学位論文要旨



No 215173
著者(漢字) 池田,誠
著者(英字)
著者(カナ) イケダ,マコト
標題(和) 急性外陰潰瘍(Lipschutz潰瘍)の臨床像に関する研究
標題(洋)
報告番号 215173
報告番号 乙15173
学位授与日 2001.10.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第15173号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 玉置,邦彦
 東京大学 助教授 上妻,志郎
 東京大学 助教授 馬場,一憲
 東京大学 助教授 福岡,秀興
 東京大学 講師 井上,聡
内容要旨 要旨を表示する

a研究目的

 外陰に潰瘍性病変を有する疾患には、多くの病因があり、その疾患の多くは性感染症によるものである。1900年初頭、Lipschutzは性交経験のない若い女性に性感染症とは異なった病因によって外陰に潰瘍性病変が発症することを初めて見い出し記載した。Lipschutz潰瘍は本邦では急性外陰潰瘍と呼ばれてきたが、現在まで詳細な臨床像の記載や明確な診断基準もなかった。

 1938年にはBehcetが眼、口腔内アフタ、外陰潰瘍の3主徴を特徴とするBehcet病を記載し、急性外陰潰瘍が口腔内アフタを伴うことが多いことから、Behcet病の不全型と位置付ける考え方が提唱されたが、その妥当性には疑問がある。急性外陰潰瘍は日常診療ではそれほど頻繁にみられるものでないこともあり、多数の症例を集めて産婦人科の視点から詳細な臨床像を検討した報告は国の内外を通してみられず、臨床的、病態論的な研究は大変遅れている。

 そこで今回、私は急性外陰潰瘍について一つの診断基準を提案し、その診断基準を満たした症例についてその臨床像と検査所見をまとめた。

 b研究方法

 (1)診断基準

 まず急性外陰潰瘍の診断基準として「従来知られている潰瘍形成の病因によるものではなく、急性に進行し、深さ2mm以上の外陰部の潰瘍性病変を有する疾患」とした。潰瘍の深さについては性器ヘルペスのような上皮性の病変ではなく、真皮に達するということを示すため「深さ2mm以上の潰瘍性病変」とした。そして臨床的に酷似する急性性器ヘルペスをウイルス学及び血清学的に否定できたことを確認した。

 上記の診断基準に当てはまった1987年から1998年にかけて東大分院産婦人科を受診したものは28例であった。この28例についてその臨床像および検査所見についてまとめた。

 (2)潰瘍病変の分類

 病変の位置について、I.外陰病変のみ(外陰型と呼ぶ)II.外陰と腟病変(共存型)III.腟病変のみ(腟型)の3つに分けて検討した。外陰型を(A)両側性、(B)片側性に分け、更に両側性は(1)対称性、(2)非対称性、(3)対称性+非対称性(混合性)の3群に、片側性は(1)左、(2)右に細分して検討した。

 (3)検査方法

 単純ヘルペスウイルス(HSV)の分離と同定は、まず病変部を綿棒にて擦過し、培養R-66細胞に接種した。細胞変性効果を観察しそれが進行したところで細胞を採取しスライドグラスに塗沫し、蛍光抗体法にてHSVの同定と型決定を行った。

 単純ヘルペス血清抗体:IgG抗体,IgM抗体についてはEnzyme immunoassay法によって行った。デンカ生研社製 単純ヘルペスウイルスEIAキットを用いた。

 c結果

 (1)対象症例の背景

 (a)初発年齢分布

 中央値は29歳、平均(mean±SE)は29.4±1.5歳。性成熟期である20歳から34歳が71%をしめた。初経前と閉経後にはみられず、なんらかの内分泌的な背景があることが示唆された。

