮し、また、いくつかの仮定を置いて、1995年時点における本邦の臨床試験の分布(どのような医療機関がどのような試験をどの程度の数実施していたか)を推測したが、上述の二つの二分法では大きな偏りはなかった。分野毎の構成比率についても推測し、国公立病院では、私立病院に比して、心血管系、消化器系、代謝系、抗腫瘍剤の試験の構成比率が高いこと、一方、私立病院では感染症薬の試験の構成比率が高いこと、また、大学病院では非大学病院に比して心血管系、呼吸器系、消化器系、代謝系の試験の構成比率が高いことがわかった。

 試験ごとの国公立病院の数と各変数の関係を回帰分析した結果、国公立病院の数は、試験の相の進行、総括医師が私的セクターに属することと負の相関を示した。また、診療科・試験分野変数では、心血管系(高血圧薬等)、麻酔科、抗腫瘍薬の試験と国公立病院の数は正の相関を示し、精神科、感染症薬と負の相関を示した。これらの結果は、歴史的に国公立病院がいくつかの治療領域で先導的な役割を政策的に果たしてきたこと(例:がんセンター、麻酔科)を支持するものであった。また、総括医師の所属と参加施設の関係は本邦医学界のよく知られた構造的特徴であると考えられた。

 試験ごとの大学病院の数と各変数の関係を回帰分析した結果では、大学病院の数は、試験の相の進行と負の相関を、神経内科、心血管系薬、皮膚科と正の相関を示した。大学病院が心血管系薬を含む主要な薬効群で先導的な役割を果たしていることは窺えるが、商業的試験についてはその難易度や先進性を鋭敏に映す変数を採用することが困難等の理由から、大学病院の明確な技術的優位性等は本モデルでは明らかではなかった。

 なお、試験のコストを反映するいずれの変数(例:総被験者数、ランダム化の有無)についても国公立、大学病院の参加数と強い相関が見出せなかったことは、依頼者による実施病院の選択が、直接的・短期的な経済的インセンティブよりも、それ以外の制約(技術、伝統等)に基づくことを示唆した。

2.本邦の臨床試験の質に関する分析と考察

 本邦の臨床試験の現状把握にはさらにミクロの視点が必要である。試験が実際にどう実施されているか(conduct)に関して、その質を評価することは容易ではないが、その時点での科学的・倫理的な水準からの逸脱の程度はconductの質の一つの指標と言える。

 こうした観点から、平成9年度からの3年間に775のプロトコル、331医療機関を対象に実施されたGCP調査の結果を精査した。試験は全て旧GCP下のものであった。

 指摘の多くは症例報告書の記載間違い(例えば、臨床検査値を写し間違える等のエラー)に対するものであった。このようなミスが多発した原因としては、治験協力者(リサーチナース等)の不在、症例報告書の様式上の欠陥、医師が試験終了後に何枚もの報告書をまとめて作成していたこと、企業が診療録等を直接閲覧できなかったこと等、本邦の試験実施システム全体の欠陥が考えられた。プロトコルからの逸脱には、被験者の選択基準違反、併用薬違反が多かったが、これは本邦で治験が国民皆保険に組み込まれてきたことの反映と判断された。治験審査委員会が機能していないことの指摘も多く見られた。

 さらに、本邦のGCP調査結果と米国FDAのそれとの比較を試みた。結果の数値の単位の違いに由来する解釈の誤りを避ける必要があり、また、定量的な比較を行うには情報が不十分ではあるが、次の二点の相違が明らかとなった。第一に、説明同意に関する指摘件数が米国に比して本邦では少なかった。これは旧GCPにおける要求のレベル自体が低かったことに起因すると考えられた。第二に、先述の症例報告書の記載間違いに関する指摘の数(全体の指摘に占める当該指摘の割合)は、本邦が米国に比して高いと推察された。

 ただし、これらの相違の全てを両国の試験自体の相違によって説明するのは危険である。例えば、違反の発見はGCP査察官に対するインセンティブ(例:どのような違反の発見が手柄となるか)とも関係している。