 (b)経妊経産回数

 妊娠の既往は15例(53%)は未経妊でその内3例は性交渉もなかった。

 また19例(68%)が未産であった。

 (2)潰瘍部位について

 潰瘍部位は外陰型が24例と85%を占めた。両側性と片側性は各12例ずつであった。両側性では対称性が5例、また片側性では左右共6例ずつで左右差は認めなかった。

 潰瘍は小陰唇内側の粘膜面に集中し、皮膚面にはみられなかった。中には腟粘膜にもみられる症例もあり、共存型は3例(11%)、腟型は1例(4%)であった。

 (3)性器外症状

 (a)口腔粘膜のアフタ性潰瘍

 口腔内アフタは併発と既往を含めると82%にみられた。しかし5例(18%)にはみられておらず、Behcet病との異同を論じる際に考慮すべき点と考えられる。

 (b)発熱

 38℃以上の発熱は71%にみられ、ほぼ全例が1週間以内に解熱した。発熱は潰瘍出現時期の前か同時に出現していた。全身症状である発熱と局所症状である潰瘍性病変の出現に何らかの深い関連性が考えられた。

 (c)鼠径リンパ節の腫脹

 リンパ節腫脹は22%にみられたが発熱の有無や潰瘍部位との関連はみられなかった。

 (d)眼症状(e)皮膚症状

 Behcet病に特有な眼症状および皮膚症状は急性外陰潰瘍の発症時にはみられずその後の追跡調査でもみられたものはなかった。

(4)予後

 (a)治癒期間

 潰瘍出現からの治癒期間は期間は短いもので6日、長い者で170日かかり、平均は35.3±8.2日、中央値は17.5日であった。抗アレルギー剤である塩酸アゼラスチンは、臨床的には急性期の症状緩和には効果があったが、治癒までの日数には有意な差はみられなかった。

(b)再発の有無

 再発について1年以内でみたところ9例(32%)が再発し、その内8例は3ヶ月以内であった。異なる部位で再発する例が多かった。

(5)検査所見

 (a)白血球数は11例中8例が正常であった。

 (b)CRPは潰瘍出現6日以内に測定した例では78%が陽性、1週間以上経過後に測定した例では陽性率は25%と有意に低下した。

 (c)血清補体成分

 本疾患における免疫学的背景を検討するため補体価を測定した。C3はすべて正常であったが、C4は13人中7人(54%)が高値であった。

 (d)HLA typing

 遺伝的背景を検討するためにHLAを調べた。Behcet病の遺伝的背景として注目されてきたHLA-B51についてみてみると16例中5例(31%)が陽性であった。これはBehcet病でいわれている検出頻度(約60%)の約半分ほどであった。またHLA-DR6が9例中6例(67%)にみられ、一般人口の頻度の約16%より遥かに高頻度であり今後更に検討していきたい。

(6)統計学的検討

(a)急性外陰潰瘍の部位による臨床症状及び検査所見の比較

 急性外陰潰瘍の部位によって年齢、経妊経産回数、臨床症状(口腔内アフタの有無、発熱の有無と期間、鼠径リンパ節腫脹の有無、再発の有無、治癒期間)及び検査所見(白血球数、CRP、補体値、HLA-B51の頻度)をそれぞれ比較したが、有意な差はみられなかった。

(b)口腔内アフタの既往の有無による臨床症状及び検査所見の比較

 口腔内アフタの既往も併発もない5例と他の23例を比較したところ臨床症状(発熱の有無、再発の有無)及び検査所見(CRP陽性の頻度、HLA-B51の頻度)に有意な差はみられなかった。

d考察

 急性外陰潰瘍の症例を集めてその臨床像を記載した報告は国の内外を問わず見られず、この臨床像をまとめることが疾患単位として位置付けるために必須であった。そこで先ず診断基準を提案した。その要点としては(1)急性な経過をとるということ。(2)潰瘍が深いこと。(3)この疾患と酷似する急性型の性器ヘルペスを否定するため、分離が陰性であり、抗体の陽転がないことであった。

 臨床像については従来若い思春期前後の疾患と考えられてきたが、今回14〜45歳と性成熟期の女性に広く分布することが判明した。

 発症時期についてしらべてみると、卵胞期と黄体期ではやや黄体期に発症する例が多かったが有意差はなかった。妊娠中も3例みられた。

 急性外陰潰瘍の病因については諸説があり、確定的なものは無いのが現状である。潰瘍の部位が小陰唇内側の粘膜面に多く、皮膚面にみられなかったことは何らかの組織学、解剖学的な因子の関与があるのかもしれない。本疾患の70%が1週間以内の比較的高熱を伴っており急性外陰潰瘍は急性炎症性疾患という広い範疇に入れられよう。しかも病変の出現するよりも前に発熱のみられるものが35%,ほぼ同時が60%みられたが、発熱をおこす何らかの全身性の変化が潰瘍の発生に深く関連していることが考えられた。

 Behcet病での外陰潰瘍では所属リンパ節がおかされることはほとんどないといわれるが、急性外陰潰瘍には鼠径リンパ節の腫脹が4分の1にみられた。

 本疾患には再発が3分の1にみられる。しかも3ヶ月以内が大部分である。このことは本疾患を発症する背景或いは内因は持続しているということを意味しているのであろう。

 本疾患の発症から治癒までのどの位を要するのかについての報告は今までみられなっかたが、本研究においては、発症から治癒までは平均35.3±8.2日、中央値は17.5日で全例治癒した。このことは一般的には本疾患は予後の良い疾患といえる。

 以前より本疾患とBehcet病との関連が問題になってきた。今回の臨床像からBehcet病と重複する部分はあるが、口腔内アフタのない症例やBehcet病の特徴的な眼病変や皮膚病変がみられず、HLA-B51の陽性率が31%とBehcet病での陽性頻度の半分程度であったことも本疾患がBehcet病とは異なる疾患単位であること示唆していると思う。本研究にてHLA-DR6の陽性率が67%と本邦一般の16%より著しく高かったことがみられ興味深い知見であり、今後検討していきたい。

 今後、産婦人科医として急性に外陰潰瘍を形成する疾患ということを主眼として本疾患の内因性および外因性の病因の解明と病態の解析を行っていきたい。そして今回の研究を出発点として長期にわたる前方視的な研究を行いBehcet病との異同について更に検討する予定である。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、現在まで国の内外を通して詳細な臨床像の記載や明確な診断基準がなかった外陰の潰瘍性病変、Lipschutz潰瘍(本邦では急性外陰潰瘍と呼ばれてきた)について、一つの診断基準を提案し、多数の症例を集めて産婦人科の視点から詳細な臨床像を検討している。更に、急性外陰潰瘍がBehcet病の不全型と位置付ける考え方が提唱されているが、その妥当性には疑問があることを示している。

 従来本疾患には確定した診断基準がなかったので「従来知られている潰瘍形成の病因によるものではなく、急性に進行し、深さ2mm以上の外陰部の潰瘍性病変を有する疾患」としている。この疾患と酷似する急性型の性器ヘルペスを否定するため、分離が陰性であり、抗体の陽転がないことを確認している。上記の診断基準に当てはまった1987年から1998年にかけて東大分院産婦人科を受診した28例についてその臨床像および検査所見から病態論を考察している。

1.初発年齢分布は、中央値は29歳、平均(mean±SE)は29.4±1.5歳。性成熟期である20歳から34歳が71%をしめた。初経前と閉経後にはみられず、なんらかの内分泌的な背景があることが示唆された。従来若い思春期前後の疾患と考えられてきたが、今回14〜45歳と性成熟期の女性に広く分布することが示された。

2.潰瘍病変の分類

 病変の位置について、I.外陰病変のみ(外陰型)II.外陰と腟病変(共存型)III.腟病変のみ(腟型)の3つに分けて検討している。外陰型を(A)両側性、(B)片側性に分け、更に両側性は(1)対称性、(2)非対称性、(3)対称性+非対称性(混合性)の3群に、片側性は(1)左、(2)右に細分している。潰瘍部位は外陰型が24例と85%を占め、両側性と片側性は各12例ずつであり、両側性では対称性が5例、また片側性では左右共6例ずつで左右差は認めないことが示された。