 新GCPが日本の臨床試験の質をどう変えるかについては、質に関する特定の側面に注目した検討も可能である。特に被験者(医師)の特徴に焦点を当てた場合、日本と米国の被験者(医師)が臨床試験をどう捉えているかについて、両国における認識の違いは知られているが、新GCPの導入により少なくとも治験を治療と同義とする誤解はかなり減ること、しかし、医療保険等の外的条件が不変である以上、日本人の治療効果への期待には大きな変化はないことが予想された。

 データの正確度や精度といった狭義のデータの質の改善も期待されるが、その改善の程度を評価するにはさらに具体的な情報が必要と考えられた。

3.社会全体の視点から臨床試験を捉えるための枠組み

 臨床試験という一種の社会プロジェクトの評価については、その受益者と費用負担者とが必ずしも一致せず、また、便益が将来に渡って発生することから、公的部門の事業の意思決定の際にしばしば用いられる費用便益分析の「枠組み」を適用することが有用ではないかと考えた。かかる枠組みは、本来の目的である効率性の議論のみならず、誰が受益者で誰が費用負担者かを自然に明らかにするため、公平性の議論の一助ともなるものである。

 試験の実施を一つのプロジェクトと考えた場合の費用・便益の分析の枠組みにおける登場人物は、被験者、企業、実施医師、一般市民である。前三者は直接的な費用(狭義の直接経費及び間接経費)を負担するが、一方で各々は理論的には評価可能な形で便益を受ける。この点からは、臨床試験というサービスが全ての被験者にとって経済学的なbad(例:公害)とするスタンスは適切ではない。さらに、試験から得られる便益には、科学的知見の価値と開発が成功した場合に上市される医薬品の価値がある。これらの便益の大きさは、試験の重要性・稀少性、開発された薬剤の有用性等の外的条件に依存し、必ずしも全ての場合において費用を上回る大きさの便益が得られるかどうかは自明ではない点には注意すべきである。

 さらに、この枠組みを新GCP導入の社会的な影響の評価に適用した。新GCPの導入は関係者に資源(時間等)のより大きな消費を求める。新GCPの実施を効率の尺度で支持するには、データの質の向上が優れた新薬の上市に必ず結びつく等の楽観的な仮定が必要と考えられた。ただし、以上は功利主義的なアプローチであり、別の価値観に施策の意義を求めるスタンスは否定すべきではない。

 最後に、この枠組みは倫理的な議論の指針としても有用であると考えられた。例えば、今般改訂されたヘルシンキ宣言ではプラセボ対照試験に厳しい目が注がれているが、この議論においてプラセボ対照試験に肯定的又は否定的な論者のスタンスはかかる枠組みによって分かり易く表現可能であった。このことは、実は、「一人一人の人間を同じ人間として評価する」という費用便益分析の「倫理」の顕れでもある。

審査要旨 要旨を表示する

 医薬品の開発環境は、医療の実態や方法論の発展とともに変化する。臨床開発の分野では、国際的に合意された各種ガイドラインの実施、特に1998年の新GCPの全面実施が、本邦の臨床試験のあり方を大きく変えつつある。

 こうした政策の評価には、その実施が社会にもたらす利益と要する費用をそれぞれ特定し、効率性、公平性等の視点にたった議論を行うことが不可欠であるが、現実には、かかる評価が明示的になされることは殆どなかった。また、医療や医薬品開発の現場と「規制」の相互作用は、本来、そこに登場するplayerのmotivation又はincentiveに基づき考察すべきであるが、対立するplayerの効用や利害意識を明示した議論が本邦の施策決定の場では好まれないという背景から、そのような分析はあまり行われてこなかった。

 このような問題意識の下、本研究では、(1)臨床試験を医療機関と企業の間で取引きされるサービス(財)と捉えたときのその市場、(2)試験のoutputが医療機関で生産される過程、(3)臨床試験の最終成果たる医薬品と科学的知見が消費・利用される社会全体、の三つのレベルにおいて臨床試験の実態をデータに基づき明らかにすることを直接の目的とした。

1.医療機関の特性と臨床試験の実施状況

 公表文献に基づき本邦の試験実施状況(1990年代にどのようなタイプの医療機関がどのような試験を引き受けていたか)が推測された。試験の契約数の分布でみると、本邦で実施された臨床試験は、公的、私的セクターでそれぞれ同程度実施されていたと推測された。