 潰瘍は小陰唇内側の粘膜面に集中し、皮膚面にはみられず、中には腟粘膜にもみられる症例もあり、共存型は3例(11%)、腟型は1例(4%)であることが示された。潰瘍の部位が小陰唇内側の粘膜面に多く、皮膚面にみられなかったことは何らかの組織学、解剖学的な因子の関与を示唆した。

3.性器外症状

 (a)口腔粘膜のアフタ性潰瘍

 口腔内アフタは併発と既往を含めると82%にみられたが、5例(18%)にはみられておらず、Behcet病との異同を論じる際に考慮すべき点と考えられた。

 (b)発熱

 38℃以上の発熱は71%にみられ、ほぼ全例が1週間以内に解熱したことを示した。発熱は潰瘍出現時期の前か同時に出現し、全身症状である発熱と局所症状である潰瘍性病変の出現に何らかの深い関連性が考えられた。本疾患の70%が1週間以内の比較的高熱を伴っており急性外陰潰瘍は急性炎症性疾患という広い範疇に入れられることを示した。しかも病変が出現するよりも前に発熱のみられるものが35%,ほぼ同時が60%みられたが、発熱をおこす何らかの全身性の変化が潰瘍の発生に深く関連していることが考えられた

 (c)鼠径リンパ節の腫脹

 リンパ節腫脹は22%にみられたが、発熱の有無や潰瘍部位との関連は認められなかった。Behcet病での外陰潰瘍では所属リンパ節がおかされることはほとんどないといわれるが、急性外陰潰瘍には鼠径リンパ節の腫脹が4分の1に認められた。

 (d)眼症状(e)皮膚症状

 Behcet病に特有な眼症状および皮膚症状は急性外陰潰瘍の発症時には認められず、その後の追跡調査でも認められたものはないことを示した。

4.予後

 (a)治癒期間

 潰瘍出現からの治癒期間は短いもので6日、長い者で170日かかり、平均は35.3±8.2日、中央値は17.5日であったことを示した。抗アレルギー剤である塩酸アゼラスチンは、臨床的には急性期の症状緩和には効果があったが、治癒までの日数には有意な差は認められなかった。本疾患の発症から治癒までのどの位を要するのかについての報告は今までなかったが、本研究においては、発症から治癒までは平均35.3±8.2日、中央値は17.5日で全例治癒したことを示した。このことは一般的に本疾患は予後の良い疾患であると示した。

 (b)再発の有無

 再発について1年以内でみたところ9例(32%)が再発し、その内8例は3ヶ月以内であり、異なる部位で再発する例が多いことを示した。このことは本疾患を発症する背景或いは内因が持続しているということを示唆した。

5.検査所見

 (a)白血球数は11例中8例が正常であることを示した。

 (b)CRPは潰瘍出現6日以内に測定した例では78%が陽性、1週間以上経過後に測定した例では陽性率は25%と有意に低下することを示した。

 (c)血清補体成分

 本疾患における免疫学的背景を検討するため補体価を測定しているが、C3はすべて正常であったが、C4は13人中7人(54%)が高値であることを示した。

 (d)HLA typing

 遺伝的背景を検討するためにHLAを調べている。Behcet病の遺伝的背景として注目されてきたHLA-B51については16例中5例(31%)が陽性であることを示した。これはBehcet病でいわれている検出頻度(約60%)の約半分であることを示した。またHLA-DR6が9例中6例(67%)にみられ、一般人口の頻度の約16%より遥かに高頻度であり本疾患がBehcet病とは異なる疾患単位であること示唆した。

 以上、本論文は以前よりBehcet病との関連が問題になってきた急性外陰潰瘍について、臨床像からBehcet病と重複する部分はあるが、口腔内アフタのない症例やBehcet病の特徴的な眼病変や皮膚病変が認められず、HLA-B51の陽性率が31%とBehcet病での陽性頻度の半分であり、HLA-DR6の陽性率が67%と本邦一般の16%より著しく高かったことを示し、本疾患がBehcet病とは異なる疾患単位であること示唆した。そして今まで詳細な記載のなかった急性外陰潰瘍についてその臨床像を明確にすると共に病態論について考察し、産婦人科の診療に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられた。

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