 試験ごとの国公立病院の数と試験の属性変数の関係を回帰分析した結果、国公立病院の数は、試験の相の進行、総括医師が私的セクターに属することと負の相関を示した。診療科変数では、心血管系、麻酔科、抗腫瘍薬の試験と国公立病院の数は正の相関を示し、精神科、感染症薬と負の相関を示した。また、試験ごとの大学病院の数と各変数の関係を回帰分析した結果では、大学病院の数は、試験の相の進行と負の相関を、神経内科、心血管系薬、皮膚科と正の相関を示した。なお、試験コストを反映する変数(例:総被験者数、ランダム化の有無)は、国公立、大学病院の参加数と強い相関が見出せなかった。これらの結果から、本邦の臨床試験契約の分布が、直接的・短期的な経済的要因ではなく、それ以外の制約(技術、伝統、人のつながり等)により影響されていることが示唆された。がんセンター等の医療機関は、試験引受け数に関する限り、その政策目的を果たしてきたことも示された。

2.本邦の臨床試験の質に関する分析と考察

 平成9年度からの3年間に実施されたGCP調査の結果を精査し、医療機関で試験が「生産」される過程での特徴を、GCP調査で見出された試験の問題点から分析した。問題点で最も多かったのが症例報告書の記載間違いに関するものであった。原因としては、治験協力者の不在、症例報告書の様式の欠陥、企業が診療録等を直接閲覧できなかったこと等、本邦の試験実施システム全体の欠陥が考えられた。また、本邦で治験が国民皆保険の中で実施されてきたことも一部の逸脱の原因と思われた。さらに、本邦と米国のGCP調査結果が比較されたが、インフォームドコンセントに関する指摘件数が本邦で少なく、症例報告書の記載間違いの件数は本邦がかなり高いと推察された。これらの相違は、試験の実態の相違、査察官のインセンティブ(手柄意識)の相違に関係すると考察された。

 さらに、新GCPが試験の質をどう変えるかについて、被験者(医師)の特徴に焦点を当てた考察、データの正確度や精度といった狭義のデータの質に関する考察が行われた。

3.社会全体の視点から臨床試験を捉えるための枠組み

 臨床試験という社会プロジェクトの評価のための費用便益分析の「枠組み」が提示され、新GCPの実施に対しそれを適用した考察が行われた。臨床試験の各player(被験者、企業、実施医師、一般市民)に係る費用・便益が個別具体的に提示された。便益には科学的知見の価値と上市される医薬品の価値があり、その大きさは試験の重要性・稀少性、開発された薬剤の有用性等の外的条件に依存し、全ての場合に便益が費用を上回るかは自明とは言えないとされた。さらに、この枠組みを新GCP導入の影響の評価に適用し、効率性の観点から導入が正当化される条件が検討された。

 最後に、この枠組みを倫理的な議論(ヘルシンキ宣言のプラセボ使用に関する議論)に適用し、異なる立場の主張の論拠を分かり易く表現する試みを展開した。

 以上、本研究において、情報不足等の理由から分析困難であった医薬品開発の市場の特性を明らかにした。この市場では、歴史に基づく制度や人的コネクション等の要因の影響が強く、各試験の直接費用等の影響は比較的弱いことが示唆された。また、その市場で扱われるサービス(財)たる臨床試験の質に関する検討結果は、この市場の各playerの特性を反映したものであった。これらの結果は、臨床試験に関する医療機関への施策を考える上で、どの分野(誰)に資源を充てればどのような成果が得られるかについての基礎データを示した点できわめて有用である。さらに、社会全体の視点からplayersの利害を包括的に評価するための枠組みと倫理面への応用が検討されたが、このような検討は政策評価において効率性、公平性の問題を論じる上での骨格となるべきもので、医薬品開発の分野にその骨格を明示的に応用した議論を展開した意義は大きい。

 本研究は、その決定過程が透明とは必ずしも言い難かった従来の医薬品開発政策に、明確な根拠・論拠を導こうとする試みの端緒となるものであり、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/37484